68.病める人は引き上げられ、
「こちらですステイル様‼︎」
プライド様と別行動を取った後、ステイル様に再びマリアの部屋がある城の西側へと瞬間移動して頂いた。だが、ここから先は足で行くしかない。私を追うようにステイル様が駆けるが、まだ十二歳の身体ではいくら足を伸ばしたところで限界がある。少しずつ確実に息を切らしながら私から離されていってしまう。
今は、早くマリアのもとへ行かねばならない。だが、彼を置いていくことは許されない。ならば。
「ステイル様、失礼致します。」
駆ける足を緩め、ステイル様の横を並走する。息苦しそうに眉間に皺を寄せ、振り向くと同時に私を睨みつける。
私はそんな彼の背に触れる。特殊能力を使い彼の身体を年齢操作すれば次第に彼の背が、足が伸び、私に並ぶほどの背丈になっていく。足を止めぬまま彼は目を丸くさせ、床と顔の距離が離れていくのを確認するように地を見つめた。
「なにをっ…」
「こちらの方が走りやすいと思いまして。五年ほど引き上げさせて頂きました。」
そのまま成長を促し終われば、走るのには十分適した身体になった。「他者の年齢まで…!」と驚きを隠せない様子のステイル様に寿命までは変えられませんがね。と伝え、改めて駆ける足に力を込めた。小さく振り返れば今度は問題なく私の背後へついてきている。
他者への年齢操作。女王の許可無しにこの能力の公表は禁じられていた。寿命まで延ばせないとはいえ、この能力が国外に広まれば不老を望む他国の権力者にも望まれ、不要な国同士の争いの火種にもなるという女王、王配、摂政、そして私の宰相としての総意だった。
ステイル様に見せたのも今が初めてだ。彼も摂政となった暁には遅かれ早かれ私の能力を知ることにもなっただろう。とにかく今は、急ぎマリアのところへと駆けつけなければ。
扉を開き、部屋の中に入り、彼女の名を呼ぶ。
既に彼女に付かせていた侍女達が皆、彼女の眠るベッドに集まり、顔面蒼白にさせていたところだった。
ジルベール様、マリアンヌ様がと口々に叫ばれ、私は真っ直ぐに彼女へと駆け寄る。
「マリア…マリア‼︎私だ、ジルベールだ、息を、息がっ…できないのか…⁉︎」
なんということだろうか。
今朝より更に彼女の病状は悪化していた。
言葉が出ないどころか、十分に息をする事も叶わない様子だった。なんとか彼女に息を注げないかと手を尽くすがすぐに彼女はまた苦しそうに息を乱していた。いま医者を呼びにと言われても全く救いにならない。このままでは間に合わないことくらい医者でない私でもわかる。
彼女は私の姿をその目に捉えると仄かに笑んだ。私が彼女の名をもう一度叫べば、息をするので精一杯な筈のその唇で何か言おうと必死にもがいた。だが、切れ切れの口元は震え、何を言おうとしているのか読み取ることはできない。
「頼む…!まだ、まだ逝かないでくれっ…君を、まだ私は幸せにはっ…‼︎…誓ったのに…誓ったのにっ…‼︎‼︎」
無力な己自身へ怒りをぶつけるように叫び、力無く垂れ下がる彼女の手を掴む。
冷たく冷えきったその手が少しでも熱を帯びるようにと強く握り締める。だが、どれほど熱を込めようと彼女の手に本来の暖かさは戻らない。
プライド様の予知が無くとも、わかる。
彼女にはもう、終わりが近づいているのだと。
祈るように、彼女の手をひたすら握り締め声を掛け続ける。だが、彼女からの答えも、その症状が和らぐ訳でもない。
涙で既に視界はぼやけ、彼女の美しい顔すら見えなくなる。
まるで、少しずつ息を引き取るかのように彼女の呼吸が更に浅く、少なく、顔色からも血の気がますます引いて行く。
それでも彼女は、何度も何度もその唇を、何かを伝えようとするように震わし続ける。
「…っ、…マリア…駄目だ、駄目だ…っ、…お願いだ…」
最後にはもう、本当に神に祈ることしかできない。何年も裏で悪業を働いた、この私が。彼女をどうか連れて行かないでくれと、ひたすらに。
まるで、世界に私と彼女しか居なくなったかのように音が消えた。
耳が、彼女の息遣いしか拾うことができなくなる。
嫌だ、彼女を…彼女を失うのだけはっ…
すまない、マリア…すまない…
見つけられなかった…‼︎
あれ程全てを尽くしたというのに、叶わなかった…治療法も、特殊能力者も…何も
「アーサー、貴方の特殊能力は作物に限りません。貴方の本当の特殊能力は…」
突如、無音だった私の世界に少女の声が響く。
振り返り、いつの間にか現れたその影に私は目を見張る。
