そして、委ねる。
「父上や母上に…全てを〝打ち明けない〟覚悟はありますか。」
私の言葉に、ジルベール宰相が大きく目を見開いた。
何を…?と口が小さく動く。
「辛いですよ。罪の意識に苛まれながら、それでも貴方は今までの罪を誰にも裁いて貰えないのですから。」
ゲームの中のステイルだって、隷属の契約のせいで母親を殺してしまったことを隠し通し続け、それにずっと苦しんでいた。
それを今、私はジルベール宰相に命じようとしているのだから。
彼に言い渡し、先に周りを見渡して今度は彼女達に命じた。
「マリアンヌさんも、侍女にも命じます。今ここで聞き、見たもの全てを忘れなさい。」
マリアンヌさんや侍女達が互いに顔を覗き合い、驚いている。
「まさか…許すとでも…仰るのですか…?私のような大罪人を」
「許しませんよ」
ジルベール宰相の言葉を容赦なく切り捨てる。
私は別に処刑に抵抗がある訳でもない。騎士団奇襲の罪人を裁いてからも数回、簡単な裁きを母上に任されたし、その中には処刑を命じた相手もいた。
「ジルベール宰相、貴方に悔いる気持ちがあるというのなら…いえ、例え無くとも私に貴方の裁きを任すというのならばこの場にて誓いなさい。私に、この場にいる者達に、そして貴方が全てを捨ててでも愛した彼女に。未来永劫、王に望まれる限りこの国の民の為働き、我が国の宰相としてあり続けると。」
彼は年齢操作をできる不老人間だ。きっと、これから先も生き続けるだろう。百年後も千年後も、病や怪我さえしなければ永久に。
父上や母上が亡くなっても、私が死んでも、…最愛の人、マリアンヌさんが自らの寿命で亡くなっても。
この誓いを貫くというのなら、彼は生き続けなければならない。
そう、ゲームの最後と同じように。
ティアラとの恋愛では彼は最後にティアラへ誓っていた。
きっとこの身は己が罪で地獄へ落ちる。ならば天の裁きが下るまで、貴方の愛したこの国の民を守り続けると約束しましょうと。
本当は、もう宰相として彼を縛るものはない。彼の幸せを考えるのならば、このままマリアンヌさんと共に自由にしてあげれば良い。宰相としてではなく、一人の民として生き、マリアンヌさんと共に過ごす。それが彼にとって一番の幸せな筈なのだから。
でも、彼はもう間違いを沢山犯してしまった。一つ彼がかけ間違えれば、きっと酷い事態や、被害で嘆く人がいただろう。そして、その罪を贖うことを彼自身が望むというのならば。
「宰相として、不法な取引から身を引き、今まで知り得た人身売買の情報を元にその者達を捕らえ、裁き、そして貴方自身が利用し裏切ろうとしていたこの国の為に尽くし続けなさい。今の貴方ならばそれができる筈です。」
両手で捉えた彼の目に、再び光が宿った。
涙を止めどなく零しながら、その瞳が次第に透き通っていく。
数秒置いてから「…畏まりました…‼︎」と力強く彼は私に声を張った。
そのまま静かに自分の顔を捉える私の両手へと手を添わせ、重ねる。
「心の臓が止まるその時まで、貴方の愛するこの国の民を守り続けると。今ここに誓いましょう…‼︎」
そのまま、ゆっくりと降ろさせた私の両手を合わせ、強く握りしめた。
ジルベール宰相の目は、今まで見た中で一番強い目をしてきた。
きっと、彼ならできる。
婚約者を亡くして、更には罪の無い人を死に追いやって、それでも婚約者の願いだけを支えに、死へ逃げる事もなく残された民の為に尽くし続けてくれた彼なら。
最愛の人の前で声高に上げた、この誓いをきっと守ってくれる。
そのまま、ゆっくりと彼から両手が解放された私は一度立ち上がり、目の前の彼の顔へもう一度手を伸ばした。
目にはクマがまだはっきりと残っている。
ゆっくりと頬に手をやり、そのまま首筋へ手を添わせるように下ろすと薄水色の髪に隠れた彼の首はガリガリだった。
頬も触れた時に肉の感触が殆ど無く、こけた印象だった。きっと今日まで彼は苦しみ続けてきたのだろう。日に日に衰弱する彼女の為に自分はなにが出来るのか、考えに考え続けたに違いない。
彼の婚約者が…マリアンヌさんが病に伏したのは私が六歳の頃だ。
今まで、毎日ではないけれど何年も顔を合わせてきたのに…気づいてあげられなかった。
こんなに痩せこけ、やつれるまでずっと。
もし、前世のゲームの記憶を思い出せなくても、彼の変化に気づいてあげられたら。
もっと早く彼を、マリアンヌさんを助けられたかもしれない。
もっと早くアーサーに本当の��殊能力について教えていたら、ジルベール宰相の心が病む前にマリアンヌさんを救えていたかもしれない。
