文明の衝突①
201X年。二つの世界は衝突した。それぞれ、違う人種、違う歴史、違う言語によって築かれてきた二つの文明が、時空を超えて衝突したのだ。
それが物理的にどのような現象であったかは定かではない。だが結果だけは明白だった。ある日、道を歩いていたら、眼の前にいきなり人間が出現するのだ。そんな奇怪な現象を目にした人間が取れる選択肢は、それほど多くなかっただろう。
そして、現れたのは人間だけではなかった。未知の動物、未知の植物、あらゆる未知の病原菌までもが出現し、世界は一瞬戸惑うように硬直した後、すぐに殺し合いを始めたのである。
世界中の大都市が瞬く間に戦場になった。当然だ。例えば、顔を上げたらいきなり全長数メートルにも及ぶムカデのような生き物が鎌首をもたげていたり、無数の奇妙な鳥の群れが飛び交っていたり、ライオンのような馬のようなよくわからない怪獣が吠え掛かってきたり、青い肌で虹色の目をした巨人がノッシノッシと道行く人々を睥睨している様を見て、冷静でいられる者などいようはずがない。警官や軍隊のような、たまたま武器を携行していた者たちは、即座にそれと戦い始め、そして武器を向けられた未知の生物たちもまたこれに応戦した。
戦いはパニックになって逃げ惑う群衆の中で始まり、故に多くの犠牲者を出した。
それは完全に無差別としか言いようのない攻撃だった。唐突に現れた異界の生物たちは、たまたま道を歩いていただけの家族連れや恋人たちに襲いかかり、大人も子どもも容赦なくその命を刈り取っていった。
異界の生物たちは、見た目もさることながら、その攻撃もまた人知を超えていた。大型哺乳類のような獣の突進は、走行中のトラックを軽々と吹き飛ばし、そして人間らしき青い肌の生物が奇声を発すると、信じられないことに、火の気のないところに炎が吹き荒れた。重力を無視して空を飛びまわる人影も目撃され、それはまさに魔法としか言いようのない不可思議な現象であったのである。
そんな攻撃に普通の人間が対処出来るはずもなく、最初に戦いを始めた警官や軍人たちは、成すすべもなく命を散らしていく……だけでなく、お年寄りの、妊婦の、幼い子供たちの死体の山が、次々と築かれていった。
戦闘は昼夜絶えることなく数週間続き、地球の名だたる大都市は尽く炎に巻かれ、世界は混沌に満ち、まるで聖典に描かれた終末のような様相を呈していた……
ところがどっこい。
世界が未曾有の大混乱に陥っているそんな中で、まるで普段と変わらぬ平穏な日常を保ち続けていた世界有数の大都市があった。
東京である。
もちろん東京にも異界の生物たちは出現していた。よく見れば、餌をついばむ鳩の群れの中に見慣れぬ鳥が混ざっていることがわかっただろうし、日向ぼっこする野良猫に混じって変な小動物が走り回っていたことにも気づいただろう。
実際に、「これ何?」とSNSに画像をアップロードする人も多かった。異世界動物に家庭菜園を荒らされて怒ったおじいさんが返り討ちにあい重傷も負った。道路に現れたキリンみたいな化け物に車が乗り上げて玉突き事故が起きた。わりとあちこちで被害はあった。だが、まったく話題にも上らなかったのは、他にもっと目を引くものがバズっていたからだった。
何がバズっていたかといえば、それは秋葉原に現れた異世界人のことである。
世界の衝突が起きた直後、たまたま秋葉原を歩いていた日本人や外国人観光客は、そこに唐突に出現した異世界人を見てもまったく騒ぎ立てなかった。人間が瞬間移動してきたのだから、普通に考えればびっくり仰天しそうなものだが、みんなまるで動じなかった。瞬間移動してきた異世界人たちのほうがよっぽど驚いているくらいだった。
どうして、秋葉原にいた人々が驚かなかったのか? といえば、それは異世界人を目撃しても、『何かえらいクオリティ高いコスプレイヤーがいるなあ~……』くらいにしか思わなかったのだ。善くも悪くも、彼らは日本のサブカルに慣れすぎていたのである。
これはきっとイベントか何かで、瞬間移動してきたように見えたのは種も仕掛けもある手品で、例えばその辺をドローンが飛んでて立体映像を映し出してるみたいな……いや、でもちゃんと実体もあるぞ? 一体どうなってるんだ。なんて凄いイリュージョンなんだ! 人々は拍手喝采した。
現れた異世界人の姿もまた彼らの誤認に拍車をかけた。東京に出現した異世界人は、インドや中東に現れた青い肌の巨人ではなくて、白い肌をした見目麗しい耳長族……要するに、アニメやゲームに登場するエルフの見た目、そのまんまだったのである。
秋葉原を観光中だった外国人客はこれに大喜びし、旅先の開放感も相俟って、すぐに異世界人たちとフレンドリーに接し始めた。どうせ日本人には英語が通じないことを良いことに、セルフィー撮らせてよと話しかけ、返事も聞かずにイエーイとサムズアップしながら異世界人と写真を撮った。これを見ていたカメコがすかさずホコ天に寝そべりローアングルで続いた。アニメやゲームのグッズを買いに来ていたオタクたちは控えめにそれを遠くから撮った。それらの写真はバルスと唱えた瞬間最大風速と同じくらいの規模でSNSを駆け巡った。
一方、渋谷や新宿、池袋のような繁華街を歩いていた通行人は、突然現れた謎のコスプレ集団に最初は驚いていたのだが、と同時に鳴り響いたスマホの通知音に条件反射で即応すると、そこに流れるTLを見てすぐに平常心を取り戻した。瞬間、彼らは日本人らしくパッと目を逸らすや、そそくさとその場から逃げ出した。お陰で、取り残された異世界人たちは、自分たちの身に何が起きているのかを冷静に考える余裕が生まれた。
