23話 根回しは大事
【弓聖】
日本のギルドが誇る最強のパーティーであるギルドナイトのメンバーとして世界に名が知られる探索者。
見た目は二〇代の中頃だが、それはハイポーションの効果で若返ったからそう見えるだけで、現時点での実年齢は三一。レベルはたしか四四。
本人曰く『一五のときに【弓使い】のジョブを得る前は、なんの変哲もない、それこそどこにでもいるただの可憐な美少女だった』とのことだったが……残念ながらこの国は、今も昔も探索者となってから僅か一五年やそこらで世界最強の一角に名を連ねることとなる女傑がどこにでもいるような魔境ではない。
そもそも、弓という武器は普通に使うだけでも専用の技能を必要とするし、なにより矢を使い捨てる関係上ランニングコストが高くつくため、彼女が台頭するまでは数ある戦闘職の中でもなかなか不遇な扱いを受けていた。
彼女が自分で言うような『どこにでもいる少女』なら、この時点で心が折れてもおかしくはない。
だが、そうはならなかった。
不遇なジョブに就いてしまった若き日の彼女が最初にしたことは、誰かに八つ当たりすることでも腐ることでもなく、【弓使い】というジョブを得るまで一度も触れたこともなかった弓を使えるようになるため、弓術の道場へ入門し、一心不乱に弓術を学ぶことを選んだのである。
なんという精神力。
なんという克己心。
これを当たり前と思うなかれ。
大前提として、探索者とはあくまで職業の一つでしかない。
そしてこの国は探索者となった者にも『職業選択の自由』という権利を保障している(なお【商人系】のジョブを得た人間は保障の対象外とする)。
そのため、探索者としての素質があるからといって、必ずしもダンジョンに潜らなければならないわけではない。
命懸けの作業をするにあたって、不安要素は限りなく減らしたいと思うのが人というもの。
それが減らないとなれば、別の職を選ぶのもまた、人として当たり前の判断と言えるだろう。
このことは、龍星会に所属しているメンバーのうち探索者としてダンジョンに潜っているのは全体の四割ほどでしかなく、残りは藤本興業が運営する土建屋の仕事に従事していることからもわかると思う。
つまるところこの業界では、自分に向いていないジョブを得たと思ったらさっさと探索者の道を諦めて別の仕事に就くのが普通なのである(なお【商人系】のジョブを得た人間には別の道など存在しないものとする)。
よって世間で不遇とされるジョブを得たことは、若き日の彼女が探索者としての道を諦めるには十分すぎるほどの理由となったはずだった。
しかし、彼女はあきらめなかった。
なにが原動力となったかは不明だが、若き日の彼女は弓術道場の門を叩き、弓術の習得に時間を費やしたのだ。
そうこうして弟子入りから一〇年で皆伝を得た彼女は、数年前に探索者用の弓術流派『小田原流弓術』を興し、今はその師範として世界各地の【弓使い】を鍛える立場となっている。
自身の行いで不遇とされていた弓使いの評価を一変させた女傑。
それが弓聖だ。
もちろん記憶の中の俺も彼女から弟子として扱われていた。
尤も俺の場合は、普通の弟子ではなく、雑用係的な面が強かったような気もするが。
うん。
思い返せば、俺が彼女にしてもらったことって、筋トレやマラソンなどの基礎的な鍛錬の監修以外は……彼女の修行のために生きた的を調達させられたり、俺自身が彼女の的になったり、いきなり『実戦経験を積め。ついでにポーションも持ってこい』と適正レベル以上の階層に投げ出されたり、命からがら帰還したと思ったらまた的にされたりしたくらいか。
……こんな関係を”師弟関係”とは呼びたくないし、呼ぶべきではないだろう。
最終的に彼女曰く『本っ当にギリギリだが、まぁよかろう』と微妙なノリで皆伝を貰ったが、全く嬉しくはなかったしな。
彼女の性格や弟子の育成方針についてはさておくとして。
これらの経歴からわかるように、彼女はレベルやステータス値に依存した探索者ではない。
