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幕間 剣聖と剣神の邂逅



 王都の南にある居住区街の外れに、年期の入った木造建築の屋敷があった。


 その玄関口に立て掛けられている板札には、【蒼炎剣】流派 ロックベルト道場と書かれている。


 そう、ここは見ての通り、剣術道場である。


 ここは、王国の冒険者を管轄するギルド長でもある、『剣神』、ハインライン・ロックベルトが弟子を集め個人的に剣を教えている、王国きっての名立たる稽古場。


 彼が六つ受け持つ道場の内の、その門下のひとつであった。

 


「とぅおりゃっ!! とぅおりゃっ!!」

 

「せいやっ!! せいやっ!!」


「きぇえいっ! きぇえいっ!」



 屋敷の中央にある広大な中庭では、筋骨隆々の大勢の男たちが叫び声を上げながら二組になって剣をぶつけ合い、稽古に励んでいる光景が広がっていた。


 その顔には皆一様に覇気が宿っており、真剣に自身の剣を極めようという気迫を放っているのが、遠目でも見て分かる。


「えいっ! えいっ!」


 だが、そんな男臭い道場に、場違い感のある幼い少女の姿があった。


 周りにいる屈強な男たちと同様の衣服ー---王国ではあまり馴染みがない道着と呼ばれているものー---を身につけた幼い少女は、おだんご状に結ったオレンジ色の髪を可愛らしく揺らしながら、一生懸命に虚空に向かって剣を振り続けている。


 そんな彼女に対して、縁側に座っていたひとりの老人は、微笑ましい笑顔を浮かべながら自身の長い髭を撫でると、優し気な声色で口を開いた。


「おーい、ジェシカちゃんや。そろそろ三時のおやつにしないかねぇー?」


 その言葉に、ジェシカと呼ばれた少女は剣を振る手を止めると、頬を膨らませムッとした表情を老人へと向けた。


 そんな彼女の様子に、老人は困ったように眉を八の字にさせる。


「もう、疲れたじゃろう?? ゆっくり休みなさい、ね?」


「お祖父ちゃん! みんなまだ修行しているのに、何で私だけおやつを食べないといけないのっ!」


「そうは言ってもじゃなぁ・・・・みんなと違ってまだジェシカちゃんは幼いのだし・・・・・」


「年齢なんて関係ないの!! 私はもっと強くなりたいの!! 邪魔しないでちょうだいっ!!」


「う、うぅむ・・・・我が孫ながら、剣への熱意が凄まじいものじゃのぅ・・・・じゃが、もう少し、ちょびっとだけ、ワシへの愛情を見せてくれると嬉しいんだがのぅ・・・・・」


 そう老人が口にし、ため息を吐いた直後だった。


「ごめんください。ハインライン殿はいっらしゃいますでしょうか」


「!! リト姉だぁ!!!!」


 その声を聞いた瞬間、ジェシカは剣を地面に放り投げ、鼻歌を歌いながら門へと駆けて行くのであった。


 そんな孫娘の姿に呆れたように苦笑しながら、老人も少女に続いて玄関口へと向かっていく。


「リト姉ー--っ!! 会いたかったよぉっ!!!」


 門を開け、外に立っていた人物ー----美しい顔立ちをした黄金色の髪の森妖精(エルフ)に、ジェシカは抱き着くと、その小振りな胸に思いっきり頬ずりをする。


 抱き着かれた森妖精(エルフ)の少女はというと、ジェシカのその様子に最初は面食らっていたものの、即座に優しく目を細め、彼女の頭をポンポンと、軽く撫でるのであった。


「そんなに私に逢いたかったのですか? ジェシカ」


「うん!! だってリト姉は私の憧れの人なんだもん!! 強くて、かっこよくて、綺麗で・・・・・本当もう、大好きっ!!」


「そうですか。ジェシカのように可愛い子にそう言って慕ってもらうのは、とても嬉しいことですね」


「えへへへっ」


 照れるジェシカにニコリと笑顔を返すと、森妖精(エルフ)の少女は、遅れて目の前にやってきた老人へと視線を向ける。


「ハインライン殿。お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです」


「あぁ。リトリシアも、変わらずに元気そ・・・・というか、お主は何年経っても言葉通りに全く姿かたちが変わらんのう。10年も20年も若いままって、いったいどうなっておるんじゃ」


