命の別名⑦
1.停滞
「「「……」」」
とあるアパートの一室で俺、大我さん、龍也さん、烏丸さんの四人は揃って渋い顔をしていた。
まあ俺の顔は変化ないんで渋いかどうかは意見が分かれるのだが……って俺のことはどうでも良いのだ。
「そりゃさ、自分が超有能だとかは思ってなかったけどさ。一週間ちょっと、本気で調査に乗り出してロクな情報を掴めないとは」
烏丸さんが溜息を吐く。そう、それが俺達の渋面の理由だった。
高校生組三人の伝手もフルに活用しての捜査。俺だって知恵を振り絞った。
しかし、Reをばら撒いている奴の正体どころか影すら掴めちゃいないのが現状。
こんなザマだ。渋い顔の一つや二つはしたくなるってもんだろう。
「んまー……ヤクなんて売り捌いてる奴っすからね」
「二十にもなってないガキがそう簡単には尻尾を掴めねえってことでしょ」
二人の言うことも尤もではあるが、だからしょうがないと割り切るにはコトがコトだしなぁ。
またしても溜息が漏れてしまうがここでグダグダ言ってても仕方ない。気持ちを切り替えねば。
「誰でも良いんで煙草、一本貰えないかな?」
ただでさえ愉快ではない話なのに、事態が思うように進んでおらずストレスが溜まっているのだ。
イチゴミルクキャンディよりも今は煙草の気分だった。
「それならほら、俺のをどうぞ」
「ありがと」
烏丸さんから洋モクを貰い、口に咥えると大我さんが火を点けてくれた。
何かこの場面だけ切り取ると俺、何か偉い人みたいだな。
「とりあえず今、分かってる情報を改めて確認しようか」
立ち上がった俺はホワイトボードの前に立ち、マジックペンを手に取った。
ちなみにこのアパートは烏丸さんのお祖父さん所有のもので管理人の仕事をする代わりに空き部屋を使わせてもらっているのだとか。
「まずはドラッグについて」
楽園回帰とホワイトボードに書き込む。
タブレットタイプのドラッグで水なしでもいけるらしいが砕いて溶かしそれを静脈に注射することも出来るとのことだ。
多幸感、五感の鈍化など……効果は概ね、ドラッグと言われて想像する際のそれである。副作用についても同じだ。
「ここで気になるのは“値段”だ」
俺の言葉に全員が頷く。
そう、このRe。似たような効果を得られるドラッグと比較するとかなり安いのだ。
いや、俺らも普通のドラッグの相場とかは知らんかったけどさ。
そういうのに詳しい人に聞いたところ、かなりのお手頃価格だというのが分かった。
「週に何日かバイトすりゃ、普通に一か月分ぐらいは賄えるだろうね」
烏丸さんの言葉に俺達も同意を示す。
学生でもちょっと頑張れば良い程度ってのが……どうにも引っ掛かる。
「皆はどう思う?」
「……徹底的に搾り取ってあとはポイってイメージだったんだがなぁ」
龍也さんのぼやき。俺もそうだ。
当たり前の話だが違法薬物で利益を得ようなんて輩は糞だ。
ドラッグを服用した結果、購入者がどうなるかなんて知ったこっちゃない。金さえ稼げればそれで良い。俺も似たようなイメージだった。
さっき言った詳しい人も金持ちなら長いこと絞れるように上手いことやると言ってたが貧乏人は使い捨てだと言っていた。
「薄利多売……ってことなのかな?」
懐の寂しい学生が標的だから薄利多売で稼ぐ。
一定の理がなくはないが、
「いやでもよ、烏丸先輩。ドラッグなんて売る側もリスクが付き纏うんだぜ? 客を増やすってことはそれだけリスクが大きくなると思うんだが」
「それに薄利多売にしても相場に比べると安すぎねえ?」
これも一理ある。
学生からそこまで深く搾り取れそうにないっていうなら、そもそも学生を商売相手に選ぶなって話だしね。
中学生、高校生が違法薬物に手を出すなんてニュースは前世でも聞いたことはある。
だがそれは売る側が彼らを標的にしたとかではないだろう。馬鹿な子供が馬鹿をやらかした結果であり、売る側がメインの客層として選んでいたとは思えない。
しかしこの街で起きているドラッグの蔓延は違う。明確に学生を標的にしている。
「学生を客にする利点って何なんだよ……」
ガシガシと髪を掻き毟る大我さん。まったく以ってその通り。
これまで出た意見をホワイトボードに書き込んでいくが、どれもこれも……うーむ。
「笑顔くんは……どう思う? 何で学生を標的に?」
「ふむ」
思案する。馬鹿な子供だから? 客の一人としてならまあ、不思議ではないがメイン層にはしないだろう。
ならば、
「……立ち直り易い年代を選んだ?」
大人と子供では社会復帰の難易度が大きく異なる。
三十代半ばのオッサンがドラッグに手を出して身持ちを崩すのと未成年がドラッグに手を出して身持ちを崩すのでは訳が違う。
共に犯罪歴はつくが前者の場合はそれまで築いて来た社会的地位が無に帰す。
