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19話 天丼は二回まで

奥野せらと初日の交渉を終えた後のこと。


そういえば「勝手に人材を登用してもよかったのだろうか?」と思い、直属の上司である但馬さんに「将来有望な新人を入社させてやりたいんですがかまいませんね?」と伝えたところ、何やら疲れたような声で『……今更アンタの行動に文句をつけるつもりはねぇ。ねぇんだが、幹部に顔通しする前に入社させるってのは組織的に問題になるから、今度の土曜か日曜に事務所に連れて来てくれ』と言われてしまった。


曰く、基本的に藤本興業の人事採用に関するあれこれの権利は、部長以上の幹部社員に帰属しているらしい。それに鑑みれば、課長の俺には人事の決定権がないってことだな。


勝手に契約書とか作っておきながらコレでは格好がつかないどころの話ではない。

彼女には知られないようにしよう。


ともあれ、今回の件は『龍星会学園支部の支部長が、自身が管轄する支部内で将来有望な探索者を勧誘した。勧誘に応じた探索者を専務である自分が面接し、問題なしと判断して入社を追認した』という形にして収めてくれるらしい。


持つべきものは話が分かる上司である。


一々面倒なことだと思わなくもないが、組織としても誰彼構わず入社されても困るというのもわかるし、専務としても勝手に派閥を形成されても困るというのもわかるので、大人しく従うことにする。


そも、組織の力を利用するなら組織内のルールは守らなければ筋が通らないというものだ。


今回の件はその辺の確認を怠っていた俺が悪い。


今後は気を付けよう。


それはそれとして。


「両親とも話はしてきたわ! サインもした! だから例のアレ、早く頂戴! 今すぐに!」


「早く頂戴じゃねーのよ」


教室に入った途端に突撃してくるだけじゃなく、契約書と一緒に主語のない会話をぶつけるのはやめてくれませんかねぇ?


見ろ。ナニカを勘違いしたクラスメイトがざわ……ざわ……しているじゃないか。


妄想から真実に辿り着かれたらどうする。

思春期の子供の妄想力を甘く見るなよ。


ポーションを持っていると知られただけでも面倒なことになるんだぞ?


などと常識的な意見を言ったところで、目の前にぶら下げたニンジンしか見えていない今の彼女を止めることができるとは思わない。


気持ちもわかる。それだけ欲していたモノだからな。


だからと言って渡すわけでもないが。


とりあえずざわつく教室から彼女を連れ出し、人気のないところまで移動してから説教開始である。


「放課後まで待とうか」


「はぁ? まさか今更……」


「いや、どうしても欲しいなら渡すよ? でもねぇ」


「なによ!」


「今渡して壊れたり盗られたりしたら困らない?」


「それはっ!」


この学校は危機管理と情報秘匿の観念から一般人が入り込むことができないよう校舎がある土地と外が不思議な技術で区切られている。

そのため、許可がない人間が立ち入ることはできないのだが、同時に許可のない人間が外に出ることもできないのだ。

なのでポーションを貰ったと同時に病院へ駆け込むことはできない。


つまりここでポーションを得た場合、彼女は今日一日それを守り切る必要が出てくる。


「市場価格で最低四〇〇〇万円する貴重品を抱えてまともでいられる自信はある?」


「……」


突然大金を得た者は、時折周囲にいる全ての人が泥棒に見えるようになるという。

そんな状況で一日を過ごすのは不健康もいいところだろう。


また、そうやって周囲を警戒すると、周囲も彼女にナニカがあると察してしまう。

そのナニカがポーションだと知られたらどうなる? 当然ちょっかいを受ける。


人によっては、本物かどうかを確認しようとするだろう。

人によっては、初めて見たモノをもっと見たいと思うだろう。

単純に金に目が眩む人もいるだろう。

彼女のように心からポーションを欲している人だっているだろう。

そういった人たちからすれば、彼女が手にしている試験管はお宝そのものだ。


まだ年若い彼ら彼女らが、目の前に有るお宝を我慢できるとは思えない。

いや、社会人でさえ無理だろう。故に、教師だって警戒しなくてはならない存在となる。


「もちろん俺や会社としては君がどうなろうと、たとえ渡したポーションを壊されようが盗まれようがかまわない。こっちは契約通り君にブツを渡しているからね。その後の管理責任は君にある」