「あははは・・・・私は森妖精(エルフ)ですからね。人族(ヒューム)とは、老化の間隔が異なるのですよ」


「まったく、羨ましい話じゃな。ワシも、もう~少しばかり若い期間が長ければ、お主と『剣聖』の座を争って剣を振るっておったものを・・・・実に残念じゃ」


 そう老人が口にした瞬間、リトリシアの長い耳がピクリと震える。

 

 そして、変わらぬ笑顔のまま・・・・どこか怒気の含んだ口調で、彼女は口を開いた。


「・・・・偉大な我が養父の兄弟子であるハインライン殿といえども、『剣聖』の座を争う未来があったのなら、私と貴方は今こうして仲良く喋っていることなどできていなかったと思いますよ。私は、アーノイック・ブルシュトロームの意志を継いで、覚悟を持って、この地位に立っているのですから」


「はぁ。相変わらず冗談も通じないクソ真面目なファザコン娘じゃな、お主は。いつまでも亡くなった父に縛られてないで、新しい男でも探したらどうじゃ? ん??」


「私はあの御方以外の男性と添い遂げる気は一切ありません。父の残したこの刀剣と共に、墓に入るつもりです」


「あー、辛気臭い辛気臭い、お主と話しているとこっちにも陰気が移りそうで叶わんわい! その面倒臭さは本当にあの男そっくりじゃ!!」


「お祖父ちゃん!! リト姉にそんな酷いこと言っちゃ駄目っ!!」


 腰に手を当て、唇を尖らせている孫娘の姿に、ハインラインは目を細めにこやかな笑みを浮かべる。


「お、おうおう、ごめんな、ジェシカちゃん。お祖父ちゃん、このリトリシアお姉ちゃんのお父さんと、ちょ~っと、仲悪かったからさ。大人げなく昔を思い出して、色々酷いこと言っちゃったよ。本当ごめんね~」


「リト姉のお父さん・・・・? それって、先代『剣聖』の、アーノイック・ブルシュトロームって人?」


 そう小さく声を発すると、俯き、何やら考え込む素振りを見せるジェシカ。


 そして数秒程何やら思案し、顔を上げると、彼女はリトリシアの方へ視線を向けて、口を開いた。


「お姉ちゃん、歴代最強の『剣聖』、アーノイック・ブルシュトローム? さんって、いったいどんな人だったの??」


 その質問に、先ほどまでの淑女然としていた態度とは一変、リトリシアは鼻息荒く興奮した様子を見せると、祈るように手を組み、頬を蒸気させ、恍惚とした表情を浮かべて口を開いた。


「聞きたいですかっ!? 彼はですねっ!! 正しく、伝聞通り『最強』と称されるに相応しい人物だったのですよっ!! 剣を振り上げ、振り降ろす。その単純な動作だけで、山を割り、海を割り、どんな存在だろうと、瞬時に等しく真っ二つの肉片へ変えるのです!! はっきり言ってあの御方は、人間の域を遥かに超えた存在なんですよ!! 神が与えた超常の天才、剣の申し子・・・・・とにかくどんな言葉でも現すには言い足りないくらい、素晴らしい御方だったのですっっ!!」


「う、うん、そうなんだ・・・・・」


「はいっ!! ・・・・・ですが、その尋常ならざる強さが故に、我が父は常に孤独に苛まれていらっしゃいました。王国の人々は、魔法も何も使わず純粋な力のみで(ドラゴン)を殺した父を、あろうことか化け物呼ばわりしたのです。人の形をしただけの、悪魔、魔人だと・・・・・」


「ヘッ、それは単に奴の人望が無かっただけの話じゃろ。くだらないのぅ」


 小指で耳の中をほじっていたハインラインが、つまらなそうにそう口にする。


 すると彼のその言葉に、リトリシアは眉間に皺を寄せて、今にも射殺さんとばかりに老人を睨みつけた。


 だが、そんな彼女の様子を意にも返さず、ハインラインは小指にフッと息を吐きかけると、過去を懐かしむような顔をして口を開いた。


「奴が他人に嫌悪されるようになったのは、何も、そのことが原因になってからのことじゃない。ワシの知る限り、あの男は幼少時代から他者には嫌われておったよ。特に剣士にはな」


「・・・・・剣士、ですか?」


「そうじゃ。何たって、真剣に剣の修練を積んでる奴からすれば、あいつの剣の才覚は意味が分からない代物だったからな。だってあいつ、数時間何度か打ち合いするだけで、その相手の剣技を完全に自分のものにしちゃうんだぞ?? 常人が何年も掛けて修練を積んで、やっと会得できたその剣技を、ものの数時間で習得しちまうんじゃあの化け物は。・・・・まぁ、それだけならまだ良いが、アーノイックの野郎はその剣技を自分のセンスでさらにグレードアップしちまうのが更にタチの悪いところなんじゃて。そんなことされたら、誰だってあいつのこと嫌いになるじゃろ?? 真面目に修練を積む剣士だったら特にのう」


