巡り巡って4回目に聞く昔の話

作者: 高杉なつる

 空は快晴で、小さな雲がゆっくりと風に流れていく。周囲の植物たちは鮮やかな緑色の葉を揺らし、色とりどりの花を咲かせている。


 まさにガーデンパーティー日和だ。


 国の東端にある小さな領地を持つバーソン男爵家の令嬢、それが私セシル・バーソン。


 今日は王家が主催するガーデンパーティー、年頃(十五~十八歳くらい)の令嬢、令息を集めても交流会……というか集団お見合いが開催されている。


 メインは王家に三人いる王子のお相手探し。


 庭園の南側では今頃王子の妃を巡って、高位貴族のご令嬢たちが熾烈な戦いを繰り広げていることだろう。同時に婿を迎えたいご令嬢の隣を巡って、令息たちも戦っているはずだ。


 対して私のいる北側は落ち着いたもので、すでに婚約者がいる人や王子や高位貴族のご令嬢ご令息はちょっと……という変わり者がいるだけ。穏やかな庭園で美味しいお茶と軽食、お菓子を楽しむ者ばかり。


 男爵という爵位を持つ貴族とはいえど、我がバーソン家はどちらかといえば村長といった雰囲気に近い田舎貴族。私はその田舎貴族の跡取り娘。婿には煌びやかな青年よりも、一緒に羊や牛の管理をして、羊毛や乳製品作りと加工を手伝い、売上げに貢献してくれる方を希望。


 どっちかと言えば、貴族じゃない方がいい。健康で体力と力のある農家か畜産家の次男三男が理想的。というわけで、私がここにいる理由は王家からの招待をお断りなんて出来ない、という理由でだけ。


 余所行きのドレスでお洒落をして、王城という都会の空気と雰囲気を堪能し、美味しいお茶とお菓子に舌鼓を打つ、というイベントでしかない。


 それに、王族だの高位貴族だのイケメンだの、そんなのはまっぴらごめんなのだ。



 私には過去三回分の人生を送った記憶がある。前世の記憶を持った生まれ変わり、というやつね。


 前世の記憶を持って産まれ代わるとか、普通は今の自分が産まれる前に送った人生の記憶でしょうに、なぜか私は三人分の記憶を一気に持って生まれ変わってしまった。


 前世での記憶の人数が多い分、一人当たりの記憶や感情はダイジェスト気味だ。そういう人生を送った女性の物語を知っている、そのくらい。だから、過去にことを恨んだり悔んだりはしていない。ただ、貴族の美しいご令息との結婚が「ないな」と思うくらいだ。


 もしも、過去三回分の人生の濃密な記憶と感情を覚えていたら、おかしくなってしまっただろうから……その辺は助かっている。


  *


 一度目の人生は中世ヨーロッパのような世界で、私は王女として生まれた。


 私の生まれた国は隣接する隣の国と長い時間戦争としていたのだけれど、私が十五歳になる頃に休戦に至り、その一年後に平和条約のひとつとして、隣国の第一王子様と私の結婚が決められたのだ。私は十六歳になっていた。


 王女に生まれた責務として、結婚は国によって決められたこと。私はまず隣国へ留学することになった。同じ年の王子や貴族の令嬢令息たちと学園で交流しながら、隣国の文化や伝統、歴史などを学び、同時に王妃教育を受けることと決められた。


 隣国の王宮で初めて王子と顔を合わせたとき、私は確かに恋をした。


 金髪に菫色の瞳を持った美少年が自分の結婚相手だと紹介され、絵本の中から飛び出して来たかのような彼に一目惚れをしたのだ。


 でも、私の一目惚れは「おまえなど絶対に認めない! おまえは敵なんだっ! この真っ黒女っ」と大声で罵倒されたことで終わった。一時間にも満たない短い初恋……恋から失恋まで最短記録だ。未だこの記録は破られることなく頂点に君臨している。いらない記録だ。


 後から知ったことだけれど、王子は自国の男爵令嬢と相思相愛の関係にあった。物語や演劇の中に出て来る、運命の愛だの真実の恋だのというやつ。


 きっと常識を持ち合わせた周囲の人間からは「適切な関係で」とか「距離感がおかしい」って注意をされていたと思う。そう言われれば言われるほど燃え上がっていたんだろうと想像する。障害のある恋って燃えるっていうじゃない?


 そんな恋の炎が激しく燃え上がっている中、つい最近まで戦争をしていた敵国の王女である私が、愛し合うふたりの関係を裂くようにやって来たわけ。


 王子様は金髪に菫色の瞳を持ったイケメンで、恋人である男爵令嬢はストロベリーブロンドの髪に水色の瞳っていうお人形のように可愛らしいご令嬢。確かに、二人が並んだ姿は本当に絵になる美しさだった。


 対する私は真っすぐの黒髪に黒に近い紺色の瞳っていう、明るい印象のない色合い(王子が真っ黒女といった理由はここにある)で……今思えばザ・悪役って感じのするちょっとキツい印象の顔立ちでもあった。


 そんな私が王子に受け入れられるわけもなく、ギスギスとした雰囲気は学園中に広がった。


 私が隣国の学園に留学して半年、私は学園の裏庭へ件の男爵令嬢様に呼び出さた。その場で彼女から意味不明な文句の嵐を浴びせられた挙げ句、裏庭に設置されていた井戸へ落とされた。


