王女の短剣
書籍版第二巻(なろうでは五十六章辺り)の特典SSを書き直したものです
設定は書籍版に準じます……が、ぶっちゃけ大差ないので気にしなくて大丈夫です
「前提クエストクリア。祝日、午前六時二十分。リヒト王城南西、花壇付近。……これで条件は合ってるよな」
思わずつぶやいたその言葉は、俺が今プレイ中のゲーム、猫耳猫のあるイベントを発生させるための条件だ。
〈不可触の蒼姫〉〈花畑の姫君〉〈青き全自動の雷発生装置〉〈人形王女〉などと呼ばれる猫耳猫屈指の人気キャラクター、シェルミア王女。
レア中のレアイベントと言われた彼女のイベント発生条件が、ようやくネット掲示板で明らかにされたのだ。
それを目にした俺は、攻略情報は出来るだけ見ないという自らに課した禁を破り、過去最速の勢いで前提クエストをこなし、掲示板に書き込まれた場所に駆けつけた。だが残念ながら、そこに人影はなかった。
「情報だと、ここで彼女のイベントが始まるはずなんだが……」
もしかすると、時間を間違えているのだろうか。
そう思ってメニュー画面を開いて時間を確かめるが、現在時刻はゲーム内時間で六時二十分三秒。やはり間違いはない。
何か見落としたのかと、俺は周りを見渡して……。
「なっ――!!」
澄んだ蒼穹のごとき青い瞳に、うっすらと紅の差す形のよい唇。
瞳と同じ淡い水色の長い髪と、その上に燦然と輝くティアラは、彼女の整った顔立ちに一層の彩りを飾る。
また、その下の決して豊満とは言えない華奢な身体つきはしかし、彼女の持つ儚さや高貴さを否応なく強く意識させ、むしろその幻想的な美しさを際立たせる。
人が姫という言葉に抱く妄想、幻想がそのまま形になったような、可憐という言葉がこれほど似合う人間などいないだろうという、その姿。
そんな彼女が、あろうことか、俺の目の前にいて――
「何を、やっているん、ですか?」
――なぜか花壇に埋まり、胸から上だけをにょっきりと土から生やしていたのだ!
美人が台無しというレベルの話ではない。これで驚かない方がどうかしている。
「ち、違うのです! わ、わたしは決して、少しも怪しい者ではありません!」
かろうじて埋まっていない両手をバタバタと振り回し、怪しいという言葉の定義を覆しかねない主張をする。
「どうか、勘違いをなさらないでください。これには、深いわけがあるのです!」
悲壮とも言える彼女の訴えは、俺の心を打った。
それを認めたわけでもないだろうが、彼女は愁いを帯びた顔でちらりと上を見上げた。
その先を辿ると、見えたのは二階にある人が通り抜けられそうな大きな窓。
瞬間、俺の頭に一つの公式のようなものが浮かんだ。
窓から飛び降りる→真下の花壇に落ちる→勢い余って埋まる
いやでもまさか、と思って視線を戻すと、彼女は言った。
「あの、あそこから落ちたら、埋まってしまって……」
そのものズバリだった。ついでに言うと、これっぽっちも深くない理由だった。
実際のところ、ゲームでどんなに勢いよく落ちても地面にめり込んだりはしないはずなのだが、そういうイベントなのだろう。
俺が呆れた視線を向けると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめて、俺に向かって両手を伸ばした。
「あの、お話の前に、よろしければ引っ張ってくださいませんか? 抜けなくなってしまったのです」
どうしてこの子が人気があるのだろう。
俺は猫耳猫プレイヤーたちの嗜好に一抹の不安を抱きながら、彼女の身体を引き上げたのだった。
「ありがとうございました。あなたは、わたしの命の恩人です」
やはりイベントだからだろう。俺が引っ張ると、彼女は簡単に花壇から抜け出した。
これもやはりゲーム的ご都合主義で、身体や服に土や葉がついている様子もない。
俺に助けられたシェルミア王女は笑顔で俺に頭を下げた後、ふと思いついたように言った。
「そういえば、自己紹介をしていませんでしたね。わたしはシェル……あっ!」
言いかけたところで、自分の身分を明かすのはまずいと気付いたらしい。
そういうことはまず頭の上をティアラを何とかしてから考えるべきことだと思うのだが、彼女は本気で悩み出した。
「あ、あの、わたしの、名前は……」
しかしそれも数秒。彼女は突如として、何かとてつもない名案を思いついたというように目を輝かせた。
そして、その可憐な唇を嬉々として動かす。
「わたしは〈シェルミーア〉と言います! どうぞよろしくお願いします!」
それで誰かごまかせると思うなら、世の中なめすぎだからな?
