66.病める人は溺れる。
…この地獄は、いつから始まったのだろうか。
「いい加減にしろジルベールッ‼︎」
法案協議会。七年間…毎年、特殊能力申請義務令を協議に出し、年々賛同者を増やすことができた。
かつて、友であった王配アルバートと、その愛娘プライド第一王女の悪評を広めた効果だ。特にプライド様への悪評を広めれば広めるほど、国の先を憂う者を私側へ取り込むことも容易くなっていた。だが、…それでも法案制定には及ばなかった。
やはり女王やティアラ様、ステイル様の悪評も広め、より王族への不信感を煽るべきだっただろうか。…いや、女王は元々評判も良く、法案協議会の立案者としても名高い。ステイル様も稀代の天才と名高く、貴族や社交界でも多くの人脈、信頼を築きあげている。ティアラ様もあの容姿と人当たり、何より幼い頃からの周囲への配慮や優しさが評判を呼んでいる。評判が良い人間の悪評を広めたところで、信憑性を疑われるだけだ。
……そう、決してマリアの友人であるローザ様や、幼き日のマリアを思い出させられるティアラ様、庶民からの出でありながらも摂政となるべく努め続けるステイル様を己と被せた訳でも、躊躇われた訳でも決してない。
「何故、執拗なまでにプライドに当たる⁈昔から…ステイルと従属の契約を交わした時からそうだっただろう!」
プライド様は八歳…そう、ちょうど私が決心をしてからすぐに第一王女に相応しき方になられた。義弟のステイル様、妹君であるティアラ様からの信頼も得、更には騎士達からの信頼すら厚い。女王に相応しい器であるという噂も城の人間から広がり始め、ステイル様自らも広げ、悪評を上塗りし始めていた。
だが、それではこちらが不都合なのだ。
私が決意をして暫く後、プライド様が王配であるアルバートへ、あることをねだる日が連日続いた。断絶が規定とされているステイル様の実の母親への手紙を許して欲しいとの願いだった。国の法を越える行為だ。だが、最終的には女王、王配共に特別処置という名の下にそれが許された。
そう、国の今までの在り方にと同じ理由でありながら首を縦に振られなかった私の法案とは違って。
この七年で、私は王配とそして特にプライド様の様々な悪評や噂を秘密裏に広め続けた。広めれば広めるほど、私の言葉に耳を傾け、同調する者が増えていった。そうする中で私自身も気がつけばプライド様への憎しみが募っていった。
他者へ言葉にすればするほど、私の中でプライド様は絶対的非道な王女へと固まっていったのだ。
だが、事情が変わったのは二年前の裁判だった。プライド様は今までも少しずつ女王や周囲からの信頼、そして自主的な勉学を積み重ね、女王としての段階を順調に踏みしめていた。そしてとうとう、女王の公務である裁判を一つ任されたのだ。
更には彼女はそこで女王の公務である隷属の契約までをも罪人と結び、見事に女王とヴェスト摂政をも認める審判を下してみせたのだ。これをきっかけに彼女は確実に女王としての経験を積んでゆくに違いない。ならば、手を変えなければ。次期女王として現女王、摂政、王配、そして騎士団や第一王子、第二王女からの信頼も厚い彼女に取り入り、法案への合意さえ得ることができれば。きっと法案制定は更に可能なものになる筈だ。既に広めた悪評を今すぐ取消す訳にはいかない。だが裏で反王族派の後押しを得つつ、表で彼女の信頼を得れば来年こそ、来年こそは…
「………ジルベール、お前の辛さはよくわかる。私やローザも全力を」
「ッわかるものか‼︎‼︎」
王配である彼へ、私は力の限り声を荒げる。
感情が渦のように回り、意識が遠のくのを感じた。
「わかるものかッ…‼︎お前に、お前に何がわかるアルバート⁉︎友であったお前に、私のこの苦しみがわかるとでも⁈私のっ…彼女の苦しみが‼︎」
アルバート…そう彼を呼んだのも何年ぶりだろうか。彼の胸倉を両手で掴み上げ、力任せに壁へとその背中を叩きつけた。震動で横の棚から本が零れ落ちる。だが、叩きつけられた本人は抵抗ひとつせずに私から目を離さない。
