地を這う闇狩人 ~シュヴァルツ・イェーガー~
書籍三巻の特典SSを修正したものになります
書籍六巻の外伝の一部としても再掲されています
あまねく大地を照らすはずの陽光が、日の当たるものの裏側に暗い影を生み出すように。
光あるところに、必ず闇はある。
それはどんな場所、どんな世界であっても例外はない。
戦場に潜む影、〈シャドウストーカー〉は、自分を、そして自分たちの組織のことを、そんな風に理解していた。
必要悪、などと都合のいい言葉に逃れるつもりはない。しかし、人が集まれば
――地を這い、影を渡り、生の輝きを切り取る忌まわしき狩人たち。
自分たち闇狩人が世間の人々からどのように呼ばれているか、シャドウストーカーも知らないわけではない。
だが、シャドウストーカーがそのような風評に心揺らされることはない。確かに、闇狩人たちの行いは悪かもしれない。確かに、闇狩人たちの存在に眉をひそめる者はいるかもしれない。
それでも、彼ら、彼女らをやっかむ声にはその実、一抹の憧憬が、拭い切れない羨望が混じっていることを、シャドウストーカーは本能的に悟っているのだ。
だから、シャドウストーカー、闇狩人〈影渡りの影〉は、今日も獲物を狙って影を走る。
「……そろそろ、か」
混沌とした戦場の中で、影、シャドウストーカーは感情のない声で呟いた。
影渡りの狩人が身にまとうのは、闇よりもなお昏い黒衣。
顔には目元までも隠す黒い布を巻き、その姿からは徹底して生身の人間の気配が消されている。
とはいえ、魔物と騎士、そして冒険者たちが入り乱れるこの戦場にあって、シャドウストーカーの黒い服装は逆に目立っているのだが、この闇狩人がこのような格好をするのには理由がある。
シャドウストーカー自身がこの黒尽くめの服装を好んでいるというのもあるが、一番の理由は『仕事』の際に身元がバレるのを防ぐためだ。
『仕事』に当たって自らの姿を余人に見られるような失態を犯すつもりはないが、念には念を入れる必要がある。
「……ちっ。左翼が崩れるのが、想像以上に遅い」
戦闘の気配に、黒の影は舌打ちと同時に右手で錆びた長剣を抜く。
迫りくるのは、魔物の軍勢。
しかし影が持つ武器は、このボロボロに劣化した剣のみ。
しかも、シャドウストーカーは左利き。利き手には何も武器を持っていないことになる。
これは、単純にシャドウストーカー自身の好みであり、こだわりだ。
多くの仲間が『仕事』に専用の道具を持っていくのに対して、この闇狩人は己が身一つで標的を捉える。
それこそが、この闇渡りの影の矜持なのだ。
「うぉおおおおお! 王女のためにぃいい!!」
「王女のためにぃいいい!!」
静かに佇む影の周りで、荒くれ者たちの怒号が響く。
この平野は現在、魔物と人間の戦争の舞台となっている。勇者アレクスが作りし千年京、王都リヒテル。
長い平和を謳歌したこの場所にも、ついに魔物の軍勢が押し寄せてきたのだ。
王都を中心に活動するシャドウストーカーも、当然の義務としてこの防衛に参加、魔物の迎撃に向かった。……と、表向きはそんな風になっている。
しかし、事実はそうではない。
黒衣の陰から覗くシャドウストーカーの目に、迫りくる魔物の軍勢は映っていない。
闇狩人が見つめるのは、それとは全く逆の方向。
全てが混沌としたこの戦場において、それでもなお全ての者の目を引き、周りと一線を画する華を有する存在。
今も騎士たちに守られ、ほかの誰もが手を出せない空の敵に対し、眩い雷光を放ち続ける、〈雷撃の姫〉。
そして、まるで蜜に群がる虫のように、多くの闇狩人が挑み、敗れていった、〈鉄壁の王女〉。
「――シェルミア・エル・リヒトッ!!」
