文明の衝突②
一方その頃、日本政府は首都圏に出現した異世界人の王族とコンタクトを始めていた。
流石にこの短期間では、言語を理解するまでには至っていなかったが、とはいえ知的生命体同士であるから、意思疎通の方法は色々あった。例えば○×カードを使うとか、絵を描くとか、映像を見せたりとか、単なるジェスチャーもそうだし、すでに簡単な挨拶くらいならお互いの言葉で交わせるようにもなっていた。
それにより首都圏に現れた異世界人たちは、およそ100万の人口を抱えた単一民族国家であることが判明した。日本には彼らの他に王国はなく、人々は主に関東平野で平和に暮らしていたらしい。空を飛ぶことが出来る彼らは地形を正しく理解しており、自分たちはまさしくこの東京に住んでいたと主張した。しかし、森で覆われた緑豊かな大地がどうして今は石に覆われているのか……彼らは困惑しきっている様子だった。
それは日本政府も同じだった。彼ら王家はこの日本列島の正当な所有者であると主張している。しかし、言うまでもなくこの国は日本国憲法によって定められた日本国民の物である。なんなら彼らのことを日本国民として迎えることは出来るかも知れないが、一つの国家に二つの政府は成立しない。それを彼ら王家が受け入れてくれるだろうか?
いまさら彼らに出ていけというのは虫が良すぎるだろう。せっかく世界に先駆けて異世界人と友好関係を築けたというのに、戦争になっては元も子もない。彼らの人気は本物のようだし、国民が怒り出して支持率が下る。しかし、どう言えば異世界人達は納得するだろうか……お互いどのへんに落とし所があるのかまるで条件が見えなかった。
そんな具合に頭を悩ませているところに、世界各国からの支援要請が相次いで舞い込んできた。例の放射能の件で早急に停戦したいのだが、現時点で異世界人と友好関係を築けているのは日本だけだから、仲裁をお願いできないかとのことだった。一も二もなく賛成すべきだろう。日本政府は目の前の行き詰まった問題は棚上げして、友好関係にある異世界人の王族に和平交渉を手伝ってくれるよう要請した。
こうして世界は停戦に向けて動き出した。中には関係が拗れすぎていて、戦闘を続行する国家もあったが、世界は概ね落ち着きを取り戻す努力を始めようとしていた。
しかし、そうして停戦が成ったとしても、根本的な解決とまではいかなかった。
日本政府も頭を抱えているように、異世界人たちは時空を超えて“やって来た”のではなく、最初からそこに“住んでいた”のである。停戦交渉に当たっては、彼らは当然のように領土権を主張した。あちらからすれば、科学文明の方こそが、異世界からやってきた侵略者だったのだ。
そんなわけで、結局、交渉は決裂し、戦闘と停戦を繰り返す不安定な時期がこれから数年間続くこととなる。異世界との融合には、まだまだ時間がかかりそうだった。
ところで、一時的にせよ話し合いの場を設けたことで、異世界のこともほんの少しは分かってきた。
異世界人は魔法を主とした文明を築き、農畜産業を展開しているが、生活レベルはまだこちらの中世レベルに留まっているようだった。どの国家も絶大な魔力を誇る王を戴き、その軍隊は、魔法力の他には簡単な鉄器すら装備していない。
人口は全世界を合わせても5億に満たないくらい、だいたい地球人口の十分の一以下である。とはいえ、地球規模で一割近くの人口が増えたわけだから、世界が混乱するのは必然だったろう。
異世界人たちの生息域はかなり偏っていた。しかし、その偏りは科学文明にとっても馴染み深いものだった。彼らは主に、中近東、インド、東アジア、中南米に密集して生息しており、その他の地域には殆ど存在しないようである。いても部族規模の集落が転々とあるくらいで、この偏りは言うまでもなく、地球にかつて存在した五大文明の栄えた場所に違いなかった。結局、これらの地域が人間にとっては暮らしやすいという証拠だろう。