そこからのイベントの流れは俺の想像していた通りだった。
彼女は身分を隠して街を回りたいらしく、俺に「街の案内をしてほしい」と頼んできた。
もちろん、俺に引き受けない理由などない。俺はすぐに、一応派生イベントがないか確かめるために十回ほど連続で断ってシェルミアを涙目にさせただけですぐに、その依頼を二つ返事で引き受けた。
「ひ、人が、たくさんいらっしゃいますね。こ、こんなに多くの人がいるなら、この国も安泰。よ、よいことです」
案内するなら活気のあるところだろうとまず広場に連れてきたのだが、シェルミーアは早速人出の多さに怖気づいているようだった。
怖々と俺の服の裾をつかみながら、よく分からない虚勢を張る。
一応お忍びで来ているという自覚はあるのか、シェルミア王女……もといシェルミーアは地味な給仕服のようなものを着ているが、こんな青髪で頭にティアラをつけている人を見ても誰も王女だと気付かない辺りが猫耳猫クオリティだ。
「こんなに人がいて、事故が起こったりしないのでしょうか?」
「わ、わ! あそこ、水が、水が下から噴き出していますよ!」
「ま、待ってください。生き急ぐのもあまりよくありませんよ」
「見切りました! ここは〈市場〉ですね? 合ってますか?」
このクエストには特に劇的なイベントが用意されているわけではない。
ただシェルミア王女を連れて街を回るだけなのだが、その作り込みはすごい。
通常のクエストと違ってこのクエストには決まったルートがなく、街の中であればどこでも、ほとんどどんな場所を回ってもシェルミア王女がそれに即した反応をしてくれるのだ。
ネットでそんな話を聞いた時は労力の無駄遣いだと思ったが、実際に街を回ってみると、彼女が色々とコメントしてくれるだけで俺も何だか新鮮に街を楽しめた。
このクエストだけを何十周もやり直しているプレイヤーがいるという話も、今ならうなずけてしまう。
「じゃあ、次はここに行こうか」
「むっ! ここは、武器のお店、ですね?」
試しにどう考えても彼女の興味のなさそうな場所に連れていったらどうなるのだろうと思ったのだが、その守備範囲の広さは想像以上だった。
王女が興味を持ちそうにない場所、ということで武器屋を選んだのだが、彼女はとたとたとたと店に駆け込むと、
「知っていますか、ソーマ様! これは、槍、と言って、遠くの敵や枝を攻撃するために棒の先にナイフをつけた画期的な道具なんです。お城の兵士さんがよく持っています」
凄い勢いで、自慢げに何やら語り始めた。
実に楽しそうだ。
「棒の先にナイフをつけるなんて、誰が思いついたんでしょうね。これは、天才の所業と言わざるを得ないと思います」
その後もちょこちょこと移動しては壁に並んだ武器を眺める彼女を見て、俺は頭をかいた。
(……参ったな)
最初は、こんなキャラクターに人気が集まるなんて理解に苦しむと考えていた。
だが、街を案内し始めてからの短い時間で、その考えは変わりつつある。なんだかんだで彼女のことを好ましく思っている自分に気付く。
ほかのことを考えようとしても、どうしても楽しげに街を行く彼女を目で追ってしまい、そこから目が離せなくなるのだ。
(俺も、すっかり彼女の魅力にやられちゃったってことか)
一人で苦笑して、せめてもの抵抗とばかりに意識して彼女から視線を外して、店の商品に目をやる。
すると、
「な、なんだこれ!」
掘り出し物の場所にとんでもない武器を見つけた。
「〈防衛者の懐刀〉! 二百万Eってこんなの買う奴いるのかよ!」
だが、メニューから性能を見てみると、装備すると攻撃力だけでなく物理防御力まで大きくあがり、トドメとして被ダメージ二割カットの特殊効果がついている。
「すげえな、これ! 欲しい、欲しいけど、流石に二百万は全く手が出ない!」
下手な盾を装備するよりもずっとよさそうだ。
これが一期一会の掘り出しものでさえなければ、お金を貯めて、後で絶対に買うのだが。
「あー、ちきしょー! これがもうちょっと後に出てきてくれればなぁ!」
思わぬ高性能武器との邂逅に俺が一人で騒いでいると、
――ちょん、ちょん。
腕の先を誰かにつつかれた。
「……ん?」
振り向くと、そこにいたのは少しだけ頬をふくらませたシェルミア王女。
「わ、わたしから目を離すと大変なことになるかもしれませんよ。わたし、迷子になっちゃうかもしれませんし!」
下手すぎる脅し文句だったが、放っておかれて寂しかったのは十分に伝わってきた。
完全に存在を忘れていたことを反省して、俺は素直に彼女に謝ったのだった。
なんてことも二、三回ほどありつつも、俺たちは楽しく街を回り、大いに笑って大いに騒いで、なんとなく城の近くまで戻ってきた時、
