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8.極悪王女は義弟に願う。


ステイルと契約を交わし、家族になってから三日が経った。


いつも私の傍にいてくれるステイルが、本当に愛おしくなってくる。庶民の出ということで、まだマナーや読み書きなど覚えることが沢山あり過ぎて疲れている筈なのに、空き時間はすぐに私の近くに来てくれて、声を掛けると笑顔で傍まで駆け寄って、一緒に本を読んだり、城や庭園の散歩にも付き合ってくれる。

私も勉強やマナーはある程度身に付いているし、それなりに自信もあったから教えてあげたいのだけれど、ステイルの貴重な時間をただでさえ私に割いてくれているのに、また勉強の復習などをさせるのは申し訳なかった。なるべく、ステイルといる時は彼の母親や、母親を思い出さないように私の母上の話はしないようにだけ気をつけた。

あの晩、彼と約束をしたのは良いけれど、もっと彼と母親にしてあげられることがあれば良いのに…と思いながらもまだ、何も良案が思いつかない。


「そうだわステイル。追いかけっこをしましょう!お庭まで競争よ!」

もやもやした気持ちを振り払うようにそのまま駆け出すとステイルが「あ、待ってくださいプライド!ずるっ…」と声を上げていた。

これでも足は早い方だけど、本気を出したらいつもステイルの方が速い。そりゃ私より友達とかけっこ遊びは慣れているものね。

しかし、十メートルほど走ってもステイルは追いついてこない。不思議に思い振り返ると


「ステイル⁈」


ステイルは地面に突っ伏したまま倒れていた。急いで駆け寄って身体を起こさせる。

良かった、膝を擦りむいたりはしていない。でも顔をみると熱で真っ赤で、息も荒かった。どうみても異常だとわかる。

「誰か!ステイルが大変なの!」

周りの衛兵達に声を掛け振り返ると皆、異常に気がついて急いで駆け寄ってくる。

ステイル、ステイルと何度呼びかけても譫言のように何かもごもごと喋るだけで聞き取れない。

衛兵のジャックがステイルを抱えて城へと駆け戻っていく。私もロッテに付き添われてその後を追った。



……



風邪だった。


恐らく朝から無理をして平気なふりをしていたのだろう。疲労による単なる風邪だと聞いた時はホッとしたが、追いかけっこをしてステイルが倒れるまで義弟の変化に気づいてあげられなかった自分に腹が立つ。


母上は公務、父上が外交で城に居ないから話を聞きつけた摂政のヴェスト叔父様が一度様子を見に来てくれた。

母上の二つ下のヴェスト叔父様は初対面のステイルをとても心配してくれた。ステイルが自分と同じ立場なのもあるかもしれない。

目元が柔らかいけれど、身嗜みは着崩しのきの字も許さないかのようにピシッと決めていてとても素敵な人だ。

しっかりと七三分けされた青い髪を手で押さえながらステイルの部屋から出てきた叔父様は部屋の外で待っていた私の前にしゃがみ込んでわざわざ目線を合わせてくれた。


「親許から離れて慣れない城暮らしで疲れたのだろう。私にも覚えがある。大丈夫、数日休めば良くなるだろう。」

そう言って頭を撫でてくれた。

紳士な佇まいもいれてまだ二十代後半の叔父様は本当に素敵だ。この人が攻略対象でも良いくらいなのに。


…いや、ゲームが始まるのはあと10年後だっけ。


「絶対とはいわないが、あまり部屋に入ってはいけない。万が一風邪がうつったら大変だからな。」

相変わらずの強目の口調でそう私に付け足すと、そのまま母上のもとへ戻ってしまった。


気がつけばもう陽も暮れて、窓の外が暗くなり始めている。ステイルが倒れてから医者を呼んで、叔父様がきて、大慌てで時間が経つのを忘れていた。

衛兵に一言添え、ロッテに夕食になったら迎えに来てと伝えて私はゆっくりと中に入る。


医者が調合した薬が効いているのか、いまは静かに眠っている。最初に気がついた時の悪い顔色も少し治ってきていて、ホッと胸を撫で下ろす。

ベッドの傍に腰を下ろし、上から覗き込むようにステイルの顔をまじまじと見つめる。

やっぱり攻略対象のステイルだ。ゲームと同じ綺麗な顔。額が汗で少し湿っているから、手持ちのハンカチで起きないようにそっと拭う。

少しうなされているのか、眉間に皺がよって苦しそうにもみえる。確かゲームでも大きくなったステイルがこうして気を失ってうなされながらティアラに看病された時のスチルが…、…あ。

ハッと急激に私はステイルのゲーム映像を思い出した。


十年後のステイルがうなされながら昔の夢を見ているシーンだ。回想で風邪をひいて寝込むステイルの部屋にプライドが一人やってくるところだった。

「ふぅ〜ん、私の奴���のクセに勝手に風邪引くなんて図々しいわね」

そう言って、まさに今の私のようにステイルを覗き込むのだ。

「恥ずかしい庶民の女の庶民の子。ねぇ、私がいまお庭を死ぬまで駆けずり回りなさいって命じたら貴方は動くのかしら?」

アハハと笑いながらハンカチでステイルの額を拭う。

「ねぇ?まだ動くわよね?貴方の一生は私の物だもの。はやく治してまた遊んでね…?私だけの可愛い可愛い奴隷ちゃん」

段々と息が荒くなるステイルが何かを呟いている。何を言ったのかは思い出せない。ただ、それを聞いたプライドは大笑いをしていた。

「アッハハハ!情けない男‼︎まるで赤ん坊じゃない。恥ずかしい、見窄らしい、醜い、私の玩具で、奴隷で、赤ん坊な貴方を誰も必要とするわけない。母上も、叔父様も、…生きていたら父上も、そう貴方の母親だってきっと必要としていない!こうやって沢山の人に迷惑をかけるしかない貴方じゃね。」