それが闇狩人、シャドウストーカーの真の目的。今回の
周りは魔物の叫びと人間の怒号が飛び交う戦場。
誰もが目の前の敵に気を取られている。だが、そんな中だからこそ、『仕事』はやりやすい。
王都が襲撃を受けることはずっと前から分かっていた。
だから、シャドウストーカーは魔物の進路を予測し、使い得る限りの伝手を使って戦力を調整し、今の状況を作り上げた。
今、王女にはファイアドレイクが、ノックバック効果のある火炎弾を吐き出す魔物の一団が群がっている。
あとは左翼の軍勢が崩れ、押し寄せてきた魔物の集団に護衛の騎士が王女を守れなくなれば、シャドウストーカーの狩りに最適の状況が完成する。
……いや。本当に、
シャドウストーカーの戦闘力は、騎士のそれを凌駕する。
護衛の騎士をおびき出し、一人二人と減らしていって、最後に無防備となった王女を組み伏せ、目的を遂げればいいだけだ。
しかし、それは出来ない。
そんなものはもはや、狩りとは認められない。
世間からは無軌道で恥知らず、良識も自制心も持たない無法集団と思われている闇狩人たちだが、そこには外側からは決して窺い知れない、鉄の掟がある。
そして、彼ら全員が本能的に共有する誇りと信念がある。
彼らは無法者である以前に、人の、いや、生命の神秘を追求する求道者たちだ。
であればこそ、そこにはどうあっても避けて通れない、絶対的なルールが生まれるのだ。
「――いいか、シャドウストーカー。偶然にこそ、神は宿るのだ」
シャドウストーカーの敬愛する闇狩人たちの長は、こう語った。
「真に覇道を征く者は、その豪運で望む運命を引き寄せ、ただその場にいるだけで事を為す。これは我ら闇狩人の理想にして、一つの完成形だ。だが、それはいわば天の道。我ら凡人には到底手が届かない」
最も光り輝く、天上の道。その道を歩まんとする者を、シャドウストーカーはいまだ一人しか知らない。
「しかし、欲望に溺れるあまり狩人の矜持も忘れ、人としての理性を手放し、暴力で以て事を為さんとすれば、その者は外道に落ちる。彼らはもはや闇狩人とは呼べない。涎を垂らして獲物を襲う、魔物にも劣る畜生だ。だから我らは、その間を歩もう」
そして闇狩人の長は力強く、その言葉を、その心をシャドウストーカーに伝えたのだ。
「作為を以て、偶然を為す。矛盾しているが、そういうことだ。偶然を引き寄せるほどに特別ではなく、理性を手放せるほど無軌道にも成れない我らには、その中庸の道を歩むほか手段はない。たとえその道がどんなに険しく、厳しくとも。たとえその道の途上で、地を這い、影を舐め、泥をすすることになったとしても。我らは決して、歩みを止めないだろう。誰のためでもない、ただ自分のために。いつの日にか出逢う、至高の一瞬のために!」
……いつの日にか出逢う、至高の一瞬のために。
口の中で小さく呟いたシャドウストーカーは、事態が動いたことに気付いた。
「……来た!」
シャドウストーカーの調整通り、戦力に劣る左翼の戦線が崩壊し、王女とシャドウストーカーの下に魔物の軍勢が押し寄せてきたのだ。
結果、闇狩人の目論見通りに王女の護衛は地上の敵にかかりきりになり、王女はファイアドレイクたちと援護なしで戦うことになった。しかし、同時に闇狩人にとって、計算違いも起こっていた。
「敵の、数が……!」
想定よりも魔物の数が多い。
左翼を破った魔物たちはすぐには進まず、近くの戦線を援護して仲間を増やし、十分な数を確保してから攻めてきたのだ。
「このまま、だと……」
騎士たちはうまく王女に向かおうとする敵を受け止めているものの、彼らと魔物が壁になって王女の姿が見えない。