 当然、誰も助けてくれるわけもなく力尽きた私は、冷たい井戸の底に沈んで死んだのだ。


 その後、王子と男爵令嬢がどうなったのかは知らないし、あの国がどうなったのかも知らない。


  *


 二度目の人生は同じ中世ヨーロッパのような世界だったけれど、一度目と違っていたのは魔法のある世界だったことだ。


 私はその国の公爵令嬢として生まれて、生まれた瞬間から自国の第二王子様の婚約者だった。


 魔力はそこそこあって、高位貴族の令嬢で生まれた時から未来の王子妃として育てられた私は理想的な令嬢に育っていたし、第二王子との仲も悪くはなかったと思う。


 私にとって第二王子殿下は淡い初恋相手であったし、長い間一緒にいれば情も湧く。


 けれどある日、巨大な瘴気が国のあちこちを多い、疫病が流行り、農作物を枯らし、家畜を死なせ始めた。


 その瘴気を払う為に、異世界から聖女様が召喚される。


 異世界からやって来た聖女様というのは、黒くて長い髪に黒い瞳、気さくで表情のくるくる変わる愛らしいお嬢さんで、魔力の量は膨大。


 王子も周囲のご令息たちもみんな彼女に夢中になった。彼女は基本的に勤勉だったらしく、瘴気をどんどん払っていき、瘴気が無くなれば疫病が治まり、農作物も復活した。


 聖女様の活躍で国は平和で穏やかさが戻ったのだ。王族も貴族も平民も関係なく、国民全員が聖女様に感謝し、慕うのは当然だろう。


 年の近い第二王子と縁を結んでは、と周囲が言い出すのは自然なことで……私との婚約はあっという間に解消された。十七年も婚約して、国の為、王子の為にと勉強させられ続けていたというのに。


 そして、そんな聖女様を羨んで虐めただの、殺そうとしただのと身に全く覚えのない噂が事実としてまかり通るようになった。誰にどう説明してもわかって貰えず、元婚約者の第二王子までも私に対してなにも言わないまま(無実を信じて貰えなかったのだろう)で……私の想いは砕けて消えた。


 一つも事実ではない罪を着せられ、こちらの話しは全く聞き入れられず、聖女の護衛騎士にその場で突然斬って捨てられた。


 その後、王子と聖女がどうなったのか、無実の令嬢をいきなり斬って捨てた騎士がどうなったかは知らない。


  *


 三度目の人生は近代社会、日本に生まれた。父は地元密着の飲食チェーン店の二代目社長で、私は社長令嬢という立場だった。


 小学校から私立の学校に通い、高校は地元の私立女子校に通っていて、大学も地元にあるところへ進学する予定の女子高生。


 私には父の友人の息子、という知り合いがいた。ひとつ年上で小学校から中学校までは同じで、高校は有名進学校に通っていたはずだ。幼馴染みっぽいとは言っても、小中では学年が違うのであまり関係がなかったし、高校になってからは学校が違うのでさらに疎遠になった。


 年に数回、双方の家族が集まって食事をするという食事会の場で一緒にご飯を食べる……それだけの関係だった。それでも、まあ、顔を合わせれば普通に話しをしたし、話しが盛り上がって楽しい時間を過ごせる相手として認識していたとは思う。


 恋っていう感情に育つずっとずっと前の感情、みたいな感じ。もっと頻繁に顔を合わせていたら、気持ちは育ったかもしれないけれど……生憎私と彼は年に数回顔を合わせるだけだった。


 それだというのに、私が高校三年の夏休みに開かれた食事会に、彼の高校時代の友人とかいう見知らぬ女の子が乱入。ホテルに入っている中華料理店で食事をして、帰ろうと階段を降りようとしていた私の背中を、彼女がそれはもう力強く押してくれた。


「**くんはっ私のものなのっ! この泥棒猫っ!」


 そんな金切り声を聞きながら、私は階段を落ちて……死んだ。首の骨とか背骨とか折れたんだろう、多分即死だ。


 その後のことは知らない。


 私と彼との間にあったのは、父親の友達の息子で、食事会で顔を合わせるって関係であるだけ。知人って言葉が一番正しい。恋人でもない、親しい友人でもなかったのに……勘違いで殺されるなんて酷い目にあったとしか言い様がない。



 井戸に突き落とされて溺死、剣で斬り殺され、階段から突き落とされて転落死……三回とも酷い死に方だ、しかも全部二十歳前。


 そして今私は四回目の人生を十七年間生きている、今ここ。


 今回はまた中世ヨーロッパっぽい世界で、魔法もある。けれど、魔法の力は本当に小さくて灯りを付けるとか、かまどに火を入れるとか、そよ風を起こすとか……そんな小さなものしか使えない。


 だから、異世界から誰かを召喚するなんてことは誰にも出来ない。それだけで安心する。


 それに、そもそもの問題として、私自身が高位貴族じゃないことが大きい。男爵家、しかも地方の小さな領地を持つ田舎貴族だ。


 栗色の髪と紺色の瞳を持ち、中肉中背で物凄い美女だとか可愛らしいとかではなく、普通の容姿をした令嬢なんてモブの中のモブ。唯一の利点は私が跡取り娘で、婿を迎える立場だということくらいか。


 だがしかしけれども、貴族の令息で私の婿になりたい人なんて存在しない。


 うちの領地は狭く、さらに王都からは物凄く離れていて遠い。誰の目にも田舎なのだ。


 しかも領民と一緒になって牛の世話をして乳しぼりを行い、その乳を使ってチーズやバターを作る。羊に餌をやり、年に一度羊毛を刈り取る。出来あがった羊毛や乳製品を商会に売り込むなんて……貴族のお坊ちゃまはしたくないだろう。


 後々、日本で暮らしていた頃の記憶に則ってアイスクリームや生クリーム、フルーツの入った甘いヨーグルトなんかも売り出すつもりだけれど、まだ商品は試験段階。例え商品が出来あがっても、販売ルートと販売方法を構築しなくてはならず……スイーツでの収益はまだ先の話になる。つまり、我が家の経済事情は《貧しくはない》に毛が生えた程度の裕福さなのだ。


 貴族の次男三男が婿入りするうま味など、貴族でいられるくらいだろう。そのうま味も、牛と羊の世話をするという現実の前には無意味だ。


 事実、私の居るテーブルには誰も寄り付かない。けれど私自身、貴族出身の婿は望んでいないので問題ない。誰もいないお陰様で静かに綺麗な景色を眺めながら、美味しいお茶とお菓子を頂けている。


