第21話 元剣聖のメイドのおっさん、レティキュラータス家に別れを告げる。
「アネットー? 荷物の準備はできたのー?」
「も、もうちょっとお待ちくださいーっ!! お嬢様ーっ!!」
俺はそう、部屋の外から聞こえて来たお嬢様へと声を返す。
そして、滑車の付いた旅行鞄・・・・スーツケースの中身を、腕を組んでうーんと唸なりながら見下ろした。
「くそっ、これ以上はもう入らないか・・・・後は取捨選択するっきゃねぇな。やはり、調理器具全般は持っていった方が良さそうか?? いや、これから聖騎士養成学校で寮暮らしになるのだし調理場くらい向こうにはあるか。んー、でも、やっぱ使い慣れた得物がないとなぁ。お嬢様には完璧な出来の料理を食べてもらいたいし・・・・・って、あっ! 掃除用具も必須か!? くそっ、俺の愛剣、箒丸二世はこのスーツケースに入れるにはでかすぎるぜ!! いったいどうしたものか・・・・・」
「ねぇ・・・・・何、そのパンパンに膨れ上がった巨大なスーツケースは・・・・」
「!? お嬢様!?」
声が聴こえてきた背後を振り返ると、いつの間にか部屋に入ってきてたのか・・・・そこには若干引いた顔をして立っているロザレナの姿があった。
彼女は、雑に詰められた俺の旅行鞄に視線を向けると、しゃがみ込み、その中身をポイポイと順に外へ放り投げていく。
「鍋、ボウル、トング、フライパン、果物ナイフ、レードル、軽量カップ、ホイッパー・・・・調味料一式ですって!? 何これ、あたしたち調理学校に行くんじゃないのよ!? こんなもの騎士養成学校になんかいらないでしょ!!」
「あ、あぁぁ~・・・・私の歴戦の相棒たちが~~~~っっっ!!!!!」
お嬢様の手によって、今まで俺のメイド業を支えてきてくれた大事な仕事道具たちが、鞄の外へ山になって積まれて行く。
そして、すっきりした鞄の中には、衣服類と洗顔料などの生活用具、手帳、小銭入れ、筆記用具などだけが残された。
俺はその光景に膝を付き、絶望した表情で薄くなった旅行鞄を見つめる。
「お、お嬢様・・・・寮でのお食事はいったいどうなされるおつもりで・・・・? 彼ら歴戦の神具たちがいなければ、私は、料理を作ることができません・・・・・」
「華族学校なんだから、食堂くらいあるでしょ。別にアネットが四六時中あたしの食事の面倒を見る必要は無いわ」
「で、ですが、レティキュラータス家の財状を鑑みるに、今はあまり浪費はしない方が良ろしいのではないのでしょうか?? やはり、自炊した方が金銭的な負担も減るとは思うのですが・・・・・・」
「む。確かに、言われてみればそうかもしれないわね。じゃあ・・・・3つか4つまでにしなさい。流石に全部は持っていけないわ。これ全部が入ったスーツケースなんて、流石の貴方でも多くの人々が行き交う王都の中で牽いて歩くのは困難でしょ??」
「はい・・・・・わかりました・・・・・」
俺は荷物を整理し直し、ナイフや鍋などの使用頻度の高そうな調理器具だけを選別し、鞄に入れることにした。
そして、どうしても手放すことができなかった俺の愛刀、竹箒の『箒丸二世』も、スーツケースの横に紐で括りつけ、持っていくことに決める。
ごく自然な動作で箒を持って行こうとする俺の姿にロザレナはギョッとした表情を見せたが、最早何も言う気になれなかったのか・・・・呆れた顔でただ俺のことを見つめているだけだった。
「・・・・・よし、準備完了です」
スーツケースのボタンを閉め、背後にいるお嬢様へと向き直る。
彼女は床に置いていた旅行鞄・・・・修道院に行った時にも使っていた愛用のショルダーバッグを肩に掛けると、ドアノブへと手を伸ばした。
「それじゃあ、行きましょうっ! アネット!」
「はいっ!」
彼女と共に部屋を出る。
その間際。
俺は振り返り、産まれてきてから今の今まで長い時を過ごしてきた自身の部屋へと静かに視線を向ける。
使い古されたベッド、建付けが悪く勢いよく開けなきゃ開かないクローゼット、中庭を一望できる小窓、書きものをする時に使っていた丸いテーブル、そして・・・・・ベッドの横に置いてある巨大な姿見。
そういえば最初の内は、ベッドから起き上がる度に、あの姿見に映る女になった自分に対して毎回辟易していたっけな。
