納税者に知られてはいけない世界
美しい自衛官のお姉さんからマッチョに引き渡された有理は、死刑囚になったような気分で彼の後に従った。
「聞いてると思うが本校は今年が初年度でまだ正式なカリキュラムがない。名前の方も実は決まってなくて、一応、防衛大学魔法研究所付属魔法学校と呼ばれてはいるが、魔法学校とかマホ学とか略すとアニメみたいで気が抜けるから、取り敢えず付属とでも呼んでくれ。この付属は全国選りすぐりの魔法適性が高い人材が集められているが、そのせいか年齢もマチマチで、学年分けという概念がない。だから普通の学校と違って学力の方は気にしなくていい。まあ、おまえはそっちの方も問題ないだろうがな。なんでも東大に合格したんだって? 凄いじゃないか! いやあ、先生鼻が高いよ」
いや、お前にはこれっぽっちも関係ないだろう。なんで自慢げなの? とその人間性を疑っていると、マッチョは続けて、
「因みに付属の存在は防衛機密で、あまり外部と接触させるわけにはいかないから、本校は全寮制になっている」
と言われて目をひん剥いた。
「え!? 全寮制!? 聞いてないんですけど?!」
「なんだ、そんなことも聞かずに入ってきたのか? 呑気なやつだなあ」
いや、無理やり連れてこられたんだよと言いたかったが、言っても仕方ないので歯ぎしりしながら続きを促す。
「まあ安心してくれ、昔と違って現代はプライバシーを尊重するから、寮は完全個室になっている。無論、建物は男女別に分かれてて、ジェンダーの違いも考慮して全室シャワー完備と、至れり尽くせりだ。大浴場もあるから手足を伸ばしたければそっちへ行くといい。ただし開放時間が決まってるから忘れないようにな。朝食と夕食も時間厳守で、一分でも遅れたらその日は飯抜きになるから気をつけろよ。ちょうど今は夕食時だし、この後食堂に案内しよう。ここの飯は最高に美味いぞ。毎日、違うシェフが担当していて、退職した自衛官だから大鍋の扱いが非常に上手い。中でも金曜日のカレーは絶品だ。アレルギーを考慮して、三種類の日替わり定食が用意されているが、どれもこれも美味そうだから毎日目移りしてしまう。昨日なんかはとても決められないから、先生結局三食全部食べてしまったぞ。がっはっは!」
マッチョの鈴木はうっとりとした表情を浮かべている。よっぽど美味かったんだろうか。さっきまで地獄の獄卒に案内されてるような気分だったが、聞いているうちに段々ここに通うのも悪くないような気がしてきた。少なくとも、飯だけは一度食べてみたい。
一応、防衛大の単位をくれるという約束だし、学費免除だし、タダで一人暮らしをさせてくれると思えば得したと言えなくもない。全室個室でシャワー完備なら、ゴニョゴニョする時も誰に気兼ねすることもないし、それに全寮制ということは通学の手間が省けるということだ。放っておいても飯は自動で出てくるし、その上、通ってる間給料も支給してくれるというのだから何の不満があるというのか。
まあ、それでも東大と天秤に掛けたら納得いかないわけだが……
ブランドがどうこう言いたいわけじゃない。自分の人生が、義務教育から高校三年間から浪人一年までの努力が、何もかも全部無駄だったと言われてるようで堪らないのだ。よく奴隷労働の例えで意味もなく穴を掘って埋めさせられるという話があるが、自分の場合はそれだけじゃなく、穴掘りに成功したのだ。そこに金鉱があると分かっていながら、手にすることを許されないのだ。別の穴を掘るのに邪魔だから埋めろと言われているのだ。そんなの許せるか?
