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第98話 相手がどんな相手か分からない時って怖いですよね

 燃える焚火を見ながら、新領地の事を考える。

 官僚団の承認後でも村の建設まで半年以上、一年はかかるかもしれない。

 それまでの間、どう動くべきか……。8等級には上がりたい。護衛は危険の割に稼ぎは良い。


 ただ、神様も言っていたが対人の場合は殺人を犯すかもしれない。想像してぞっとした。

 だが、冷静な自分が囁く部分も有る。あれだけのゴブリンを殺していて、今更何を?と。


 面には出さないが、PTSDに近いだろうものは感じる。無感情に二足歩行の生き物を殺し続けられる訳が無い。

 そこは、腹を括ったと言っても、澱のように何かが溜まっていく。


 サラリーマンの考える事じゃ無いなと苦笑する。

 と、リズが気づいたのか睨んでくる。


「ヒロ!また、あの顔してる」


「いやいや、ちょっと考え事をして、難しいなと思っただけだから」


「言い訳!きちんと吐き出しなさいって前に言ったよね?」


 こうやってパーティーで行動している際は、あまり感情を出さないリズが怒っている。

 あぁ、また心配かけたか。反省しても懲りないなと我が事ながら呆れてしまった。


「最近、ゴブリンとか、生き物を殺す機会が増えたよね?元々ほとんど生き物を殺す生活をしていなかったから、少し疲れたなって、そう思っただけ」


 そう言った途端リズが立ちあがり、私の首根っこを掴んで奥が見えない木陰へと引っ張っていく。皆には待っててと叫んでいた。


 木陰に入った瞬間、睨んだままの表情で、頭をぎゅっと抱きしめられた。


「あのね、ヒロ。普通に生きている人は生き物を殺す機会はそんなに無いの。私だって猟師の娘だから、糧だからって納得して慣れて行ったの」


 そのまま腕を解かれる。今度は首元を抱しめられ、頬と頬が触れ合う。耳元でリズが囁く。


「慣れるなんて、時間がかかるの。今、ヒロが一人で無理をしなくて良いの。辛いなら辛いって言ってくれないと……。私じゃ足りない?」


 言葉の一音一音に腰の辺りがぞくぞくしてしまった。こう言う時に女の子はずるいなと思う。


「足りない訳無いよ。ごめんね、リズ。心配かけて。辛い時は辛いって言うよ」


「本当に?」


「本当に」


 そう言うと、そのまま首を解放され、頬が離れる瞬間そのまま頬にキスされた。ツンとつつくような軽いキス。


「えへへ」


 目の前には、にっこりと笑ったリズがいた。何も解決はしていないが、心の何処かの重い何かは少しだけ軽くなった。

 うん、女って凄いな。こんな風に他人の事を考えているのか。そう思うと、リズの事がもっと愛おしく、誇らしくなった。


「さぁ、戻ろうか、皆心配しているよ」


 そう声をかけて、焚火の元に戻る。皆は気を使ってくれたのか、談笑中だった。

 焚火もかなり下火になり、ほとんど消えそうだった。


「そろそろ食休みも終わりと言う事で。先に進もうか?」


 皆に声をかけて、準備を始める。火の気に関しては砂をかけて消火したのを確認する。

 周りを見ても準備は万端。


「ロット、先導お願い。方針は変わらず。熊のテリトリーを探索して」


 そう声をかけて、先に進む。


 移動中、所定の獲物を数に任せて乱獲気味に狩り、今まで到達した事が無い奥地まで着いた。

 厳密には、ディード達に連れていかれたのはもっと奥だが、カウントはしない。自力でここまでたどり着いたのだから。

 目印を刻む頻度を密にして、ロットの背中を追う。


 しばし歩いたと思ったら、ロットが右手を挙げて皆を止める。


「熊の足跡です。大分新しい……。昨日……は無いですね。今日の物と思います」


 指差された場所には、大きな足跡が残っていた。前に狩った熊の足を思い出したが、それよりも足跡の方が大きい。

 前の熊でも2.5m近い大きさだった。足のサイズを考えればもっとか。そんなの相手に、また牽制かと思うと、少し切なくなった。

 ロットが熊の進んでいる方向を確認し、先導する。


 どんどんと森の奥に進んで行く。魔素の濃さでも方位磁石でもそれが確認出来た。


 微かな痕跡は、進むにつれはっきりとしたものに変わって来た。


「大分近づいています。『警戒』の範囲にはいませんが、風下がこっちです。先制は出来るでしょうが、魔術はどうします?」


「今回も私の魔術は危険と判断するまでは無し。牽制に徹するよ」


