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命の別名③

1.影が差す


(ね、眠い……)


 早朝の鍛錬にプラスして二時間目の体育が長距離走だったから身体が休息を求めている?

 否、そうではない。自慢じゃないが体力には自信があるのだ。

 この眠気は教師の口から垂れ流される催眠音波のせいだ。


(いや、分かるぜ? 先生は真面目に授業してくれてるっつーのはよ。分かってんだ)


 でもダメだ。小難しい内容もさることながら声に抑揚がないせいかお経みてえに聞こえちまう。

 脳を心地良い眠りに誘おうとしている。頬を抓ってみるがダメだ。何かもう痛みまで気持ち良い。


(……秘密兵器に頼るっきゃねえな)


 あまり使いたくはないが已む無しだ。

 俺は机の中から“眠殺”とラベルが貼られたガムボトルを取り出す。

 蓋を開け親指の爪ほどの大きさのガムを摘まみ上げ、


(ええい、ままよ!!)


 口の中に放り込む。

 瞬間、全身の毛穴がかっ開くような感覚が駆け抜け、俺は変な声を漏らしそうになった。

 ミントの清涼感が口内どころか身体の隅々まで蹂躙しているような錯覚に身悶えしそうになるがこれも我慢。

 一分、二分、三分、未だ眠殺が俺の体内で猛威を振るっているが……少し、慣れて来た。


(これ、ホント合法なんだよな……?)


 一粒で一時間、二時間は平気でこの状態が続くからな。

 この間、何か飲んだり食べたりしても味わかんねえしさぁ。

 いやコンビニで売ってる以上、合法は合法なんだろうけどさ……ネットのレビューでもヤバイしか書いてないしマジ怖い。

 とは言えあれだけ重かった目蓋が今はどうだ? 羽根のように軽い。

 不安から目を逸らし、授業に集中する。


(真面目に授業受けてるヤンキーってのも中々シュールだが……)


 俺も夏前まではそうでもなかった。授業は普通にサボってたし、眠くなったら平気で居眠りをしていた。

 だがニコや金銀コンビに勉強を教えてもらったからだろう。

 何となく、普段の授業も真面目にやらねえとアイツらに申し訳ないなとか思い始めたのだ。


(それに、あんなのを見せられちゃな)


 決定打になったのは悪童七人隊との決戦だ。

 二十歳を越えてんのに嬉々としてはした金に釣られて恥知らずにも出張って来た間抜けども。

 あれを見てああはなるまいと思った。いやホント、生き恥だぜアイツら。


(とは言え、授業の内容はあんま分からんのだが……)


 半分も理解出来ているか怪しいぐらいだ。

 やっぱり積み重ねだろう。去年丸々、殆ど遊んでたようなもんだからな。

 コツコツと積み重ねて来た日々の努力がない俺がすらすらと中身を理解出来る方が問題だろう。

 アリとキリギリスの童話で真面目にやってないキリギリスが美味しい思いをしちゃアリの立つ瀬がねえ。

 だからこそ内容が分からなくても分からないなりに真面目に授業を聞く。


『授業の内容が直ぐに理解出来なくても良いんだよ』


 ニコも言っていた。今は分からなくても無駄にはならないと。


『俺や柚、桃が勉強を教えていく内にあれはそういうことだったのかって理解が及べば分からなかった授業の内容も血肉に変わる』


 つくづく良い友人を持ったものだ。


「おっと、そろそろチャイムが鳴りますね。ここまでにしておきましょう」


 七分ほど残っているがここから続けても中途半端になるだけだと授業を切り上げた。

 他の教室はまだ授業をやっているからだろう挨拶もなしに、教師は教室を出て行った。

 無愛想というわけではない。あの先生は……自分のペースを大事にするタイプなのだ。


「さて、飯にするべや」


 授業は真面目に聞くがその他の部分でぐらいは、緩くやらせてもらう。

 教室から出ないようにと言われていたが気にせず弁当を片手に教室を出て屋上に向かう。

 サボりが何人か居て俺に気付くと軽く頭を下げて来た。


「あ、高梨くんじゃん。ちーっす」

「おう」


 テキトーに対応しつつ定位置に陣取り、煙草を取り出す。


「はぁー……これだから授業の後の一服はやめらんねえ」


 つっても味も匂いも未だ蔓延ってるミントのせいでロクに分からないんだがな。

 ただ煙を肺に入れた時のこう……何つーの? 充足感? 優しく労われてるような感覚と万能感が堪らん。


(世界一有名な髭の親父がキノコをキメる時もこんな感じなのかねえ)