「相手の剣技を見ただけで自分のものにする・・・・とっても、凄い人だったんだね、リト姉のお父さん、御祖父ちゃんの弟弟子(おとうとでし)さんだった人は」


「うーん、もうね、凄いって言うよりは、めちゃくちゃな人じゃったよ。酒飲んで暴れては民間人殴るわ、師匠の誕生日祝いの金を『倍にして返す』とか言ってワシの反対押し切って競馬に全部注ぎ込むわで・・・もう本当、病気でくたばる寸前までずっとワシに迷惑を掛けてくる、そんな愚弟じゃった。来世があるとしたら、あの男とは二度と関わりたくはないね、ワシは」


 そう言いつつも、どこかまんざらでもない笑みを浮かべて、自身の弟弟子のことを喋っているハインライン。


 その姿を見たリトリシアは怒気を収め、誰にも聞かれない小さな声でそっと、静かに口を開いた。


「・・・・・師匠の、我が父の強さは、相手の技術を咄嗟に会得する能力だけではないのですよ、ハインライン殿。あの御方の真の強さの根幹は・・・・・尋常ならざる剣術の理解と底知れぬ成長速度、そして、常に戦いを楽しもうとする、不屈の精神力。その三つです。もし、あの御方がまだ生きていらしゃったのなら、今頃私の想像を遥かに超えた力を手に入れているのでしょうね・・・・何たって、亡くなる前の我が父君は、世界最強の座に立っていても尚、まだまだ成長の途中だったのですから・・・・・」


「あん? ブツブツと恍惚な笑み浮かべて何言っておるんじゃお主は??」


「フフッ、我が愛しの養父に、愛の言葉を少々」


「うげぇ、気色悪い・・・・そういうことは神聖なる道場であるうちでやるんじゃない。ジェシカの教育上悪いからのう・・・・・・・」


「申し訳ありません」


「まぁ、お前さんのそれはいつものことじゃから仕方ないか。許してやるとするかのぅ・・・・さて」


 コホンと咳払いをすると、ハインラインは真面目な表情を浮かべて、リトリシアを見据える。


「今日、うちに来たのは、何も世間話をしに来たワケじゃないんじゃろ?? さっさと要件を言わんかい、剣聖。ワシも、弟子の稽古を見なければならないから、暇じゃないんじゃ」


「はい。では、さっそく本題に移らせて頂きます。実は・・・・聖騎士団の密偵部隊の話によると、蠍の奴隷商団(スコーピオニウス)の団員の姿が、近ごろ王都の中央街辺りで度々目撃されているようなのです」


「ほう?? アーノイックにボコボコにされてから、地下深くにずっと潜伏していたあの蠍の奴隷商団(スコーピオニウス)が、ねぇ。ふむ。良くない兆候じゃな」


「ええ。ですから、再び奴らを一掃するために・・・ハインライン殿の門下生である『剣王』クラスの剣士を、何名か私の元に派遣してはくださらないでしょうか?」


「なるほど、な。ジェネディクト・バルトシュタイン。本来であればあのレベルの強者を仕留めるなら、ワシとお主が出向かわなければならぬ事態なのじゃろうが・・・・歳には敵わんのう」


「ハインライン殿が隠居して久しいことは充分に理解しております。ですから、ご無理はなさらない方がよろしいかと」


「まったく、情けない話じゃて。まぁ、老ぼれの時代はとっくの昔に終わったからのう。仕方ないか」


 そう口にし、ハインラインは深くため息を吐く。


「あの蠍の奴隷商団(スコーピオニウス)首魁の討伐は、我が弟弟子が失敗した唯一の任務。そのミスのバックアップしてやるのも、兄弟子であるワシの責務じゃ。ワシの代わりに精鋭を派遣してやる。好きに使え」


「ありがとうございます」


「うむ。そうと決まれば【蒼炎剣】の強者共を紹介してやるとしよう。おい、てめぇら!!」


 


 こうして、本人の知らぬ間に、アーノイック・ブルシュトロームの愛弟子と彼の兄弟子は、邂逅を果たしていたのであった。


 彼らがよく知っている髭面の大男が、実はメイド少女としてこの世に転生していることなど、露知らずに。



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