会社はクビになるだろうし身体もボロボロ、罪を償い薬物依存から抜け出したとしても元の生活には戻れやしない。
ドラッグに手を出したことでついた前歴が確実に再就職の足を引っ張る。世間様の目も厳しいし定職には就けないかもしれない。
だが子供の場合はそうでもない。社会が若さゆえの過ちに寛容だからだ。
子供だから手厚く更正を助けてくれるだろうし、身体も若いからオッサンよりはリカバリーも利くだろう。
という推測を語ると、
「「「いやないわ」」」
即座に否定された。
「そんな情けがあるならそもそもヤクなんて売るなって話でしょ」
そうね。
「ある意味、純粋な屑より性質悪いわ」
仰る通りだわ。
いや俺も言っててこれはないなと思ったもの。
というのも、
「未だ黒幕の輪郭さえ見えていねえがよ。売人にされてる人らを見るに、んな情けがあるとは思えねえ」
「ひでえ“やり口”だよ、ありゃ」
竜虎コンビが深々と溜息を吐く。
そう、この売人。これもまた……えげつない。
調査の結果、俺らは何人かの売人との接触に成功したのだが彼らは皆、共通点を持っていた。
(オブラートに包んで言うなら俺に接触する前の八朔)
言葉を飾らずハッキリ言うなら“虐げられる者”。
そう、黒幕は売人に気の弱そうないじめられているであろう人間を使っていたのだ。
そこらのチンピラよりは頭が回り簡単に躾けられるからだろう。
ちらほら見える暴力の痕跡と、酷く澱んだ暗い目が印象的だった。
「はぁ……これがただの屑なら俺らもやり易かったんだが」
烏丸さんが顔を顰めながらぼやく。
売人に使われている者らは本質的に被害者だ。ドラッグの販売に加担させられているがそれは恐怖によって無理矢理縛り付けられているだけ。
そして彼らにとっては自分達を虐げる連中も、俺達も大差はない。
情報を得るため当然、彼らを説得した。誰にも言わないし、危険が降り掛かりそうなら俺達が守るってな具合にね。
そうしたら何て返されたと思う?
『……同じ穴の狢のくせに』
誰も何も言えなかった。
恨み辛み不信感が凝縮されたその瞳は……しばらく忘れられそうにない。
結局、売人達からは何の情報も得られなかった。信頼関係を築けば話してくれるかもだが、あの目を見るに相当長い時間を要するだろう。
「「「「どうしたものか……」」」」
頭を抱えている胸のスマホが震えた。
ディスプレイにはトモの名前が映っている。三人に断りを入れて電話に出る俺だが、
「――――は? タカミナがやられた?」
2.刹那から永遠に
時は少し遡る。
放課後。南は自宅から一番近い駅の噴水広場へ足を運んでいた。
目的は、
「いよっす」
「ああ、南くん。こんにちは」
哀河雫に会うためだ。
雫をカツアゲから助けた後、ちゃんとお礼をしたいからと連絡先を交換した。
そして翌日、昨日のお礼にと二人で食事に行ったのだが、話してみればこれで中々気が合う。
何時も遊んでいる笑顔が多忙だったこともあり、南はここ最近はずっと雫と遊んでいた。
「おう。で、今日の成果は? 見せてくれよ」
「成果って……まあはい、どうぞ」
雫が苦笑気味にスケッチブックを手渡すと南は目を輝かせながらそれをめくり始めた。
雫と会うのが楽しい理由の一つが、これだった。
別段、芸術とやらに興味があったわけではないのだが……不思議と、雫の絵には心惹かれるものがあった。
「おぉ」
昼寝をしている猫。談笑しているジジババ。学校をサボって遊んでいる学生。
雫が朝から今までこの噴水の淵に腰掛け、眺めて来た光景だ。
特別なことは一つもない。何の変哲もない日常が描かれているだけなのに、どうしてかそれが貴いもののように感じる。
「い~ねぇ」
朝から今までと先ほど述べたことからも分かると思うが、雫は学校に行っていない。いわゆる不登校だ。
イジメか、学校の空気に馴染めないのか、それ以外の理由か。理由は知らない。
だが、とやかく言うつもりはなかった。助けを求めるなら骨を折っても良いと思う程度には仲良くなったが本人は何も望んでいない。
ここでこうしているのが今の雫にとって一番ならそれで良い。
自分達はまだ中学生なのだ。これから先、心境に変化が訪れることもあるだろう。焦ることはないというのが南のスタンスだ。
「……毎回思うけど、別に大したものは描いてないよ? 絵だって上手いってわけじゃない下手の横好きだし」
「俺はこれが好きなんだよ。あと、絵はふっつーにうめえじゃん。おめー、俺が同じもん描いたとしてこうはならねえかんな」
絵の良し悪しが分かるほど目が肥えているわけではない。
だが素人目に見ても雫の絵は素晴らしいというのが南の感想だった。
「つか、お前もこれが好きで描いてんだろ?」