 そう答えると、チャットを除く皆が頷く。


「私の魔術、ちょっと特殊で。威力が強すぎて、訓練にならないんだ」


「あぁ!そうなんや。英雄はんでしたもんねぇ。ほな、魔術はうちに任して下さい」 


 チャットが気合を入れる。


 ロットは集中し、熊の後を追っていく。完全に森の奥側に向かっている。奥側の探索は願ったりだが、このまま深追いしても良いのかと言う疑問も湧いてくる。

 まだ、奥と言っても浅い。そう気合を入れ直し、『警戒』を立ち上げっぱなしにする。熊と戦っている時に邪魔が入るときつい。潰せるものは先に潰しておく。


 周囲に敵の気配は無い。そのままロットについて行く。移動の跡はもう素人目にも分かる。大型の動物が移動した痕跡だ。

 こんな時だが、本職の斥候ってやっぱり凄いなと思った。あんな小さな痕跡から憶測して探し出すんだから。

 そんな事を思考の端で思いながら進んでいると、ロットが小さな声で囁いた。


「『警戒』の範囲に入りました。対象と思います。このまま近づきます」


 ロットの『警戒』の範囲は500m以上は有る。『警戒』は1.00を超えてから一気に範囲が広がる。私だと、100mにも届かない。集中して80m程度だ。

 極力音を立てないように気をつけ、風下に回り込みながら進む。周囲に他の獲物はいない。


 その時だった。チャットが驚いたようにビクっとして、囁く。


「罠が有ります」


 全員が一旦静止する。チャットが静かに、前方に移動して行き、木を指さす。

 近づいてみると、植物で編んだ紐と木のしなりを利用した小規模のくくり罠だ。対象は小動物だろう。

 問題は、こんな場所に罠を仕掛ける猟師が人間にはいないだろう事だ。


「今考えられる可能性としては、オークっぽいね……」


 人間の可能性は極めて低い。ゴブリンでも無い。そうなると、今のこの森で罠を仕掛けそうなのはオークしかいない。

 『認識』で罠の設置時期を確認する。2日程前だ。猟の範囲にもよるが、何時遭遇してもおかしくは無い。


「ロット、オークと遭遇した事は有る?」


「無いです。『警戒』の範囲に正体不明な者が入ったら、警告します。ただ、熊を追っている間はそちらに集中しますので難しいです」


 先制を受けるのは馬鹿らしい。取り敢えず私が『警戒』担当をして周囲の確認はする。それで、相手に先手を取られる事は無いはずだ。

 問題が有るとしたら、『警戒』なのだが、『隠身』を発動されると、対象から外れる。


 スキルの習熟度に差が有れば別なのだが。ロットの『警戒』に私の『隠身』で対抗すると、それなりに離れると私を感じられなくなるようだ。

 『隠身』の方がスキルの効果としては比較的上位の扱いとなるようだ。相手が猟を生業にしている相手ならば、『隠身』が生えている可能性は考えられる。

 ただ少しでも救いが有るとしたら、『隠身』は隠れると意識しないと発動しない事だ。だが、猟の最中なら、隠れて行動していてもおかしくは無い。

 正直、相手の正体が分からない状態がストレスだ。どこまでの力が有るのか想像も出来ない。相手を評価し過ぎているのかもしれないが、油断するよりは良い。


 引く事も考えたが、どちらにせよ何時かは通る道だ。それが早まっただけの事だ。

 準備不足で対応なんて、社会に出れば日常茶飯事だ。よし、決めた。


「相手の正体が分からないけど、そこは一旦気にしない。そいつの分の『警戒』は私が担当する。リズとフィアさんも念の為にお願い」


 2人が頷く。


「熊に遭遇してしまえばロットの『警戒』で最低限の先制は防げるだろう。問題は弓相手だけど、森の中で射線を通すのは至難なのである程度は接近して来ると思う」


 皆の反応を確認する。


「ある意味、何の情報も無い相手だ。皆で集中して周囲の警戒を密にしよう。ロットは遭遇後を頼む」


 ロットが頷く。

 注意を払いながら、熊に接近して行く。

 ある程度近づけば、私の『警戒』にも反応した。もう、目と鼻の先だ。


 荷車は大分手前の藪に突っ込んでいる。


 気配を殺し、ある程度立ち回りが可能な開けた場所に陣取る。

 ロットが釣りに走る。

 方向を確認しながら、4人が隊列を調整する。


 隊列は私とチャットが牽制、リズとフィアが後脚を狙う、前回と同じパターンだ。

 少し経つと、喧騒が徐々に近づいて来る。


「リズ、フィアさん、始めの牽制をお願い」


 そい言いながら待っていると、前方の藪をロットが突っ切って来る。