凛然とした、その声は。
作物に限��ぬと語られた、彼のその能力は。
『私達を貴方の婚約者のところまで案内してください。』
『ただ、作物を育てることにしか役立ちませんし…』
彼女の、彼の言葉を思い出し、急激に思考が高速で動き出す。
まさか、まさか…そんな。
そんな、奇跡など。
「万物の病を癒す力です‼︎」
彼女の言葉と同時に、今年騎士になったばかりの青年が私達の元へ駆け出す。
アーサー・ベレスフォード。
何度も、何度も望み、願い、探し求めた。
彼女を救う手立てを、その能力を。
その存在が、いま 目の前に…‼︎
手を伸ばし、暖かな彼の手が彼女の手を握る私の手の上から、そして彼女の腕を掴み取る。
救世主が、突如として私達の前に現れた。
「……………っ、…‼︎…ぁ…ッはぁっ、…あっ…!」
彼女が、息をする。
もう事切れる寸前だった、彼女が息を求める。
「マリアッ…マリア、聞こえるか?マリアッ…」
目の前の奇跡に理解が及ぶより先に彼女の名を呼び続ける。現実だと、確かめるようにその手を握りしめる。
どうか、答えてくれ
私のこの声に。どうか、もう一度この手を…
ー 掴…まれた。
彼女の細やかな手に掴まれた途端、心臓が高鳴った。
もう、握り返されることなどないかもしれないと今まで何度畏れただろうか。その手が、彼女の意思で私の手を掴む。同時に握り締めた手も確かに握り返されていた。
瞬きも忘れ、彼女の一挙一動に眼を見張る。
次第に呼吸も血色も本来あるべき状態へと戻っていく。
もう一度、祈りを込めて彼女の名を呼ぶ。
「……マリア…?」
私の声に、天を仰いでいた彼女の視線がゆっくりと向けられる。ジルと呼ばれ、それだけで全てが込み上げ、声が出なかった。
何度、その笑みを向けられることを想い、願い、夢に見続けただろう。
愛しい彼女が、苦痛から解放されるその時を。
「ちゃん…と…、…私は幸せよ。」
感情の波が、溢れる。
堪らず彼女のその身を抱き締める。
何度も、何度も触れたいと思いながら耐え続けた愛しい彼女の身体だ。
呼吸をすることも辛い彼女に少しの負担すら与えることを恐れ、触れる事すら躊躇われた彼女の身体だ。
痩せ細った彼女を身体ごと抱き締め、縋り、泣き続けた。
何度この時を望んだだろう。
何を犠牲にしても、彼女を救いたかった。
彼女を幸せにしたかった。
ついさっきまで死を覚悟したであろう彼女が私に伝えようとした言葉を今ようやく理解し、息ができなくなった。
幸せ、だと。
そう言ってくれた。
私が何よりも望んだ言葉だ。
彼女の病が治るまで絶対に聞かないと決めた言葉だ。
彼女のその一言で、今まで呪いのように絡みついていた全てから解放される。
歓喜と解放、安堵と幸福が激情となり止めどなく溢れ、言葉にならない。
マリアがアーサー・ベレスフォードに話す時も声が出ず、本当ならばいくら感謝の言葉を連ねても足りない程だったというのに頭を下げることだけで精一杯だった。ありがとう、と口にはしたが嗚咽ばかりで言語にすらならなかった。
彼がいなければ、確実に私はマリアを失っていた。
彼女を失った後も何も出来なかった己に打ちひしがれ、嘆くことしかできなかっただろう。
彼には生涯をかけても感謝しかない。
彼がこの場にいなければ、私は、マリアは…
…⁉︎
この場に、いなければ…?
突然、頭の靄が晴れたかのように、思考が恐ろしく潤滑に巡り、回っていく。
まるでたった今、目が覚めたかのような感覚に襲われる。
彼は、アーサー・ベレスフォードは、何故ここにいる?当然ながらステイル様が瞬間移動を使われたのだろう。ならば何故彼をここに連れてきた?当然、彼が病を癒す特殊能力者と知ってのことだ。だから彼をここに連れ、連れ、連れて…
……彼を、連れてきて下さったのは…プライド様だ。
彼は己の特殊能力を理解していないようだった。ならばプライド様が何らかの予知をし、彼の特殊能力を知り、連れてきて下さったのだろう。だからあの時、ステイル様に己を騎士団演習場まで瞬間移動して欲しいなどと…いや、彼女が動き出したのはそれよりも前だ。彼女が今朝方消えた私を探しに来たのはきっとこの為だ。だからこそ私に条件と言って彼女の元へ案内させたのだろう。大体、何故彼女がマリアのことを。…ああ、予知をしたと言っていた。彼女が今日このままでは亡くなると。だから彼女はステイル様と私を探し出し、彼女を救う為にこの部屋まで案内させ、アーサー殿を連れー…
私は、なんてことを。