幕間 副団長は夢を見る。
ー ドンッ、ドンドンドン‼︎
…ここは…?…私…は…?
誰かが…扉を叩いている。騎士団の誰かだろうか。
…私は…ああ、そうだ。
私は…クラーク・ダーウィン…。
騎士団長に就任してから…不眠不休に働き詰めで…
とうとう自分の名すら、すぐに思い出せないとは…。
己が部屋の扉を、開く。
騎士団長室の扉だ。
私の…友の部屋だった場所の扉だ。
「…アーサー⁈」
扉の向こうに立つ青年を前に、私は思わず声をあげた。
アーサー・ベレスフォード。彼に最後に会ったのは何ヶ月前だっただろうか。
…もう、月日を数えるのすら忘れてしまった。
「わりぃ…クラーク……」
「どうしたんだ、アーサー!どうやってここに、門兵は…!その、…髪はっ…」
私はアーサーの髪に酷く驚く。
彼があれ程に長い髪をバッサリと切った上、その姿はまるで亡き我が友にそっくりだったからだ。
…だが、目元のクマや痩けた頬は亡き友とも、そして以前の彼とも全くの別人だった。
切ったばかりのように思えるその短髪を軽く押さえ、アーサーは私から目を逸らす。
「……お袋…やっと、親父似のこの面見ても…泣かなくなったから。」
小さな、覇気のない声だ。
何ともないように言う、その声が私には酷く悲痛に思えた。
「アーサー…。」
彼の姿を見て、言葉が出ない。
いつもの、畑仕事の格好だ。だが、その身は畑仕事を終えた泥まみれの服よりも更にボロボロだった。擦り傷や切り傷が全身に見られ、打った痕か四肢の所々が青く腫れていた。ロデリックが崖の崩落で死んでから、彼は騎士を目指す為に一人鍛錬に励んでいると、彼の母親であるクラリッサさんから聞いた。
彼が何故突然騎士を目指し出したのか、具体的にはわからない。しかし我が友が死ぬまで願っていた望みだ。できることならば私も彼に協力したい。
だが、副団長から騎士団長に就任し、その上多くの新兵や騎士を失ってからというものの、私は一日でも早く体制を立て直す為に自分の寝る間すら惜しむ暇がないのが現状だった。
「クラーク…頼むっ…」
そう言って、彼は私の両肩を強く掴む。
指まで力が込められ、爪先が強く私の肩に食い込んだ。下を俯く彼からは表情すら読み取れない。
「頼む…俺にっ…騎士の、…話し方を教えてくれっ…」
「騎士の…?」
思わず私は聞き返す。何故、突然…
「騎士になる為に。俺の…話し方じゃ駄目なんだ。親父のっ…ち、父上みてぇな喋り方じゃねぇと‼︎」
彼の必死な懇願に酷く混乱する。
騎士にはある程度の敬語や言葉遣いは必要だ。だが、まだ新兵の入隊試験すら受けていない彼が何故…
「テメェしかいねぇんだ‼︎騎士団での親父を知ってて…頼れる奴がっ…、頼む、俺に…騎士としての、親父の…喋りを教えてくれっ…」
彼は顔を上げない。その言葉は冗談には聞こえなかった。
「何を言っているんだアーサー!何故ロデリックの言葉を真似る必要がある?それに、言葉遣いならば騎士になってからゆっくり覚えていっても遅くは…」
「俺は‼︎…っ。…俺は、騎士に、…親父にならなきゃいけねぇんだ…!」
理解不能な彼の言葉に思わず私は息を飲む。
「俺…俺じゃあ駄目なんだ…!クソな俺じゃあ騎士にも…新兵にすらなれねぇ…親父、…親父じゃねぇとっ…」
彼の言葉が震え出してやっと、俯く彼の真下に雫が滴り落ちていることに気がついた。
泣いているアーサーに、私はただ話を聞いてやることしかできない。
「俺が…親父、親父にならねぇとっ…髪も似せた…あとはクソなこの喋り方直して、剣も、仕草も全部親父に、親父と一緒じゃねぇといけねぇんだ‼︎」
己で己を追い詰めるような彼の言葉が、私の胸にも深く突き刺さる。
今、彼は己を殺そうとしているのだと、私は静かに理解をした。
「アーサー…そんなことはやめ」
「頼むクラークッ‼︎一生の頼みだ…!そうでもしねぇと俺は…ッあの女には届かねぇ…‼︎」
はっきりと最後に憎しみの篭った声が響く。
あの女…私はその意味をすぐに察した。現騎士団長である私と違い、新兵ですらないアーサーではこれから先二度と会う機会すらないであろう存在だ。きっとアーサーは…あの女王の呪縛に囚われてしまったのだろう。
私にひたすら���む、頼むと縋る少年は既に限界まで身も心も擦り減らしてしまっているように見えた。
…友よ、どうか私を許さないでくれ。
「…わかったよアーサー。」
私はゆっくりと彼の両肩に手を置いた。
はっとアーサーは顔を上げ、涙で濡らした目で私を見つめた。
「剣の稽古をしてやる時間は無いが…せめて言葉遣いくらいならば、時間の許す限り私も協力しよう。」
ロデリックのように。そう付け加えると彼の瞳が始めて光を宿す。しかし、それに反してその目からは涙が止めどなく溢れ続けた。
すまねぇ、恩に着ると何度も何度も言いながら彼は私に感謝した。
友よ…私にはお前の大事な息子に対し、ただ己を殺すことの手助けでしか…力になれないのだから。
