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60.王配は思いを馳せる。


「…これは、どういうことだジルベール。」


王配、アルバートは酷く困惑していた。

昨日のジルベールの取り乱し様と、その後様子を見に行った彼の婚約者マリアンヌの酷い衰弱具合。

そして何よりその翌日である今日、突然のジルベールの失踪。

城の者には誘拐と口では言ったが、正直彼の暴走の方が私には気に掛かっていた。城の者に捜索をさせ、彼がいそうな城内の場所は思いつく限り確かめた。当然、私は最初にこの部屋を確認しに行った。そしてその時、苦しそうに息を荒げていたマリアンヌを見て、私は考えてしまった。


彼が持てるもの全てを投げ出してでも彼女を救う為の手立てを探しに行ったのではないかと。


女王である妻にもこのことは穏便に伝えさせた。大ごとになってしまえば、責任ある立場にあるジルベールの極刑は免れないだろう。彼が取り返しのつかない事を起こす前に止めなければ。彼は優秀で頭の良い男だ。だが、それ以上に酷く純粋過ぎるところもある。何よりも昨日の彼は尋常じゃなかった。こうなってしまったのも今にも壊れそうな彼にもっと注意を払わなかった私の責任だ。

今の彼は、悪魔との契約にすら応じてしまうだろう。マリアンヌの為ならば自らの命も、この国の犠牲すら厭わずに。


そして、最後に正気を取り戻した時、誰よりも苦しみ後悔するのも彼だ。


ジルベールは今、正気ではないだろう。…いや、本当は大分前から彼自身の異変は感じていた。休養を取るようにとも言ったが、仕事に支障は出さない、マリアンヌの為に出来る事をと。皮肉にも宰相としての仕事に関しては恙無く、その仕事の出来栄えのみで判断すれば全くの問題はなかった。それに何より…このまま無理に休養を取らせて、気を紛らわすように打ち込んでいた彼の仕事を奪えば、逆に気が触れて完全に壊れてしまうようにも感じられた。考えれば、私をアルバートではなく王配殿下と公務外でも呼ぶようになった、あの時からその片鱗は見せていたのかもしれない。

彼は、私にとって数少ない友人だ。だからこそ、止めなかった。私の妻にとっても彼の恋人であるマリアンヌは大事な友人ではあるが、それ以上に彼女は女王だ。彼が私の傍を無断で離れたくらいならば抑えられるだろうが、そこに違法な繋がりや取引があれば躊躇いなくジルベールを罰するだろう。

そうすれば、宰相の婚約者としての立場で城に保護していたマリアンヌすら城に居させることができなくなる。

捜索させた兵にはなるべく穏便に、だが確実に連れ戻すように命じた。

本当なら私自ら馬を走らせて城下まで探しに行きたかったが、戻って来たジルベールの責を重くしない為にも今日の公務を一人で全うしなければならなかった。

公務が区切りをつき、兵からの連絡でジルベールが城に戻ったと聞いた時には安堵した。何事であれ、彼が無事に帰ってきてくれたことに。

当然、彼が姿を消していた間に何を行っていたかわかるまで安心はできないが、とにかく兵には私の所へ連れてくるように命じ、公務を続けながら部屋で彼を待った。

だが、それから暫くしてジルベールが我が子プライドとステイルと共に城内で姿を消したと聞いた時、本当に一線を超えてしまったのかと懸念した。


私は急ぎ、マリアンヌのいる隠し部屋へと向かった。

彼が城内で姿を消したというのならば、それしかあり得なかったからだ。


そして


「ジルベール‼︎ジルベール!居るのか⁈」


扉の傍から私は彼に向けて声を荒げた。

そのまま急ぎ彼の名を呼びながら扉を開き、中へと駆け込んだ。


「アルバート…。」

部屋に入ると、やはりそこにはジルベールがいた。何故かその場に腰を落ち着かせることもなく、マリアンヌに付き添うこともなく立ち止まっている。

私の方を振り返った彼の目には涙が滲んでいた。

そして、先程見に来た時には呼吸をすることが精一杯だった筈のマリアンヌがベッドから身を起こし、こちらに視線を向けていたのだ。

彼女は奇病で、最近は手足を動かすことすら叶わなかったというのに。 思わず私がジルベールを怒鳴りつけるのも忘れてマリアンヌ、と名を呼ぶと彼女はその目に大粒の涙を溜めながら「アルバート様」と私の名を呼び返した。夢ではない、私の友人が確かにそこにはいた。