異世界人たちは上記の4地域に、それぞれの帝国を築いていた。
そのうち、中近東にはおよそ1億人ほどの異世界人が生存していたと見られている。見られている……というのも、結論から言えば、これらの地域に住んでいた異世界人たちは、最初の戦争で殆どの命が失われてしまったのだ。
中近東に現れたのは、日本とは違って青い肌をした巨人たちだった。彼らは異世界人の中でも特に強大な魔力を持ち、その身体能力は一人が一両の戦車に匹敵した。このような超人との戦闘を強いられた中東諸国は非常に苦戦した。
アラブの王族たちはアメリカに支援を求めたが、当時はそのアメリカも自分のことに手一杯で、自力でなんとかするしかなかった。ありったけの兵器をかき集め、傭兵たちを武装させた彼らは、もしもの場合も想定した。ところが、思いがけず異世界人たちの方が勝手に自滅したのである。
青い肌の人々は、砂漠という環境に適応できなかったのだ。
どうやら異世界の中近東は、かつて文明の興った頃の地球のごとく、肥沃な大地の広がる緑豊かな土地だったようだ。そんな場所から、いきなり砂漠しかない不毛な土地に投げ出された“非文明人”には成すすべが無かった。
彼らは飢えと渇きと暑さに苦しみ、そうこうしているうちにイスラエルとイランが反撃の体制を整え、メチャクチャに“悪魔”を追い立て始めた。追い立てられた彼らはイラクの砂漠へとなだれ込み、地球人の難民とともに、シリアを通って地中海から欧州へと逃れた。
その欧州が大量の難民流入に悲鳴を上げ、日本政府に仲裁を要請してきた次第である。
一方、中近東では“悪魔”と称された異世界人たちであったが、インドでは少々事情が異なった。当初はインドでも激しい戦闘が行われたのであるが、時間が経つにつれて科学文明の方が尻込みし始めたのである。
というのも、一神教の人々からすれば悪魔にしか見えない青い肌は、ヒンドゥー教の人からすれば思いがけず神々の姿に酷似していたのだ。異世界人たちは青い肌をした端正な顔立ちの巨人で、そしてまるで古代の叙事詩に謳われるような奇跡の力を使った。それを見ていた人々の間に、間もなく畏怖と厭戦感情が沸き起こって、政府もだんだん及び腰になっていった。
結局、被害状況と国民感情とを考えると、これ以上の戦闘は不利益であると判断したインド政府は、日本を通じて異世界人とコンタクトを図り、かなりの譲歩をしての停戦を実現した。彼らはパキスタンから逃れてきた勢力を含め、およそ7~8千万人の異世界人を受け入れると表明し、不安定ではあるが、二重政府が並立する争いのない平和な状況が今日まで続いている。
ところ変わって、太平洋を渡り中南米でも激しい戦闘が繰り広げられていたが、それによって追い立てられたのは、どちらかといえば地球人の方だった。異世界人たちは主にメキシコとペルーの山岳部に現れたのだが、そもそもその険しい地形で、空を飛び魔法を操る相手と戦うのは、どんな軍隊であっても苦戦は必至だったろう。
この大混乱から逃れてきた人々は、メキシコを通って北を目指し、続々と国境を超えて合衆国へとなだれ込んでいった。合衆国政府も欧州同様、この大量の難民を持て余したが、人道的に追い返すわけにもいかず、その結果、当時、移民排除を掲げて当選したばかりであった大統領は、窮地に立たされることとなる。
そして最後に、東アジアの情勢であるが、これは非常に後味の悪い結末を迎えた。国内に突然現れた異世界人に対し、中国政府は最後まで強硬姿勢を崩さなかったのだ。
今となっては正確な数字は分からないが、当時、中国大陸にはおよそ2億人を超える異世界人たちが生活していたらしいのだが、中国政府はこの悉くを粉砕した。戦闘は殆どジェノサイドといえるくらい苛烈を極め、その様子が電波に乗って世界中に知れ渡ると、同じく異世界人に手を焼いていた国々にまで苦言を呈されたくらいであった。
