最終章 彼女は彼女を見つめていた
月は静かに夜を照らし、冷たい風は頬を撫でる。
場所は、いつものあの場所。化け物が出てくる、あの路地裏。化け物が現れて、戦って、倒して――そして、友くんが死んだ、あの場所。もっとも、両側にあったマンションはすでに取り壊されてしまい、今は更地になっている。土地の後続利用者はいるようで、建設のための敷地どりがされている。
夜だから、もう、誰もいない。
誰からも――見られることはない。
私たちは、そんな決別の場所にいた。
『プレイヤーズ』全員がここにいた。
「…………」
かなめちゃんの情景移植でも見た場所ではあるものの――その様子は、やはり違っている。やっぱり――現実のほうが、あっけない。何もない。
空っぽだ。
『プレイヤーズ』の全員がそろっているだなんて、それも正確には違うじゃないか。ここに友くんがいるわけはないし、そして私は加入していない。まだ、受け入れられていない。吉光里利に――リーダーに、私のことは伝えられていない。
それでも――いいや、それで、いいんだ。
私は『プレイヤーズ』に、いなかった。幻だ。
幻の――7人目。
……なんてのはかっこつけすぎか?
でもまあ、これで終わりだ。ちょっとはかっこつけてもいいだろう。
「大丈夫か? リリ」
「当然」
ルートさんが吉光里利に話しかける。吉光里利は私たちに背を向けたまま、ぶっきらぼうに答える。
「……無茶しないでね」
「その言葉は、聞きたくないかな」
「……さとり」
と、サニーは心配そうに、目尻をぬぐう。
……もう、後戻りはできないのか。吉光里利の覚悟が固まってしまった以上――まわりが今から何を言っても無駄なのだ。
無論、それは私も同じ。
私ができることは、本当に、もうない。だからこの場所にいるのは、観劇者としてだった。
吉光里利は、私たちに事の概要を話す――荒唐無稽で、むちゃくちゃな話を。化け物は個性で生まれる。だから、ここで個性を失って、化け物を出現させよう――ということだ。
「私の個性を、化け物にする――といった具合です」
そう、彼女は言った。星空を見上げながら。
……吉光里利の、表情が見えない。
彼女は、今何を思っているのだろうか。
化け物によって個性を失ってしまったこと。その化け物は自分が創ってしまったものだということ。そして、化け物は人を襲い、人の命を奪うということ。そして、その化け物は、気の持ちようで倒せるということ。
トートロは、強くなんかないということ。
「…………」
もっとも、ことは概念のように簡単にはいかないだろう。現実は数学でも物理でもない。ただの現実だ。
ありえない、なんてありえない……そんな屁理屈が、まかり通ってしまう。
個性がないなんて、ありえない。
「みんなと一緒に居られてよかった」
と――吉光里利は、涙ながらに言った。
……ずっと、といえば、彼女もか。
彼女もずっと……苦しんでいたのだ。苦しみのない現実に、メリハリのない現実に。ただ逃避するだけの現実が――嫌だったに違いない。はっきりとは思っていなくても――いつか、彼女にかかった呪縛は、解かなくてはいけなかった。解いたときに、血は流れるけれど……それでも、やらなければいけなかった。
吉光里利にも、吉光里利としての人生があるのだから。
……だとしたら、これは誕生なのだ。吉光里利の、新しい人生の始まり。
「そんな個性。これを……今から、手放す」
彩のなかった彼女の人生に、初めて友人ができて、そして一緒に行動する仲間ができた。……どれほど嬉しいことだっただろう。吉光里利は――今、その喜びを感じているのだ。
それを十分に、ありがたいと感じながら――捨てると宣言した。
てめえらの友情なんかいらない、と――宣言した。
「……待ってるから」
サニーが、いいや、星宮紗那が、吉光里利に言う。
「戻ってきて……必ず! 信じてるから! がんばって! さとり!」
里利はその言葉に、何とも言えない苦悩の表情を浮かべた。
……吉光里利は、冷たい人間ではない。今こうして、個性を捨てようとしているのは――あくまでも、化け物を出現させるという狙い、ただそれだけだ。吉光里利の持っている個性で化け物を生み出し、そして再度、取り込む――そうすることで、吉光里利は確固とした個性を手にすることができて、化け物は、もう現れない。
そういう作戦だ。
この作戦ならば……意図しない余計な個性を、吉光里利が得ることはない。
しかし――失うものは、存在する。
彼女も、痛みをもって知るべきなのだ。自分が何であるのか。そして、それを保つために、人はどれだけの苦労をしているのか。化け物に――教えてもらわなければいけない。
自らが傷つき、個性を得る。
だからこそ――これは、吉光里利にしかできないことなのだ。
「がんばってぇっ! がんばってぇぇっ!!」
吉光里利は、こちらを振り向き、涙をぬぐい、再度、背を向ける。
「……これが私の、最後の戦い。決着しよう――化け物。私が死ぬか、生きるか……化け物。私を殺したいなら、好きにしろ! 私は――何も、後悔しない!」
吉光里利の中から、黒い何かが、出てくる。
あれが……個性そのもの。吉光里利の個性の色は――黒色。
それはその個性が暗いとか、そういうのではない……いろんな色が混ざりすぎて、見えなくなっているだけ。本当に大事なものを、そこから選び取ることができる――そんな色。もちろん、すべてを選ぶことだって、できる。
選択するのは、吉光里利だ。
それは流動し、うねり、集まり、膨らんで――化け物を生み出した。
「私が変わった意志がここで示された! 私は今こそ、過去と決別する!」
吉光里利は、駆けだす。一切の迷いなく、化け物に向かって特攻する。
――ああ。
良いなあ。吉光里利。
あの目は――いいなあ。
あんな目を、私もしたかった。死にそうな目を。これから死ぬ人間の目を――したかった。
あのとき屋上にいた私も、あんな目をしていたのだろう。もう一度――死を、私にください。トートロによって奪われた死を、私にください。そう、どれほど願ったか。
ああ……そうか。
ここで、終わりなのか。
英雄の活躍により、物語は幕を下ろす。つまりそれは――私が死ぬということだ。
……ようやく、死ねる。
長かったなぁ。
本当に、いろいろあったなぁ。
人生のおまけステージに、こんなに難関があっただなんて……でもまあ、ボーナスステージらしく、いいようにふるまえたんじゃないかと思う。
そんな達成感とともに、死ねるんだ――本当に、悪くない気分だ。
吉光里利が、化け物に飛びついた瞬間。
私はすっと、目を閉じた。かなめちゃんとの――つながりを、切った。
あとはもう、わかっていることだろう?
これで物語は、おしまい。
吉光里利と化け物の間から、白い光が漏れだす。真っ赤な血と、白い光。美しいコントラストを描きながら、すべてはなくなっていった。
化物はその輪郭をぼやかして、すっ、と……消えて行った。
真っ暗な工事現場に、空の星を彩る、色とりどりの星が舞った。まるで紙吹雪のように、この世界を、祝福するように。
そして――この瞬間、もっとも救われたのは、他ならぬ私だったのだろう。
ありがとう。吉光里利。
……そして……ごめんね?
心は、すっ、と楽になり――そして。
果たして花坂かなめから、情景移植の能力は消え去った。