 今度こそ、私は長生きをするのだ。


 気の合う平民男性を婿に迎えて、一緒に領地で楽しく暮らして、子どもを産んで……後々は孫や曾孫に囲まれて、寿命を迎えて死にたい。誰かに殺されるなんてもう嫌だ。


「南庭園には行かれないのですか?」


 ティーカップに伸ばしていた手を引っ込め、私がひとり占領しているテーブルにやって来た相手に目線をやる。そこには、見目麗しい貴族のご令息がいた。


「……わたくしは男爵家の者でございます、高位貴族の皆様とご一緒するわけには参りません」


「ですが、この場は出会いの場として設けられたもの。貴族のご令嬢として、爵位が上の令息との縁繋ぎは……」


 私は分かりやすく息を吐いて彼の言葉を遮る。お行儀が悪いことは承知だけれど、一般的なご令嬢の幸せと世間でされていることを押し付けられてはたまらない。


 過去三回の私のうち、二回は世間の言う幸せの中で結果若くして殺されることになったのだから。


「わたくしは家の為の結婚をするつもりでおります。そのお相手は可能ならば、貴族の方ではない方が良いのです」


「えっ……」


 ご令息は目玉が落ちそうなほど目を大きく見開き、マヌケな顔をさらした。まさか、貴族の令嬢が求める結婚相手が貴族じゃない方がよい、なんて言われるとは思ってもみなかったのだろう。


「ですから、わたくしにとってこの場は美しい庭を堪能し、美味しいお茶とお菓子をいただく、唯のガーデンパーティーでしかないのです」


 黒髪に紫の瞳、シミもキズもなさそうな白い肌、上等なシルクで出来た上品なお洋服。どう見てもお金持ちの高位貴族。


 はっきりいって、婿としては呼びでない。


 でも、このご令息の方の爵位(男爵家よりは上だろう)を考えると、邪険にも出来ない。なので、当たり障りのない貴族な会話をして終わらせるのが一番だ。


「あの、ご一緒させて頂いても?」


「……どうぞ」


 貴族のご令嬢らしい微笑みを顔に貼り付けて椅子を勧める。すぐにメイドが彼の分のお茶を用意してくれる。本当、王宮のメイドさんは教育が行き届いていて感心しかない。


「申し遅れました、僕はユアン・クロムウェルと申します」


「セシル・バーソンと申します。バーソン男爵家の者です」


 目の前のご令息の家名を何度も繰り返す、私の頭の中にある貴族年鑑は完璧ではない。だって、今世の私には必要ないものと思ってたから。


 クロムウェル、クロムウェル……どこかで聞き覚えがある。公爵家、侯爵家ではない、なにかトラブルを起こして有名になった家でもなくて、借金で困っている家リストにもなかった。


 少し考えて、思い至った。


 そうだ、お酒だ。


 クロムウェル子爵家の領地ナイード産のウイスキーやブランデーは有名で、諸外国でも高級品として扱われていたはず。ということは、このご令息はクロムウェル子爵家のご令息だ。


 私のことなどより、彼の方が庭園で開催中だろうアピール合戦に参戦した方がいいのではないか? と思うけれど、そこには触れない。


 すでに参戦して敗退したかもしれないし、私のように事情があるかもしれないから。


 彼とはお茶とお菓子を楽しむだけでいい。


 その後、ご令息とは当たり障りのない会話を(お互いの領地のこととか特産品のこととか流行りの演劇や物語のこと)し、そろそろガーデンパーティーも終わりの時間になった。


 田舎貴族の娘が王城にやって来る機会など今後はないだろう、こんな素敵な庭園で高価なお茶とお菓子をイケメンとの思いもよらぬ会話を楽しんだ、という今回のことは私の中で良き思い出となることだろう。それなりに楽しかった。


「バーソン嬢」


「は、はい?」


 ご令息は突然真剣な表情を浮かべ、その紫色の瞳でまっすぐに私を見つめた。


 どうした、お腹でも痛くなったのか?


「僕と結婚して下さい」


「……は、……はああ?」


 突然の申し出に、私の口からはつい令嬢らしからぬ言葉が出てしまった。

 なにを言い出すんだ、このお坊ちゃんは!?



 ***



 僕ユアン・クロムウェルには、僕以外の人間として生きた記憶がある、しかも三人分。どの人生も……あまり良い人生とは言えないもの。


 良かれと思ってやってことは裏目に出て、後悔してばかりだ。


 だから、四回目の今回こそは上手く行くようにしたい。


  *


 一度目の人生で僕は王子だった。


 我が儘で自分勝手、と最初に付くような駄目な馬鹿王子。今思い出すと自分の行動で恥ずかしくて死ねそうだ。


 長い間戦争をしていた自国と陸続きの隣国、その和平条約をより強固とする為に王子である僕と隣国の王女の結婚は決められた。国同士の和平契約として決められた、とても大事なものだった。


 王女は黒髪に紺色の瞳を持った美しい人で、洗練された所作と完璧なマナーを持った完璧な王女殿下だった。初めて顔を合わせたとき、まるで夜の女王のようだと思った。


 僕は彼女と仲睦まじく暮らし、どちらの王家の血も引く王子王女を沢山作って、平和を恒久的なものにしなくてはいけなかったのだ。


 だというのに、僕は王女を蔑ろにした。顔合わせの場で暴言を彼女にぶつけたのだ……当然、両親にも従者たちにもこってり叱られ、王女と良好な関係を築くようにと言い含められたのだけれど、それを素直に受け入れることはできなかった。


 皆から自分のしたことを否定され、王族として足りていないことを叱責されたことで僕は大いに不貞腐れ、「絶対受け入れたりしない」とダメな方向に決意を固めることになっただけだったのだ。


 今思えば、叱られる程度で済んだことを感謝しなくてはいけなかったのに。


 当時の僕は学園で同級生の男爵令嬢に夢中だった。可愛らしい顔立ちで、心のままに笑ったり拗ねたりする彼女が愛らしくてたまらなかった。


 子どもだった、というのは言い訳でしかない。貴族なら、いや、王族であるのなら国のため国民のため私情なんて持ち込んではいけなかったのだから。


 結果、僕が王女を受け入れずに邪険にする態度は学園中に広がって、男爵令嬢の気持ちを助長させ……結果、王女がいる限り僕の正妃になれないと思った男爵令嬢は、王女を井戸に突き落として死なせてしまった。


