第17話 元剣聖のメイドのおっさん、お嬢様と5年後の約束を誓う。
「お嬢様、入ってもよろしいでしょうか??」
控えめに数回ノックすると、扉の向こうから「入って」と声が聞こえて来た。
俺はドアノブを回し、中へと入る。
すると、お嬢様はいつもの天蓋付きのベッドの上で横になっていた。
いつもと違うのは、眼を赤く腫らし、泣いた後が見えることくらいだろうか。
俺は、部屋の中央にあるテーブルから手短な椅子を引っ張り出し、お嬢様の顔がよく見えるようにベッドの横に置き、座った。
そんなこちらの様子に、ロザレナはジト目を俺に向けて、静かに口を開く。
「修道院・・・・・二人で入れないんだって」
「はい。メリディオナリス様から先ほど聞きました。今年は信徒の数が多いみたいですね」
「本当、ついてない・・・・・でも、まだ来年がある。来年こそは、一緒に修道院で学びましょう、アネット」
「お嬢様・・・・・前に私が話したこと、覚えてらっしゃいますか??」
「前に話したこと?」
「はい。剣を多く振っている者と、本を読んでいる者。どちらがより『剣聖』に近いか、ということです」
「勿論、覚えているわよ。丁度、この部屋で言われたからね。あの時の貴方は本当、仲良くなれる気がしなかったわ」
「少々、厳しすぎたことを言ったなと、今でも私は反省しています。ですが・・・・『剣聖』になるのなら、あの時言った言葉は真実です。剣を多く振った者が、より強い強者となる。努力を怠らなかった者が、前へと進んで行った者だけが、真の頂に立つことが許される・・・・・」
俺は一呼吸挟み、眼を伏せた後ー----ベッドの上に座るロザレナを、鋭く睨みつけた。
「それなのに・・・・お嬢様は、
「え・・・・?」
「枠が一つしかないのなら、お嬢様のすべきことはただひとつだけです」
「ひとつ、だけ・・・・?」
「はい。ひとつしか枠がないのなら・・・・家族だろうと友人だろうと恋人だろうと、他者を蹴落とし、その枠を奪取する・・・・自己の研鑽のためならどんな手を使ってでも前へと進み続ける。貴方が今するべきことは、それだけです」
「ちょ、ちょっと、待ってよ、あたしは・・・・・」
「良いですか、お嬢様。むしろその枠を私から奪い取るような勢いでなければ、『剣聖』になど到底なることはできないのです。そんな、他者のために自ら歩みを止めるなど・・・・それは愚か者のすることにすぎません」
「だ、だって、あたし、どうしてもアネットと一緒に勉強したくて!! アネットの隣で、あたしは強くなりたいの!! 傍で貴方に見守っていてもらいたいのよ!! どうしてそれを分かってくれないの!!」
「ロザレナ・ウェス・レティキュラータス!!!!」
「ッ!?」
「他者を言い訳に使わないでください。お遊びではなく、本気で『剣聖』を目指すと、覚悟を持ってその口で発したのなら・・・・
「アネ・・・ット?」
「お前はいつか
「・・・・・・・・・・・・違う」
「まさか、てめぇは俺と聖騎士養成学校でおままごとしたいがために、爺さんと婆さんから金ふんだくるつもりだったってのか?? 端から本気で『剣聖』を目指すつもりは無いってのか?? どうなんだよ、おい」
「違う!!!!」
俯いていた顔を上げると、ロザレナはこちらをキッと、強く睨み返してくる。
「あたしは、あたしは本気で『剣聖』を目指している!! そして、本気で貴方を超えたいと思っている!! この気持ちは嘘偽りじゃない!!!!!」
「だったらお前が今やるべきことは分かっているよな??」
「うん・・・・・あたしは、一人で・・・・・修道院で力を付けてくる。アネットから離れて、一人で・・・・・」
そう言うと、ボロボロと大粒の涙を流し、ロザレナは俺の胸に抱きついてくる。
俺はそんな彼女を抱きしめ返す、なんてことはせず、ただ静かにロザレナを見守った。
「う゛うぅぅぅぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!!!!! アネットと離れるなんて、嫌・・・・嫌だよぉぉぉぉぉぉぉ!!!! せっかく仲良くなれたのにぃぃぃ!!!! もっと一緒にいたいのにぃぃぃぃぃ!!!!!!! 何でぇ、どうしてぇぇぇぇぇ!!!!!」