「背後、来ます」


 その叫びに合わせて、リズとフィアが動く。

 藪を突き破り、熊が現れる。その瞬間を狙って、2人が交互に盾で鼻を殴る。

 怯んだのを確認して一気に後退していく。


 私は、そのまま槍で熊の鼻先を小刻みに狙い、突きを繰り返す。

 熊が咆哮を上げながら、突っ込んで来ようとするのを、斜め後ろにホバーで一気に下がる。これで陣内に追い込んだ。

 中央付近に来たと思った瞬間、斜め後ろからチャットの風魔術が飛んで行き、熊の前脚から腹の部分が一瞬浮く。


 そのまま勢いが無くなった熊の眼前で、槍の牽制を必死に続ける。

 ロットは『警戒』に集中して、牽制は無し。ただ、チャットの風魔術のノックバックがかなり大きな効果を上げている。


 リズとフィアは、執拗に注意しながらも後脚を狙う。

 熊が嫌がってか、鳴き声を上げながら、背後に前脚を振るうが、2人とも器用にいなしている。


 しかし、大きい。前回の熊が2m半程度だったが、もう3m近い。体感的には前回より一回りは大きい。本当に怖い。

 

 槍の牽制から、突進の兆候が見えたら、一気にホバーで斜め後ろに後退する。また、突進の際には後ろの2人が攻撃のチャンスと殴って、切っている。


 それに怯まず突進しようとしても、チャットの風魔術でノックバックされて突進が殺される。


 立ち上がって前脚を振り回そうとするが、立ち上がりの兆候が見えた段階で周囲の人間は大きく後退している。

 周りを見回し、獲物がいない事を確認するとまた四つん這いになる。その瞬間を狙って、後方の2人は攻撃を繰り出している。


 前衛2人に注意が向かないように、執拗に鼻先を狙い槍を突き続ける。ただ、体勢は崩さないように細心の注意はしている。


 前回よりもかなり長い時間が流れた。熊のタフネスも無尽蔵と思えるほどに、動き回って来る。

 その時、悲鳴のような鳴き声が聞こえた。フィアの斬撃が筋か筋肉を傷つけたらしい。一気に足が動かなくなるほどではないが、動きに精彩を欠くようになった。


 後は油断しないように、今までの行為を続けるだけだ。兎に角注意を私に向けさせて、前衛が足を殺す。チャットがいるので、突進の頻度は皆無に近い。

 今回は関節に上手く当たらないのか、リズとフィアが場所を交代して、リズが傷の拡大を、フィアが新たな傷を作る事に専念していた。


 熊側も、必死で前脚を振り回すが、ここまで来ると余程油断しない限り当たらない。

 ただ、偶然は有り、注意していたが、槍を絡み取られ飛ばされそうにはなった。

 その時に体勢も大きく崩され、あわやと思ったが、チャットが牽制で風魔術を叩き込んでくれて事なきを得た。あの子も良く見ている。


 堪えきれない様子で、悲鳴のような鳴き声を上げる。フィアの方を向くと、頷き返してきた。後脚が死んだ。


「もう動けない、槍で止めを刺す」


 怪我はしたくないので集中して、首元を槍で狙う。熊も前脚で応戦して来るがリーチが違うので、影響は無い。

 徐々に首元の傷が増え、出血量が増えて来ると動きも緩慢になって来る。流石にもう大丈夫だろうと、太い血管が通っている辺りを深く差して抉る。

 そのまま槍を抜くと、凄い勢いで血が噴き出し、驚いた。もっと穏やかにダクダクと流れてくれると思っていたが、まだまだ体の大きさ的に血液に余裕は有ったのか。


 最後に暴れ回られるのが怖いので、死んだだろう事は確認しつつ、万が一を考えて遠巻きに囲む。


「ロット、水場は周辺に有った?」


「はい。沢の上流になると思われる川が有りました。ただ、それなりには移動します」


 ふぅ、この大物を持って移動とか、無理だな。最低限血抜きだけでもしたい。

 皆でその辺りから石を探してきて、積んでいく。木の傾斜と石積みを利用して、熊を逆立ちさせる。前回もやったけど、今回はもっと酷い。重い、こいつ。

 そのまま、なんとか固定して、リズに血抜きをお願いする。


「ロット、気配は?」


「熊と遭遇後は気配を広げていましたが、範囲に感じる事はありませんでした」


 来ていないか、『隠身』か。疑心暗鬼もきついな。


「大変だけど、『警戒』を続けてもらって良いかな?」


「勿論です」


 そう言うと、周囲の警戒に戻って行った。


 さて、一旦は一段落かなと思った瞬間、腰が抜けた。やっぱり熊の相手なんて、怖すぎだわ。

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