せめて自分で決めたことであれば、こんな気持ちにはならなかったろうに……強制的に進路を決められるという行為が、こんなにも人を苦しめるなんて想像もつかなかった。
「おお、ここだここだ、着いたぞ」
そんなことを考えてモヤモヤしているうちに、どうやら目的地に着いてしまっていたようだった。
言われてハッと顔を上げれば、そこにはまるでホテルみたいな10階建てのでっかいビルが建っていた。その隣にも全く同じビルが建っており、更にその隣にまた新たなビルを建設中のようである。ガコンガコンと絶えず重機の音が響いている。
目の前の一棟だけでも相当な大きさなのに、こんなに何棟も建てる必要があるのだろうか? そう思いもしたが、さっき聞いた話では、寮は全室個室らしいから、仮に一棟500部屋あったとしても500人しか入居できないのだ。そう考えれば必要なのかも知れない。しかし、こんなものを納税者が見たら抗議デモ待ったなしだろう。
壁の中だからって、何でもありだなあ……などと不条理に眉をひそめていると、ふと重機の音に混じって人の怒号のような声が聞こえてきた。
どうしたんだろう? と工事現場を見上げるも、特に何事もなく……声はそっちからではなく、眼の前の学生寮から聞こえてくるような気がする。なんだろうか? と目を凝らしてみれば、ガラス張りのエントランスホールの中にガヤガヤと大勢が集まっており、何やら押し合いへし合いしているように見えた。
全員、何故か黒い学ランを着ていて、妙に頭でっかちな髪型と、色とりどりの髪色をしていて、まるで昭和の不良映画でも見てるような気がした。
いや、気のせいじゃない。そこには、これまで自分の人生には一切縁がなかった、映像の世界から飛び出してきたようなヤンキーが大勢いて、
「ってえーなわれえ」「ちゅらっしゃおあどんがあ」「しゃばぞうらあ」「やりゃーぜってかあらあ」「ろっすろっすろっす」「どすっぞらあ」「あのぴーからほいがあ」
どこかの部族みたいな意味不明な言語を口々に飛ばしながら、本当に映画みたいな乱闘騒ぎを起こしていたのだ。
有理は首を傾げた。状況がうまく飲み込めない。ここは学生寮じゃなかったのか? なのにどうして映画撮影なんかしているんだろうか? ところでカメラはどこにあるのかな……
とか思いながらキョロキョロしてると、なんだか自分のすぐ近くからメラメラと熱量のようなものを感じて、ふと見上げれば、そこには笑顔ではあるけれども顔を真っ赤に染め上げ、こめかみに青筋を立てている鈴木がいた。
まるで般若のようだ。有理は後退った。恐れおののき横目で寮内を見れば、乱闘騒ぎは更に大きくなっていて、もはや収集つかなくなっている。
あれ? もしかしてこれ映画じゃなくって、本気の本気のやつってやつじゃないだろうか?
語彙力が幼児退行していると、突然、バシャアアーーーンッ!! とものすごい衝撃音がこだまして、エントランスのガラスを突き破って一人の男が飛び出してきた。背中から着地したその男は、コンクリートの地面をブレイクダンスみたいにグルグル回転しながら滑ってきて、やがて有理の目の前で止まる。
「うひぃぃぃーーーっ!!」
有理は自分の人生で今まで出したことがないような悲鳴を上げた。
ぐったりと投げ出された四肢からは大量の血が滴り落ちており、全身擦り切れた制服の隙間からはエグい傷口が覗いている。エントランスホールには凄惨なひき逃げ現場みたいな、引きづられた血の跡が残り、有理は男を凝視したまま一歩も動けず震えていることしか出来なかった。
すると何が起きたのだろうか。突然、隣に立っていた鈴木が、
「ぬ」
という、意味不明な一音を発したかと思ったら、ゼロヨンのスタートみたいに寮内に突っ込んでいった。つむじ風が舞い、窓ガラスがガタガタと揺れる。まったく意味を成さないその一音が、かえって怖かった。
「うぎゃああああああーーーーっっ!!!」
その直後、耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきて、恐る恐る中を覗けば、真っ赤な血だるまみたいになった鈴木がヤンキーたちの間でメチャクチャに暴れていた。ヤンキーたちは最初少しは抵抗を試みたようだが、すぐに悲鳴を上げて散り散りに追い散らされていった。
逃げ惑うヤンキーを執拗に追いかけて、鈴木はどこかへ行ってしまった。一人残された有理はその後ろ姿をただ呆然と見送ることしか出来なかった。どうすりゃいいんだ? これ……すると突然、足元から何かうめき声のようなものが聞こえてきて、
「あー……いてえ」
ビクッとその声に振り返れば、さっきまで死んだと思っていた男が、何事もなかったかのごとく立ち上がり、首を左右にコキコキ鳴らしてビルの中へと戻っていった。
有理の思考はそれを見た瞬間からたっぷり一分間は停止し、復帰してからも五分間はその場を動けなかった。だるまさんが転んだみたいに微動だにしなかった。別に意味は無いのだが息も殺していた。
隣の工事現場からガコン……ガコン……という重機の音だけが規則正しく響いていた。