「――あ!」
突然王女が立ち止まった。その視線の先にあったのは……。
「八百屋?」
野菜や果物を店頭に並べている、普通の八百屋だった。
特に王女の興味を引くような店ではないと思ったが、この王女にはそれは当てはまらないのだろう。
「あれって果物ですよね! あんなにたくさん……! すごい! むき出しで売っているんですね!!」
実際、目を爛々と輝かせ、八百屋の店頭に食いつくようにして果物を眺めている。
「何か、好きなものがあるのか?」
「え? ええと、好きかは分からないですけど、あそこの赤い奴が気になります!」
「赤い奴? ああ、リンゴね。おばちゃん、リンゴ一つ!」
イベント的に考えて、ここは彼女に何か買ってあげるのが正解だろう。
俺は素早くリンゴを一個買うと、それを彼女に手渡した。
「ほら、どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
彼女は喜色満面で頭を下げたが、すぐに固まってしまった。
「ど、どうやって食べるんでしょう?」
「それは、そのままかじりつけばいいんだよ」
お姫様イベントのテンプレっぽい会話をすると、我らがお姫様は元気よくうなずいた。
そして今度こそ、勇気を振り絞ったような顔でリンゴにかじりつこうとして、
「……あっ!」
また止まった。
自分の手元と俺の方を何度も見比べて、おずおずと尋ねてきた。
「あ、あの……半分こ、しませんか?」
どうやら、自分だけがリンゴを食べることに申し訳なさを感じているらしい。
「いや、俺はもう食べたからいいよ」
俺が苦笑して首を振ると、王女はやっと安心した顔をして、えいっとばかりにリンゴにかじりついた。
「……おいしい、です」
呆然とそうつぶやいたかと思うと、二口、三口と勢いよく食べ始めた。木の実を食べるリスのような必死さで、小さな口で一生懸命に果物を削っていく。
「ごちそうさまでした」
流石に芯を食べてはいけない程度の常識は持っていたのか、ヘタと芯だけを残してリンゴを食べ終えると、彼女は俺にもう一度、ペコリと頭を下げた。
リンゴの芯を捨ててからも名残惜しいのか、汁のついた指をちろちろと舐めて、それを俺に見られているのに気付いて真っ赤になって……。
――ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
そんな時、昼の十二時。正午を告げる鐘の音が街に鳴り響く。
「……あ」
弾むようだった彼女の足取りが止まる。まるで夢から覚めたような顔をして、街の中心、そびえたつ城を見上げる。
そうしてきっかり十二回目の鐘を聞き終えると、彼女は俺を振り返った。
「魔法が、解ける時間が来てしまいましたね」
それは、今日一度も見たことのない表情。呆れてしまうほど無防備で、けれど終始明るかった彼女が、今は思わず目を疑うほどに、寂しげな顔をしていた。
「最後に、もう一ヶ所だけ付き合ってください。それで、わたしの依頼は終わりです」
静かに先に立って歩き出す彼女を、俺は無言で追いかけるしかなかった。
俺たちが最後にやってきたのは、俺と彼女が出会った、城の花壇だった。
「不思議ですね。ほんの数時間前のことのはずなのに、随分と昔のことのように思えます。朝、ここで会う前は、あなたと知り合いですらなかったなんて、信じられません」
彼女はかつての自分の開けた穴を愛しげに見つめると、あらためて俺に向き直った。
「……今まで、騙していて申し訳ありません。わたしの名前はシェルミーアではありません。実はわたしは……この国の王女、シェルミア・エル・リヒトなのです!」
ドドーン、と効果音のつきそうな口調で告白された。「うん、知ってた」とは言えなかったので、俺は無言でうなずいた。
「城の外、この街で暮らす人々の生活を、どうしても一度、この身で味わってみたかったのです。おかげで、長年の夢が叶いました」
そう言って、彼女は笑う。だが切なく歪んだその顔は、とても夢が叶った人間の浮かべるものには見えなかった。
「本当は、もっと早くに城に戻るつもりだったのです。けれど、ソーマ様との時間があまりにも楽しすぎて、つい、時間を忘れてしまいました。ソーマ様は、時間泥棒ですね」
彼女は悪戯っぽく笑ったが、その目の端に涙が浮かんでいるのを、俺は見てしまった。
それでも彼女は笑顔で涙を振り切ると、気丈にその先を続けた。
「だけどもうおしまい。時間切れです。お城の人たちが騒ぎ出す前に、わたしは帰らなくてはいけません」
