ネオメロドラマティック⑥
1.エリーゼのために
笑顔が最初に取り掛かったのはスマホの捜索だった。
この場に居る全員が複数台のスマホを所持していた。
そこから普段使い用と思われるものだけを除外し、一つ一つ中身を検めていく。
「……あるとは思ってたが」
頭痛を堪えるように顔を顰めながら画面を見つめる笑顔。
そこには“趣味の悪い”動画が垂れ流されていた。
「ロックがかかってなかったのは意外だったが――……いや意外でもないか」
ここに居るのは“同好の士”だけ。酒を飲みながら見せ合いっこなどをしていたのだろう。
画面が落ちる度に一々パスを打ち込んでなんて酒が入った頭では面倒臭い。
だから一時的に完全に解除していたのだ。こちらにとっては好都合だが酷く気分が悪い。
「写真もたんまり……」
吐き気を堪えながら笑顔はそれらのデータを持ち込んだカードにコピーしていく。
一通り吸出しが終わったら今度はメールやライン、電話帳のデータだ。
“趣味用”のスマホに登録されている連中は同じ穴の狢である可能性が高いので収集しておけば何かに使えるだろう。
「……ああそうだ、ルイにも連絡を入れておかないと」
父親の普段使いのスマホを使い緊急の案件が入ったから今日は中止だとメールを送っておく。
ズキンズキンと痛む頭。それでもここまで来たのだから最後までやり通すしかない。
笑顔は殺意が燻る心に活を入れ、次の作業に取り掛かった。
「よォ、お前らケツからワインを飲んだことはあるか? 去勢の経験は?」
「「「「「!?!!」」」」」
一人一人“潰し”ていく。
ぐにゃぐにゃになった足でM字開脚のような体勢を無理矢理取らせ“無惨”なそこがよく見えるように彼らの普段使いのスマホでパシャ。
それが終わったら思いつく限りの“痴態”を演じさせ同じようにパシャ。
そして普段使いのスマホに登録されている身内と思われる連中に写真と趣味用のスマホにあった一部の動画を添付したメールを一斉送信。
内容はシンプルにホテルの住所と部屋番号、そして“何もなかった。そうだろう?”という一文だけ。
それを見た者らはこの事態を隠蔽すべく動くだろう。
(誰かも分からん奴に“ヤバイデータ”を握られてんだからな)
今はネット全盛の時代。一度、ネットの海に放流されてしまえば完全に隠蔽することは不可能だろう。
データを目にした“匿名の正義の味方”達はこぞって“正義”を振り翳し当事者とその身内を追い詰めていく。
内容が内容だ。大火となったそれらを事実無根、捏造だと主張して揉み消そうと動いても追いつかない。
(これだけの不祥事だ。国内どころか国外にも当然、知れ渡る。海外の人権団体や政治団体も巻き込んで酷いことになるだろうな)
一体どれだけの金が必要になる? 途方もない額になるはずだ。
金を渡され庇うよう頼まれた者、自分にも不利益が及びそうだからと庇おうとする者。彼らにだって限界はある。
であれば庇わず不祥事を起こした者らだけを切り捨てる方向に舵を取るのは目に見えている。
日本という国家の国際的信用の失墜にも繋がる。政府も黙ってはいられない。
(仮に俺の身元が割られたとしても……問題はないさ)
笑顔は様々な想定をした上で事に臨んでいる。
監視カメラや部屋の残留物。それらから自身の身元が調べられる可能性も想定済みだ。
その上で自分が消される、ないしはパクられることになった場合は何もかもが滅茶苦茶になる手も考えている。
証拠が手に入った今ならば直ぐにでも準備は整えられるだろう。
(まあ、幸か不幸か真人さんに出くわしたからその心配も要らんだろうけど)
自分よりもよっぽど頭も良く、社会的地位もある人間にデータを渡せば上手く立ち回ってくれるだろう。
五人を壁に“磔”終えた笑顔は軽く後始末をして部屋を後にする。
そしてエレベーターのところまで来て、
「…………真人さん」
真人と出くわす。待っていたのか。ここで。
笑顔の姿を認めた真人は無言で近付き、その華奢な身体を抱き締めた。
「なに、を」
「――――君が、泣きそうな顔をしていたから」