 自国では俘虜の事故とされた王女の死だったけれど、隣国にしてみれば王女を死なせたことに変わりはない。結果、平和条約は破棄されて戦争が再び始まった。


 元々の国力からいって、僕の国が負けることは誰もがわかっていたことらしい。勝敗はあっという間についた。娘と妹を殺された隣国の王と王太子の怒りは凄まじく、我が国はあっという間に侵略され、僕は王女の兄に切り刻まれて死んだ。


  *


 二度目の人生も僕は王子だった。二番目の王子だ。


 僕には生まれた時から婚約者がいて、自国の公爵令嬢である彼女と共に兄の治世をささえるようにと育てられていた。


 婚約者の彼女とは辛い勉強や魔法の授業を一緒に支え合い、乗り越えて燃え上がるような恋心はなくても、穏やかな信頼にも似た情が芽生えていた。初めての恋をした相手も、彼女だ。


 なにも起きなければ、彼女とは良好な関係を築き、結婚して高位貴族としての責務を果たしていくはずだった。


 けれど、原因不明の瘴気が突然発生したことで、話しは変わることになる。


 瘴気によって国内の作物に被害が発生し、疫病で国民が倒れた。


 人の身ではどうにもならない時、この国では異世界から聖なる力を持つ者を呼び出し、瘴気を払い浄化して貰って来た歴史がある。


 そして、聖なる力を持つ少女が異世界から呼び出された。黒い髪の美しいひとつ年下の少女で、彼女は突然の呼び出しにも関わらず「それは大変! 私が役に立てるのなら喜んで!」そう言って、積極的に役目をこなしてくれた。


 瘴気は払われ、土地は浄化され作物の実りは戻り、病に倒れた人たちは回復した。


 聖女としてやって来た彼女のおかげだ。とてもありがたかった、何度お礼を言っても足らないくらいだった。国民もみな彼女に感謝した。


 そして、そんな彼女の取り込もうという動きがあり、すでに王太子妃を迎えて妃のお腹に王子か王女が育っている兄は外され、未だ婚約状態にある僕に白羽の矢が立った。


 婚約ならば白紙に戻せば良い、と父である王も貴族院も満場一致で僕と異世界からの聖女との婚約が決まる。


 そこに僕と彼女の意思はなかった。国の為、そのひと言で片付けられてしまったのだ。


 更にそこへ訳が分からない噂が流れてきたのには驚いた。婚約者であった彼女が、聖女に対して陰湿なイジメを繰り返し行っているというもの。


 聖女がひとりきりになることはほぼない、王宮に暮らして世話をする侍女も護衛も常に一緒だ。それに彼女と聖女が二人きりで顔を合わせたことなどないはずだった。


 何度それを訴えても、誰も取り合ってくれない。逆に「庇わなくていい」「情けは必要ないのですよ」「王子はお優しい」なんて言われる始末だ。


 僕の言葉は誰にも届かず、打つ手がなくなって、彼女は追い詰められ……聖女の護衛をしていた騎士が「聖女様を虐げるなど万死に値するッ!」と叫んで彼女を斬った。


 なんの証拠もなかったのに、単なる噂でしかなかったのに。なぜか事実だと皆が思っていた。

 どうしてこんな事になったのか、血塗れになって倒れた彼女に駆け寄って抱きかかえるも、その瞳に光りはもうなかった。


 その後、僕は聖女と結婚させられた。けれど、聖女には表には出せない内縁関係にある男が複数いる状態で……最悪な結婚生活。そんな結婚生活を送る中で、元婚約者の令嬢に関する事実無根の噂の出所が聖女と男たちだと知った。


 なにが聖なる女か……


 そんな聖女とは呼べない彼女、彼女のしたことを知っても良しとする王家に嫌気がさした僕は、聖女も他の内縁関係の男たちも、父も兄も魔法で皆殺しにした。勿論、彼女を殺した護衛騎士も。


 そして、気の触れた第二王子として僕は駆けつけた近衛騎士たちに殺された。


  *


 三度目の人生は近代社会で、日本という国に生まれた。


 父親は医療機器を扱う会社の三代目で、家庭は裕福な方になる。僕は四代目になる者として、経済的にも家庭環境的にも恵まれて育った。


 そんな中、父親の親友という男性一家との食事会という交流は、生まれたときから行われる行事であって、「あって当たり前」という感じだった。


 食事会で顔を合わせる一つ年下の彼女は、小学校中学校が同じだったけれど学年が違えば交流もない。あくまで食事会で年に数回、一緒に食事をするだけという関係だ。


 頭の回転が速い彼女との会話は楽しかったから、好ましくは思っていた。けれど、それは恋とも呼べない気持ちだった。彼女が近くにいる存在だったら、きっと恋をしていただろう。でも、実際は知り合いという関係でしかない。


 事件が起きたのは僕が大学一年、彼女は高校三年のとき。


 大学に入ったばかりの僕は大学近くで下宿生活を始めたばかり、たまたま実家に置きっぱなしだった荷物を取りに実家に戻った日が食事会の日で、「恐らくおまえの参加は最後になるだろう」と父親に言われて参加することにした。


 父の親友である人には、誕生日の贈り物であったりお年玉であったりを頂いていて、親戚の子くらいには可愛がって貰っていた。大学への進学祝いも貰っており、お礼と挨拶をしておきたいとも思ったのだ。


 ホテルの中にある中華レストランで食事をし、父の親友ご夫妻に挨拶をしてお礼を述べているときだった。


「**くんはっ私のものなのっ! この泥棒猫っ!」


 女性の甲高い声と悲鳴、大きな何かが転がり落ちていく音が聞こえ、「きゃははははっ」という狂ったような笑い声が吹き抜けになっているホテルロビーに響く。


 見れば、二階から一階へ降りる階段の下に父の親友夫妻の娘さんが倒れており、階段の途中に知った顔があって驚きを隠せなかった。


 知った顔は高校の同級生だった人。


「**くん、これで邪魔者はいないよね? 安心して、もう私たちの中を誰も邪魔できないから」


 そう言って、彼女は笑った。


 高校一年のときに同じクラスになって、そこからは顔を合わせれば話をする、程度の友人。特別親しいわけじゃない。五、六人のグループで出かけたときには一緒にいたけれど、二人でなんて一度も出かけたことはない。


