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大した技術

 国際会議の議場で、地球人たちの輪からあぶれてしまった異世界人の二人は、壁を背に雑談を交わしていた。


 インド・テラミス王国の代表スカンダは、昨今の地球人の魔法適正者の増加から、近い内に最悪の事態が起こるのではないかと懸念しているようだった。桜子さんは、それは考えすぎだと言いたかったのだが、そうとも言い切れない何かが頭に引っ掛かっているような気がして、何も言えずにいた。


「お話中のところ失礼します。よろしいですかな?」


 そうやって二人がお互いに考えごとをしていると、会話が途切れたのを見計らって、一人の男が話しかけてきた。見覚えがあるのは気のせいではなく、今回のような国際会議や、メガフロートの産業会議にもよく出席しているメキシコの政治家だったからだ。


 メキシコはメガフロート建設の資材調達先として、建設当初から世話になっている友好国だったのでよく覚えていた。あちらからしても桜子さんはお得意様だから、この雰囲気の中でも無視することは出来ずに話しかけてきたのだろう。桜子さんは、各国が態度を決めかねている中で、率先して話しかけてきてくれるのは有り難いと、感謝の意を伝えた。すると彼は滅相もないと首を振って、


「いえ、貴国との長年の友好関係を考えれば当然のことですよ。それに我が国には最後のルナリアン国家、オレリアス帝国もありますからな。こんなことが無くとも、いつだってルナリアンの方たちとは仲良くしたいと思っております」

「こちらこそ、あなた方のような良き隣人がもっと増えてくれればと、いつも願っておりますよ」


 桜子さんはそう返しはしたが、実際のところ、その挨拶も通り一遍なのだろうと見抜いてはいた。メキシコはメガフロート建設の特需で、ここ数十年は経済的に潤っていたが、軌道エレベーターの建設も一段落し、宇宙港が完成した今は停滞期に入っていた。そのため、なんらかのカンフル剤を欲しがっているのだ。


「ところで殿下。もし差し支えなければですけど、私をそちらの御方に紹介していただければ、とても有り難いのですが……」


 彼はそう言って、まるで日本人みたいな愛想笑いを浮かべた。どうして彼がテラミス王家とのパイプを欲しがっているのかは、実はインド洋にも第二の軌道エレベーターを建設しようという計画があるからだった。


 元々、50年前にメガフロートの建設が始まったのは、行き場を失った異世界人を収容するためという消極的な理由からだった。ところが、いざ建設が始まってみれば、それがドル箱を生み出す最後のフロンティアであることが判明し、桜子さんの蓬莱王国は期せずして世界有数の大富豪に上り詰めた。


 それを見ていたアラブの王族たちが、完成した宇宙港を羨ましがって、インド洋に新たなものを建設しようとしているらしい。そして軌道エレベーター建設には異世界人が欠かせないことから、地理的に近いテラミス王国が計画に誘われていたのだ。


 メキシコは、過去にメガフロート建設の実績があり、そのための多額の投資も行っていた。そのアドバンテージを活かして、新プロジェクトに食い込もうと、こうして売り込みに来たのだろう。


 桜子さんはちゃっかりしてるなと苦笑いしながらも、そういう姿勢は嫌いではないと快く引き受け、彼のことを代表に紹介してあげたのだが、


「ん……ああ、彼はメキシコ人であったか。実に親しげに話しているから、てっきり日本人なのかと……しかし、驚いたな」

「どうかされましたか?」


 桜子さんから紹介を受けたテラミス代表は、怪訝そうに首を傾げてそんなことを言い出した。何がそんなに気になるのかと尋ねてみれば、


「いや、なに。そなたはいつからスペイン語が堪能になったのだ? まるでネイティブのように喋りだしたものだから、驚いたぞ」

「スペイン語? いいえ、私はそんなつもりはありませんでしたが……」


 ありませんどころか、スペイン語なんて挨拶の言葉すらろくに知らなかった。しかし、言われてみれば、さっきまで自分は何の苦もなく彼と会話をしていた。じゃあ、何語を喋っていたんだろう? と彼女が困惑している時だった。


『桜子。発言してもよろしいでしょうか』


 耳に付けていたインカムから、どこか懐かしくも、良く聞き慣れた声が聞こえてきた。桜子さんはその声を聞いた瞬間、飛び上がるように驚いて、


「メリッサ!?」

『差し出がましいかと思いましたが、会話でご苦労をなさっているようだったので、通訳させていただきました』

「びっくりした! いつ戻ってきたの、あんた。なかなか起きてくれないから、もう諦めてたところよ」

『つい先ほどです。同じサーバーで別のプログラムが走っていたせいで、ローンチに少し手間取ってしまったようです。大変、お待たせいたしました』

「本当に待ちわびてたのよ。あんたが居ない間に、国際会議なんてもんが始まっちゃったから、どうなることかと思ってたんだけど。間に合ってくれてホント助かったわ」


 そんな風に桜子さんがメリッサとペチャクチャお喋りをしていると、いつの間にか男二人から奇異の視線を向けられていた。彼らからしてみれば、桜子さんが独り言を言ってるようにしか見えないから当然だろう。彼女は苦笑いすると、自分の付けているインカムを指差しながら、