いつも少し大人びたことを言うロザレナだが・・・・彼女はこれでもまだ10歳の幼い女の子なんだよな。
家族に甘えたい盛りのお年頃なのだから・・・・長期間、誰も知り合いのいない場所で暮らすことになると考えれば、その恐怖心は当たり前のこと。
俺という絶対的な味方の存在がいたからこそ、彼女は知らない場所に行くことも苦ではなかったのだろうが・・・・・・このままじゃ、ロザレナは俺という存在に依存してしまい、将来を自ら閉ざしてしまうことになる。
だからこそ、心苦しくはあるが、俺という依存対象から彼女を無理矢理引き離すことが、今後の彼女のためになる。
彼女を真に想うのであれば・・・・今ここにおいて、俺という人間は彼女の成長を阻害する最も邪魔な存在だ。
「ロザレナお嬢様・・・・・ひとつ、提案を聞いてはくれませんか??」
「ぐすっ、ひっぐ、・・・・なあに?」
「これから先、お嬢様は修道院で信仰系魔法を覚えたとしても、ここに帰ってくることはせず、五年間・・・・そのまま修道院で修行をなさっていてください」
「ご、五年も!? な、何で!?」
「私とお嬢様は、一旦距離を開けるべきだと思うのです。お互いのためにも」
「・・・・・・・・・・・・・それは・・・・あたしが・・・・アネットに依存してるから?」
「それもありますが、もうひとつ理由があります」
「理由?」
「はい。単に、聖騎士養成学校に入るまでの時間を無為に過ごすのは勿体ないかと思いまして。15歳になるその日まで、お嬢様は修道院に居た方が・・・・多くの信仰系魔法習得することができると思います」
「それは、確かにそうだけれど・・・・・あたしは剣の腕を磨きたいのよ?? 何で信仰系魔法??」
「お嬢様、信仰系魔法を侮ってはいけませんよ。ジェネディクトが使用していたように、剣士にとって治癒魔法は必需品のようなものです。何たって、前衛職は生身で敵と相対するわけですからね。確実に怪我を負うのは必至です。そのため自己治癒できる剣士と、できない剣士じゃ、その生存率が大幅に違います」
「・・・・・よくわからないけど、剣士にとって魔法は大切だってこと??」
「そういうことです」
「でも、先代の剣聖アーノイック・ブルシュトロームは、一切魔法が使えなかったって聞いたよ??」
「彼は・・・・・一先ず例外ということにしておきましょう。殆どの剣士が魔法を使えるのは、間違いようがない事実ですから」
そう言うと、ロザレナは俺から離れ、微笑を浮かべてこちらを見つめて来た。
「・・・・・・・・・・・・本当にアネットは・・・・・不思議な人ね」
目元を拭い、潤んだ瞳で見つめてくるロザレナ。
その顔は、先程までの鬱屈した様子とは変わって、何処か明るげな表情に変わっていた。
「うん、分かった。アネットの言う通り、五年間、修道院に通うことにする」
「そうですか・・・・。では、お嬢様が立派に成長してこの御屋敷に帰って来られることを、私は心待ちにして待っておりますね」
「待ってるだけじゃ駄目よ。貴方も空きが出来次第、修道院で信仰系魔法の習得を・・・・って、それはあたしと離れたことにならないからダメかしら。とにかく、どうにかして信仰系魔法を覚えなさい。いいわね?」
「へ? い、いや、あの・・・・質問なのですが、やっぱり私も聖騎士養成学校には・・・・一緒に入学しないと・・・・いけないのでしょうか??」
「当たり前でしょ!! あたしに五年間修道院でシスターをやれって言うのだから、貴方もあたしと一緒に聖騎士養成学校に行くことを約束しなさい!! いいわね!!」
「でも、それは元はと言えば、お嬢様が勝手に言い出したことであって、私は・・・・」
「い・い・わ・ね?」
「はい・・・・了解致しました・・・・・」
有無を言わさずに頷かされてしまった・・・・やはり、この子にもあの強者然としたメリディオナリス夫人の血は入っているみたいだな・・・・まったく、将来いったいどんな女帝になるのかが怖いです、おじちゃんは。
