命の別名⑩
1.やり切れない喧嘩
誰もが人生という物語の主役である。
ああ、その言葉に否はない。皆が皆、必死に、怠惰に、或いは何となく自分の物語を生きている。
だが別の舞台においても主役を張れるかどうかはまた別の話だ。
ヤンキー漫画の法則に支配された世界では誰もが誰も意味のある役を担っているわけではない。
(キャパシティってもんがあるからな)
やられ役の雑魚や背景のモブにまで詳しい設定とか練り込まれてたら読者が混乱しちまうよ。
だから俺も出会う人間、全員が全員何かしら関わりがあるなどとは思っちゃいない。
(……だが、今回に限っては目が曇ってたと言わざるを得ん)
これまでだって読みを外すこともあったけど今回はそれ以前の問題だ。
タカミナが主役の長編エピソードだと推測しておきながら、それを証明するような出来事が起きたことを知りながら……不覚だ。
どう考えても真っ先にそこを怪しむべきだろうに。俺はタカミナの“友人”だからと無意識の内に信を置いていた。
(――――哀河雫、奴が今回の黒幕だ)
最初はタカミナが一度、やられるための理由付けとして配置された役だと思っていた。
親近感を覚えたものの直ぐに霧散してそれからは特に何かを感じることもなかったからな。そういうちょい役かなってさ。
だがこうも鮮やかにドラッグを蔓延させている黒幕だと考えれば、警戒していない相手を欺くことぐらいは容易だろう。
(それに物語的にも友達だと思っていた奴が実は……ってのはあるあるだからな)
問題は動機だがこれは奴の過去次第だろう。
もし今回の事件の根幹が八朔と話していた時に思いついた推測通りなら確実に俺の予想通りの過去があるはずだ。
逆に言えば“そういう過去”がないのであれば俺の推測が外れていることになって振り出しに戻るんだが……。
(その方がずっとマシだろう)
そんなことを考えていると廃工場の外からエンジン音が聞こえた。
「お待たせ~」
「それでわざわざ俺とテツだけに話とは何だ?」
「その前にタカミナは?」
「うん? ああ、哀河とスケッチに行ったよ。当然、梅津と矢島も一緒だ」
哀河に気を遣わせたくないからだろう。
退院した翌日にはもう、タカミナは哀河に会いに行っていた。
負い目なんて感じる必要はないとばかりにこれまで通り遊びに行っている。
また襲われたらどうするんだよと言ったが、
『そん時は返り討ちにしたるわ』
とのことだ。
完治するまでは自分から喧嘩を売りに行くつもりはないが向こうが売って来た場合は別ってことだ。
流石に塵狼の頭として許容出来なかったので梅津と矢島を護衛につけることにしたのだ。
タカミナは難色を示したが、
『俺だってこんなことはしたくないんだけどなー、タカミナくんが無様にやられちゃったからなー』
『ぐぎぎ』
ってな具合で無理矢理呑ませた。
「そっか、じゃあ本題だ。これから二人に頼みたいことがあるんだけど……それは二人にとって複雑なものになると思う」
「「……」」
「だが何も言わずに引き受けて欲しい。俺の勘が当たっていたのなら相当不味いことになるから」
「…………俺達が複雑な思いをすると言ったが、それはお前もなんじゃないか?」
「それは」
「分かるよ。友達だもん。でもまあ、ニコちんがグッと我慢してるなら俺達が逃げるわけにはいかないよね~」
「だな。それで何をすれば良い?」
……何度思うことになるんだろうな。良い友達に恵まれたってさ。
「哀河の過去について調べて欲しい。具体的には」
予想通り、渋い顔になったが二人は何も言わずに了承してくれた。
「今日中には分かるだろう。スマホの電源は落とさないでくれよ」
「それと、後でちゃんと理由を説明してよ?」
「分かってる」
それだけ言って二人は廃工場を出て行った。
エンジン音が聞こえ、それが遠ざかるのを待って椅子に腰掛けた。
「はぁあぁぁぁ……」
座った瞬間、どでかい溜息が漏れてしまうが勘弁して欲しい。
まがりなりにもチームの頭だからな。弱ってるところを見せるわけにはいかないのだ。
いや、何でも一人でどうにかするつもりはないよ? 必要なら周囲に頼るさ。
何せ一人で何でもかんでもやろうとするのは暴走フラグだからな。