思わずジルベールを押し退け、彼女のもとへ駆け寄り、その身を抱き締める。

ご迷惑をおかけしました、申し訳ありませんでしたとひたすら私に詫びるマリアンヌに私自身、目頭が熱くなる。

「…これは、どういうことだジルベール。」

マリアンヌからそっと離れ、傍にいた侍女へ彼女を任せてからゆっくりと彼に向き直る。

「妖精が来てくれまして。」

そう言って微笑むジルベールを私は思い切り怒鳴りつける。

冗談では済まされない。マリアンヌが治ったのは本当に良かった。だが、先程まで息をする事すら叶わなかった彼女がこうしているのは人為的なものしか考えられない。


彼がその為にどんな代償を払ったのか。


それだけでも私は確かめなければならない。

「ジルベール、よく聞け。マリアンヌのことは本当に良かった。私や妻のローザの力及ばなかったことも責めてくれて構わない。だが…どうか正直に話してくれ。私の子どもは、プライドとステイルは何処にいる。そして、お前はこの為にどのような代償を払った。」

彼の両肩を掴み、真剣に問い詰める。

もし、大事の時は彼を処罰しなければならない。そして…その時は私も罰を受けるべきだと考えていた。常に傍にいながら、友であり部下でもある彼の異変に気づけず、支えてやれなかった私もまた同罪なのだから。

ジルベールは微笑みを崩さず、首を横に振った。

「プライド様とステイル様には城に帰ってすぐに先日の非礼をお詫びしました。お二人とも私が失踪していたことを心配して下さったらしく、そのままマリアンヌのもとへ向かう私の後を追って来られました。ですが、彼女のことを他者に話すわけにも行きませんから。…ここに来る前にはお二人ともに方便をつき、騎士団のご友人であるアーサー殿がお二人を探しているとお伝えしました。その後はステイル様の瞬間移動で騎士団演習場へ。…今頃はもうプライド様のお部屋に帰られている頃かもしれませんね。」

「それは本当か?」

「この首を賭けても構いません。」

私が間髪入れず詰め寄っても、ジルベールは動じない。恐らく、子ども達が無事なのは本当なのだろう。彼の目がそう物語っている。

「ならば…マリアンヌの病はどうした。」

まさかまた妖精の仕業などと言うつもりはないだろうな。と予め釘をさす。

「ある御方が…病を癒す特殊能力者を紹介して下さりました。」

「!居たのか⁈ならばその特殊能力者は今どこにっ…」

ジルベールの言葉を思わず疑う。ならば、ジルベールは城を抜け出し、その特殊能力者に会いに…いや、迎えに行っていたというのか。それならば彼が私に報告も忘れて飛び出したのも納得はいく。勿論、宰相としては問題行動だが。

私の問いにジルベールは再び首を振る。

「あの御方が望んでおられないようなので。許可を頂いていない限りはお答えできません。…紹介してくれた御方に関してもお話することはできません。」

申し訳ありません、とそう柔らかく言いながらもその言葉には強固な意志が感じた。

まるで、彼は憑き物が落ちたかのような表情をしていた。この数時間の間に何があったというのか。

「だが、何か対価は払ったのだろう?その特殊能力者か、または紹介者に!一体お前はなにを…」


「何も。」


彼の躊躇いない言葉に絶句する。

「あの御方は…私の前に突然現れ、マリアンヌを…私を救い、代償を何も望まず、…去っていかれました。」

「ジルベール‼︎そのような虚言をこの期に及んでっ…」

目を閉じ静かに語るジルベールの胸ぐらを掴み、思わず声を荒げる。

紹介者や、特殊能力者のことを話せないのは仕方がない。そのような貴重な繋がりや、能力を隠したいと思うのは当然だろう。だが、そんな人間が突然彼の前に現れ、宰相である彼に何も望まず、病だけ癒し、去るなど…そのような都合の良いことが起こるわけがない。

