第73話 元剣聖のメイドのおっさん、目の下にクマができる。
兄、ギルフォードに再会したあの日から----気付けば一週間の月日が経っていた。
午前六時。
寮の窓から外に視線を向けると、大粒の雨粒がザーッと、新緑を濡らしている光景が目に入ってくる。
満月亭の門前にある植え込みには満開の紫陽花が咲き誇っており、彼らは嬉しそうに雨水を全身に浴びていた。
俺はその風景を一頻り眺めた後、カーテンをシャッと閉め、テーブルの引き出しから指輪とピアスを取り出し、それを右人差し指と右耳に付けて行く。
そして、姿見の前に立つと、ふぅと短く息を吐いた。
鏡に映るのは、少し疲れた表情をしているメイドの姿。
ここの所、オフィアーヌ家のことだったり、兄ギルフォードのことだったりと、目まぐるしいくらいの大量の情報が飛び込んできたからな。
ちょっとばかり、疲労が溜まっているのかもしれない。
目の下のクマくらいは、以前オリヴィアから貰った化粧品一式の中にあった・・・・ファンデーションで隠しておいた方が良いかな。
・・・・いや、待て待て待て、俺よ。
何を普通のノリで化粧品を使おうとしているんだ?
何度も言っているが、テメェの中身はオッサンだからな?
そこのところをはっきりしておけよ? 分かっているな?
「・・・・はぁ。今日から雨天の節、か。もうすっかり梅雨の季節に入ったんだな」
今月が終われば初夏に入り、七月、
緑風の節の頭には『学級対抗戦』があり、それが終われば俺たち
聞いたところによると、どうやら夏休みは丸々二か月あるみたいだから・・・・日数を考えれば秋になるまでは自由に休暇を満喫できそうだ。
最近は色々と頭を悩ませることが多かったから、夏季休暇くらいは頭空っぽにして過ごしたいものだな。
身だしなみに乱れがないことを確認した俺は、ヘアゴムを手に取り、慣れた手つきで後ろ髪をポニーテールの形に結んでいく。
そして頬を両手でペチンと叩いて鬱屈とした気分を振り払い、気合いを入れ直した。
「・・・・よし。お嬢様を起こしに行くとするか」
そう口にした後、扉を開けて、廊下へと出る。
そうして、すぐ目の前にある向かいの部屋の前に立ち、扉をコンコンと、数回ノックした。
「お嬢様ー、朝ですよー」
「ぐかー・・・・ぐかー・・・・」
「あの、いびきで返事をしないでください・・・・」
まったく、ロザレナは子供の時と一緒で相変わらず朝は弱いみたいだな。
ルナティエとの決闘の時だけはあんなに早起きしていたのに、気を抜くとすぐこれだ。
もし俺が聖騎士養成学校に行くことを選択せずに、ロザレナが一人でこの寮に入っていたとしたら・・・・恐らく、毎日寝坊していたであろうことが簡単に想像できるな。
その時は、俺の代わりにオリヴィアかジェシカ辺りがロザレナ起こし当番になっていたんだろう。
そんな、あったかもしれない未来を想像しつつ、呆れた笑みを浮かべた後。
俺はエプロンのポケットから合鍵を取り出し、それを目の前の扉へと差し込み、開錠した。
ガチャリと音を立ててロックが外れるのを確認すると、ノブを押して室内へと足を踏み入れる。
「失礼します、お嬢様・・・・・・・って、えぇぇ・・・・・」
部屋に入ってまず目に飛び込んできたのは、下着姿のロザレナがベッドの上でお尻を上に突き出して、うつ伏せで突っ伏して眠っているという、わけのわからない光景だった。
寝間着と毛布は床の上に散乱しており、ベッド近くにあるミニテーブルの上には食べ掛けのクッキーが乗ったお皿と開かれたままの本が無造作に置かれていた。
俺はその光景にハァと大きくため息を吐いた後、ベッドの横に立ち、腰に手を当て、大きく声を張り上げる。
「お嬢様、朝です! 起きてください!」
「・・・・んんん・・・・あと三十分~~~」
「駄目です! お嬢様は級長なのですから、遅刻をしては他のクラスメイトたちに示しが付きませんよ!」
「お願い~、今、良い夢見てて~・・・・もうすぐアネットの裸体をこの目にすることができるの~・・・・」
「朝からいったいどういう夢を見ているんですか!? いいから、ほら、起きてください!!」
「・・・・けちんぼ」