息が詰まる。視界が明滅する。喉から熱いものがせり上がる。
今の笑顔にとって“優しさ”は“猛毒”以外の何ものでもなかった。
それでも堪えた。まだ、終わっていないから。
「……ありがとうございます。一先ず、場所を移しましょう。話さなきゃいけないことが沢山ありますから」
「……ああ」
連れられて向かったのはスイートルームだった。
真人は笑顔に座るよう促し、冷蔵庫から取り出したイチゴオレを差し出した。
それは笑顔の好物で、恐らくは義母や姉から聞いていたのだろう。
「ありがとうございます」
口をつけ、甘いそれを流し込み笑顔は深々と息を吐いた。
「全てをお話します。“ここ”で事を起こした俺にはその責任があるから」
「……ああ」
「かなり不愉快な思いをするでしょうが……御覚悟を」
「既に腹は括っている」
「では」
笑顔は吸い出したデータが入ったカードを自身のスマホに挿入した。
そしてフォルダを開き中身を再生した上で真人に差し出す。
受け取った真人は画面を見つめ、
「これ、は」
口元を手で覆った。
「そういうことがこのホテルで行われていました。それも一度や二度じゃなく何度も。証拠はあります。
俺は受付でここに来るはずだった女の子の友人を騙って受付で部屋番号を聞きだそうとしました。
受付のドブカス野郎は俺の“容姿”を見て得心がいったような顔をして電話を繋ぎました。
その際に漏れ聞こえていた会話からしても一度や二度の関係じゃないのは確かでしょう」
受付の独断ではないだろう。下っ端に融通を利かせられるほどの権限はない。
となれば、そこまで言った笑顔の言葉を引き継ぐように真人は苦々しい顔で口を開く。
「……相応の地位に居る者までもが加担している」
「確実に」
スマホをテーブルに置いた真人が目元を手で覆い天を仰ぐ。
老人の心を苛む真似などはしたくないが、ここで終わらせるわけにもいかない。
笑顔はスマホを操作し、屑五人の痴態を収めた写真を表示し真人に見るよう促す。
「今回の下手人はこの五人。しかし、彼らだけではないでしょう。
屑どもの“趣味”に使うスマホに登録されていた連絡先も全て吸い出しておきましたので後ほどご確認を」
念のために言っておきますがちゃんと生きています。笑顔はそう補足を入れた。
「……うむ」
真人は何を思ったのだろうか?
写真に写っているのは実に凄惨な光景だ。自身の孫がここまでのことをやった、やらざるを得なかった事実。
それに胸を痛めているのは間違いないだろう。しかし、それを表には出さず堪えている。きっと、孫のために。
「コイツらの親族らしき連中に写真と動画の一部を添付したメールを送りました。“何もなかった。そうだろう?”という文章を添えて」
「既に通達はしてある。問題なく通されるだろう。そして君の想定通りに動くはずだ」
その意図を汲み取って答える真人。
あれこれ考えていたが、一番無難な結末に落ち着きそうだと笑顔は小さく息を吐く。
「データは真人さんに渡しますので全て、御任せします」
「……分かった。この件に関わった従業員と、上役はどうする?」
暗に笑顔の好きにして良いと言っているのだ。
写真にあった五人の凄惨な姿を考えれば、普通はそうは言わないだろう。
だが……真人も恐らく、察したのだ。笑顔の実母のことや同じ道を辿ろうとしていた涙のこと。
事情は分からずとも今回の一件は花咲笑顔という人間の心の傷が深く抉られているということに。
それが愚かな真似をした人間を甚振る程度で少しでも楽になるのなら……。
殺さないのならどうとでもやりようはあると、だから真人はこんな提案をしたのだろう。
「そちらに御任せします」
笑顔もまた、その気遣いを理解していた。
だからこそ、その優しさに報いる答えを返した。
真人は複雑そうな顔をしていたものの、少し間を置いて分かったと頷いた。
「それと……万が一、最悪の場合を想定して一つ」
言いたくはない。しかし、言わなければいけないことだ。
仮に逮捕されてしまった場合“それ”を上手く使えるのは真人だけだから。