彼がふらふらとしながら家へ去っていく背中を見えなくなるまで見つめ続けた。
…私も、家へ帰らなくなってどれくらい経っただろう。…妻は、…元気だろうか…。
あの女が女王になってから、国は荒れる一方だ。前騎士団長の遺族とはいえ、こんな真夜中に門兵を素通りできるなど今までは有り得なかった。
きっとこの国は長くはないだろう。
国を出た妹にも暫く我が国には帰らないようにと手紙を送った…わざわざ身内を火の中へ飛び込ませたくはない。
ふらり、と私自身もまたアーサーを見送り壁にもたれかかる。
そして…きっと私も長くはない。
二年間、不眠不休で働き続け、それでも国は荒れ、どうやっても民は苦しみ続ける一方だった。
身体に鞭を打ち続けても叶わず、最近は身体も頭も上手く働かない。
…だが、私はまだ死ねない。
せめて…せめてアーサーの、彼の望みを叶えてやらなければ。
私の命を削っても良い。
アーサーが頼れるのが私しかいないというのならば。
せめて、友の息子の望みだけでも…
それがあの時友を、そしてその息子を救えなかった私のせめてもの贖罪になるのならば。
私はー……
……
「…ん…、…ッしまった…。」
私は椅子にもたれかかったまま、ふと目を覚ます。
窓の外をみれば、もう完全に陽が暮れ、夜になっていた。
今日は非番だったが、朝方のみ家に帰り妻と過ごし、夕暮れからはまたこの副団長室に戻ってきていた。どうしても今日中に確認したい書類があったからだ。
…そして、書類を確認したまま今の今まで眠ってしまっていたらしい。
変な時間にうたた寝をしたからだろうか…悪夢か、あまり良い夢を見た気がしない。目覚めが悪く、汗もかき、酷くうなされたような気さえする。反射的に胸元を掴み、息を整える。
一体、どんな夢を見ていたのだろうか…。
ドンッ、ドンドンドン‼︎
突然、私の扉が鳴り驚く。誰かが叩いているのだ。…騎士団の誰かだろうか。
何か、妙な既視感を覚えながら私は扉を開く。そして、目の前に立っている男に再び驚かされることになる。
「…ロデリック?」
我が騎士団の騎士団長であり、友でもあるロデリックがそこにはいた。何故か顔を俯かせ、表情が読めない。
「すまない…クラーク…」
「どうしたんだ、ロデリック。何故、今日私がここにいると知っているんだ。」
私の家まで行ったら、妻からここに来ていると聞かされたとロデリックはぽつぽつと説明してくれた。休日の夜中にわざわざ私の家まで訪れるなど、どれほどの急を要する話なのだろう。
ロデリックは顔を上げない。だが、次の瞬間彼は勢いよく私の両肩を掴んできた。
「クラーク…頼むっ…」
また嫌な既視感に苛まれながら、私は指先に力が込められ、強く私の肩に食い込んでくる彼の爪先の力に耐え、言葉の続きを待つ。
一体、私が不在の間に何が…?
多少の覚悟を持ちながら私はあらゆる状況を想定する。
そして、彼はやっと口を開いた。
「飲みに…付き合ってくれ…‼︎」
「…なに?」
私は思わず聞き返す。
「すまない…お前の貴重な休みなのは百も承知なのだが…。」
本当に申し訳なさそうに言うロデリックに思わず笑いがこみ上げる。
最近は本当にロデリックから飲みに誘ってくれることが増えてきた。一週間ほど前にもアーサーの本隊入りが決まった日と、その翌日の叙任式とで連日飲みに行った。だが、休日にまで私のところに訪れて飲みに誘うなど滅多に無い。休日くらいは家族とゆっくり休んで欲しい、とロデリックはよく私に気を遣ってくれていた。
「どうした、何か嬉しいことでもあったのか?」
ロデリックが顔を俯かせ、表情を隠している理由に気づき、堪らず私はくっくっと喉を鳴らしながら続きを促す。
ロデリックは自分の口元を片手で押さえながらやっと小さく顔を上げた。
「…アーサーがっ…私を、〝父上〟と…‼︎」
もうこうなったら笑いが止まらない。そのまま「また…手合わせをと…‼︎」と続けるから仕方がない。
友の肩を何度もバンバンと叩きながら「それは一大事だな!よし、詳しく酒場で聞かせてくれ!」と声を上げざるを得なくなる。
ロデリックは本当に最近は毎日が充実しているように見える。
そしてアーサーも日々騎士として成長している。
友と、友の大事な息子の変化と成長。
今の騎士団副団長を務める私にとって、何よりの楽しみだ。
すまない、恩に着ると既に父としての喜びが堪え切れない様子の友の肩へ腕を回しながら、私は共に門へと向かう。
明日もまた良い一日になりそうだと、心躍らせながら。
今宵もまた、親友の息子自慢を肴に酒を酌み交わすのだ。
ゲームの中ではクラーク副団長の出番は過去回想に少ししかありません。ゲームが始まる時間軸では既に命を落としています。アーサーは騎士団長になる前に大事な人を二人も失いました。そしてクラークも失意のうちにこの世を去りました。
いま、クラーク副団長は幸せです。