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最終章 彼女は彼女を見守っていた

「朝だよ……っ! みんな……起きてっ!」


 児童養護施設の朝は、おはようの前にそんな言葉が聞こえてきたりもする。お姉さん然としている女の子が、年下の子たちを起こしている。


「……も、もーっ! 起きてっ……て!」


 いまいち覇気の通らないその声が、この施設の看板(、、)にも一躍なりつつあり。そんな彼女の名前は、花坂かなめと言った。


(かなめちゃん。もうちょっと声出さないと、起きてくれるものも起きてくれないよ)


「うー、うー!」


 うーうー言ってる彼女は、自分の頭をフル回転させ、どうすればいいのか考える。それを見て、私は、もうちょっとしっかりしてくれないものかと不安になる。


 少しは成長したのだと思うけれど。


 それでもまだまだ小学生か……おませさんとはいかないけれど、もう少し自分に自信を持ってもいいんじゃないだろうか。


「みーんなー! おーきーてー!」


 かなめちゃんは、むりやりその子たちの布団を引っぺがす。やれやれ。まあその方法が一番手っ取り早いんだけれども。


 ……あのあと。


 化け物が消滅し、完全にすべてが終わったあと――吉光里利は、大量の出血で倒れ込んでいた。備えていた救護班が駆けつけ、命に別状はなかったそうだ。


 これで、誰も死なずに化け物を殺すことができた。ハッピーエンドというわけだ。


 ……そこで、私も死ぬはずだったのだけれど。

 どうしてか生き残ってしまった。


(……まあ、考えてみれば当然なのか)


 化け物によって植え付けられた特殊能力はともかく――人格までも消えるとは考えにくい。そして、その人格そのものである私も消えるわけはなかった。


 てっきり、化け物を殺せば、私とかなめちゃんのつながりはすべて消えてしまい、きちんと死ねると思っていたのだが……これは大きな誤算だ。情景移植(プラントビジョン)によって繋がっているのだろうと、漠然と考えていたが……情景移植(プラントビジョン)は私にはまったく関係のないことなのだった。だからかなめちゃんの思っていることはわからなかったのだ。


(まあ、あそこで情景移植をしなければ、話は変わったのかもしれないけどさ……)


 事務所でかなめちゃんに正体がバレた夜。あのとき、私とかなめちゃんの意識の配線は、ぐちゃぐちゃに絡まった。絡まった――つまり、使う神経回路が、混線してしまっていたのだ。混線して、絡まって――取れなくなった。


 情景移植は、脳の配線を、意図的に混線させる能力だ。脳を要領よく使うことによって、一人で二人分の情報を処理する。


 ……それを一度済ませてしまえば、もう情景移植の必要なく――勝手に、脳が調節してくれる。私とかなめちゃん、二人が同じ肉体に居られるように、あの夜、調整されたのだ。だから――私は、かなめちゃんの脳みそに、完全に棲みついてしまっているのだ。


(……死んでないってわかったときは、すっごくびっくりしたけどさ)


 絶望したりもした。この期に及んで死ぬことができないだなんて、まるで拷問だと、本気で嘆いた。


 けれど、結局……死ぬことはできなかった。


(というか、もう諦め始めてるんだけどね)


 私はもう死んだのだ。だから――もう、何もしない。かなめちゃんの内側から、かなめちゃんを守っていくことしかできない。家族を失ったかなめちゃんを守れる存在は……今のところ、私だけなのだから。


 かなめちゃんは子供たちをようやく目覚めさせ、顔を洗いに行かせることができたようだ。


「……はぁ。もー、なんでおねーさんってこんなに辛いの?」


(仕方ないよかなめちゃん、こうして辛いことに慣れて行って、大人になったときに大きなことを成し遂げられるようになるんだよ)


「……適当、言ってない?」


(おっと、まあ苦労しても報われないことなんて山ほどあるんだけれどね)


「……はぁ、もう嫌。なんか、かずみの言ってたこと、分かる気がする」


(私の言ってたことって?)


「……死にたいってこと」


 情景移植(プラントビジョン)を介することもなく、私たちは会話をすることができるようになった。会話と言っても、私は脳の中に直接伝えることしかできないから、傍から見ればかなめちゃんが独り言を言っているようにしか見えないだろうけれど。


 かなめちゃんは私のことをかずみと呼ぶようになった。はじめのころはかずみおねえちゃんだったが、さすがにそれはやめてくれと私が拒否した。

 おねえちゃんだなんて、むずがゆくなってくる。掻く手もないのに。


 ……死にたい、かぁ。


 いや、なんというか……今になって、死ぬことにあまり魅力を感じなくなってきた。別に死んだって、何かが終わるわけじゃない。そして、今は別に、生きているというわけでもない。


 かなめちゃんとの約束だ。私のことは、誰にも言わない。ただそれだけを守ってくれれば……私は現実と関わらないで済む。現実が何か私に要求してくることはない。


 だから――非常に気楽なものだった。


 かなめちゃんのほうも、納得してくれている。これからの人生を生きていくうえで……かなめちゃんは、かなめちゃんの力だけで生きていくべきだ。私の力は、あくまでも補助的なもの。私はかなめちゃんの人生に一切の口を挟まないし、かなめちゃんは私にすべてを頼ってはいけない。


 まあ、なんだ。親みたいなものだ。


 ……結婚もしていないのに、親になるだなんて……いやまあ、結婚に似たようなことは、生前やってましたけどね。でも死んでまで親として面倒を見ないといけなくなるなんて、そんなこと考えもしなかった。


 でもまあ、それで関係がこじれたとしても――問題が大きくなることは、ないだろう。かなめちゃんのプライベートは、もうどうしようとも保証はできないけれど……私とかなめちゃんの間に、問題なんて起きるものか。


 問題なんてのは、循環論法(トートロジー)に陥っている時のことを言うのだ。だから、別の命題を入れてやれば、すぐに解決する。……それがもう、わかっているから、だから、もういいのだ。


 私はこのことを――死んで、初めて学んだのだから。

 だから――かなめちゃんにも、教えてあげないといけなかった。


「ねえ、かずみ」


(ん?)