 救急車と警察とが入り乱れて、ホテルのロビーは騒然となった。


 その後、僕は警察から事情を聞かれて、父と父の親友にも知る限りの話をした。


 誰もが僕と突き落とされてしまった彼女との関係を「食事会で顔を合わせるだけで、特別な関係ではない」と証言したし、元同級生が起こした事件と僕とは無関係だということを認めて信じてくれた。


 元同級生は高校一年のときからずっと僕のことが好きで、その想いが暴走してしまい実行に移したらしい。わけがわからない。


 向こうがどうしても僕に会いたい、会わせろと叫んで暴れてどうしようもなくなって、一度だけ元同級生と警察と父の立ち合いの元、透明な防犯パネル越しに面会した。


「**くんが私と付き合ってくれないのは、あの泥棒猫がいたせいなのよ。あの泥棒猫がいなくなればよかったの、駆除したのよ。これで私と**くんは私のもの……私と一緒に……」


 そう酔ったように言われてしまい、ますます訳がわからなくなってしまった。


 父の親友夫妻は愛娘を亡くし、その原因に僕が関係していることを知って……必然的に彼らとの関係は切れることとなった。


 僕自身が無関係であるとわかっても、僕という存在がきっかけになったことが彼らの気持ちをざわつかせるのだ。夫妻は「キミが悪いんじゃない、けれど、すまない」と何度も謝ってくれたけれど……関わらない方がいいと僕も思ったので、なにも言わなかった。


 あれが、最後の食事会となったのはいうまでもない。


 僕は大学を卒業して社会に出て働き、父の会社を継ぎ、仕事の繋がりで妻を娶り跡取りを儲け、ただひたすら仕事漬けの生活を送り、四十代半ばで突然死した……ようだ。


 職場の会議室で打ち合わせを済ませた後、急に胸が痛み呼吸もままならなくなり、周囲にいた部下たちが慌てているのが見えて、それっきりだ。


 仕事の忙しさを理由にして健康診断など受けていなかったし、父も祖父もある年齢から心臓疾患を抱えていたので僕も同じだったに違いない。



 正直にいって今まで生きた三回の人生、僕は碌な生き方をしていない。


 特に婚約者だった王女様と侯爵令嬢、全く無関係だったのに突き落とされて亡くなった彼女には大変申し訳ない限りだ。さらにいうのなら、三回目の人生で僕と結婚してくれた女性にもだ。


 そして、今僕は四回目の人生を歩んでいる。クロムウェル子爵家の次男、ユアンとして。


 クロムウェル家は祖父の代から始めたウイスキーとブランデー事業が上手くいって裕福であり、自分自身は三男という立場(予備の予備)であるからか、自由にさせて貰っている。


 将来は家を出る決まりはあるものの、家業の手伝いをしてもいいし、就職も自分で決めてよいと父には言われた。結婚についても自由だ。結婚するしないも、結婚相手も僕の好きにしてかまわないと。特に長兄が結婚し、甥っ子が産まれてからはすでに放置に近い。


「王宮で王家が主催するガーデンパーティーがある。王子殿下たちのお相手探しが主な目的だが、婚約者のない令嬢令息が出会う場にもなっているそうだ。男爵、子爵といった下位貴族も招待されている。おまえも興味があるなら参加するといい、ないのなら行かなくていい」


 招待状を差し出しながら長兄に言われ、少し悩んだけれど僕は参加を決めた。もしかしたら、いい出会いがあるかもしれないから。


 今度こそ、今世こそ、結婚してくれた女性を大切にして、穏やかに年を取ってシワシワの老人になって死にたい。


 そう決意して参加した王家主催のガーデンパーティー。王宮の南側に広がる庭園の一部を開放して行われているそれは、大きく北と南に別れて賑わっている。


 三人いる王子殿下たちの周りには、伯爵家以上の令嬢が大勢集まってアピールに忙しい。そんな中で見つけたのだ……北側庭園で一人お茶とお菓子を楽しんでいるご令嬢を。


 栗色の髪に黒に近い紺色の瞳、清楚なデザインの淡い緑のドレスがよく似合っている。そのご令嬢を視界に入れた瞬間、背中に強い刺激が走って固まった。雷に打たれたかと思ったほどの衝撃だ。


 今世に限って愚かしい過去三回に渡る人生の記憶を持っているのか、その理由はわからないでいたのだけれど、瞬間的に理解した。


 彼女は、僕が三回の前世で不幸にした王女殿下、公爵令嬢、知人であった女の子の生まれ変わりだ。髪の色も瞳の色も多少違うけれど、顔立ちで分かる。


 そういうことか……僕はゆっくりと彼女のいるテーブルに近付く。


 彼女を今度こそ幸せにする、そのために……愚かなことをした記憶を持って生まれてきたのだ、そういうことなのだ。



 ***



「……これ以上ないほどよい話だと思った。だから、受けることにして、受けた」


「よかったわね、セシル! これで領地も貴女自身のことも安心だわ」


 バーソン男爵家当主であり私の父である人はそう言い切り、バーソン男爵夫人であり私の母である人は心から安心した様子で胸の前で手を組んだ。


「わ、私の希望は……?」


「おまえの希望というのは、領地で暮らしている農家か畜産家の次男か三男を婿に迎えたい、という話か?」


「そうです」


「それは、婿に来てくれる貴族令息が完全にいなくなった場合、だ」


「だって、申し込んでもお断りばかりだって……」


 ガーデンパーティーの数日前、両親と執事が執務室に集まって「貴族子息の婿入りは難しいかもしれない」と三人で頭を抱えながら、テーブルの上に積み上がった〝ウチの息子を田舎貴族の婿にはやれません〟とソフトに書かれたお手紙を見つめていたのをドアの隙間から見たばかりだ。