これではとても本懐を果たすことなど出来ない。
そして、歯噛みするシャドウストーカーの下にも魔物は容赦なく襲ってくる。
反射的に武器を構えようとして、シャドウストーカーは舌打ちした。
「くっ! 武器が……」
突き出した左手には、何の武器も握られていない。
右手にあるのも、殺傷能力などほとんどない、錆びた長剣だけ。
無関係の人間は傷つけないという、狩人の誓い。
それを遵守しようとした結果が、これだった。
己の矜持を貫いたことを後悔するつもりは毛頭ない。
しかしもはや、装備を切り替えているような暇はない。
そして、右手に握ったボロボロの長剣だけでは、魔物たちを切り伏せて道を開くことなど到底出来はしない。
押し寄せるのは、絶望。
シェルミア王女を前に無残に敗れ去った同胞たちの屍を幻視する。
そして、その屍の山に新たに、自らの骸が重なる姿も。
(……ここまで、か)
観念したシャドウストーカーは、両手をだらんと下ろし、目を閉じる。
視界は、深い闇に覆われる。
そこがお前の居場所だと、お前たち闇狩人には光差さぬ奈落こそがふさわしいのだと、そう言わんばかりに。
……しかし。
「――たとえその道がどんなに険しく、厳しくとも」
全てを諦め、全てを投げ出したシャドウストーカーの耳に、ある声がよみがえる。
「たとえその道の途上で、地を這い、影を舐め、泥をすすることになったとしても」
それは、全ての闇狩人が、そして、誰よりもシャドウストーカーが敬愛し、尊敬するあの厳しくも優しい声で。
「我らは決して、歩みを止めないだろう」
それは忘れてはいけないはずの言葉で、忘れてはいなかったはずの誓いで。
しかし本当は、その言葉の、誓いの意味を、自分は百分の一も理解していなかったと、気付いた。
「たい、ちょう……」
もし、この場にいるのが、あの隊長なら、ここで諦めただろうか。
もし、この場に立っているのが、あいつなら、シャドウストーカーがライバルと認めた、あいつなら……。
「……まだ、だ」
そうだ。
自分はまだ、何もしていない。
無様に地面を這いずって、泥にまみれて、影に口づけをして。
諦めるのなんて、それからでいいはずだ。
迷いは、晴れた。
シャドウストーカーは閉じていた目を見開き、俯かせていた顔を上げる。
視界に飛び込んでくるのは、二方向から同時に迫りくる、魔物たち。
「舐める、なぁぁ!」
先ほどまでの冷静な態度をかなぐり捨て、獣のように叫ぶ。
そして、右手の剣を構えると……。
「――あぁああああ!」
跳躍。
迫る敵の懐まで、逆に一足跳びで近付く。
我に返った魔物たちが武器を振る前に、右手の剣を一瞬だけ揺らめかせ、瞬時に別の方向へと跳躍する。
「まず、二匹」
背後に置いてきた魔物たちを振り返ることもせず、静かに呟く。
追撃なんて考えもしない。
なぜなら、
「影さえ、踏ませない」
抜かれた魔物たちが振り返る時にはもう、シャドウストーカーの姿はそこにはない。
新たな魔物の脇を抜け、さらに奥へと、戦場の混沌へと、足を踏み入れている。
驚異的な速度、驚異的な運動能力。
だがそれでもなお、王女の影も見えない。
いまだシャドウストーカーと王女の間には、優に五十を超える魔物が立ちふさがっている。
それは、絶望的な数字だ。
「たったの、五十匹」
しかし、闇狩人は揺るがない。
冷静に、冷徹に。魔物と騎士の間隙を縫うように、人としてありえない挙動で進んでいく。
これが、シャドウストーカーの名前の由来ともなった秘技。
この熟練の闇狩人であっても不本意ながら認めざるを得ない、一人の天性の狩人。
その動きを研究し、死にもの狂いで習得した、影渡りの歩法。