本当、メイドの一族に産まれ変わるとか訳が分からなすぎて、この15年間ずっと混乱しっぱなしだった。
だけど、今では・・・・アネット・イークウェスに転生できて良かったと、この家に産まれて来れて良かったと、そう思っている自分がいる。
旦那様と奥様、先代夫妻方、マグレットお婆様ー---そして、ロザレナお嬢様に出逢えて良かったと、今の俺なら心から言うことができた。
彼らのおかげで、今まで俺は、本当に幸せな毎日を送ることができていたと言えるだろう。
まぁ、メイドの自分に慣れてしまうとか、よくよく考えると可笑しなことなのだけれどな。
本当に、年月って奴は恐ろしいもんだぜ。
「世話になったな」
そう一言だけ口にして、俺は長年過ごしてきたその小さな部屋を後にする。
そして誰もいなくなった部屋には、ガチャンと、静かにドアが閉まる音だけが響いていった。
「久々に帰って来れたのに、こんなに早く旅立っちゃうなんてね・・・・分かっていたけれど、お母さん、寂しいわ」
ルナレナ夫人はそう言うと、眼の端に涙を浮かべ、ロザレナを強く抱きしめた。
そんな彼女に対してロザレナは優し気な微笑みを浮かべると、母親の肩にそっと手で触れる。
「お母様、そんなに悲しまないでください。修道院の時とは違って、今回は頻繁に帰ってきますから。祝日になったら必ずアネットと共に戻ってきます」
「ぐすっ、約束よ? ちゃんと元気なところを逐一私たちに見せにきなさい。風邪をひかないように、健康には気を付けるのよ? 何処に行っても貴方は私の大事な娘なのだからね」
「はい。お母様」
そう言って抱き合う二人の姿を、他の面々ー---旦那様、先代当主夫妻方、マグレットは温かい目で見つめていた。
ルイス少年はというと、エルジオ伯爵の足に隠れ、相変わらず姉のロザレナに対しては鋭い目を向けていた。
どうやら、まだ彼の中にある姉への警戒心は解けていないようだ。
そういうところは本当に人見知りだった頃の昔の
「くかーっ、くかーっ・・・・・ZZZZZ・・・・・」
ところでコルルシュカはというと・・・・感動の別れの場面だというのに何故か鼻提灯浮かべて立ったまま寝てやがった。
こいつ、本当にいったい何なんだ? 何でこんな感動的場面で熟睡してられるの? バカなの?
マジで掴み所が分からないキャラしていやがるなこいつ・・・・今のところコルルシュカのことで分かった情報といえば、このアホツンイテ女がМだということくらいだぞ・・・・? おい何だよそのこの世で一番いらねぇ情報はよ・・・・。
果たして、バカを演じている演技派の暗殺者なのか
最早、この女が何なのか、俺には分からなくなってきた。
「こら! コルルシュカ! ロザレナお嬢様がご出立なさると言うのに居眠りするとは何事ですか!!」
「うぐぅぁっ!? い、いたぁ~いっ!! うぅっ、ごめんなさぁい、メイド長ぉ~~~」
マグレットに拳骨を貰って、頭を押さえて涙目になるコルルシュカ。
うーん、いや、あれはやっぱただのバカだな。
急に、今まであんなアホに警戒していた自分がただの間抜けに見えてきたぞ。
無駄に警戒していた俺の時間を返して欲しい・・・・。
「・・・・・・・アネット、どっか、行っちゃうの??」
そう、コルルシュカに呆れた目を向けていると、突如スカートが引っ張られる。
声が聴こえた下方へと視線を向けると、そこには不安そうに俺を見上げているルイスの姿があった。
俺はそんな彼の目線に合わせてしゃがみ込み、優しく笑みを浮かべる。
「はい。お姉様と一緒に王都の学校に入学して参ります。ですが、また必ず帰ってきますよ、ルイス様」
「・・・・・・・・やだ。アネット、行っちゃやだ!」
そう言って、俺の手を強く握り、涙を浮かべ始めるルイス少年。
その愛らしい姿に、思わず母性に目覚めそうになってしまいそうになるが・・・・落ち付け、俺はオッサンなんだ。
オッサンが少年に母性を感じることなど、あるわけが、あるわけが・・・・・・。
「アネットぉ・・・・・」
うーん、マジで可愛いな、この子。
ロザレナに似ているから、大きくなったらさぞ顔立ちの整ったイケメンになるんだろうなぁ。