「散々胸糞悪い話を聞かされた上に更に不愉快なことになりますが」
「構わない。言ってくれ」
「あの写真の中の一人は、俺の親類です」
「!?」
「実母の方の縁戚で高峰の家に引き取られた時点で縁は完全に切れていますが間違いありません」
「……確かなのかね?」
「ええ。一度だけ、実母の葬式で見たことがあります。写真の中で一番、酷いことになってたのが居るでしょう? そいつですよ」
笑顔は淡々と続ける。
「奴は幼い実母を……“おかあさん”を壊してあんな風にしてしまった元凶です」
「――――」
「おかあさんの弁護がしたいわけじゃありません。倉橋からすれば関係のないことですからね」
笑顔が言いたいのはそういうことではない。もっと、救いのないことだ。
「仮に俺が逮捕されたとして、その時に使ってください。少年Aが凶行に走った理由として」
「…………世論を、味方につけるために利用しろ、と?」
真人の声は掠れていた。
当然だ。実の孫がこんなことを言い出してショックを受けない人間が居るものか。
「ええ。俺が逮捕されたら高峰の家にも倉橋の家にも迷惑をかけてしまいますからね」
止まるという選択肢はなかった。
だがその結果として周囲の者が不利益を被るのなら最低限、やれることはしておくべきだと笑顔はそう考えている。
「だから使ってください。お涙頂戴話に仕立て上げて。非難ではなく同情を集めるために」
外から声が上がれば、内側からも声が通る。
凶行の背景が知れ渡ったのなら引き取ってくれた義母達には心底良くしてもらったこと。
父方の家族にも優しくしてもらったこと、包み隠さず――いや、世間に受けるよう脚色して証言をしよう。
「真人さん、罪悪感を覚える必要はありません。これは俺がそうしたいから、俺が嫌だから提案しているんです」
「……ッ」
「優しい人達が屑どものせいで要らぬ責めを受けるなんて許せない。道理に合っていない。俺のためにやってください」
その屑、の中には五人だけではない。自分自身も含まれている。
笑顔も自分が卑怯な言い方をしているのは理解しているが、それでも止まれない。
本当に嫌だから。自分のせいで迷惑をかけてしまうのだけは絶対に嫌だから。それが少しでも軽くなるなら何でもやる。
「……一つだけ」
「?」
「一つだけ、聞かせてくれ。誰にも口外はしない。全て私の胸の裡に留めると誓う」
「……何でしょう?」
「笑顔くん。君は何故、今回このような真似を?」
笑顔は少し考えた後で、ゆっくりと口を開いた。
「おかあさんが、重なったから」
「……」
「本来ここに来るはずだった女の子に、おかあさんが重なったんです」
直接は口にしない。だがそれで察してくれたはずだ。
ここに来るはずだった女の子もまた、身内の大人から……と。
「俺はあの女に何もしてあげられなかった。でもあの子は違う。まだ間に合うと思ったんです」
ここで引き返せば同じ道を転がり落ちて行くことは避けられるだろうと。
「それで終わった過去が変わるわけではないけれど、やらずにはいられなかった」
「……そうか」
「ええ。これで良いですか?」
「ああ。頼まれごとは引き受けよう。だが最悪の事態になどならない。させない。必ずだ」
「……ありがとうございます」
これで話すべきことは話せた。深々とソファに背を預け天井を仰ぐ。
「しばらくはここでゆっくりしていくと良い。何なら泊まってくれても構わんよ」
「ありがとうございます」
「何か欲しいものや、して欲しいことがあれば言ってくれ。用意させよう」
「なら、お願いして良いですか?」
「何だね?」
「…………このホテルにピアノ、あります?」
「む? まあ、あるが」
「少しだけ弾かせてもらっても?」
「あ、ああ。それなら案内しよう」
真人に案内されミュージックルームに向かった笑顔は静かに椅子に腰掛け、そっと鍵盤に触れた。
音楽は聴くものであって、演奏したことなど一度もない。それでも、自然と指が動いた。
笑顔は奏でる。何時か聴いた一度だけの演奏会を思い返しながら。
(……遠いあなたへ)
届かぬ旋律と分かっていても。