異世界の寓話
異世界人である桜子さんは、自分たちは月世界からやってきたのだとか言い出した。
「だからあたしたちは、こっちの世界に来てからずっとルナリアンを自称しているんだけど。全然定着しないんだよね。あんたも、どっかで聞いたことあるんじゃない?」
「あー……どうかな? 聞いたことあるような、ないような」
異世界人絡みのニュースは受験勉強でちょっと齧ったくらいだが、確か太平洋のど真ん中に軌道エレベーターを作るとか言い出した頃、そんな話がちらほらあったような覚えがあった。彼らは元々月世界の住人だから、月に帰るのが悲願なのだ。だから太平洋の人工島に追いやられても文句を言わず、せっせとブロックを積み上げているという話である。正直、9対1くらいでプロパガンダだと思っていたが、
「まあ、異世界人と一口に言っても、青い肌とあたしたちとで人種が違うから、一緒にするとこんがらがっちゃうのかも知れないね」
「そういや、インドのシヴァ王とあんたじゃ、顔も形も似ても似つかないもんな。同じ人間って言われてもちょっと信じられないくらいに」
「それ、あんま言ってると国際問題になるから気をつけなよ。まあ、実際、あたしらと彼らは、元の世界でも全然接点無かったんだけどね」
「そうなの? なんで?」
「単純な話、インドと中国の間には砂漠が広がっているのがあるけど……」
桜子さんは少し喋りづらそうにビールを口にしてから、
「神話の時代、今でいうインドの地を青い肌の人々が治めていた頃、突然、白い肌の子供が生まれて、それは不吉の象徴とされた。あたしたちのことね。彼らはインドの地で迫害されていたんだけど、そんなある日、救世主が現れて虐げられた民衆を導き、砂漠を渡り、ついに中央アジアの広大なステップ地帯を抜けて中国に到達した。あたしたちの祖先はそこに王国を作り、そして大いに繁栄したってわけ……異世界の衝突が起こるまではね」
「へえ……どっかで聞いたことがあるような話だな」
まるで出エジプト記みたいな。
「そう? 人間なんて、どの世界もそんな変わらないのかもね」
有理もさもありなんと頷きながら、
「そう言えば王族と一般庶民にはやっぱ違いがあるの? インドの王様見てるとなんかそんな感じするんだけど」
すると桜子さんは苦々しそうに首を振った。何かまずいことでも聞いてしまったのだろうか?
「別に。そんなことないよ……そうね、王族は魔力の大きさもあるけど、いちばん重要なのは、さっき言ったアストリアの血が流れてるってこと。それを確かめる方法ってのがあって、そのぉ……ヒール魔法が使えるかどうかなんだけどね?」
「ほほう……ヒール魔法って言うと、ケアルとかホイミとか、まん・きん・たーんみたいな?」
「そう、それそれ」
有理は、ははあと頷いて、
「俗に言うロイヤルタッチってやつか。昔はこっちの世界にもそういうのがあったらしいよ。実はヨーロッパの王族たちは、みんな奇跡の力を持ってるって触れ込みだったんだ。民主化が進んで、嘘がバレて一悶着あったみたいだけど」
桜子さんはその話を聞いてケラケラ笑ってから、フッとため息を吐いて、
「あたしたちルナリアンはみんな魔法を使うけど、癒やしの魔法だけは誰も使えなかったの。唯一、王族だけが使えると言われていたんだけどね……」
「使えなかったんだ?」
桜子さんは何も答えなかった。ただ、話の流れから大体想像はついた。それにもし使えたのなら、異世界人側に50年前の戦争で負ける要素は何もなかっただろう。つまり、あの戦争が王族の嘘を暴いたのだ。
有理が黙っていると、彼女は缶ビールをぐいっと飲み干してから、突然おかしなことを言い出した。
「人間って、どこまでが人間だと思う?」
「……いきなりなんだよ。それって、どういう意味?」
「例えば、今あたしが自分の腕を切り落としたとして……」
「恐ろしいこと言うね」