 なんてアホなことを考えていると、


「ねえ高梨くん」

「あん?」


 先客の数人がこちらに近付いて来た。

 ニコニコとやけに愛想を振り撒いているが……どうも、あんまり良い感じはしない。

 何となく何を言うか予想はついているが、一応聞くだけ聞いてやろう。


「あのさ、前も言ったかもだけど……悪童七人隊との抗争、ホント凄かったよ」

「ああ、その前の逆十字軍との戦いもな!」

「……あんがとよ」

「それで、なんだけど塵狼って人募集してたりしないかな?」

「すっげえイカシタチームで俺らも一緒に戦いたいってーの?」

「高梨くんとかみてえにはいかないけどさ、俺らも結構やるっつーか」


 やっぱりそういう話だったか。呆れと疲労で深々と煙を吐き出す。

 二学期が始まってしばらくは様子見してたんだが、時間が経つにつれこういう話がちょいちょい俺に持ち込まれるようになったのだ。

 テツとトモはって? 最初はあいつらにも話がいってたんだが、


『やー、ほら俺らはタカミナのオマケみたいなもんだし?』

『口利きして欲しいならタカミナに話を持って行った方が良いぞ』


 と俺に押し付けやがったのだ。酷い奴らだ、それでも幼馴染かよ。


「どうかな? 塵狼、入れてくんない?」


 両手を合わせ茶目っ気を前面に押し出しながら頼み込むが、野郎がやってもなぁ。

 まあ女の子にやられても受け入れるかどうかは別の話だが。


「わりーが塵狼(うち)は新規に人を募ったりはしてねえんだ」


 半分嘘で半分本当だ。

 新規に人を集めるようなことはしていないが、じゃあ誰も入れるなってことかと言えばそうでもない。

 ニコは俺達、最高幹部には人を入れる権限を与えている。

 俺達が選んだ人間ならという信頼もあるんだろうが、そういうのは面倒だから俺らに放り投げてるってのが主な理由だろう。

 まあ権限を与えられてるつっても俺らは別に全国制覇だのチームを大きくするだの野望があるわけじゃない。

 なので俺も他の連中も特に新しく人を入れようなどとは考えてもいない。


「そんなこと言わずにさ。ね、ね!」

「ふぅー……んならうちの大将に直接、頼んだらどうだ? 席を設けるぐらいはしてやるぜ」


 俺がそう提案するとこれまでの勢いはどこへやら、連中は言葉を詰まらせた。


(入りたいって言ってるチームの頭と会うのにビビってる奴がよくもまあ……)


 呆れるがコイツらだけが特別、情けないってわけではない。

 同じような話を持ち込んで来た連中はニコに頼めと言ったら皆、同じようなリアクションを返す。


(別にビビるようなこたぁねえのによ)