「それじゃあ、私は失礼致しますね。廊下の掃除がまだ、残っておりますので」
「待って、アネット」
椅子を所定の位置に戻し、部屋から出ようとドアノブに手を掛けた、その時。
ふいに呼び止められた俺は、「何でしょう」と口にしながら、背後を振り返った。
だが、そこに広がっていたのは・・・・信じられない光景だった。
「・・・・・・・・・・・え?」
「ー----ー--------チュ」
唇に触れる、柔らかい感触と、甘い香り。
そして、視界いっぱいに広がる、ロザレナの顔。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
呆然としたままその場に立ち尽くしていると、ロザレナは俺から顔を離し、頬を林檎のように赤く染め、ムスッとした顔でこちらを睨んでくる。
「ほら、どうしたの。さっさと仕事に行きなさいよ」
「お、お嬢様、い、今の、は・・・・・・」
「うるさい!! 早く行けって言ってるの!! ほらほらほらほら!!!!」
背中を押され、半ば無理やり部屋から追い出される。
俺は人生で初めて体験した先ほどの行為に、意味も分からず顔を真っ赤にさせて、唖然とせざる負えなかった。
俺は・・・・・何ということをしてしまったんだろう・・・・・・。
いや、俺自らが進んでやったことじゃないから、大丈夫だよな?? 許されるよな??
そんな、幼い子供と、キ・・・・なんて、そんなこと・・・・・。
いや、許されない!! 今のこの身体だからといって、それは許されることではない!!!!
今の俺をリトリシアが見たら何て言うことだろうか!!!!
まず間違いなく、汚物を見るような侮蔑の視線と共に、ペッと、唾を吐き掛けられるだろう!!!!
内なるリトリシア『師匠って・・・・ロ○コンだったんですね。もう、本当に気持ち悪いです。さっさと死んでくれませんか? って、あっ、もう私に殺されてるんでしたっけ?? では、もう一回殺してあげますね♪ 今度は転生できないくらい木っ端みじんに斬り刻んであげます♪』
うぎぃあああああああああああ足の指先から粉みじんにされていくぅぅぅぅぅっぅうぅぅぅぅ!!!!!
反・治癒魔法効果の付いた、生前の俺の愛剣、【黒狼刀】で絶対に回復できないように魂ごと斬り刻まれていくぅぅぅぅぅぅっぅぅううううあああああああああああああああッッッッッッッッッ!!!!!!
「・・・・・・・・・ハッ!!! ・・・・・・・・な、なんだ、良かった、夢だったか」
汗びっしょりで目を覚ますと、そこは自分のベッドの上だった。
肩で息をしながら何とか起き上がると、ベッドの横に置いてある姿見に、今の自分の姿が映った。
「・・・・・・ボサボサの髪に、凄く憔悴しきった顔だな・・・・」
今の俺の姿を見たら、マグレットも旦那様たちも間違いなく心配することだろう。
でも、原因がロザレナにキ・・・・・されたこととは流石に言えないし・・・・・。
こんなオッサンが、彼女のくちび・・・・・・を奪ってしまっただなんて、そんな気持ち悪いこと、誰にも言えるわけがないし・・・・・。
「いやいやいやいや、何を怯えてんだよ、俺は! たかがキ・・・・・だろうが!! それも、相手はただのガキだぜ!?!? 意識する方が気色悪いってもんだ!!!!!」
俺はクローゼットを勢いよく開け、そこにあったいつものメイド服をハンガーごと取り、寝間着を脱いで、着替えを始める。
俺だって、もう何年もこの自分の幼女の身体は見飽きてきているんだ。
今更、メスガキとキ・・・・したくらいで、動揺する俺じゃ・・・・・・。
「いやいやいやいや、自分の身体とは言え、幼女の身体を見飽きてきているって発言は色々とやべぇだろ・・・・オイ・・・・」
もう、この身体になってから男としての尊厳とか色んな大切なものを、たくさん失ってきているような気がする。
最早、日常的にメイド服を着て女口調で喋ってしまっている時点で、今更感は拭えないんだけど・・・。