「でも、今回のことに関してはな」
この段階で周りに告げても不安を煽るだけだし、本当の意味で俺と同じ危機感を共有することは出来ない。
だから何も言えないのだ。少なくとも俺の推測が当たっているだろうって確信を得られるまでは。
「……ただ、当たって欲しくないんだよなぁ」
俺の推測が外れているなら振り出しに戻ることにはなるが、その方が気持ち的にはまだマシだ。
何せ、当たっていればこれまでで一番酷い喧嘩になるであろうことが予想出来るから。
(ヤンキー漫画における喧嘩には種類がある)
ド悪党をシバキまわす……いわゆる勧善懲悪時代劇的なスカっとする喧嘩。
俺が関わって来た喧嘩で言えばキレイキレイ前の梅津と逆十字軍だな。
次いで互いの意地をぶつけ合う熱い喧嘩。
これは……スカッとも混ざっているが三代目悪童七人隊との戦いが近いな。
この系統の喧嘩は最後は何か良い具合に人情味溢れる感じで終わることが多い。
(そして……“やり切れない喧嘩”)
明確に悪と断じれず、敵と割り切るのも難しい……そんな相手との喧嘩だ。
俺の推測が当たってしまった場合、今回はこのタイプの喧嘩になるだろう。
(精神的なしんどさもそうだが……)
肉体的にも一番、キツイ戦いになるだろう。流される血の量はかなり増える。
下手をすれば人死にだってな。これはメタな視点で流れを俯瞰出来る俺だからこその危機感だ。
現実に即した理屈だけでも多少、危機感は煽れるかもだが……難しいな。
「はぁ……何時までもネガティブに浸ってるわけにもいかんな」
塵狼の頭として、そしてクソッタレな視点を持つ人間としてやるべきことをしなければいけない。
予想が当たっていた場合に備えるのだ。
的中すれば衝突は避けられない。まず間違いなく血は流れる。
相手も俺達も……誰一人死なせないように動くのが俺の役目だろ。
「……主役としてアドバンテージを握れりゃ、もっと大胆に動けるんだが」
今回の主役はタカミナだからな。
まあでも、そこに不安はない。タカミナは俺なんぞよりよっぽど出来た人間だ。上手いことやってくれるだろう。
俺はその前提で手を打てば良いのだ。
(考えられる死人が出そうなシチュエーションは……)
2.おおぅ、キモッ!
廃材置き場にスケッチブックを滑る鉛筆の音が響く。
真剣な顔で鉛筆を走らせる雫と、椅子に腰掛けてモデルをする梅津。それをぼんやり眺めている俺と矢島。
何つーかさぁ……。
「過保護じゃね? もう殆ど身体も回復してるじゃんよ」
「……矢島」
「はいはい」
矢島がスマホを取り出す。
《俺だってこんなことはしたくないんだけどなー、タカミナくんが無様にやられちゃったからなー》
「んぐ……?!」
録音されたニコの音声がスマホから吐き出された。
こ、コイツらわざわざこんなもんまで用意してやがったのか……!?
「……負け犬に発言権はねえ。リベンジかますまでは大人しくしてろやハゲ」
「は、ハゲてねえし! 俺んは坊主だ!! つかお前が言う!? 負け犬ってさぁ!!」
「……まあ俺はリベンジには失敗したが、別に良い。あれは俺の負けで納得してる」
「んぐ」
「……つーか、花咲に負けたってんならテメーもだろ。花咲相手なら四天王は軒並み負け犬じゃねえか」
仰る通りだよ畜生め!!
「あ、梅津くん。あんまり動かないで」
「……あぁ」
すん、と大人しくなる。前々から思ってたが梅津って犬タイプだよな。いやでも、俺や金銀もそうか?
梅津がお利口なポメラニアンあたりなら金銀は間抜け面晒してあちこち駆け回る柴犬タイプと見た。俺? 俺は誇り高き土佐犬よ。
矢島は一見犬だが梅津とつるみ始めた経緯的に猫だな。テツトモも猫。ニコも猫だ。
まあニコの場合は猫は猫でもおっかねえ化け猫みてえなもんだが。
「しかしあれやね。雫くんは度胸あるわ」
「え? いやそんなことはないよ。家で黒光りする例のアレを見つけた時とか金縛りにあったかのように動けなくなるし」
「動けなくなるほどじゃねえが、Gに出くわしたら大抵ビクっとはなるだろ」
もう見た目からして生理的嫌悪が半端ねえんだよアイツ。
俺は平気で殺せるタイプだけど殺したらぶちゅっと色々出て来て……おおぅ、キモッ!
