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桜子さんの本当の名前

 オリエンテーションの名の下に行われる拷問の時間に心を粉々に破壊され、よろめきながら帰宅すると、ドアを半分開けたところで中から桜子さんの卑猥な声が聞こえてきた。


「あ、駄目、もっと下、下、して優しく! 優しく入れてってばもう馬鹿! あー、いくいくいく!」

「人の部屋で何してんだ!!」


 堪らず飛び込んでいくと、桜子さんはタブレットを片手にオンラインパチンコをやっていた。あらぬ想像をしていた有理がドアを開け放ったまま固まっていると、それをぽかんと見ていた彼女の手の中でピーヒャラピーヒャラ演出が始まって、1/256の確率で大当たりを引き当てた桜子さんは、ベッドの上で飛び跳ねながら、


「よっしゃああああーっっ!! やったったーっ!! 見てみてみて! 第19話! 主人公が覚醒する名シーン!」

「あーもうやだ、この不良外人」

「ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ出てますよー! 出てますっ! うひょー! そこ、立ってるならビール取ってよ! ビール!!」


 有理は玄関脇に置いてある冷蔵庫の中から缶ビールを取り出すと、彼女に向かって思いっきり投げつけた。彼女はそんな豪速球をものともせずに、バシッと当たり前のようにキャッチしては、片手でプルタブを開けてプハーッと中身を一気に飲み干した。


 腹立たしいったらありゃしない。シェイクしておけばよかった。そんな悪いことを考えつつ、脱ぎ捨てるように制服を床に叩きつけ、Tシャツとパンツ姿になると、有理は床に寝転がって毛布に包まった。


「あれ? なに? もう寝るつもり? 早くない?」

「疲れてんだよ……」

「今日、初登校だったんでしょ? どうだった? その様子だと、何? イジメられでもしたの?」


 桜子さんは有理のデリケートな部分にズカズカ踏み込んでくる。このまま不貞寝していると、余計にうざ絡みされそうだったので、彼は仕方なく返事した。


「うっさいなー。そんなことねえよ。ただ……改めて自分の意志に反して馬鹿げたことやらされてんなって痛感して……それが嫌んなっちゃっただけだよ、くそっ」

「馬鹿げたことって?」

「魔法だよ、魔法!」

「魔法??」

「そういや、あんたには話してなかったな……」


 有理は毛布に包まって、彼女に背中を向けたまま淡々と語った。


「俺は魔法が使えるって触れ込みでこの学校に無理やり連れてこられたんだけど、本当言うとさっぱりでさ。そりゃそうだろ? 俺は両親ともに生粋の日本人で、異世界の血なんて一滴も混じってない。魔法なんて見たこともないただの地球人なんだよ。なのに、たまたま検査で反応があったからって、すぐに使えるわけないじゃないか。それを無理やり連れて来てさ、出来もしない魔法使え使えってしつこく言われて、出来なきゃ出来ないで出来るまでやれやれって、同級生には笑われるし、しかもこいつらみんな年下なんだよ。ろくに勉強もしたこともないようなヤンキーどもに馬鹿にされるんだよ、東大生のこの俺が。おかしいだろ……」


 口に出すと止まらなかった。桜子さんはいつの間にか聞くモードになっていた。彼女の手元でピコピコと景気の良いBGMが鳴り響く。有理は自分が愚痴を吐いていることに気づいて嫌になったが、胸がムカムカしてどうにも堪らず、しゃくり上げるような荒い深呼吸をしてから、気分を切り替えるつもりで体を起こして話題を変えようとした。


「その……桜子さんって異世界人だろ? なら異世界語って喋れるん?」

「そりゃそうね」

「あれ、なんなんだよ。今日始めて聞いたんだけど、何言ってるのか一個も理解できなかった。普通、いくら知らない言語だって、聞き取るくらいは出来るだろう? でも異世界語は全く駄目なの。聞いてると頭がぼんやりしてくるし、そもそも聞き取れないし、耳鳴りみたいな音もするし、あれ絶対超音波とか混じってるよね?」

「ああ」


 桜子さんはビールが切れたのか、空き缶を手でぶらぶらしながら冷蔵庫まで歩いていって、中を覗き込みながら、


「Safkulraiarr Fwiehrifka Lhysanqdolrar」

「……は?」


 突然、聞き取ることが出来ない意味不明な音声を聞かされて、有理がぽかんとしていると、彼女は缶のプルタブを起こしながら、


「あたしの正確な名前。無理やりこっち風に言えば……サークライアー・フィエーリカ・ライサンドーラ。日本人じゃ発音しにくいから、昔、知人に桜子って名前をつけてもらったんだ」