もし、仮に病を癒す特殊能力者とその紹介者が現れたとしたら法外な対価を彼に望んでもおかしくはない。もし、国が正式にその特殊能力者への紹介と、そして病の処置を望むのならば、どれほどの莫大な褒賞が必要だろうか。


だが、彼は私から決して目を逸らさなかった。


ただ、一言「本当です。」と答えると彼はそのまま再び口を動かし始めた。だが、

「あの御方は…っ。」

彼がまともにそう話せたのは、それが最後だった。

穏やかな表情だった彼の唇が突如震えだし、目から再び涙が溢れ始めたからだ。

驚き、思わず手を緩めると彼はその場に崩れるように床に膝をついた。両手で顔を覆い、その隙間から涙が流れ落ちている。


「っ…あの、御方はっ…本当に、突然…私の前に現れました…」

まるで堰を切ったかのように泣き出すジルベールに戸惑いが隠せない。


「私にっ…手を差し伸べ…、…今まで何年も探しても見つからなかった…病を癒す特殊能力者を連れ…‼︎」


まるで、張り詰めた糸が切れたかのようだった。これは彼の演技ではない。それだけは長年共にいた私がよくわかる。


「マリアンヌをっ…救って下さったのです…‼︎」


叫び声が部屋に木霊する。張り裂けそうな声だった。


「しかもっ…‼︎私に、…私のような者に、…慈悲を…!代償に…とっ…‼︎」


嗚咽で殆ど聞き取れなくなったが、最後の代償という言葉に、やはりあったのではないかと彼を叱責し、問い詰めた。

すると彼の嗚咽はさらに酷くなり、ひきつけを起こさないか心配になるほどだった。

そして、最後に絞り出すように彼は小さく私の問いに答えた。


「…未来永劫っ…王に望まれる限り…‼︎…この、国の民の為働き…宰相としてっ…あり続けよと…‼︎‼︎」


そう言って下さったのです、と叫ぶように声を張り上げるジルベールに私は言葉を失った。

…信じられなかった。

それを、代償といえるのだろうか。

長年、彼と共に公務を重ねてきた私だからわかる。

彼にとって宰相としての仕事がどういうものであったかを。

なのに。

宰相を辞せ、というのならば未だしも今と関わらず働き続けよなどと。

…だが、そう口にしたまま泣き続ける彼の姿はどうみても嘘や誤魔化しの類には見えなかった。

むしろ、まるで今まで堪えていた感情が溢れ出したようだった。


「………っ、…アルバート。」


暫く泣き伏した彼が、やっと言葉を発する。私の名を呼ばれ、どうしたと言いながら背中を摩る。彼に名を呼ばれるのは昨日の口論が久しぶりだった。


「…っ…すまなかった…。…お前にも私は、…私はっ…‼︎」

彼の言葉の意味を、私は理解する。

彼は数年前から、私や特に長女のプライドへの風当たりが強くなっていた。

特にプライドへの言葉は公式の場でも放たれることが多く、その度に何度拳を振り上げては取り返しのつかない発言をする前に止めたか数知れない。また、彼が特殊能力者を見つける為に様々な形で動いていたこともある程度、察知はしていた。二人になった時に何度その事に関して彼を嗜めたかは…数も忘れた。