つまり、彼女の手からポーションがなくなったとしても、契約は破棄されないわけだ。


「だからまぁ、今のところは俺が保管している方がいいだろう。アイテムボックスの中身は誰にも確認できないし誰も干渉できないんだから」


裏の世界では過去にこの特性を利用して貸金庫みたいな商売をした人もいたらしいが、その大半が「他の人が預けている物品をよこせ!」とか「他にも預けていただろう! 出せ!」とかと言ったトラブルに巻き込まれては死んでいるそうだ。


げに恐ろしきは人の欲。というか、商人が不憫すぎる。


「……そうね」


俺が商人の儚さにツッコミをいれている間に少しは冷静になれたようだ。

先ほどまでの勢いは完全に消沈している。


”待て”が成功した瞬間である。


では、待てができたお利口さんには、ご褒美(追加の実弾)を差し上げましょうかね。


恩は売れるときに売れ。

鉄は熱いうちに打て。

溺れる者には罠を差し出せ。


「そうだ。契約ついでにもう一つ契約してみる気はあるかい?」


「……もう一つ契約? どんな?」


――意気消沈している気の強い黒髪美少女が上目遣いで見てくるときにしか得られない養分があると思いませんか?――


わかる。


おっと。一時期流行ったスパムメール染みた思想に流されるところだったぜ。

さすが若いときの彼女だ。破壊力が違う。

俺が妹を持つ長男だから我慢できたが、弟だったら危なかった。


なんて冗談はさておいて。


「なにを隠そう、今月は新人限定格安販売キャンペーン期間なんだ」


もちろん藤本興業も龍星会もそんなキャンペーンはやっていない。

あくまで俺が勝手にやっていることだ。


彼女がどう思うかは知らんけど。


「はい?」


まだ俺が何を言いたいのかわかっていないのか、キョトンとした顔で首をかしげる奥野せら。

その余裕、どこまで続くかな?


「詳細はこちらに明記しております」


「……なんで丁寧語? まぁいいけ……どぉ!?」


若いってそれだけで武器だなぁと思いつつ用意した契約書を差し出すと、彼女は怪しむことなくその内容を確認し、そして止まった。


まるで昨日の再現をみているようだ。


しかし彼女が止まるのも無理はない。

なんとその契約書(広告)にはこう書かれているからだ。


【今だけ特別! 貴女にだけ! ポーション四本セットを販売します! しかも、お値段はなんと二〇〇〇万円の大大大大サービス!  今なら利息無しの一〇年ローンも可能です! ただし限定商品なので現物限りの早いもの勝ち! 今だけ! 数量も季節も限定の大特価! ポーションが欲しいそこの貴女! このチャンスを絶対に逃すな!】


胡散臭いことこの上ない契約書である。


しかし、彼女はこの契約書から目が離せないでいる。


それはそうだろう。なにせ彼女の両親が負った傷を治療するために必要とされているポーションは最低一人三本。つまり彼女は最低六本のポーションが必要なのだ。


最初の契約金で二本の当てはできた。残るは四本。

元々は俺とダンジョンに潜りながら入手しようとしていたのだろう。

運良くポーションを得られたら、最短三年で退社できるからな。


だが、そうは問屋が卸さない。

彼女の思惑を根底から覆すのがこの契約書だ。


ギルドに売れば一本五〇〇万円。しかし、市場で買えば二〇〇〇万円でも買えるかどうかわからないポーションが、そもそも市場になかなか流れないポーションが四本纏めて、それも二〇〇〇万円で手に入る。これをお得でなくてなんというのか。


目の前に更なるニンジンをぶら下げられた彼女が取る行動は一つしかない。


「買うわ! 絶対に買う! だから他の人には絶対に売らないで! あと、現金は無理だからローンでお願いします!」


釣れた。


こうして想定通り彼女の一〇年を買い上げることに成功した俺は、内心でガッツポーズを決めつつ、昨日と同じように「サインは両親と話してからね」と告げながら契約書を渡したのであった。

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