「落とした腕と、残りの部分と、どっちが本物のあたしかっていうと、まあ、残ったほうだよね。じゃあ次に足を落としてみる。足と胴体とどっちがあたしだろ? そうやっていろんな部分を切り落としていくとして、どこからどこまでがあたしで、どこからどこまでがそうじゃないのかって、その境界線はどこにあるんだろうって話」
「はあ。哲学的だな……」
ミリンダ王の問いなら、本当の自分なんてどこにもいないってことになるのだろうが、桜子さんの答えは違った。
「アストリアには彼女を守護する騎士がいた。二人は相思相愛で、身分違いの恋をしていた。ある日、それを知った王は激怒し、騎士を処刑してしまった。アストリアが駆けつけた時には、哀れな騎士はすでに息絶え、首と胴体を真っ二つにされていた。嘆き悲しむアストリアは騎士の遺体に駆け寄った。さて、ここで問題です。騎士の首と胴体と、どちらが本物の騎士なんでしょうか?」
問われた有理は唸り声を上げた。そう言われてみると、なかなか答えが出しにくい問題だった。人間は普段、脳で物事を考えているから、首のほうがそうだと思うが、なら胴体は違うのか? と問われると、自信がなくなってくる。どっちも選べるのであれば、どっちもそうだと言いたいくらいだ。
有理がどっちにしようか悩んでいると、彼の答えを待たずに桜子さんが続けた。
「アストリアは迷わず騎士の首を拾い上げ、ヒール魔法を唱えた。すると彼の首からムクムクと胴体が生えてきて、驚いたことに騎士は復活してしまった。二人は奇跡の再会を喜び抱擁を交わす。でも……残された胴体はどうなったと思う?」
「……どうなったの?」
「愛する騎士の腕に抱かれている時、ふいにアストリアは何かが気になり振り返った。するとそこにはもう一人の騎士が立っていた。寸分たがわぬ二人の騎士。彼女を抱きしめている彼と、そんな二人を悲しそうに見つめる彼と、どちらが本物の騎士なのだろうか。アストリアには答えられない。代わりに立ち尽くす騎士が答えた。私はあなたに選ばれなかった。彼はそう言い残し、光の礫になって虚空に消えてしまった」
それはなんとも後味の悪い話だ。姫は奇跡の力で愛する人を救うと同時に、傷つけてもしまったのだ。因果を捻じ曲げるとは、そういうことだという寓話だろうか。
それにしても、選ばれなかった彼はどこに消えてしまったのだろう……?
「もしもあの時、胴体の方に駆け寄っていたら……そう思うと後悔が沸き起こり、姫はもう以前のようには騎士を愛せなくなっていた。だからアストリアは生涯独身を通したって言われているんだ。なのに王族はそんな姫の末裔だって言うんだから、最初っから話が破綻してるんだよね」
「そうなんだ。なら姫の直系じゃなくって、その騎士を殺せと命じた王様の血筋ってのが正しいんじゃないか?」
「うん、でもそうすると、彼らは邪智暴虐の王の子孫になっちゃうでしょ? だから、そうはっきりはしないで、ぼやかしてる感じ。例えばシヴァ王にそんなこと言ったら、彼がどうこう言う前に、周りが怒りだすんだよ。シヴァ王はアストリアの子孫ですって」
「ははあ、言っちゃいけない類のものか……」
多分、言ってしまったら、三位一体説を正そうとして追放されたアリウス派みたいなことになってしまうんだろう。どこの世界にも権力者にばかり都合がいい仕来たりがあるものだが、本当に面倒くさい話である。
桜子さんとそんな話をしているうちに気が晴れてきたのか、胸のムカムカはどこかへ吹き飛んでいた。そうこうしてると夕食の時間になったから、昨日みたいにヤンキーが来る前にさっさと食べてしまおうと部屋を出た。
目論見通り、食堂にはまだ人影が少なく、家を出る前から数えても本当に数日ぶりに食事の味がしたような気がした。鈴木の言ってた通り、ここの飯はすこぶる美味い。これだけでも、今日は救われたような気がした。