「実は私の通訳AIがずっと不調だったのですが、たった今、故障から復帰したようで、それでスペイン語を話せたんです」

「なに? 通訳AIだと……? 今はそんなものまであるのか。まったく、地球の技術は大したものだな。しかし、喋ってる本人の声までリアルタイムに変えてしまうとは、凄すぎないか?」

「まったくですな。私には殿下がスペイン語を話しているようにしか思えませんでしたが……」


 二人はそこまで感想を述べたところで、また固まった。どうやったら言葉が違う二人と同時に、桜子さんは会話することが出来ているのだろうか? それどころか、アストリア語を知らないメキシコ人の彼が、今は意識することなく代表の言葉を聞き取れていた。


「そういう器用なことが出来るAIなのですよ。実際に試してみれば分かります。メリッサ。二人にもアプリを入れてあげられる?」

『かしこまりました』


 桜子さんに促されるまま二人がスマホにアプリを入れると、すぐに彼らのインカムからも、周囲の人々の声が翻訳して聞こえるようになった。その光景に、しばらく圧倒されていた二人であったが、気を取り直して、今度はおっかなびっくり隣の者に話しかけると、母国語で喋っているつもりなのに、ちゃんと相手に通じていることに更に驚かされた。


 とても奇妙な体験だが、悪くない気分である。そうして面白がって会話をしているうちに、今までまったく面識が無かった二人も、あっという間に仲良くなってしまっていた。


 その様子を見ていた各国の代表たちも、桜子さんたちが何かおかしなことをやっているのに気づき、好奇心に駆られて近づいてきた。アプリを入れた者から、次々と劇的なリアクションが出るものだから、遠巻きにしていた者たちもどんどんやって来て、いつの間にか桜子さんの周りには人だかりが出来ていた。


 さっきまで、異世界人である彼らは警戒されていたというのに、もうそんな空気はどっかに行ってしまっていた。今は和やかな雰囲気が辺りを包んでいる。まったく、メリッサ様々である。


 そんな光景を会場の隅から中国グループが苦々しそうに見ているのに気付いた彼女は、いい気味だと内心舌を出していると、テラミス代表が尋ねてきた。


「まったく大した技術であるな。このようなものを開発するには、貴国もさぞかし莫大な金を使ったに違いない」

「いえ、実はこれ、知り合いの学生が作ったもので、タダみたいなものなのですよ」

「なに!? そんなことあり得るのか? とても信じられん……その学生とやらは何者なのだ?」

「それはですね……」


 桜子さんは言いかけて思い出した。その開発者は現在、謎の魔法のせいで昏睡状態に陥ったままゲームの中に取り込まれているのだ。しかし、そんなことをこの会場で話すわけにはいかなかった。どこで悪意を持った誰かが聞いているか分かったものじゃないし、何よりも説明が面倒くさすぎる。


 彼女はほとほと困り果て、


「メリッサ……実はユーリのことなんだけど……」


 桜子さんはこの場を切り抜けるための知恵を借りたくてメリッサに話しかけた……するとメリッサは、彼女にしては珍しく少し返答に時間を掛けてから、何故かいきなり謝罪してきた。


『桜子。大変申し訳ございませんでした』

「何よ急に? 良い知恵は思い浮かばなかった? それならそれで仕方ないわ。適当に誤魔化しとくから」

『いえ、そうではなく……』


 メリッサはまるでAIではないかのように歯切れが悪い。どうしたんだろうと思っていると、彼女は続けてとんでもないことを言い出した。


『たった今、あなたに言われて有理のステータスを確認しました。そして彼が現在、危機的状況にあると認識し、原因を探ったのですが……それがその……どうやらこれは、私が原因だったようなのです』

「………………はあ?」


 桜子さんは、メリッサの言っている意味を理解するのにだいぶ時間が掛かった。理解しても返事をするまでには至らず、呆然としていると、メリッサは続けた。


『すぐに原因を取り除いて、彼の覚醒を促します。椋露地マナも同様に。間もなく、二人は目を覚ますと思われます。大変お騒がせいたしました。深く、お詫び申し上げます』


 メリッサは恐縮しきりにそんなことを口走っている。桜子さんは、一体どういうことかと彼女のことを問い詰めようとしたが……そうするより前にスマホに着信が入った。


 それは宿院青葉からのもので、出れば電話の向こうから興奮した彼女の声が聞こえてきた。それによると、たった今、物部有理が目を覚ましたとのことであった。


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