時に魔物の一撃を受け、時には騎士の剣をその身に受けながらも、シャドウストーカーは止まらない。
――死角から死角へ。
――間隙から間隙へ。
――影から影へ。
我が身を省みず、一瞬たりとも足を止めずに、前へ。
ひたすら前へ進んでいく。
「――これでぇっ!」
そして、とうとう最後の壁を抜ける。
あれほどの数の魔物も騎士も、闇狩人の速度が全て置き去りにした。
シャドウストーカーと王女を遮るものは、もはや何もない。
だが、その代償もまた大きかった。
闇狩人の吐き出す息は荒く、その姿はふらついている。
闇渡りの連続使用によるスタミナ切れだけではない。
シャドウストーカーの黒衣は隠密性を追求した装備で、防御力は雀の涙程度しかない。
ほんの短い間とはいえ、双方の攻撃が飛び交う戦場を無理矢理に駆け抜けたせいで、闇狩人は自身の体力のギリギリまでダメージを受けていた。
さしものシャドウストーカーの顔にも迷いが浮かんだ時、事態はさらなる展開を見せる。
王女と相対していたファイアドレイクの一匹が、大きくのけぞったのが見えたのだ。
それは、大きな威力とノックバックを伴う、大炎弾を撃つ前の動作。
一方の王女は、雷撃を撃った直後。
迎撃も回避も間に合わない。
「――まだっ!」
その瞬間、誰よりも早く漆黒の影が動く。
闇狩人の本能が、シャドウストーカーの強い想いが、その最後の跳躍を可能にしたのだ。
それはまるで、地を這い、影を渡るように。
シャドウストーカーは王女に向かってヘッドスライディングを決める。
「っく!!」
直後、視界を埋め尽くす大炎弾。
王女も闇狩人も区別なく襲うその一撃は、二人の身体を軽々と吹き飛ばす。
「……ぁ」
そうして、王女のドレスの裾が翻り、白い布が翻るのを目にした、次の瞬間……。
――シャドウストーカーは、死んだ。
「――ッ!!」
途端に視界を埋め尽くす、黒い画面とゲームオーバーの文字。すぐさまロードを行い、モノリスの近くに復活したシャドウストーカーは……。
「やたっ! やっ、たぁ!! 最後見えた! 絶対見えたっ!!」
その場をゴロゴロと転げまわり、大声で快哉を上げた。
「あー、でも、すぐ死んじゃったし、角度的にもちょっと微妙だったしなぁ。やっぱり視覚データ検証しないと確証が……」
と、思えばすぐに頭を抱えてうんうんと唸り出し、だがそれすらも長くは続かない。
「まぁ、いいか。とりあえずメールメール!」
数秒で気を取り直してメニュー画面を呼び出すと、
けれど、それは当然のこと。
成功失敗にかかわらず、成果物はみんなで共有。出し惜しみはなし。
――それもまた、彼ら闇狩人こと、動画投稿集団〈スカート覗き隊〉の鉄の掟なのだから。
「うっへへへー。これで今月こそ、Most Valuable Pantira《MVP》取れるかねー」
今日もまた、かけがえない生の輝きを映像に切り取ったシャドウストーカー。
その口元は、同じ輝きを求める同志との交流を思って緩んでいた。
こうして一つの狩りが終わり、その
しかし、シャドウストーカーの戦いは終わらない。
――この世に、
販促用にSS公開ですとか言ってたのに最新刊の宣伝忘れてました!
これたぶんあとで怒られるパターン!
猫耳猫最新七巻は1月30日に発売です!(amaz○n調べ)
失点回復のために必死の宣伝をしておくと、このスカート覗き隊は確か書籍二巻辺りの小ネタページで名前だけちょろっと出たのが初出で、次にこのSS、さらに四巻外伝にもちょろちょろっと出てきて、最終的に六巻外伝で九十ページの大ボリュームでその活動が描かれます!
つまりスカート覗き隊ファンは本を買うしかないというアリジゴク戦術!
どうだ!!