「……やっぱり、死にたいって思う?」


(……そりゃあ、ね。かなめちゃんのプライベートが確保できないのは、かなめちゃんもつらいだろうし……私に知られたくないことだって、たくさんできるだろうからね。それを片っ端から知ってしまうのは、私としても嫌なことだよ)


「……いや、私のことは、どうだっていいの。かずみ」


 かなめちゃんは、こどもたちの布団をたたみながら、言う。


「……実は私、まだちょっと怖いんだ。ひょっとしたらかずみが自殺したいって、私の体を乗っ取って道路に飛び出さないか。……かずみのほうが、意識分配の主導権握ってるんでしょ?」


 そういう心配だった。信用されていない……というのは逆か。信用しているからこそ、自殺志願者の私に、自分の体を任せられないと……そういうことだ。


(うーん……どうだろう。約束は、できないかもしれない)


 そう、思う。


(でもまあ……今は、自殺したいとは思わないよ。だって、かなめちゃんがいるから)


「……え?」


 覚悟もないのに、自殺をするな――というのが、信条だ。そして今の私には。


(かなめちゃんを置いて自殺するようなこと……できないよ。そんなの、今の私にそんな覚悟はない。かなめちゃんを殺す覚悟も……ない)


 だってかなめちゃんは、死んだ後を共にした、私の子供(、、)なのだから。勝手に死んだり、殺したりなんて、できるわけないだろう?


(かなめちゃんは、自分のことだけ考えなよ。私は、かなめちゃんのやったことに、いちいち口出しはしないよ。かなめちゃんの好きなように……生きて)


「…………うん」


 かなめちゃんは、頷いた。


「けど……なんか、それって寂しくない?」


(ん?)


「せっかく一緒にいるんだから――もっと楽しくしようよ」


 楽しく。

 ……死んだ後も、楽しく?


「というか、かずみはいい人だって思うよ。……それが、あなたの個性なんだよ。……リリおねえちゃんと一緒なのかな」


 ……私が、吉光里利と、一緒だって?


「なんというか……誰かがミスしたことを、自分のミスのように感じてる……ってのかな。そんな気がする。私のミスは、私のミスだよ。……だから、かずみこそ……好きに、生きて」


(…………)


 まさか、そんな風に返されるとは思ってもみなかった。

 だから私は、思いっきり、心の中で、余計なお世話だと思いながら――こう、思った。


(やっぱり、生きてるって……めんどくさいなぁ)


「そんなかずみは、もっとめんどくさいよ?」


 ……こいつ。言いやがって。

 まあでも、そうだな……。


 何も――変わらないのか。化け物を倒した後からも――変わらない。人生は変化の連続だけれど……ひとたび変化が終われば、変わらない日々の始まりだ。ゆっくりと、そういうときがあってもいいだろう。それこそ、私が求めていたものだ。


 そうだなぁ。


 じゃあ、この内弁慶なかなめちゃんに、他人とのコミュニケーション能力でも、高めてあげようかな。


 人生の先輩として、めんどくさいことを、教えてあげよう。




                           【吉光里利の化け物殺し 番外編 終】

 あとがき


 『やっていいことと悪いことの区別をつける』というのは筆者が小学生の時に言われたことなのですが、果たしてどのくらいの人間が『やっていいこと』と『悪いこと』の区別をきちんとつけることができているのでしょうか。というかそもそも、その区別が存在するのでしょうか? おそらくその区別をつける基準となるのが『信条』というものなのでしょうけれど……それが共有されていない限り、善も悪も区別できないわけで。でもまあ少なくとも公共の場所での善悪のみを統一しなきゃいけなく、それに適合できるようにするというのが『教育』なのでしょう。もちろんこの教育は学校で教わることのない、親や友人など、人間的な関わり合いの中で生まれるものです。いいえ、関わり合うと言うより『擦り合う』と言ったほうが良いでしょう。つまり『信条は摩擦によって生まれる』となるわけです。そしてここからが本題なのですが、『摩擦のなかった人間』と『摩擦で潰れた人間』はどうなるのでしょうか? 摩擦を避けてきた人間と、摩擦を避けられなかった人間。『変わること』に対して、追われる側と、捨てる側。それは違うのか、同じなのか。少なくとも『信条』は違うでしょう。そしてどちらも、めんどくさいでしょう。

 2016年のメイン活動となった『吉光里利の化け物殺し』シリーズは『変わること』を避け続けてきた吉光里利の話を本編として、この番外編では『変わらないこと』を夢見る神岸かずみの話を語りました。一人称視点の作品に挑戦しようということだったのですが、思考垂れ流しにできるので実際は相当楽でした。むしろ執筆のための時間を確保する方が難しかったです。いろいろなことに手を出してるから……。無理のない執筆計画を立てないといけませんね。

 それでは、このシリーズはこれにて完結です。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。乱文失礼しました。

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