言葉と共に、彼女は視線を横にずらす。そこには城の通用門がある。その扉をくぐれば、彼女の休日は終わる。彼女は王女に戻り、一介の冒険者では話すことも出来ない存在になるだろう。
「ですから、その前に……」
彼女は自分の指にはまっていた黄金の指輪を外すと、祈るように両手に握りしめ、それから少し照れた仕種でそこに口づけをしてから、俺に差し出した。
「今日の、心ばかりのお礼です。高価である以外特に特別な力はありませんが、わたしが子供の頃からずっとつけていたものです」
俺の手に、指輪が押しつけられる。温度を感じられないゲームの中のはずなのに、指輪の冷たさが手のひらに染み込んでくる気がした。
「十数年間わたしを見守ってくれたこの指輪に、今度はあなたを守ってくれるように願いをかけました。あなたの隣にいることの出来ないわたしの代わりに、せめてこの指輪があなたの力になってくれますよう、祈っています」
そう言って、彼女は未練を振り切るように俺から距離を取る。
「わたしは毎日、午後の五時頃に部屋のテラスに出ます。ですから……」
ですから、どうしろと言うのか。
彼女は言葉を探して、結局思いつけずに首を振った。
涙のにじむ瞳で、最後の言葉を口にする。
「さよならは、言いません。絶対、絶対に、また会いましょう!」
そう言い残し、彼女は城へと駆け出していった。
俺は、その背中を見送った。ずっと、彼女の姿が見えなくなっても、ずっと。
「……絶対に、また会いましょう、か」
彼女の別れ際の言葉を口の中で繰り返す。
だが、俺は知っていた。その再会の約束が、決して果たされはしないということを。
このクエストがレアイベントとされているのは、その発生条件の難解さだけではなく、これ以外に王女関連のまともなイベントが何もないからだ。
つまり、彼女のイベントはこれで全て終わり。この続きは存在せず、俺と彼女がまた会うことは二度とない。
……それが分かっていながら、その時間、俺の足は自然と広場に、王城を眺められる広場に向かっていた。
――ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン。
午後五時を報せる鐘が鳴る。同時に王城のテラスに人影が現われる。
陽光に透き通る青い髪、可憐な立ち姿。数時間前に別れたばかりのシェルミア王女。
「シェル、ミア!」
口から、無意識に声が、叫びが漏れる。
その言葉が耳に届いたかのように、彼女は眼下を、俺のいる広場を見て……。
「……そりゃあ、そうだよな」
その、無感動で、何の色も映していないその目に、俺は悟ってしまった。
彼女の瞳には俺の姿など映っていないし、たとえ俺を目にしたとしても、そこには何の意味もないことを。
そもそも、〈シェルミア王女〉なんて人間は、いや、そんな人格はこの世に存在しない。
昼間の彼女は、人工知能、疑似人格ですらない。普段の彼女のAIは、今のように無口無反応だと少し前に広まった動画で明らかにされている。
俺が話したあの表情豊かで感動屋のシェルミーアは、猫耳猫のスタッフがイベント用に設定した質疑応答集。言葉にしてしまえばそんなものだ。
――だから。
俺が今からする行動は無意味な感傷なんだろう。
だが、それが俺の心に何かを残すなら、それが〈シェルミア王女〉という幻想に届くと信じられるなら、それは俺にとってだけは意味があった。
「見えるか、シェルミア」
俺はシェルミア王女に、俺に大切な指輪を託した幻想の存在に、俺の心の中だけにしかいない、けれど、俺の心にだけは確かにいる存在に、声をかける。
「もう二度と、君と話をすることはないけれど。だけど、君の想いは受け取った」
本人の言葉通り、彼女がくれた〈王家の指輪〉には何の特殊効果もなく、防御力もたったの一しかなかった。
それでも、俺は落胆しなかった。
その指輪に期待していたのは、そんなものではなかったから。
指輪自体の性能なんて、俺にとってはオマケ以下のものでしかなかったから。
「だから、安心してほしい」
高々と、左手を掲げる。
頭上のテラスにいる少女にも、俺の左手が、何より左手の装備がはっきりと見えるように。
感傷と知りつつも、独りよがりだと理解しつつも、それが無意味ではないと信じて。
「……ありがとう。君の想いは、確かに俺を守っている」
そうして天へ、はるか高みから俺を見下ろす彼女に届くよう、高く高く掲げられたその左手には、彼女の想いの結晶が、彼女が渡してくれた王家の指輪……を売り払って手に入れた〈防衛者の懐刀〉が、堂々たる煌めきを放っていたのだった。
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