言葉のかけらをつぎはぎにして

作者: 佐々雪

1.


 言葉のかけらをつなぎ合わせて、足りないところをおぎなって、それでなんとか無理矢理生きています。つぎはぎだらけで、なんとも見栄えのわるいものです。


 名前なんて立派なものは、まだ持ち合わせていません。親がくれた名前はもちろんありますが、ただの識別番号のように感じます。自分の所有物とは思えないのです。


 私が墓にうずくまるまでには、そこに彫る名前がきちんと見つかっているといいな。そんなことを思います。



2.


 先のことがまるで見えなくて、死ぬほど不安になるときがあります。そんなとき、私は或る友人の言葉を思い出します。


「そういうときはな。もっと大きいことをやるんだよ。そうしたら、自分の先にある不安なんて、ちっぽけになる。そうやって感覚を、麻痺させるんだよ」


 私が「不安だなあ」とぐちをこぼしたとき、彼女がこっそりと教えてくれました。もしかするとこれは、秘密だったのかもしれません。


 彼女は学生の頃から事業として、海外の経営者を相手に一人通訳の仕事をしたりしていました。命の危険に関わるようなトラブルも、何度かあったそうです。不遜な物言いと態度は彼女のチャームポイントでした。


 彼女の寝姿を、一度だけ見たことがあります。窓の外からかすかに聞こえてくるちいさな車の音に、眠りながら怯えていました。幼子のように弱々しく、情けないうめき声をあげていました。


 彼女は無理矢理生きながら、自分の言葉を実践していました。だからこそ私は、彼女の言葉を違和感なく自分の身体にとりいれることができたのだと思います。



3.


 何を選択すればいいのか、全く分からなくなるときがあります。そんなとき、私は或る友人の言葉を思い出します。


「いちばん自分らしい選択をすればいいんだよ。何が自分らしいのかを考えるのは、ものすごく難しいけどね」


 私が精神的にまいってしまってどうしようもなかったとき、彼女が教えてくれました。あの時の薄暗い空模様とマクドナルドを、私は生涯忘れないと思います。


 その言葉をコンパスのようにして、何ヶ月もかけて、なんとか良くない状況から抜け出すことができました。あるときふと気がつけば、自分は少しだけ色づいた街の中を歩いていて、まるで魔法みたいでした。


 彼女が教えてくれたのは実は『選択のしかた』ではありませんでした。選択をするためには、前提条件として自分ときちんと向かいあう必要がある、ということです。そしてその面倒くさい自己整理に、彼女は根気よく付き合ってくれました。


 あの時の言葉はもうコンパスではなくて、魔法を超えてしまって、今や飯を食ったり労働をしたりしています。


 生活とは魔法を超えた、奇跡だと思います。



4.


 私はたびたび、自分が無価値であるという思念に押しつぶされそうになります。そんなとき、私はよく或る友人の言葉を思い出します。


「君のためだったら、何だってしてあげたいんだよ」


 その言葉はもう、今の世界に存在するものではないけれども、まるで古びた蓄音機のように、音をざらりとかすれさせながら、頭の中で再現できます。ときおり記憶から取り出すたびに、音はかすれ、遠くなり、古くなり、小さくなり、そうして私の心に馴染んでいくのです。それはきっと、たくさんの言葉を尽して下さったからだと思います。


 言葉が私とともに、ちゃんと老いてくれるのです。



5.


 言葉のかけらをつなぎ合わせて、足りないところをおぎなって、それでなんとか無理矢理生きています。つぎはぎだらけで、なんとも見栄えのわるいものです。


 名前なんて立派なものは、たぶん死ぬまで見つからないでしょう。それでも私が自分自身に愛着を持つことができるのは、友人たちがこの世界に存在してくれていたおかげだと思います。


 いつかまた、友人たちとラーメンでも食べにいきたいものです。駐車場に車を止めて。自動ドアなんてものは踏みさえすれば、自動で開きますから、その後のことは、まあきっと大丈夫です。集めた言葉を、はやく交換しあいたいです。



6.


 それまでどうか、お元気で。

 私はまだ、たくさんの言葉を集めます。なんとかかんとか、生き延びてみます。