「……もう良い。辛い中にいたお前を支えられなかった私にも責があることは理解している。」

私の言葉にジルベールは酷く首を左右に振った。

「わかっていた…‼︎友であるお前が、ローザ様が…どれほど私達に特別な処置を与えてくれていたか…!なのに…なのに私っ…私、はっ…‼︎」

指の隙間から彼の涙が溢れ続ける。

私とローザは結局彼もマリアンヌも救う事ができなかった。

衰弱していくマリアンヌと、それを目の当たりにして嘆き続けるジルベールをただ見ていることしかできなかった。それにどれほど胸が締め付けられたか。そして何より王配に女王というこの国で最大の力を持ちながら、彼女一人救えなかった己が腹立たしかった。どうすれば彼らを救えるのかと、一人で何度壁に拳を打ち付けたことだろうか。


己の無力さに苛まれながら何もできなかったのは私も同じだ。


私自身も膝を折り、泣き伏す彼の肩を強く抱き、力を込める。

「お前は宰相として…相応の働きをしてくれた。…もっと、自分を愛してやれ。」


ありがとう、ありがとうと彼が零す言葉を静かに受け止め続けた。

すると

「……ジル。」

マリアンヌがふらふらと、侍女の手を借り、その足で歩み寄ってきたのだ。

私が彼からそっと離れ、ジルベールが彼女の方を振り向くと同時に彼女はジルベールへ覆い被さるように彼を抱き締めた。

彼女は、何度こうしてジルベールを抱き締めることを夢見ただろうか。


七年間も、苦痛に苛まれ耐え続けながら。


「貴方を…こんなにも苦しめ続けて…ごめんなさい…。」


か細い声でそう言いながら、彼女をジルベールの頬に手を添える。ジルベールがそんなことはっ…と否定しようと口を開くと、彼女はその指で優しくその唇をなぞった。

その途端、今にもひきつけを起こしそうな程泣き続けた彼から、嗚咽がさざ波のように引いた。

そのまま彼女の頬に手を添え、彼女になぞられた唇と、彼女の唇とをゆっくり


…重ね合わせた。



「愛してる…」



十分な時間を置き、彼女のか細い声が静かに部屋に木霊した。

「…ジルベール。…明日まで傍にいてやれ。」

「ッいえ、ですが今日はまだ公務がっ…」

マリアンヌを抱き締めながら身を乗り出そうとする彼に拳を落とす。がつん、と良い響きがして彼が痛そうに頭を押さえた。

「無断で仕事を放っておいて今更何を言っている。」

それに。と立ち上がり、彼と彼の頭を優しく撫でるマリアンヌを見下ろしながら私は続けた。

「その〝御方〟に望まれたならば、明日からの宰相の業務の為にもしっかりと身を休めておけ。」

その恩義に報いる為にも。そう続けると彼から迷いのない返事が返ってきた。


私は今から途中放り出した公務を終わらせなければ。

そして何より、今すぐこの目で愛しい子ども達の無事を確かめたい。


ジルベールの件も女王であるローザに報告しなければ。

公務中は恐らく、手厳しい問答と追及があるだろう。

だが公務後、友人であるマリアンヌの回復を泣いて喜ぶ彼女の姿と、それを宥めることになる自分の姿が容易に想像できる。


本来ならばどうにかしてジルベールから〝あの御方〟とやらの話を聞き出したかった。

私自身から直接、感謝を伝える為に。

ジルベールの言う〝あの御方〟には、心から感謝しても足りない。

その人物さえいなければ、私は一生彼を、彼女を救えなかった罪悪感に苛まれ続け、嘆き続けていただろう。

いつか、できることならば死ぬ前に一度お会いしてみたいものだと思う。

彼を、彼女を救い、何の見返りも望まずに去ったその人物に。


そして、いつか私の愛しい子供達にも会わせてやりたいものだとも思う。

そのように何の見返りも求めず、誰かの為に、…民の為に尽くせるような、そんな人間になって欲しいと…そう思う。


そうして私はまた駆け出す。

我が国の未来を担う、愛しい我が子達に会う為に。


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