きちんとした武術を修め、それを磨き上げてきた武人である。
確かな経験に裏打ちされた実力を持ち、ギルドナイト随一の業師として知られる彼女が相手となれば、全体的なステータスで上回るものの技術的に未熟な点が多々ある今の奥野では負ける可能性が極めて高い。
尤も、探索者になってからわずか数カ月の小娘が世界最強の一角と争える時点で、向こうからしたら『理不尽だ!』と叫びたくなるような案件だろうが、それはそれ。
記憶の中の俺が何度『理不尽だ!』と叫んだことか。
ようやく積りに積もった借りを返す時がきたようだな。
その前にやるべきことはさせてもらうが。
「あなたほどの人物が俺如きを送迎するためにくるとは。わざわざご苦労様です。依頼主は黒羽さんあたりでしょうか?」
情報は大事。今の彼女が持つ情報は既知のモノも多いが、重要なのは情報の中身ではなく、その情報を彼女から聞いたという事実だ。
「……随分と物知りなことだ」
予想通りといえば予想通り。
送迎であることは否定せず、依頼主に対する言及はなし。
だが、否定しなかった時点で自白したようなものだ。
こういう搦手に弱い、というか、そもそもこれから殺す相手に興味がない。
興味がないから相手と会話をしない。
それで情報が抜かれても、殺すのだから問題ない。
むしろ足掻いて少しでも冥途の土産を得ようとする標的を嘲笑う。
それがこの人の趣味でもある。
悪趣味と言えばその通り。
だが、送迎なんて陰気な仕事をさせられている時点で少しは癒しを得たいと思う気持ちもわからないではない。多かれ少なかれみんな似たような感じはあったしな。
ちなみに送迎とは、相手を死後の世界へと送るため、逃れられない死神たるギルドナイトが迎えに往くという意味らしい。
ちなみのちなみに俺が送迎を任された場合は、彼らほど悪趣味なことはしない。
死んだ相手ならまだしも、まだ死んでいない相手に情報を与える行動が三下っぽくて嫌だったのだ。
なので俺がやっていたことと言えば、標的をルームに引きずり込んで有無を言わさず首を刎ね、自分が死んだことにさえ気づかない標的が死ぬまで瞬きを何度するかを数えていた程度だな。
最高記録は……たしか一二回くらいだったか。
暴力事件を頻繁に起こして世間様、というかギルドに多大な迷惑をかけたどこぞの探索者パーティーのリーダーがその記録保持者だった気がする。
あの時だったか。”レベルの高さと死に至るまでの時間は比例する”って仮説が真実味を帯びたのは。
まぁ、今となってはどうでもいい話だ。
まずは目の前の問題を片付けよう。
「こちらとしても簡単に送られるわけにはいかないんですよね。……交渉の余地はありますか?」
「交渉?」
「えぇ。知っての通り貴女に送迎の依頼を出した黒羽さんはミスをしました。まぁミスをしたのは本人ではなく息子さんですが、それはいいでしょう。で、今は息子さんがやらかしたミスを挽回をするために躍起になっている真っ最中。違いますか?」
「……ふむ。続けろ」
「えぇ。おそらくですが『息子が恥をかくのは息子の勝手だが、それと一緒に自分の顔に泥を塗ったままなのは許せない。ガキに分際ってやつを分からせてやる!』今回貴女を派遣した動機はそんなところだと思うんですよね」
多分だが黒羽親父は、俺たちが四〇〇〇万円の受け取りを辞退すると考えたのではなかろうか。
普通ならそうするだろう。
決闘とはいえ学生の遊びで四〇〇〇万円なんて大金を動かすのは異常なことだからな。
即金で渡すことで契約を遵守しつつ、俺たちに圧力をかけたつもりかもしれない。
そうして学生である俺らが日和って返金するか、常識人である但馬さんらが返金するよう促すと思ったのだろう。
しかし、俺たちは返金するどころか、その金を使ってギルドからポーションを購入した。
それも二つ。
これにより黒羽親父は自分が渡した四〇〇〇万円を使い込まれたことを知ったわけだ。