はぁ・・・・・・どんどん男の自分がアネット・イークウェスに浸食されていっているような感じがするな・・・・・・。
その内、男であった時の記憶とかが全部消えて、完全に女になってしまうんじゃないかと思えてくるくらいだ。
メイド業は楽しいが・・・・このままで俺、本当に男の自分を失わずに生きていくことができるのかね・・・・。
「・・・・・・・・仕事、頑張ろ・・・・・」
今日も今日とて、ため息を溢しながら・・・・・俺はメイド服に袖を通し、部屋を出て、使用人としての一日を送っていくのであった。
「それじゃあ、みんな、行くわね」
一週間後。
修道院へと旅立つロザレナを見送るために、レティキュラータス家の門の前には、旦那様、奥方様、マグレット、ギュスターヴ老、メリディオナリス夫人、そして自分を含めた計六人が集まっていた。
皆、各々に別れの挨拶を済ませ、後は手配していた馬車にロザレナが乗り込むだけとなっていた。
パンパンに膨れ上がった大きな旅行鞄を肩に掛けた彼女は、家族全員の顔へ順に視線を向けていく。
そして最後に俺の顔を視界に収めると、ロザレナは急に頬を真っ赤に染め、プイッと顔を横に逸らした。
「あ、あの、お嬢様・・・・・?」
あのキ・・・・の一件以来、彼女は俺とまともに会話ができなくなってしまっていた。
顔を合わせば今のように頬を真っ赤に染め、視線を逸らしてそっぽをむいてしまう。
お嬢様とはこれから、五年間はまともに会話もできなくなるというのに・・・・最後はこんなギクシャクした別れ方なんて、少し嫌だな。
なんて、そんなことを考えていると、お嬢様は意を決したかのように、急に俺へと顔を向けて来た。
そして、プルプルと身体を震わせながら、ゆっくりと口を開く。
「い、行ってくるわね、アネット・・・・」
「は・・・・・はいっ!! 行ってらっしゃいませ、お嬢様!!!!」
「あたしが留守の間、浮気なんてしちゃだめだからね!!」
「へ、あの、それはいったいどういう・・・・?」
「べーっ、だ!!!!」
下を出してあっかんべーとすると、ロザレナは急いで馬車の中へと入って行く。
そして、御者がそれを確認すると、馬車は王都へ向けてゆっくりと進んで行くのであった。
「お嬢様ー---!!!! 頑張ってくださいねー---!!!!!」
真っすぐと舗装された道を進み、小さくなっていく馬車の影に、そう大声で叫ぶ。
彼女にこの声が届いたのかは定かではないが・・・・きっと、5年後、お嬢様は一回りも二回りも大きくなって帰ってくることだろう。
彼女は『剣聖』になると、この俺に大見得を切ったんだ。
経験上、俺は理解している。
ああいう、向こう見ずな大言壮語を語る馬鹿な奴ほど、成功を手に入れることができるということが。
現実的に見てできるわけがないだとか、お前じゃ無理に決まっているだとか、そんなこと言う奴が世間にはごまんといるが・・・・・そんな他人の足を引っ張るような雑魚に、構う必要なんかはない。
大成する人間の殆どは、自分が絶対に頂点に立てると信じているからこそ、栄光を掴み取ることができるんだ。
端から諦めている人間が、栄光に輝けるなんてことは絶対に在りはしない。
自分を強く信じて、自分が凄い奴なんだと勘違いする自信過剰な馬鹿程、いずれ勝利を勝ち取れる器になれる。
だから、ロザレナ・・・・お前は俺なんか気にせずに真っすぐと前へ突き進め。
お前はまだ、空っぽの器にすぎないが・・・・経験を重ねて行けば、もしかしたら・・・・・『剣聖』なんて通過点にすぎないといったお前の言葉が、本物になる日が来るかもしれない。
(その時を楽しみにしてるぜ。じゃあな、お嬢様)
そう、心の中で呟いた後。
完全に姿が見えなくなるまで、馬車が通って行った道を、俺はただ静かに見つめ続けていた。
これにて、幼年期編は終了となります。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
ここから先は、あらすじに書いてある物語へと続いていきます。
次回から始まる、成年期 聖騎士養成学校編もどうか読んでくださると嬉しいです。