そして抜け出す。
「…アーサー。」
不意に横から声がする。
振り向くとクラークだった。
伝えたいことを全て吐き出したせいだろうか。プライド様に誓いを立ててから、まるで毒が抜けたみてぇになって、その間にプライド様の手がゆっくりと俺の手の中からすり抜けていった。
抜けていく、指一本一本の感触が鮮明に残る。
クラークが俺の肩に手を添え、「行こうか」という。その声はいつにもなく優しかった。
…だからムカつくんだ。
いつも俺の気持ちを察しちまう。
親父と年も大差ねぇくせに、まるで兄貴みてぇに。
それで、そういうところに時たまに救われる俺がいる。
クラークの言葉に頷き、俺はゆっくりと立ち上がる。
伝えられた。
もう、決めた。
その充足感が自分でも驚く程満ち足りていて、頭がぼーとしている。
一歩一歩クラークに背を支えられながら扉へ向かう。
そういえば親父はどこに行ったんだろう。
そんなことを思った直後だった。
「プライド第一王女殿下。」
親父の声が後ろから聞こえた。
プライド様の返事が聞こえ、反射的に振り返った途端
ガンッ‼︎
けたたましい音が響き、親父がプライド様に平伏し、床に頭を打ち付けていた。
「この度、…命を救って頂き…っ、ありがとうございました…‼︎」
親父が、泣いている。
信じられねぇ、目を疑った。
俺は今まで、親父が怒るところは何度も見てきたが、ただの一度だって泣いたところは見た事がなかった。
「…友にっ…部下に、家族にっ…ッ、…再び会えて…良かった…‼︎」
驚きのあまりにその場に棒立ちになる。
今まで俺がどんな酷いことを言ったって
崖下で死を覚悟した時だって
最初に城に帰還した時だって
泣いてもおかしくねぇ事が沢山あったくせに。
親父は、一度も泣かなかった。
その親父がいま、俺の前で泣いている。
良かったと、そう言って。
クラークに、部下に、そして俺達にまた会えて良かったと。
「そして何よりっ…息子が…騎士にっ…、…と…その言葉を…聞けて…っ…。」
俺が?
瞬きも忘れて親父を凝視する。
ほんの数分前までは、ずっと
親父にはとうに失望されたと思ってた。
諦めるな、本当に良いのかと言われながらも
心の中では諦められた、呆れられたと。
俺が今さら騎士を目指すと言っても迷惑に思うだけだと。恥をかかせることになると。
でも、プライド様の言葉を聞いて気づけた。
親父は、俺をずっと諦めねぇでいてくれたことに。
そして、今
「…ッ、…生きてて…良かった…‼︎‼︎」
俺のことで泣いてくれている親父がいた。
俺が、騎士を目指すことを死ぬほど喜んでくれている親父がいる。
恥とか、迷惑とか、考えていた自分が馬鹿みてぇだ。
こんなに、こんなに望んでくれていた。
俺なんざを、ずっと。
あんなに泣いた後の筈なのに、また涙で目が滲んできた。
こんなに恵まれてて良いんだろうか。
俺を待っててくれた親父がいて
送り出してくれるお袋がいて
兄貴みてぇに支えてくれるクラークがいて
そして、プライド様に出会えた。
プライド様だけじゃなかった。
プライド様に出会う前から俺はこんなに恵まれていた。
嬉しくて嬉しくて…
堪らず溢れる涙を拳で押さえつけた。
気づけて良かった。
何度だって、そう思う。
失う前に、取り返しがつかなくなる前に。
自分の幸せに気づけてよかった…
拳で目を拭って前を向くと、
平伏して自分より小さくなった親父をプライド様が抱きしめていた。
嬉しそうに微笑みながら、その目には涙が伝っていた。
プライド様が泣くのを見るのも初めてだ。
昨日あの人が城に帰ってきて、ステイル様とティアラ様に囲まれた時、それでも怒ったり泣いたりしないプライド様が不思議だった。
今日、プライド様は怒った。
親父は死ぬべきではなかったと。見捨てるなんて有り得ないと。
そして今、プライド様は泣いてい��。
自分の為じゃなくて、親父が「生きてて良かった」と言ったことに。
嬉しそうに涙を流してくれている。
「良かった…っ…」
掠れるような声が、確かに聞こえた。
泣く親父とプライド様を見て、プライド様が女神のように見えた。