わかっている。もう、きっと時間は無い。日に日に弱り果てていく彼女の姿を見れば…わかる。
だが、それならば国を上げて探せばどうだ?マリアの立場も何も本人が死んでしまえば意味が無い。王族の立場が危ぶまれるのならば全て私の責にすれば良い。私の産まれや生い立ちを明らかにすれば賤しい下級層の男の暴走として王族が咎められることも無いだろう。
そうだ、アーサー・ベレスフォードは言っていた、病を癒す特殊能力者の噂を聞いたと‼︎
…もし、それすらも単なる噂というのならば。…教えてくれ。
それ以外、どんな方法があるのかを。
それ以外、私は何に縋れば良いのかを。
友も女王もその娘も裏切り犠牲にした私が、何を犠牲にすれば彼女を救えるのかを。
私を宥めようとするアルバートに縋り付く。彼の肩に力を込め、必死に訴える。
わかっている。彼が、女王が最善を尽くしてくれていることなどは。だが、だが…‼︎
「ッ七年だ…‼︎あれから七年も経っているんだぞアルバート‼︎」
堪らず彼を叩きつけたその壁に今度は己の両手をつき、至近距離で彼の瞳を覗き込むようにして睨みつける。
そう、もう七年だ。あの部屋に、あのベッドに縫いとめられで七年が経っている。彼女はよく耐えてくれている。尋常じゃない苦痛に苛まれながら、それでも生きてくれている。
だが、毎日彼女を看続けた私だからわかる。彼女にはもう限界が迫っていると。
呼吸の荒さが、静けさに変わって言った。息を吸込み、吐くことすらままならないのだ。
彼女の身体から震えが止まらなくなった。毎日握り締めたその手は、冷水に浸したかのように冷え切っていた。
半年前からは手足が完全に機能しなくなり、まるで単なる付属物かのようにその存在の意味を成さずに垂れ下がり、握り締めた手は弱々しくすら握り返されることがなくなった。
あんなに七年間も苦痛に耐え、生きて、生き続けてくれた彼女はもうその心すらも削りつくされてしまっている。最近は言葉どころか、絶えず私に向け続けてくれていたあの笑みですらもう叶わなくなっていた。今朝はとうとう私からの声掛けにすら…反応を示さなくなってしまった。
「彼女はっ!…マリアンヌは…っ、……ッもう、擦り切れる…寸前だ…」
言葉を吐き出した途端に身体に全く力が入らなくなり、立っていることすらままならなくなった。
無様に膝をつく私にアルバートが驚いたように片膝をついて私の肩に手を置く。小さな声で、しっかりしろと気遣ってくれる。王配である彼に乱暴を働いた私にだ。
そんな彼を、私は五年前から裏切っている。
「まだ…見つからないのか…⁈何故、見つからないんだ…類似した特殊能力者はこんなにも溢れているというのにっ…」
見つからない。どうしようもない。できる手段を全て打ち、全てを犠牲にしても尚、彼女を救えない。傷を癒す特殊能力者ならば溢れているというのに。
彼への罪悪感と、己の無力感で身体が震え、涙が止めどなく溢れてくる。
アルバートが「ジルベール…」と私の名を呼ぶ。本当は、彼に気遣われる価値など私には既にないというのに。
何故、救えない?
確かに誓ったのに。彼女を、幸せにすると。
特殊能力者を七年も探して、何故見つからない?
何処かに、何処かにいる筈だ。
夢でも幻でも絵本の物語でもなく、実在する筈だ。
年齢操作という稀有な特殊能力者が…私が、ここにいるのだから‼︎
「たった…一人で良いんだ…!たった、一人…見つかればっ…。…病を癒す…特殊能力者がっ…‼︎」
どうか、どうか現れてくれ。
私の全てを、何を差し出しても良い。
彼女を救ってくれ。
この、私の叫びに応えてくれ。
神がいるなら会わせてくれ。
彼女を救う、救世主に。
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