 怒らせるようなことをしなければ基本、受け身で穏やかな男だ。

 そんでその怒りのラインにしたって普通に接してりゃまず越えることはあり得ない。

 現に夏休み明けからは学校でもこれまでの腫れ物扱いから若干、扱いが変わったみたいだし。

 まあそれでも怒らせないようにと気を遣ってるようだし、接点のない奴からすれば怖いことには変わりないのかねえ。


「何なら今から連絡してやろうか?」

「い、いや良いよ。それじゃ、その、俺らはこれで」


 そそくさと逃げ去って行った。

 そしてそれと入れ替わるようにテツとトモが屋上へやって来る。

 両手に抱えた戦利品を見るに購買での争いは上々のようだ。


「おまたー。はいこれタカミナの分ね」

「サンキュ」

「ところでさっきの連中は……」


 肩を竦めるとトモも察してくれたらしく、苦笑を浮かべている。


「またニコちんの名前使ったの~? タカミナってば酷いんだぁ」

「俺の名前使ってるお前らだけにゃ言われたくねえ……」


 コイツらだってタカミナのオマケだから無理ですぅ、ってこっちに投げてんじゃねえか。

 まあその俺も頭はニコだからつって逃げてるわけだが。


「いやでも実際、俺とトモちんは最高幹部つっても……ねえ?」

「腕っ節方面ではカスだからな」

「んなんは適材適所だろ。喧嘩が強いから偉いってわけじゃねえよ」


 実際、テツトモの後方支援は逆十字軍との時も三代目悪童七人隊の時も大いに役立った。

 情報に強いのはトモだがそれを集めるために社交的なテツの存在は欠かせない。

 トモもコミュニケーション能力に難アリっていうわけではないが、テツのが警戒心を抱かせずに相手の懐へ飛び込めるからな。

 頭であるニコの策を実現するために得るべき情報の選別とそれで実際に得た情報の精査がトモの仕事なら実働はテツって感じだ。


「何ならお前らの方がニコに重宝されてるぐらいだ。変に自分を卑下すんじゃねーよ」


 何でも小器用にこなす金角銀角、かつては組織を率いていた梅津と違って俺は喧嘩一辺倒だからな。

 下準備や情報戦を重視するニコからすればテツトモは本当にありがたい人材だろう。


「ま、それはともかくだ」

「あ、照れちゃった? 柄にもなく熱いこと語っちゃって照れちゃった?」

「うるせえ! それよかお前ら午後の授業は?」

「数学」

「英語」

「……チッ、じゃあ無理か」


 コイツらも俺と同じような理由で勉強に力を入れるようになったクチだからな。

 よっぽどのことがない限り午後の授業はサボらんだろう。


「何で急に……ああ、ゲームの発売日か今日」

「おう」


 俺がガキの頃から贔屓にしてる野球ゲームの発売日なのだ。

 で、都合が良いことに五時間目は自習で六時間目は文化祭の話し合いと来た。

 俺としてはサボっても問題のない状況ってわけだ。

 二人もそうならこの後、一緒にゲーム買いに行ってそのまま秘密基地で対戦三昧と洒落込めたんだがなぁ。


「しゃーねー、お前らが帰って来るまでは育成モードやってるわ」

「俺さ、前々から気になってたことあるんだけど聞いて良い?」

「あんだよ?」

「オリジナル選手作成してそれを贔屓のチームに入れて最強のチーム完成だ! とかやってるけど虚しくないの?」

「ほっとけや!!」


 リアルがアレなんだからゲームの中でぐらい最強のチームにしても良いだろ!

 リアルで見れない夢を見たって良いじゃねえか! 人間なんだもの!


「必死過ぎて引く」

「うるせぇあ!!」

「というかあれだ、俺も前々から思ってたんだが言って良いか?」

「……聞くだけ聞いてやるよ」

「そこまで好きなら自分がプロになってチームを強くするみたいなことは考えないのか?」

「あー……言われてみれば。小さい頃から一緒だけどそういう話は聞いたことないね」


 分かってねえなぁコイツら……。

 そりゃ俺も野球は見るのもするのも好きだぜ? それこそ集会で野球大会を提案しようってぐらいにはな。


「じゃあプロになりたいかつったら違うだろ」


 なれるなれないの話は別だ。今はそこ重要じゃないからな。


「プロになるってことはだな、チームと観客のためにプレイしなきゃいけねえんだ」


 楽しむ側じゃなくなるってことだ。それは俺的にはノーサンキューである。

 野球は見るにしてもやるにしても俺が楽しむためのもので、誰かを楽しませるためにというのはちょっと違う。


「意外に真面目な考えで笑う」

「ぶっ飛ばされてえのか!?」


 授業が始まる五分前ぐらいまでダラダラして、俺は帰り支度をして学校を出た。

 向かう先はよく行くゲームショップ。予約してあるので別に急ぐ必要はない。

 しかしそういう問題ではないのだ。楽しみにしていたゲームの発売日、気が急いてしまうのはしょうがないだろう。

 全力ダッシュしてしまった俺は悪くない。


「ありがとうございました~」


 そして無事、ゲームを購入。

 買う前と買う後で世界の見え方が違うのはきっと気のせいではない。

 ほくほく顔で帰ろうとしたのだが……俺はすっかり忘れていた。他ならぬ俺自身が言っていたことなのにな。


「! テメェ、高梨……まさかこんなとこで会えるとは思ってなかったぜ」


 公園を抜けて近道をしようとしたら、だ。

 溜まっていた高校生どもが俺に気付き、目の色を変えた。これを友好的接触だと受け取るほど俺は馬鹿じゃない。


「……ああ、ホント、今日は厄日だぜ」

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