「へえ、そうだったんだ」

「その人が言うには、あたしたちとあんたたちとじゃ、声帯からしてなんか違うらしいよ。だからそれっぽい音は出せても、正確に発音を真似ることは出来ないんだって」

「そうなの? じゃあ、俺に魔法なんて最初から無理なんじゃん! なんだよそれ!」


 話を聞いた有理が怒り出すと、桜子さんは慌てて付け加える感じに、


「ううん、詠唱が正確じゃなくても魔法自体は発動するんだよ。ほら、第2世代魔法の使い手ってのは、あたしたちとあんたたちの世界とのハーフでしょう? 彼らも生まれつき声帯が違うから、正確なアストリア語は喋れないはずなんだ」

「そうだったの? じゃあ、なんで奴らは魔法が使えるんだよ?」

「さてね。しかも、あたしらと違って放射能汚染もないときてる。こっちの世界の学者は、もしかして適応進化したんじゃないかって言ってるけど、ホントかどうかはわかんない」


 それは全く初耳だった。鈴木もこういうことから教えてくれればいいのに……まあ、あの脳筋では無理だろう。桜子さんはビールをちびちびやりながら続けた。


「だから第2世代にはアストリア語でなく、こっちの言語で魔法を使ってる子もいるらしいよ。日本語で、『闇に飲まれよ!』って叫んだらドッカーンって感じで。それくらい、実は魔法ってアバウトな力だったらしいのね」

「なんだよ。じゃあ俺も異世界語なんて喋れなくても、そのうち日本語で魔法が使えるかも知れないってわけ?」

「その可能性があるから、自衛隊はあんたをここに連れてきたんでしょ。ある日どっかで暴走しちゃわないように」

「そうか……そういえばそんなことも言ってたかな」


 どちらにせよ、あんな聞き取れもしない言語を習得しなくて済むなら助かる。有理はホッとしながらも、


「でも、どうして俺には魔法が使えないんだ? 適性はあるんだろ? なのにうんともすんとも言わなかったんだよ」

「さあねえ……神のご加護がないから? とか?」

「神ぃ~?」


 また胡散臭いことを言い出した。


「桜子さん、神なんて信じてるわけ? そんななりして冗談だろ」


 有理がいまにも笑い出すかのように鼻をひくつかせていると、桜子さんは心外だと言わんばかりに、


「信じてるよ。そりゃそうでしょうよ。神様がいなきゃ、魔法なんて分けのわからない力、人間に使えるわけないじゃない」

「うっ……確かに」


 ぶっちゃけ過ぎではあるが、それだけに説得力はあった。有理が唸り声を上げていると、彼女はまあ気持ちは分かるとでも言いたげに、


「いる、いないはともかく、あたしたちの世界では、神様が魔法の力を授けてくれたんだって信じられているのよ。あたしたちの世界はあんたらと違って単一言語。それは魔法を使うために与えられた唯一の言語だからってわけね」

「へえ、そうなんだ……」

「ところが、第2世代が魔法を使い出したもんだから、その信仰が揺らいじゃってるわけ。人によっては、あんなのは魔法じゃない、まがい物だと言い張る人もいる。実際、あたしたち旧世代の魔法とはちょっと毛色が違うしね」

「ふーん……」


 有理はふと気になって、


「そう言えば、あんた。さっき異世界語のことをアストリア語? って言ってたけど、もしかしてそれがあんたらの世界の名前なわけ?」

「ううん、違うよ」

「じゃあ、そのアストリアってのはなに? 神様?」

「違う違う。アストリアは大昔に月からやって来たお姫様の名前ね」

「月……? なにそれ、かぐや姫の伝説みたいな?」


 すると桜子さんは首を振って、


「そういうんじゃなくて。伝承では、あたしたちの先祖は月世界で暮らしてて、何らかの事情で地上に降りてきたことになってんのよ。その時、彼らを率いていたのがアストリアと呼ばれる美しいお姫様で、彼女の名を冠して、いつしか統一言語はアストリア語と呼ばれるようになったらしいよ」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、あんたらは元々月世界人ってこと?」

「そう」


 桜子さんは当然のように頷いた。


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