 それを見て、私は確信したのだ。私の婿になる人は、領地に暮らす農家か畜産家の次男か三男なのだと。


「国内外合わせて十五の家に断れただけだ」


「ええ……充分過ぎるくらい断られてると思うのですが……」


「私など、三十を超える家のご令嬢に断られた。これが貴族家では最後という申し込みで、最愛の妻と出会ったのだ」


 父の言葉に母が「まあ、最愛なんて……娘の前であなたったら」と嬉しそうに微笑む。


 三十を超える貴族家から嫁入りの打診を断られ、それでも折れることも凹むことなく婚活に突き進んだ我が祖父と父は鋼の心臓を持っていたらしい。ようやく来て貰ったお嫁さんである母を大事にし、一途に愛し続けているのも納得だ。逃げられたら、そこで全てが終了だ。


 残念ながら、私には祖父や父が持つ鋼の心臓は受け継がれていない。


「それを思えば、半分以下の数なのだぞ? 早く決まったものだ。しかも、この結婚は向こう様からの申し込み。逃してなるものか」


 父の目は獲物を見つけた狩人のように、ギラリと輝いた。


「牛や羊の世話もするというし、学校での成績の上位で領地経営にも問題なさそうな頭脳を持っている。健康で、跡取りをもうけることも可能だと医師の診断書も出ている。更にだ、牛の乳を使っておまえが行っている開発に関して手助けを行い、商品完成後は子爵家の持つ販売ルートを使って販売することも申し出があった」


「……」


「ぜっっっったいに、子息は逃さん!」


「……」


 父の目がギラリギラリと輝き、母はそんな父を見て「まあ、男らしくって素敵」とキャピキャピしている。どこが素敵なのか、我が母ながら理解できない。


「三日後、クロムウェル子爵とご子息が顔合わせにやって来る。問題なければその場で婚約手続きを取り交わし、二週間後には領地について勉強するためご子息を我が家にお迎えする。正式な婚姻は一年度だ」

「ええっ、そんな早く……」


「あちらのご希望でもあるし、我が家にとっても願ってもないことだ。セシル、おまえは我が家の跡取り娘だ。つべこべ言わずに貴族の義務を果たせ」


 それを言われたら言い返す言葉なんてない。


 結婚はするつもりだったし、跡取りになる子どもだって産むつもりでいた。そこをどうこうするつもりはない、ただ、私のお相手は平民だと思って安心していただけで。


「セシル、わかったか?」


「……はい」


 現男爵である父の決定は絶対。私は肯定の返事をするしかなかった。



 三日後に来る、ということは中二日。二日なんて、領地で牛と羊の世話をして、商品開発をしていればあっという間に過ぎる。一瞬だ。


「……本当に、申し込んだのですね」


「勿論です、正式に我が家から申し込みますと言いましたよね? 冗談でプロポーズなんてしませんよ」


 我がバーソン男爵家のお屋敷は国の端っこである田舎では立派な方だけれど、王都や栄えた街にあるお屋敷に比べたら小さくて、古くて貧祖なものだろう。


 その古くて田舎っぽいお屋敷の前庭で、私はあのガーデンパーティーで声をかけてきたと同時にプロポーズをしてきたご令息、ユアン・クロムウェル子爵令息と向かい合って、お茶を飲んでいる。


「冗談にしか聞こえませんでしたが? わたくしたちは、あのガーデンパーティーで初めて顔を合わせたと思うのです」


「そうですね、初めてお顔を合わせました。ですが、あのときに出会いました。それでよいではないですか」


 ニッコリ、と効果音が流れそうなほどの笑顔でユアン・クロムウェル子爵令息は言い切った。


「クロムウェル子爵令息様、あの……」


「ユアン、と呼んでください。僕たちは対等です。年齢も同じなのですし、僕はあなたと信頼関係を築き、なんでも言い合える夫婦になりたいと思っています。出来ることなら、愛し合いたいとも」


 またニッコリと効果音が聞こえて来そうな笑顔だ。


 この笑顔が本物なのか、貴族としての笑顔スキルなのか、読み取ることができない。王女や高位貴族の令嬢だったときに培った相手の腹を探るというスキルは、日本での平和な生活と今世の田舎で動物たちに囲まれた生活ですっかり衰えてしまったらしい。


「……そんな不審そうな顔をしないでください。僕は、本心からそう思っていますよ」


 言いながら片手を挙げて合図をすると、子爵家の使用人が大き目な木箱の乗ったワゴンを押してやって来て、テーブルの脇に置いた。箱の蓋が開けられ、中身がテーブルの上に並ぶ。それは口の広い瓶で、果物らしきものと茶色の液体がぎっちりと詰め込まれている。


「なにが一番喜んでいただけるのか、と考えた結果です」


「これは……」


「これらはうちの領地で作っているウイスキーとブランデーで、果物を漬け込んであります。中の果物も風味が酒に、果物には酒の風味が付いて美味しいですし、アルコール度数が高いので保存食にもなります」


 漬け込みウイスキーとブランデー! 日本で生きていたころ、このウイスキーやブランデーを風味付けに使った焼き菓子がとても好きだった。両親がアイスクリームに果実風味のついたブランデーをたっぷり垂らして食べているのも、とても羨ましくも思っていた……未成年だから私のアイスクリームにかけられるのは、紅茶やエスプレッソだったのだ。


「セシル嬢が開発しているという、アイスクリームに混ぜ込んでもよろしいですし、シンプルなアイスクリームにかけてもよいかと。それに、チーズを作りその発酵過程においてウイスキーで表面を拭いていくと、チーズにウイスキーの風味が……」


 それ、日本で生きていたころ父親の大好物だったチーズ! カマンベールチーズをバーボンウイスキーで拭いて発酵させて、風味をつけたってやつ。


 目の前で婚約者最有力候補(候補なんて彼一人だけれど)であるご令息は、自領特産品と我が領の特産を掛け合わせて開発可能だろう新商品のプレゼンを朗々と続けて見せた。


 領地で生産される牛乳を使ったクリームやチーズ、ヨーグルトは、お菓子や食事に。ウイスキーやブランデーを使ったものは大人向けや貴族向けにもバリエーションは広がる。また、ヨーグルトを作る過程で出来るホエイと呼ばれる乳清を使った化粧品事業も、後々は展開したいとか。