アネットママ、この子が将来悪い女に引っかからないかとても心配だわ。
「・・・・・・・・って、おいおいおい・・・・・」
アネット・イークウェス、お前は女でも何でもない、中身おっさんの紛い物だろうが。
幼い少年に対して、母性に目覚める筋骨隆々の髭モジャおっさんのかつての自分の姿を想像してしまった俺は・・・・・気持ち悪すぎて思わずげんなりしてしまった。
そんな俺の胸中を他所に、ロザレナは目の前にやってくると、高らかに笑い声をあげ始める。
「あはははっ、残念だったわね、ルイス! アネットはあたしのものよ! これから卒業するまでの四年間、アネットとあたしはずぅぅぅっと一緒にいるんだからっ!! これからの濃厚な大人の時間に、貴方の入り込める余地なんてもう無いのよ。本当、可哀そうにねぇ! フフッ!!」
「いや、あの、お嬢様・・・・四歳の弟に張り合って、煽ってどうするんですか・・・・というか濃厚な大人の時間っていったい何なんですか・・・・・」
「うっるさいわねぇ!! 今のあたしにとって、この子は最も脅威になる可能性を秘めた敵なんだから!! 大きくなる前に、少しでも牽制しておかないとー-----」
「お、お姉ちゃんには絶対にアネットは渡さないもん!!!! アネットと結婚するのは僕なんだっ!!」
「なっー-----!?!?」
俺の手を強く握りしめ、眼を真っ赤にさせて、ルイスはそうロザレナに叫ぶ。
そしてその後、ルイスは俺の頬に可愛らしくキスをすると、そのままルナレナ夫人の元へと逃げて行った。
「な、ななななななな、何してんのよ、あんたぁっっっっ!!!!!」
「べーっ、だ!!!!!」
三日前の歓迎会の時と変わらず、どうやらロザレナとルイスは別れ際まで仲良くはなれないようだ。
・・・・・その原因が俺というのが、本当、何て言ったら良いのか分からない状況なんだけどな・・・・。
二人ともこんなオッサンを取り合うのはやめて、もっとマシな人を探した方が良いと思いますわよ・・・・。
「さて。もうそろそろ出立した方が良いんじゃないかな? ロザレナ」
腕時計を確認してそう呟くエルジオ伯爵に、ロザレナはハッとした表情を浮かべる。
「そ、そうですね。こ、このままでは遅れてしまいます。行きましょう、アネット!!」
「はい」
既に屋敷の前に手配してあった馬車に、ロザレナは颯爽と乗り込んでいく。
彼女に続いて、俺もスーツケースを抱えながら搭乗しようと乗車口に足を掛けた、その時。
「アネット」
背後から聞こえて来たその声に、振り向く。
するとそこには、眼を細め微笑を浮かべた、マグレットの姿があった。
「お婆様? 何ですか?」
「フフッ。いや、何でもないよ。ロザレナお嬢様の側仕えとして、立派に勤めを果たしておいで」
「はい!! 行ってまいります!!」
「身体には・・・・・気を付けるんだよ」
「はい。御婆様も」
そう言い残して、俺は馬車へと乗り込む。
馬車の乗車台の中に入った瞬間、背後からマグレットの涙を流す声が聴こえたが・・・・俺は振り返らずに、席へと座った。
そして馬車は出発し、ゴトゴトと、舗装された道を音を立てながら進んで行く。
これからレティキュラータス家のみんなとは長らく会えないんだと思うと、自然と胸中には寂寥感が募ってきた。
すると、そんな俺の気持ちを察したのか・・・・隣に座っていたロザレナが、ギュッと俺の手を握ってきた。
「大丈夫よ。アネットは一人になったわけじゃない。隣にはいつでも、あたしがいるわ」
「・・・・フフッ、もしかして、私を励ましてくれているのですか?」
「そうよ。先に別れを経験して、修道院に行った先輩としてね! あたしはもうこういうの慣れっこだから!」
「・・・・・・・・そんなことを言って・・・・・お嬢様も寂しいのでしょう?」
「そ、それはっ・・・・・・・・・・うん。そう、よ。その通りよ。だから・・・・・・だから、アネットもあたしの側を離れないでいてよね。絶対よ?」
その言葉に頷くと、俺たちは目の端に涙を貯めて、互いに笑い合った。
まさか、生前は滅多に泣くことのなかったこの俺が、転生してからはこんなに涙もろくなるとはな。