一事が万事そんな調子だったので、ついに東京ではこれといった衝突は起こらなかったのである。
そして最初は戸惑っていた異世界人たちの方も、そのうち打ち解けてしまった。もちろん言葉が通じなくて、お互い何を言っているのかはさっぱり分からなかったが、少なくともアキバの人々が友好的に接しようとしていることは分かったのだろう。彼らは笑顔で近づいてくる人々に笑顔で返し、一緒に記念撮影をし、人々がしきりに向けてくる謎の板に自分の姿が写っていることにおったまげては、撮ったばかりの写真が修正されてアップロードされていくのを興味深そうに覗き込んでいた。
そんな具合に、東京では和気あいあいと異世界交流が続いていたのだが、流石に最初の接触から一時間も経過すると、彼らもどうも世界がきな臭いことになっていることに気づき始めた。日本人たちがコスプレ写真をバズらせて喜んでいる裏で、他国は凄惨な殺し合いを続けており、見るも無惨な焼け焦げた死体や、破壊された大都市の画像が、次々と大量にアップロードされ続けていたのである。
そこに写っていた青い肌の巨人や、自分たちと同じエルフの姿を見て、異世界人達は驚愕の声を上げた。そして街頭テレビには緊急特番が映し出され、世界各地で大混乱が起きている様子を伝え始めた。人々は流れてくるニュースを見て、ようやく何が起きているかを知ったのである。
しかし理解したからといって、すぐに行動を変えられるわけでもない。この、世界各地で暴れまくっている連中が侵略者なのか、凶暴な異星人か悪魔か伝説の化け物か何なのかは分からないが、少なくともたった今まで友好的に接してきた眼の前の耳長エルフたちが敵だとは思えない。彼らと殺し合うなんて、絶対に考えられない。
人々はなんとかしなければならないという使命感に燃えた。すぐにSNSの画像を異世界人たちに見せながら、世界が大変なことになっていることを伝え、異世界人たちもすぐにその意図を察して身振り手振りで返し、二つの世界の人々は協力し合って、我々は敵ではないということを世界中に拡散し始めたのである。
彼らのこうした行動のお陰で、混乱が収まった都市もいくらかあった。
だが、一度点火してしまった憎しみの炎を止めることは難しかった。
日本人がいくら異世界人は敵じゃないと訴えても、意思疎通が可能であると分かっても、すでに数え切れない人々が犠牲となっており、今更戦闘を止めることは出来なかったのだ。
殺し合いは世界のあちこちで引き続き行われた。統制を失い、いつ果てるとも知れない戦いが、昼夜を問わず延々と繰り広げられた。二つの世界には共通の言語がなく、仲裁してくれる第三者の存在もなかったから、どうやってこの戦争を終えればいいのか、誰にも分からなかった。
しかし、数週間後、それは唐突に終わりを迎える。
それはどちらかの陣営が敗北したからでも、ましてや東京に現れた異世界人や日本政府の働きかけによるものでもなく、まったく想定外の事態によって終結したのである。
どうしてこの混乱が突然解決してしまったのだろうか? それは異世界人が使う魔法が、実は放射能をばら撒いているということが判明したからである。
異世界間の戦争が勃発してから、最初の数日は、地球の科学文明の方が押し負けていた。
戦争は突然、大都市のど真ん中で始まり、対応した者の殆どは正規軍ではなく治安維持を目的とした警察であり、まともに戦える戦力がそこにはなかったのである。彼らは逃げ惑う一般市民を誘導するのが精一杯で、反撃をする余裕などなかった。仮に出来たところで異世界人が使う魔法の前には成すすべもなかった。
それでも最初の混乱が落ち着いていよいよ軍隊が出てくると、今度は魔法文明の方が押し返され始めた。
異世界人には明白な弱点があった。それは数が少ないということだった。いくら彼らが空を飛び、火球を放ち、その拳は岩をも砕くといっても、近代装備に身を包み、訓練された兵隊に集団戦闘を仕掛けられては歯が立たなかったのだ。
だが、そうして追い詰められるとそれまでバラバラに戦っていた異世界人たちも連携し始め、戦闘は一進一退の攻防を繰り返すこととなる。
ところで、戦争の帰趨は敵を知り己を知ることにある。だから科学文明は戦線が膠着し始めると、すぐに敵の能力の分析に着手した。異世界人の操る火・風・水・土の魔法としか思えないような力が、一体どんな原理で生じているのかが分からなければ、対処のしようもないからだ。
そしてそれはすぐに判明した。万が一に備え放射線測定をしていた分析班は背筋を凍りつかせた。気がつけばいつの間にか都市は放射能に汚染されていたのだ。つまりそれは、異世界人たちの魔法が、まさしく、核の力によって行使されていたということを意味していた。
こうなっては白旗を上げるより他無かった。繰り返すが、戦争は大都市のど真ん中で起きているのだ。ただでさえ被害が甚大だというのに、このまま戦闘を続けていたら、もうそこには誰も住めなくなってしまう。だから戦争をすぐに打ち切る必要があった。しかし、どうやって? 異世界人には言葉が通じない。使節団を送ろうにも、自分たちは銃撃を加える以外のコミュニケーションをしてこなかった。
頭を抱えた彼らは……そして日本のことを思い出した。