「一瞬で殺せるスプレーがあれば良いんだがなぁ」
「うん。スプレーかけてる内に逃げちゃって姿が見えなくなるともう最悪」
「Gの話はええねん。ボクが言うてるんはそのことやなくて……今の状況よ」
? ああ、そういう意味か。
「最初はボクらっちゅーか主に梅ちゃんにおどおどしとったやん」
「いや、それは……」
矢島は愛想が良いからな。だから余計に梅津が際立つっつーか。
「責めてるわけじゃねえよ。梅津はなー、常に不機嫌ヅラだもんよ。何? 生理ですか? って感じ」
「……殺されてえのか高梨」
「あ、動かないで」
「……おう」
ほらこれだよ。
「やのに今は普通に絵のモデルを頼むわ動くなって言うわでめっちゃ大胆やん」
「……まあ確かに最初はちょっと怖かったけどさ。そもそも南くんの友達だもん」
悪い人じゃないのは分かっていたと雫は言う。
バツが悪そうに目を逸らす梅津だが、直ぐに動かないでと言われてしまう。
「話してる内に不器用だけど優しい人だって分かったからね。
ちゃんと真剣にお願いすればモデルだって引き受けてくれるだろうし引き受けたのならモデルも真面目にやってくれる」
だから特別、怖がるようなことはないと雫は断言した。
「俺に度胸があるわけじゃなくて梅津くんが寛容な人間だからだよ」
「いやぁ? 十分、肝が据わっとる思うけどねえ」
俺もそう思う。
「……何と言うか、お前は花咲に似てるな」
「うぇ!? お、俺が?」
度胸があって頭も切れるし喧嘩も強い。
そんな人に似ているなんてと恐縮する雫だが……いや、うん。俺も似てると思う。何となく近しいものを感じるもん。
「いやいや、線の細い男前なとことか不思議ちゃん入っとるとことかよう似てはるよ」
「ふ、不思議ちゃん……」
さっきのやり取りとか正にそうだもんな。
梅津が無害だと判断したからググイ! っと距離を詰めてくとことか正にそう。
分かったとしても普通は無難に付き合おうとするもんだろうよ。
「ただまあ、愛想の良さでは雫の圧勝だがな。アイツ、マジで微塵も表情が変わんねーからな」
「……付き合ってれば何となく楽しそうとか面倒臭そうとかは分かるが表情ではまるで判断出来ねえな」
「辛うじて眉毛の動きで不機嫌かな? ってのが分かるぐらいやねえ」
「…………南くん、梅津くん、矢島くん。それは茶化しちゃダメなところだと思うよ」
咎めるように雫は言った。
「好き好んで無表情で居るわけじゃないと思う。笑いたいし、泣きたいし、怒りたいはずだ」
……自己弁護させてもらうなら、だ。
俺達に悪気はなかった。親しい間柄ゆえの軽口のようなもの。
アイツがちょこちょこ笑えない際どいジョークをぶち込んで来るからってのもあるだろう。
だが第三者から見れば……いや違うな。多分、雫はニコと同じ……。
「多分、花咲くんは大切な人を失ってる。好きで好きで……本当に大好きで、その人のためなら何でも出来るぐらいに愛していた。
でも失ってしまった。あの色は……きっと、助けられなかったんだ。
そんな人を失った心の痛みはそう簡単に癒えるものじゃない。そう簡単に立ち直れるようなものじゃない。
俺も、姉さんが死んだ時そうだった。酷い無力感と己に対する怒り……俺は立ち直れたけど彼は今も……」
と、そこまで言って雫はバツが悪そうに俯いた。
「……ごめん。説教臭いこと言っちゃって」
「いや、そんなことはねえよ。確かに俺らもふざけてた。親しい仲だからこそ弁えるべきこともあらぁな」
俺も梅津も矢島も……テツトモや金銀コンビもそう。
心がどうにかなっちまうぐらいの喪失を経験したことはない。
だから本当の意味で、ニコの痛みに寄り添ってやることは出来ねえ。だが雫は違う。
まったく同じ形ってわけじゃねえ。それでも似た痛みを知るからこそ……怒れた、怒ってくれた。あいつのために。
不謹慎だが、俺はそれが嬉しかったんだ。
「……雫」
「?」
「今はニコもちょっと忙しいみてえだから無理だけどよ。落ち着いたら、改めてアイツにお前を紹介して良いかな?」
きっと、きっと良い友達になれると思うんだ。
俺がそう言うと雫はキョトンとした後、笑った。
「うん。凄い人だからちょっと気後れしちゃうけど俺も花咲くんと話をしてみたい。あと、出来るなら絵のモデルにもなってもらいたいかな」
「そりゃ良い。アイツはモデルも顔負けの美形だからな。さぞや絵になることだろうぜ」
次回、事件の全貌が大体明かされますので少々お待ちを。