寂しくても涙が出るのだということを、俺はこの時初めて知ることになった。
1時間半後。
王都へと到着をした俺たちは、馬車から降りて、城門前の商店街通りを歩いていた。
到着したのが昼間ということもあり、商店街通りの露店には、昼食を漁りにきた多くの人々が行き交っている。
俺は、ロザレナとはぐれないようにその手を握り、彼女と横に並びながら雑踏の中を進んで行った。
「今日も王都は人が多いですね。あっ、お嬢様、スリには気を付けてくださいね? お財布はちゃんと鞄の奥底に仕舞いましたか?」
「勿論よ。お父様が身銭を削って、これからのあたしたちの1年間分の生活費を預けてくれたんだもの。絶対に盗まれないようにしているわ」
「なら良かったです。あと、絶対に私から離れないようにしてくださいよ? 五年前のようになったら大変ですからね」
「あ、あのね~、もうあたしも大人なのよ? あの頃みたいに早々、人攫いに遭ったりはしないわよ。というか、あの時は一緒に攫われてたでしょ? 元はと言えばアネットが近道ーとか言って人通りの少ない道に行ったんだから、ああなったんじゃない」
「む、むむむ・・・・た、確かに、私の不徳の致すところはあったとは思いますが・・・・・お嬢様は貴族のご令嬢なのですから、もっと危機感を持ってくださいよ。私がいつも側にいてお守りできるとは限らないのですからね?」
「さっき、馬車の中であたしの側を離れないでいてって言ったのに・・・・もう約束破る気まんまんなんだ? ふーん?」
「お嬢様・・・・・私は、万が一のことを考えて、お嬢様のことを想って言っているのですが」
「あーもう、わかったわよ。ちゃんと気を付けます。これで良い? もう、なんだか昔よりお小言が多くなってー-----ん?」
商店街通りから中央王都市街に続く橋を渡っていた、その時だった。
ふいに鼻を突く臭いが辺りに漂いだし、その異臭にロザレナは思わず鼻と口を手で覆ってしまう。
「な、なに、この臭い!?」
何らかの薬品と人の糞尿が混じったような、この独特の臭いは・・・・俺の最も古い記憶に刻み付けられているものだった。
俺は、橋の手すりから崖下を覗く。
その、中央王都市街の周りに続く、深い堀の下にあるのはー----この国の最下層、スラム街『奈落の掃き溜め』だ。
あそこは、全てを無くした者が行き着く場所・・・・俺の・・・・生前の俺の、アーノイック・ブルシュトロームの産まれ故郷だった場所だ。
俺は、あの貧民街にあるごみ捨て場で、汚物に塗れて産み捨てられていた孤児だった。
普通、故郷を見た人間は懐かしいなと思うのかもしれないが、俺はあそこを見ても何も思わない。
ただ、あの場所に広がっている世界は今も昔も変わらない、ドラッグと暴力と奪い合いが横行している地獄のような世界だけ。
人間としての生き方なんてあったものではない、
「・・・・・・・・・・・・・」
「ア、アネット? 怖い顔して橋の下なんて覗いて・・・・どうしたの??」
「・・・・・・・・・いえ、なんでもありません。行きましょう。この臭いはあまり身体に良いものではありませんから」
「そ、そうね。何か気分が悪くなってくるわ」
この薬品のような臭いは、王国で蔓延しているドラッグ、『
『
体内に摂取した者は自身が出逢いたい死者の姿を思い浮かべることによって死した者の幻覚を見ることが叶うが、頻繁に摂取していると、徐々に身体が木質化していき、最終的には『
王国では特三級危険物として使用することを法律上で禁止しているが、この堀の下、『奈落の掃き溜め』ではその法律が適用されていない。
彼らは王国にとってはいない者とされていて、認知されていないのだ。
だから、薬物が出回り、その温床と成り果ててしまっている。
「・・・・・・『
「え? 何か言った? アネット?」
「いえ、何でもありません。早く橋を渡り切りましょう」
そうして、俺たちは強烈な臭いに顔を歪めながらも、橋を渡り切って行った。
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
続きは今日の夜か、明日には投稿すると思いますので、また読んでくださると嬉しいです!!
今朝、庭の畑から