そう言って起き上がると、口に手を当て、ロザレナはふわぁと大きく欠伸をする。
そして目を擦りながら俺へと視線を向けると、首を傾げて、ニコリと微笑を浮かべた。
「おはよう、アネット」
「おはようございます、お嬢様」
「んー? あれ?」
「? どうかなさいましたか?」
「いや・・・・今日のアネット、ちょっと顔色悪いなと思って。・・・・大丈夫?」
「そう、でしょうか? 別段、体調面には目立った問題はないんですけどね」
やはり、ロザレナにも分かるくらいに、今日の俺は顔色が悪いのか。
こりゃ、ギルフォードのことはすっぱり忘れて切り替えないと生活面に悪い影響が出そうだな。
俺はコホンと咳払いをした後、床に落ちている寝間着を拾い上げ、それをお嬢様へと差し出す。
「とりあえず、服を着てください、お嬢様」
「ん? 別にこのままでも良くない? どうせ今から制服に着替えなきゃならないんだし」
「現代人は服を着るのが普通なんですよ、お嬢様」
「えー? 何でそんなに急いで服を着せたがるのよ、アネット」
「その・・・・何というか、目のやり場に困るんですよっ! ですから一旦、服を着てください!」
「え? あっ・・・・ふ、ふーん? そ、そう。そういうこと、ね・・・・・・・・・えっち」
そう言ってロザレナは唇を尖らせると、両手で胸を隠して、身体を逸らし、頬を赤らめさせた。
俺はそんな彼女の姿に呆れたため息を吐いた後、口を開く。
「この前私を襲おうとしていた人とは思えないしおらしさですね」
「私がアネットを襲うのは良いのよ!! で、でも、逆に、アネットにそういう目であたしの身体を見られるのは、な、何というか、その・・・・・すっごく緊張するの!!」
「いや、あの、お嬢様。誰もそういう目で見ているだなんて、一言も言ってはいないですよ?」
「お、女の子同士なのに、私の下着姿に意識が向いているということは、つ、つまりは、そ、そういうことでしょ!!!! もう、制服に着替えるから出て行きなさいよこのバカメイド!! よ、欲情の目を向けられたままじゃ、お、落ち着いて着替えていられないでしょうが!!!!!」
「いえ、ですから欲情の目などはけっして向けてはいな----」
「へぇ? 何度も否定してくるってことは、私の貧相な身体じゃ欲情しないと・・・・もしかしてそう言いたいのかしら」
「わ、ちょっ!! 手当たり次第に物を投げてくるのはおやめくださいお嬢様!!」
俺は背中に枕を投げつけられつつ、ロザレナの部屋を後にした。
今日のお嬢様の部屋の掃除はいつもよりも大変になりそうだなと、扉の前に立った俺はそう思った。
着替え終わったロザレナと共に階段を降り、玄関ロビーへと辿り着く。
するとそこには、ここ一か月ですっかり馴染みとなった男の姿があった。
「
90度の角度で深くお辞儀をし、顔を上げると、グレイレウスは満面の笑みを俺へと向けてくる。
俺の実力が奴にバレてからというもの、グレイレウスは毎朝こうして、俺を出迎えるためにロビーで待機している。
一言も弟子にしてやるとは言っていないのに、もうすっかり弟子面しているこの男の行動力には・・・・・正直、開いた口が塞がらない。
奴の不屈の精神力に呆れたため息を吐いていると、突如グレイレウスは俺の顔を見つめて心配そうな声色で口を開いた。
「
「別に体調面に関しては問題はねぇ。考え事が多くて、最近少しだけ夜更かししてしまっただけだ」
「そう、ですか? 何かあればいつでもこのオレを頼ってくださいね!! このグレイレウス、
「・・・・あのねぇ、あんたなんかに相談する前に、アネットは主人であるあたしを頼ると思うから。グレイレウス、最初からあんたの出る幕なんてないのよ。シッシッ!」
「・・・・・フン。貴様程度の実力でいったい何ができると言うんだ、ロザレナ。せいぜい、
「なっ、なんですってぇ!?」
「先月、
そう言って勝ち誇った笑みを浮かべて腕を組むグレイレウスを、ロザレナはぐぬぬぬぬと歯を噛み締めて悔しそうに睨みつける。
俺はそんなロザレナとグレイレウスを呆れた目で見つめた後、二人を無視することにして、さっさと食堂へと向かう足を進めた。
「あっ! ま、待ちなさい、アネット! 主人を置いていくなんて、許さないわよ!!」