そう、うなされているステイルに囁き続けるのだ。

「でも可哀想だから私は欲しがってあげる。だって貴方は私専用の奴隷なんだものね?これから先ずっと、ずーっと…」


そこでステイルは悪夢から目を覚まし、看病していたティアラが始めてステイルの胸の内を少し明かしてもらえるのだ。


……ああ、また同じシーンの再現をしちゃってた。


父上のように私にも眉間の皺が固定されないか心配になりながらそんなことを考えているとゲームと同じようにステイルが呻き出した。ぼそぼそと何か呟いている。

そっと、ステイルの口元に耳を寄せてみる。


「…さん…、…っ、…母さ……っ、…ゔぅ……母…」


只管、母親を呼びながら目元に涙を浮かべるステイルに、私はショックが隠せなかった。

プライドは、私は、こんな状態のステイルになんてことをっ…!


信じられない。でも、自分の奥にまだそういう反面が眠っていることは誰よりも自覚していた。

七歳の子どもが母親を求めるなんて当然のことだ。しかもまだ数日しか経っていない。私が前世に小学生の時だって、キャンプや林間学校で初日からホームシックで泣き出しちゃう子が必ずいた。ましてやステイルは一生会えないのだ。契約をして、心が決まって過去を忘れて今日から新しい気持ちで…なんてできるわけがない。

ずっと我慢してたんだ、熱が出るまで城の生活や勉強も頑張って、たった七歳なのに他人の都合で人生を決められてしまった…‼︎

なのにあの晩以降、私はステイルが弱音を吐いたり、暗い顔や泣くところをみたことがない。考えれば考えるほど胸が詰まって堪らなくなってしまう。

だめ、まただ。ステイルが耐えているのに、私ばっかり泣くわけにはっ…

そうは思ってもやはり八歳の身体は感情に酷く正直で、ステイルの顔を覗き込んだ状態のまま動くこともできず結局大粒の涙をぼたぼたとステイルの顔に落としてしまうことになった。

動かないと、堪えないと、涙を止めないとと思えば思うほど涙が止まらなくて、終いにはしゃくり上げてしまった。

眠っていたステイルが目を強く萎ませたと思えばゆっくりと瞼が開いていく。

まずい、と思った時にはもう完全にステイルの目を開いていて私の泣き顔をみて目をぱちぱちさせている。

「プライド…?」

なんで泣いてるのか、そこまで言葉が出てこないかのようにただじっと私の顔を凝視している。


「ごめっ…なさい…、…ごめん…なさっ、…ごめんな…い…ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさい…」

こんな不細工な泣き顔を見せて、追いかけっこなんてさせて、体調に気づいてあげられなくて、貴方と母親を引き離して、二人を救ってあげられなくて…





心を埋めてあげられなくてごめんなさい






考えれば考えるほど、どれから謝れば良いかわからずにしゃくり上げた喉で只管謝罪の言葉しか出せない。

わけもわからない様子のステイルは完全に目が覚めてしまったようだ。自分の汗と私の涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまっている。

「なん…で…?」

やっと絞り出したような疑問の言葉に胸が苦しくなる。

なんでだなんて。全部吐き出してしまいところをぐっと堪える。そんなことを言ってもきっとステイルが気に病むだけだ。

許して欲しいわけじゃない。でも、前世の記憶を思い出せなかったら彼にこれ以上に酷いことをしていたと思うと余計涙が止まらなくなる。


「…っく、…っ、…貴方、の…っ…、貴方たった一人の…っ力にすらなって上げられなくて…気づいてあげられなくてっ…ごめんなさっっ…」

それだけをなんとか言葉にするとまた、しゃくり上げが止まらなくなってしまった。

寝ているステイルに覆い被さるようにして彼の身体を抱きしめる。布団越しでもわかるくらい、彼の身体は熱で火照っていた。

彼の肩に顔を埋めて泣き噦る。

すると驚いていたステイルがそっと私の背中に手を回してくれた。これではどちらが年上か分かったものじゃない。

今、慰められるべきなのはステイルなのに。こんな情けない娘が義姉なんて、第一王位継承者だなんて恥ずかしい。

何も言わないステイルは何か言葉を考えているようだった。こんな情けない義姉じゃ不安にもなるだろう。


十年後、私はこの国を台無しにする。最低の悪の女王に成り下がる。その時私を止めてくれるのがステイルか、ティアラか、他の攻略対象者かはわからない。だから、こんな情けない駄目な私だから。



「もし…私がっ…最低な女王に…ったら、…ちゃんとっ……私を殺してね…」


せめて、貴方と貴方の母親が、父上母上やティアラが、国民が…一人でも不幸になる前に。



しゃくり上げた声は言葉になっていたかも怪しくて、泣き疲れて眠ってしまい、ロッテが迎えにきてくれた頃にはもうステイルは眠っていた。


子どもとはいえ、姫君が、第一王女が血の繋がらない異性と眠るなんて。とロッテと、一緒に迎えに来てくれた衛兵のジャックには驚かれてしまった。寝ぼけ眼でジャックに抱き上げられて運ばれていた私も後から恥ずかしくなり、二人に父上や母上には内緒にと懇願すると、二人は小さく笑って「勿論です」と答えてくれた。


…前世を思い出すまでこんな身近な優しい人達の存在にも気づけなかった私は本当にどうしようもなかったなと思った。

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