そうしたら、彼は今日のような凶行にも及ばず、もしかしたら宰相を辞めて今頃マリアンヌさんと幸せに過ごしていたかもしれない。
私がもっと早く気づいてあげられたら、私の決断がもっと早かったら。
考えれば考えるほど辛くなる。
ジルベール宰相は首に添わしたまま手を離そうとしない私を少し不思議そうに見ている。
「こんなになるまで…気づいてあげられなくてごめんなさい。」
驚いたように、彼が息を飲むのが首からの振動でよくわかる。何か言いたそうに喉を震わせ、ゴクリと皮膚と骨だけのような彼の喉がまた動いた。
彼は…本当にボロボロだった。
服の下はもしかしたらもっと酷いのかもしれない。その身体も、…心も擦り切れた状態で、それでもずっと婚約者の為に己へ鞭を打ち続けてきたのだろう。
「こんな形でしか…宰相に縛り付けることでしか貴方を裁けなくてごめんなさい。」
私がそう続けると、ジルベール宰相はまた目を見開き…仄かに、笑った。
そのまま首筋へ添わせた私の手を優しく取り、
その手の甲に口づけをしてきた。
「えっ…⁈」
思わず喉から変な声が出る。
驚きのあまり固まるとジルベール宰相はそっと私から手を離し、そのまま流れるように私の片足に手を添わせてきた。
なにをするつもりか分かってしまい、逆に反射的に足を引っ込めれなくなる。なのに前世の地味に生きてきた記憶が呼び覚まされて思わず顔が真っ赤になってしまう。わかってる、これはそういうアレじゃなくてっ…
ジルベール宰相からの誓いだ。
唇をぎゅっと結び、抵抗しないようにだけ細心の注意を払い、そのままジルベール宰相のされるがままになってしまう。
優しく私の靴を脱がし、そのまま少し浮かすように私の足を手に取る。そして
爪先。
足の甲。
そしてそのまま
なんとも言えない柔らかな感触に顔が熱くなり、身体がガチガチに固まってしまう。父上に近い年とはいえ、攻略対象者でしかも隠しキャラ。その綺麗な顔が私の足元にあるという事実だけでも頭が沸騰しそうなのに!
マリアンヌさんが怒っていないか心配になり人形のようにガチ、ガチと顔を上げると当の本人は微笑んでいた。当然だ、大人の人にとってはなんて事ないものなのだろうし、絶対ジルベール宰相はマリアンヌさんともっと凄いところに口付けしている筈だもの。でもそのマリアンヌさんの横にいるアーサーは呆気を取られたように口を開け、そのまま顔を真っ赤にしていた。お願いだから見ないで欲しい、一番恥ずかしいのは私なのだから‼︎
わかっている、頭ではちゃんと。ジルベール宰相の口付けの本意を。以前、教師から座学で教わったこともあるし、手の甲は初めてではないのだから。
手の甲は〝敬愛〟
爪先は〝崇拝〟
足の甲は〝隷属〟
脛は〝服従〟をそれぞれ意味している。
〝敬愛〟を意味する手の甲は、この年にもなれば貴族との挨拶で交わされることも珍しくない。でも、あまりにも突然だったし、しかも何より足が!足が!足が‼︎
こんなことならやっぱりちゃんとドレスを着てくるんだった。ズボンやタイツのような格好で口付けされる王族なんて私くらいだ。もうこの格好で口付けされたこと自体が死ぬ程恥ずかしい!
それに主人公のティアラだってキスは手の甲止まりだったのに何故⁈
もう訳がわからなくなってきて、叫びださないようにだけ口元を両手で抑えていると、ジルベール宰相はそのまま何事もなかったかのように私の足に靴を履き直させてくれた。
「私は騎士でも…ましてや貴方と従属の契約も結べません。だからこそ、この場で身を以て誓わせて頂きます。」
優雅に跪き、下から覗き込み、両手を祈るように組み合わせ、私を見上げてくる。
「我が国の第一王女、プライド・ロイヤル・アイビー殿下。現女王陛下の娘でもなく、我がお仕えする王配殿下の娘でもなく、第一王位継承者としてでもなく、貴方という存在に。私は、心からの忠誠を今ここで誓います。」
そう言って深々と頭を下げてくる。今までのボロボロだった姿が嘘のように。
「私のような大罪人に、今一度国に身を捧げる機会を下さったこと、心より感謝致します。マリアンヌの事も含め、この御恩は一生忘れません。」
そう言って初めて柔らかく微笑むジルベール宰相は、いつもの私達が知る彼の姿だった。…いや、それよりももっとずっと、優しい笑顔だ。
私が「約束ですよ」と微笑むとジルベール宰相がまた笑顔で返してくれた。
にっこりと、初めて見る気がする混じり気のない笑顔だった。