「待ってください、
「はぁ!? あんた、あたしのメイドに気持ち悪い視線向けてんじゃないわよ!! ぶっ飛ばすわよ!!」
「フン。
「絶対に、アネットの隣は座らせないから!!」
「ロザレナ、お前、
「そ、それはそうかもしれないけれど・・・・」
「だから、そう、
「言っていること矛盾してるわよあんた!!!!」
ガーガーと背後で騒ぎ始める俺の自称弟子たち。
この光景も、まぁ、ここ最近の毎朝の光景のことで・・・・流石に一か月も経つと慣れて来た。
「あっ! アネットちゃん!」
食堂に入ると、オリヴィアがぱたぱたとスリッパの音を鳴らして近付いて来る。
そして彼女はえへへと笑うと、俺の手を取り、そのまま朝食が並んだテーブルへと俺を誘導してくる。
俺はそんな彼女に、思わず驚いた声を溢してしまった。
「ちょ、ちょっと、オリヴィア先輩!?」
「先輩、じゃないですよね~?」
「あっ、・・・・オ、オリヴィア・・・・」
「はい、よくできました♪ じゃあ、ここに座ってください、アネットちゃん」
そう言われて、俺はテーブル席の角の座席に座らせられる。
そして、オリヴィアは隣の席を引き、そこに座ると、満面の笑みを俺に見せて来た。
「さぁ、一緒にご飯を食べましょうね、アネットちゃん~!!」
ずっと白熱した言い合いしていたせいで、その光景に一歩気付くのが遅れたロザレナとグレイレウス。
二人はハッとした表情を浮かべると、即座にオリヴィアへと詰め寄って行った。
「ちょ、ちょっとオリヴィアさん、そこ、退いてくださいますか? その席は主人であるあたしの席であって・・・・」
「そうだぞ、オリヴィア。そこはオレとロザレナのどちらかが座ることを許された席であってだな・・・・」
「そんなもの、知りません」
「「へ?」」
「ここは二人だけの席ではありません。アネットちゃんの親友である私も、彼女の隣に座る権利があると思います。そうは思いませんか?」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ・・・・!!」
「クソッ、想定外の敵、だな・・・・」
二人はオリヴィアを鋭く睨みつける。
だが、オリヴィアは意にも返さずに、両手を合わせて、俺へと微笑みを見せてきた。
「今日は、ちょっと自信作なんですよ、アネットちゃん。ぜひ、味見して感想を聞かせてくださいね~」
「・・・・・・・は、はい・・・・」
オリヴィアが以前に比べて明るくなってくれたのは良いことだ。
良いこと、なんだが・・・・そこの凄い形相で立ち尽くしている弟子二人との軋轢を生みそうで、おじさんは少し、心配です・・・・・。
「サ、ササササ、サキュバスだ・・・・や、やっぱりあのメイドに近付いたら、み、みんな魅了されちゃうんだ・・・・!!!!」
「む? どうしたのだね、ロックベルトの姫君。物陰から食堂をジッと眺めて。入らないのかね?」
「ぎょえっ!? って、マ、マイス先輩!?」
背後から声を掛けれらて、ジェシカはビクリと肩を震わせる。
そして彼女は肩ごしに、金髪の青年へと声を掛けた。
「お、驚かさないでくださいよ~!! し、心臓が口から出るかと思いましたっ!!」
「ふむ。君が遠くから怯えた表情で見つめていたのは・・・・メイドの姫君か。彼女がどうかしたのかね?」
「マ、マイス先輩は、アネットを見て、どう思いますか? あ、あの子、不自然に周りからモテまくりだとか・・・・そう思いませんか?」
「はっはっは! 何も不自然なことはないさ! メイドの姫君はとても愛らしく、皆から好意を抱かれるのも頷ける存在だ! とても素晴らしく、良い子だよ、あの女の子は」
「そ、そうですか?」
「あぁ。・・・・・本当に、
「え・・・・?」
「さぁ、朝食へと赴こうではないか、ロックベルトの姫君」
「あ、は、はい・・・・」
そう口にして、マイスとジェシカは食堂の中へと入って行った。
ここから新章の始まりです!
頑張って、書いていこうと思います!
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三日月猫でした! では、また!