当然怒るだろう。『あの馬鹿ども! 俺の恩情を無視しやがって!』とでも言っていそうだ。
「……それで?」
「落ち目の役人の面子のために子供を殺すなんて、馬鹿臭くないですか?」
「……確かにそういう思いがないわけではない。だが仕事は仕事だ」
重要なのは依頼があったことであって動機なんて関係ない。
そう言いたげな口調だな。
まぁ、そんなことは俺だって理解している。
そもそも俺の目的は彼女との交渉を成功させることではない。
あくまで奥野に今回の流れを聞かせることだ。
「本題です。もし俺たちを見逃してくれたら、黒羽さんの提示した金額の倍払います。どうでしょう?」
「ほう? 貴様に支払いができる、と? 私は安くないぞ」
「でしょうね。ですが知っているでしょう? 龍星会がハイポーションを売りに出したことを」
「まぁな。それがどう……いや、まさか」
「そうです。その出所が俺です。取り分は半々ってことにしていますので、近いうちに少なくとも数億円が入ってきます。それでは足りませんか? 黒羽さんには『龍星会のメンバーが来たので止めは刺せなかったが、瀕死に追い込んだ』とでも言えば溜飲を下げそうですけど」
「……」
「えぇ!? 支部長ってハイポーションも持っていたんですか!?」
ハイポーションの情報に驚いたのは、交渉中の彼女ではなくこれまで黙って話を聞いていた奥野だった。
まぁね。君には言っていないからね。
ハイポーションがあれば問題は全部解決していたのに!
なんて思っているのかもしれないが、そもそも君には買う金がないんだからその辺はあきらめろ。
「それを信じろ、と? それこそ子供の妄言だな」
そうそう。交渉相手は奥野ではなくこっちだ。
「まぁ、確かにここで証拠を提示することはできませんけど。地上に戻って確認してもらえればわかりますよ」
「そうですね! 確認すればすぐにわかりますよ!」
「……」
俺の発言を疑わない奥野に対して、彼女は懐疑的な目を向けてくる。
そらそうだ。
一五階層でうろちょろしているガキがハイポーションを手に入れることができるはずがない。
何らかの偶然で手に入れたとしても、取り分を龍星会と半々にする理由がない。
見逃したら数億円を支払うだなんて、誰が聞いても子供の嘘としか思えない。
普通ならそうだ。俺だってそう思う。
だが、事実だ。
信用できるかどうかは別として、俺が言っていることは事実なのだ。
「ふん。それで貴様を見逃したら私は”子供の嘘に騙されて任務に失敗した”と烙印を押されるわけだ。論外だな」
「……では?」
「もとより小僧と交渉などするつもりなどない。もう十分だ。死ね。そこの娘も一緒に送ってやる」
「ひえっ!?」
「……残念です」
なんてな。
その一言が聞きたかったんだ。
お前の口から”そこの娘も一緒に殺す”と宣言して欲しかったんだ。
この宣言のおかげで奥野の中に『正当防衛』という理由と『ギルドナイトを殺してもしょうがない』という理由ができたはず。
このご時世、自分を殺そうとする人間を殺すのは当然のことだからな。
それがたとえ世界のダンジョン探索をリードするギルドナイトの一員であろうとも、因果応報は世の習い。
くっくっくっ。
ただでさえ人目のないダンジョンで、唯一の目撃者である奥野の中にあったであろう”ギルドナイトに対する遠慮”を切り捨てた以上、ここにお前を護るモノはない!
「奥野は下がっていろ!」
「は、はい!」
「ふっ」
おうおう。随分と余裕だねぇ。
そんなに子供の命乞いは楽しかったか?
世界最強を前に、なんとか生き延びようとする様は嗤えたか?
これからお前が同じことをするんだが、それを理解しているか?
理解していようがしていなかろうが関係ねぇけどな。
さぁ、仕返しの時間だ。
今度は俺がその身に刻みつけてやろう。
逃れられない理不尽ってやつをなぁ!
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