「どうですか? 僕を婿に迎え入れて、共に協力すればこの地は豊かになりますよ、きっと。あ、もちろん浮気なんてしませんよ。婿入りだとかそういうことではなく、面倒くさいですから」


 浮気なんてものはマメな人がすることであって、自分は女性にマメな方ではない、と良いのか悪いのかわからないことを宣言までする。


 正直にいえば、彼はかなりの優良物件だ。なんだか、一部あやしく感じるところもあるけれど……それは今考えることじゃない。


 アルコール事業で裕福な子爵家の三男坊。子爵家との縁ができることで、羊毛や羊毛製品、牛乳や乳製品の販路も拡大する。彼がプレゼンした新しい商品も開発できたのなら、どれも我が領の主力商品に成り得る。


 そうなれば、我が領地に入って来るお金も増えて蓄えもできるし、道の整備や橋の修理などもできる。お金が入れば結果的に領民たちも生活が楽に、豊かになる。


 婚約者候補である彼自身も、私と同じ年齢で中肉中背、爽やかな雰囲気を纏う好青年。年齢が大きく離れているわけでもなく、マウントを取って来るような勘違い男でもない……むしろ、好みな顔立ちだ。


「僕を、選んで下さい。後悔はさせませんから」


 ニッコリ、効果音が流れそうなほどの笑顔も三回目。おそらく、この笑顔は心の底からなのだ。そう思うことにした。


 貴族の結婚だ、家同士の利益、領地が潤うことが最優先。その相手が浮気なし、領地を潤わせるアイディア(まだアイディアだけだけど)もたっぷり持ち合わせている。となれば……


「結婚に関しての条件を書類にして、お互いに納得できたのなら……このお話をお受けします」


 我ながら、可愛くない対応だな、そう思う。


「勿論です。言った言わないで揉める、これほどくだらないことはありませんからね!」


 私の言ったことに怒ることも引くこともなく、当然のように受け入れた彼を見て……私の胸の奥の奥でなにかがキュッと動き出していた。



 ***



「うわあー」


 屋敷の前側に広がる芝生広場。青々と地面を覆っている芝生にダイブするように転ぶと、後ろを追いかけていたクリーム色の毛を持つ十一匹の子犬たちがワッと駆け寄り、伸し掛かり、顔から手から全身を舐め回し、服を引っ張る。


 端から見ていると子犬たちに襲われているようにも見えるが、実際はじゃれつかれているだけ。


 一匹や二匹なら大したことはないだろうが、十一匹となると……まあ、襲われているのかもしれない。数が多いということは、力と直結している。


「うわあん」


「あらあ、サミー、大丈夫?」


 群がる十一匹の子犬たちをかき分け、長女がうつ伏せに倒れながら子犬たちに甘噛みされ、舐められてドロドロになった長男を助け出した。


「うわーん、姉しゃまー」


「痛いところなんてないでしょ、泣かないのよ」


 服や髪についた芝生を払い、ハンカチで汚れた顔を拭いてやる姉と弟。我が娘と息子ながら、心温まるよい絵を見せてくれた。僕は二人の姿をじっと見つめて、心のアルバムに焼き付ける。


 僕がクロムウェル子爵家からバーソン男爵家へ婿入りして十二年が過ぎた。


 婿入りしたときに比べると、飼育している牛や羊の数も増えたし、搾乳施設やチーズ加工施設なども増えた。その結果、領民の生活水準が上がって領地で暮らす人数も増えた。子どもの数が増えたし、移住希望者を受け入れた結果だ。


 領地の収入が増えて蓄えも増えたから、古くなっていた屋敷も五年前に建て直し、大きくはないが明るくて生活しやすいものへと変えることができている。


 要するに、バーソン男爵領は豊かになったのだ。


 婿入りするときに「領地を豊かにする」とセシルと交わした約束は果たされているだろう。これからも領地を潤す努力を続けていくつもりだけれど、ウイスキーチーズとフルーツバター(ドライフルーツを練り込んだバター)が爆発的に売れた。生産ラインの確保に少し苦戦したが、先月には商品の販売も軌道に乗ったので、ひと段落というところだ。


 これからは、菓子用のクリームとアイスクリームの販売方法と販路、可能なら羊毛や羊の肉の加工品のことも考えていきたい。


「ああん、姉さまとサミーばかりずるいわ!」


 長女と長男が子犬を戯れている姿を見た次女が、妻の手から離れ自ら子犬たちの群れに突っ込む。そして、十一匹兄弟の舐め舐め甘噛み攻撃を身に受ける。


 着ていた薄黄色のワンピースがあっという間に芝生と子犬によって汚れ、髪も乱れていき……子守り担当の侍女が「ああああ!」と悲鳴をあげた。当の本人は満面の笑みを浮かべ、子犬たちを抱き上げたり撫でたりと忙しそうにしている。


「……今年は子犬が沢山生まれましたね。昨日も八匹生まれたし、お腹が大きな子がもう一匹」


「牛も羊も沢山増えて、放牧地も増えたから犬が沢山いて問題ないよ。猟犬になる子もいれば、番犬になる子も必要だ」


 セシルは肩を竦め、僕の隣に立った。


「もう、十二年ね」


「そうだね、早いもんだ」


 芝生広場ではセシルと僕の間に生まれた三人の子どもたちが、子犬たちと戯れている。


 セシルと僕の関係は良好だ。少し……いや、大分強引に結婚を申し込み、領地を豊かにするための事業をチラつかせての結婚だった。有無を言わせなかった自覚はある。


 けれどあれから十二年。僕たちの関係は事業だけのものではなく、家族としての情と信頼で結ばれ、愛情という感情も育って成長している……はずだ。


 過去三回の人生とは比べ物にならないほど、今世の僕たちは穏やかで豊かな人生を送っている。


「……そろそろ、話して貰いたいのだけれど」


「? なんのこと?」


 セシルは眩しそうに子どもたちを見つめたあと、僕を見た。


「そうね、確実なところから聞こうかしら。日本で生まれて、お父様の友人一家と定期的に食事をする会に顔を出していた……そんなどこにでもいる青年のお話」


「……えっ」


 背骨に沿って、冷たい汗がツッと流れていくのを感じる。


 セシルは前世の記憶を持っている? 僕が自分に関わったろくでもない男だったって、わかっている?