俺はずっと、その光景を目に焼き付けた。
生涯決して、忘れることがないように。
……
「……クソ親父。」
「城の中でまでそう呼ぶのはやめろ。」
謁見の間を出た俺と親父、クラークは他の騎士達と一緒に城内の廊下を歩いていた。
このまま親父はまた騎士団と演習場へ向かうだろう。
「じゃあアレなんとかしろよ騎士団長。」
腫れた目を擦りながら、顎で前を歩く騎士達を指す。
皆、口々に「…ッまだ涙が…」「良かったなぁ…騎士団長」「プライド様…素敵な方だったな…」とか廊下に響かない程度にボソボソつぶやいている。退室後も開けっ放しの扉から一部始終を見られていたことに気がついたのは、親父達と退室してからだった。
ぶっちゃけ、クソ恥ずかしくて死ねる。
親父の代わりに先頭で騎士達を引率しているクラークが笑っているのが顔を見なくてもわかる。
親父は赤くなった目を擦りながら、眉間に皺をよせていた。
「…それで、お前はこれからどうするんだ。」
「帰る。…お袋も待ってるしな。」
「……言うなよ。母さんには。」
「ケッ、頼まれても言うかよ。」
そう言ってそっぽを向いても、親父が何か言いたげなのがわかった。
でも、これは絶対俺から言う。
「…時間はいつでも良い。親父が…時間がある時で良いからよ、…その、……」
恥ずかしくて、せめて騎士達に聞こえないように声を潜める。
「………………また、稽古つけてくれ。」
潜め過ぎて、小さくなり過ぎた。
そっぽを向いたまま、親父からの返答を待つが暫く待っても返事がない。
聞こえなかったのかと思って親父の方を向く。
親父もまた、俺とは反対方向を向いていた。
何故だか口元を片手で抑えながら肩を震わせている。
やっぱり聞いてなかったと思い、「おい!親父」と怒鳴りかけた途端。
親父に頭を殴られた。
自慢じゃないが、親父に殴られたのは産まれてこのかた初めてだった。
文句よりも驚きの方が勝って、殴られた頭を押さえながら目を丸くして親父を見直す。
「…当たり前だ。」
そういって、柔らかく微笑む親父を見るのも久々だった。
「…明日、早朝に一度帰る。ちゃんと支度して待っていろ」
「…ん。」
暫くはそのまま歩いた。
外に通じる扉が見えて、城の奴らが扉を恭しく開けるのが見える。
最後に、親父にとってやっぱり俺はガキのままだというのが悔しくて、ふと思いついたことを言ってやる。
「…どぉせ今までだって、俺とお袋が知らねぇとこでもちょいちょい死にかけてンだろ。」
「なっ⁈い、いやそれは…」
慌てる親父の反応を見て確信する。
「だろうと思ったぜ。お袋に叱られるのが嫌だからって隠し事とかガキと変わんねぇじゃねぇか。」
そう言ってやれば、また親父が何やら言い訳めいたことを言ってくる。
扉を潜り、城外に出る。後はこのまま庭園を抜けて門を出れば良いだけだ。
「言っとくけど次はもう俺には隠せねぇから。」
わかってる。隠してたのはお袋や俺を心配させねぇ為だったってことぐらい。
でも。
「次はその戦場に、親父の隣に俺も居っから。」
驚いたように目を見開き俺を凝視する親父が可笑しくて、思わずガキみてぇな笑みを向けてしまう。自分でもまだこんな風に笑えたんだなと思う。
そのまま足を踏みしめ、思いっきり駆け出す。騎士団の列も追い抜き、クラークを追い抜きざまに軽く叩いてやる。
「それまで二度と死にかけンじゃねぇぞ!クソ親父‼︎」
あとクラーク!テメェもな、ついでにそう大声で言い捨てて、親父に怒鳴られる前に門へと向かう。
走る。走る。
ただひたすらに、前へ。
「ははっ、…ロデリック。生きてるか〜?」
クラーク副団長が走り去るアーサーの背中を眺めながら最後尾にいるであろうロデリック騎士団長へ声を掛ける。
そのまま返事がない騎士団長を察して「お前達、後ろは振り返ってやるなよ」と軽く騎士達に声を掛けた。
アーサーのあんな笑顔を見るのは何年振りだろうか。
私も、ロデリックも。
そう思いながら、クラークは笑う。
列の最後尾で、ひたすら父としての喜びを噛み締めているであろう友を想いながら。