中国がここまで頑なな態度を貫いたのかは、つまるところその数に依った。2億という数字は、いくらなんでも一国が受け入れるには現実的でない数だった。ましてや、少数による一党独裁を続けている国では不可能だった。中国政府は体制を維持するために、異物を徹底的に排除したのである。
異世界人に対する唯一の友好国である日本はなんとかしようとしたが、ならお前らが引き取れと言われれば黙るしかなかった。日本政府だって、たった100万の異世界人の処遇を持て余していたのだ。そうこうしているうちに都市部での戦闘は終わり、砂漠や山岳部に逃げ込んだ異世界人に対し、中国政府はさらなる追い打ちをかけた。まるで軍事演習であるかのように大量のミサイルを打ち込み、そこに存在すること自体を許さないという弾圧を加えたのである。
これは異世界人の中国に対する憎悪を掻き立てるだけでなく、彼ら魔法文明は、本気になった科学文明には絶対に敵わないということを印象付ける結果となった。世界中の異世界人たちが、これを受けて態度を硬化させたと言われている。
その後、中国の異世界人たちは、怨嗟の声を残し、チベットの山を越えてインドを目指した。彼らの通り過ぎた後には、流れる川のごとくどこまでも死体が続いていた。
しかし、そうして命からがらインドに逃れた彼らであったが、そこが安住の地になることはなかった。すでにインドも数千万人もの異世界人を受け入れており、これ以上の受け入れは困難だったのだ。
それに、中国から逃れてきた異世界人は、青い肌ではなく、東京と同じくエルフ型の人類だったので、特別扱いされることもなく、どうしても消極的にならざるを得なかった。各国も非難することは出来なかった。だったらお前が受け入れろと言われたら何も言い返せないのだ。
難民となった異世界人たちは、もちろん日本にもなだれ込んできた。海南島や香港から台湾を経由して。朝鮮半島から対馬海峡を渡って。続々と集まってくる彼らのことを、日本政府は無碍に追い返すことは出来なかった。しかし、最初に出現した100万人ですら持て余していたのに、それを上回る数の難民を受け入れることは、国土的にも不可能だった。現実の負担がのしかかってくると、それまで寛容だった国民の態度も変わり、日本政府は徐々に追い詰められていった。
当時の日本政府は政権交代を繰り返しており、その支持率は盤石とは言えなかった。一手間違えれば、またあの苦しい野党生活に逆戻りである。それだけは絶対に避けたい。かくなる上は、彼らを強制移住させるしかない。金ならいくらでも出す。どこかに異世界人たちを引き取ってくれる国は無いだろうか? いや、無いならいっそのこと、作り出すことは出来ないだろうか?
そして日本政府は苦し紛れに、この地球上の誰のものでもない公海上に、異世界人たちが暮らせる土地を作り出してはどうかと提案することにした。つまり、巨大メガフロートを建造して、そこに異世界人たちを押し込めようと画策したのである。
この荒唐無稽な提案に、意外なことにアメリカが飛びついた。なんとしてでも移民を厄介払いしたがっていた大統領が、これならば雇用創出にもなるからとかなんとか嘯いて、国連に働きかけたのである。
大統領が本気でこんなことが出来ると思っていたかどうかは分からない。とにかく、その場しのぎでも移民を排除できればそれで良かったのだろう。
もちろん世界各国は驚きの声を上げたが、しかし日米の資本を好きなだけ使えるのであれば、もしかしたら出来るのではないかと、半信半疑で乗っかり始めた。なにより莫大なマネーが動くことだけは確かであった。そして専門家が試算したところ、どうもそれは不可能ではないように思われた。
こうして東アジアを追い出された異世界人たちを人工島へと押し込めるべく、メガフロート建設が開始されることとなった。それは最初は荒唐無稽な夢物語にしか思えなかったが、一度動き出してしまえば歯車のごとく、完成に向けて一途に動き続けたのである。