「もしかして、異世界……多分だけれど、日本からやって来た聖女様と結婚するために長年の婚約者と捨てた王子様の話とか。和平条約を結びそれをより強固するための政略結婚を、初恋の女の子との恋に溺れて蔑ろにした王子様の話とか、も聞かせて貰えるのかしら?」


「……セシル……」


 背中を流れる汗が、どんどん冷たくなっていく。


 まさか、まさか、こんな……彼女に辛い思いをさせた挙句に死に追いやった、しかも一度ではなく二度、三度とだ。その男が僕だったと知られている?


 僕たちの間には子どもが三人いる、女の子が二人、跡取りである男の子が一人。


 僕の婿として、一番求められている跡取りをもうけるという役割は果たしている。そして、領地を栄えさせるという約束も果たされた感じだ。


 僕は……もう……


「ぷっ、うふふふふふふ」


 セシルは僕の様子を見て、笑った。


「なあに、その顔は? 真っ青なんだけど、大丈夫?」


「い、いや……セシル、僕は……」


「いつか、話して貰えると思っていたのだけれど……未だに話してくれないから、もうこっちから聞いちゃう」


「セシル……」


「昔むかしね、和平に伴って敵国だった国の王子様のところへ嫁ぐ予定の王女様がいたの。昔むかし、生まれたときから王子様の婚約者で、二人で頑張っていたけど婚約が無くなったご令嬢がいたの。昔むかし、年に数回お父さんの親友一家と食事をするっていうイベントがある、普通の女の子がいたの」


「あ、ああ……」


「その三人は確かに、あんまり幸せじゃなかったのかもしれない。辛い思いもしたし、理不尽な目にもあったし、若くして亡くなったりしたかもしれない」


 僕は俯いた。もう、セシルの顔を見ることができない。


「……」


「でもね、今は幸せだから。セシル・バーソンは今、幸せ。可愛い子どもたちが三人もいて、素敵で頼りがいのある旦那様がいるもの」


「……セシル?」


「だからね、昔むかしの話として聞かせてくれない? 王子様たちの気持ち、あの不愛想だった男の子の気持ち、王女様たちがいなくなってから彼らがどうなったのかを……」


 セシルの両手が僕の両頬を包み、顔をあげさせられる。彼女の紺色の瞳と目が合い、自分の顔が映り込む。


「いつから、気が付いていたの? 僕に過去の記憶があるって」


「十二年前うちに顔合わせに来て、そのまま婚約したとき。……おかしいな、なにか引っかかるなって思ったの」


「そんな、頃から……?」


「だってそうじゃない、ウイスキーチーズや大人向けのアイスクリーム、ホエイを使った化粧品なんて、日本での記憶がなくちゃそう簡単に思いつかないと思うのよ」


「ああ、そうか……そうだね」


「一緒に領地で暮らすようになって、そうじゃないかなーって思い始めたの。結婚するころには〝日本で生きていた記憶があるんだな〟って確信した。私にだって前世に記憶があるんだから、あなたにあっても不思議はないし。一緒に暮らす時間が長くなるにつれてね、ああ、あの食事会で顔を合わせていた男の子なんじゃないかって……仕草とか話し方とか食べ物の好みとかで、王子様の記憶もあるのかなって思ったの。段々ね」


 結婚して十二年、その間にセシルは僕の仕草や話し方好みの食べ物などから察していったのだ。言われてみれば納得する。過去とはいっても自分自身、無意識に癖や好みが出ていることもあっただろう。


「大丈夫、私は今、あなたを大切に想っているから。男性として、家族として、子どもたちの父親として、かけがえのない人だと思っているから」


「……セシル、僕もね、あなたを大切に想ってる。愛しているよ」


 素直に告白すれば、一瞬でセシルは顔を真っ赤に染めた。


 子どもが三人もいるっていうのに、彼女は言葉での愛情表現に対して初心なままだ。それは僕が言葉では、伝えてこなかったからだろう。


 これからは、行動だけじゃなく言葉でも伝えよう。異性として愛しているって。


「嫌われそうで怖いけれど、聞いてくれるかな? 本当に幼くて、考えなしで、愚かで、なにも出来なかった三人の男の昔話を」


「うん。あ、でも、嫌うなんてしないから安心してね。だって、過去のことだもの。過ぎ去ったことは、もうどうにもならないのよ。今でないことで、怒ったり嫌ったりなんてしないから」


「わかった。じゃあ、誰のことから話そうか?」


「そうね……、じゃあ、最初の最初から。和平条約が結ばれて、敵国だった国の王女様と結婚することになった王子様の話から聞かせて」


「わかった」


 セシルを前庭に面したテラスに用意されたテーブルにエスコートし、座った。すぐさま侍女が、スライスした果物の浮かんだ冷たい紅茶を持って来てくれる。


 前庭では子どもたちが飽きることなく子犬たちと戯れ、服が汚れることも気にせず笑っている。僕たちに配膳を終えた侍女は、冷たい飲み物とお菓子の入ったバスケットを持って子どもたちの方へと歩いて行く。


 あの子犬たちがいる中、どうやって子どもたちに飲み物を飲ませお菓子を食べさせるのか。興味津々で前庭を眺めながら、僕は口を開いた。


 昔むかし、取返しが付かないほど愚かなことをした一人の王子がいた話を、最愛の妻に聞かせるために。



 テーブルの上に用意された冷たい紅茶に落とされた氷が溶け、コロンッと涼し気な音をたてる。


 国の端っこにあるバーソン男爵領に、春の終わりが訪れようとしていた。

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