「それは……まあ、うん。そうだね」
雫は傍らに置いていたお茶で軽く喉を湿らせると、ゆっくり語り始めた。
「この目で見たものを題材にするのは、それを好ましく思うからだ。
記憶は劣化する。色褪せてしまう前に鮮明なまま形にしておきたい。
自分の好きを刹那から永遠に留めていたいという願いを叶えるために人は筆を取るんだ」
実際のモデルがない絵などもそう。自分の感じた何かを永遠にしたいと願うがゆえ。
絵は祈りの結晶なのだと雫は言う。
「小難しいことはよう分からんけど……うん、何か良いこと言ってるのは分かるぜ。アーティストだな雫」
「はは、まあ姉さんの受け売りなんだけどね」
「姉ちゃん居るんか? お前の姉ちゃんなら美人なんだろうなぁ」
「正確には“居た”だね」
「……悪い」
「いや、俺の方こそゴメン。わざわざ言うようなことではなかった」
さて、と少しばかり気まずくなった空気を変えるように雫は立ち上がった。
「それじゃあ今日もよろしく頼むよ」
「おう、今日はどこに行くんだ?」
少し前からこうして合流した後、雫が絵を描いてみたい場所へ連れて行く流れになったのだ。
提案したのは南で、それに雫が甘えた形である。
「そうだね、じゃあ雨傘の森へ連れてってくれるかな?」
「う゛ぇ゛!?」
雨笠の森と聞いた瞬間、南の顔が盛大に引き攣った。
雫は何だ急にと首を傾げたが、直ぐにそうと思われる理由に行き当たりニヤリと笑う。
「え、何? ひょっとして南くんって幽霊とか信じてるの?」
そう、雨笠の森とは東区でも有名な心霊スポットなのだ。
由来を語れば長くなるので割愛するが……まあ、よくある話だなぁという感じの曰くのある場所だと思ってくれれば良い。
「いや、信じてるっつーか……」
実際にやり合ったっていうか……などとは言えない。
あんな非現実極まる出来事を語ったところで頭おかしい人と思われるのが関の山だ。
何なら南自身、夢か幻じゃなかったのかと今でも疑っている。
まあ笑顔の家に遊びに行く度、誰も触ってないのにクローゼットの中から友情の鞠が転がり落ちて来たりするのだが。
「うぷぷ……幽霊が怖いなんて南くんも可愛いとこあるんだね」
「あぁ!?」
この雫という少年。笑顔と似通った空気を纏っているが表情の豊かさについては雲泥の差だ。
こうして意地の悪い笑みを浮かべた笑顔など誰が想像出来ようか。
「日中だし幽霊も寝てると思うけど……ああ、幽霊が居るなら、だけどさ。でもまあ、南くんが怖いなら別のとこに……」
「怖くねえし!? 全然平気だし!? 全裸でも行けるわ!!」
「全裸は止めて。俺まで変な人に見られちゃうから」
というわけで二人は雨笠の森へと向かった。
雨笠の森は雫が絵を描く場所に選んだことからも察しがつくと思うが、景観自体はとても素晴らしい。
木々の隙間から差し込む光を浴びながら照り映える緑の中を歩く雫の顔はとても晴れやかだ。
…………まあ、南の方はやたらキョドっているのだが。
「着いた。ここだよ、一度来てみたかったんだ」
小さな沼の前に辿り着く。
エメラルドに輝く水面は、これまでキョドっていた南も息を呑むほど美しかった。
「…………綺麗だな」
「だね。姉さんから聞いてはいたんだけど想像以上だ。家から遠いし活動的な性質じゃないから足が遠退いてたけど」
こんなことならもっと早くに来れば良かったと笑い、雫は腰を下ろした。
「折角だしさ、南くんもスケッチしてみない?」
「俺が~?」
「見てるだけじゃつまらないでしょ?」
そう言って雫は鞄から新品のスケッチブックとまだ封の切られていない色鉛筆セットを差し出した。
「んなことはないが……それに、俺美術の成績悪いし……」
「別にプロ目指してるわけじゃないんだから上手い下手は関係ないよ」
「ううむ……まあ、興味がねえって言えば嘘になるが……」
「自分の“好き”に嘘を吐かず素直に描ければそれで十分さ」
「……そうだな。そいじゃ、俺もちょいと描いてみるべや」
「うん」
それから一時間ほど、他愛のないお喋りに興じながら絵を描いていたのだが……。
「……」
「南くん?」
突然、南が険しい顔で黙り込んだ。
怪訝な顔をする雫を他所に南は深々と溜息を吐いて立ち上がる。
そしてゆっくりと振り返った。つられて雫も振り返ると少し離れたところに瞳孔が開き切った“やばい目”の高校生が立っていた。
「ようやく見つけたぜ高梨ぃ~? 手間ぁかけさせやがって……!」
「薬師寺……子分の敵討ちにしちゃあ、随分と時間がかかったな。んなに俺が怖かったのか?」
「テメェ……!!」
「悪いが今は芸術の秋を楽しんでる真っ最中なんだ」
南は学ランの上を脱ぎ捨てると、手招きをしながら言った。
「二度と絡んで来られねえよう今度はキッチリ引導をくれてやらぁ」