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幕間 騎士団長と副団長


「“生きていて良かった”…か。ロデリック。」

「黙れクラーク。」

くっくっ、と笑いを噛みしめる私をロデリックが睨みつけた。


プライド様との会談を終え、息子であるアーサーを家まで送った後、私クラークと、騎士団長であるロデリックは酒場に来ていた。


彼が自分から飲みに誘ってくれるのは珍しかった。

新兵時代から私とロデリックは友人だった。

その頃から酒を飲む時は必ずこの酒場に来て飲み明かしていた。

ロデリックの結婚が決まった時も、私の結婚が決まった時も、年の離れた私の妹が国を出た時も、そしてロデリックの息子であるアーサーが産まれた時も。

もう何度酒を酌み交わしたか数え切れないほどに。

「お前からそんな言葉を聞く日が来るとは思わなかったよ。」

「先に恥ずかしい台詞を吐いたのはお前だ。」

今、この酒場には私達しかいない。

馴染みの店主も店の鍵だけ預けるといつものように奥に下がってしまった。

「お前が生きてて良かったと、心から思ったものでね。」

そういってグラスを突きだせば、彼がジョッキを当て、硝子同士の軽やかな音が響く。


「お前が死んだら私も騎士達も悲しいよ」

「もう酔っているのか、友よ」


お前も十分酔っているよと言おうとしたが、既にロデリックは眉間に皺を寄せたまま一気にジョッキの中身を煽っていた。そのまま流れるように更に酒を注いでいく。

「アーサー。…泣いていたぞ」

私がふと、思い出したことを口にするとロデリックはジョッキを傾けながら頷く。


「ああ、私も見た。プライド様の…」

「そっちじゃない、馬鹿。」


友の言葉を容赦なく切り、カウンターに置かれていた干し肉を投げつける。


「お前が奇襲者に殺されかけていた時…泣いてたよ。」


干し肉を片手で掴み取りながら、ロデリックの目は丸くなっていた。ここに来てやっと酒の手が一度止まる。

「親父に手を出すな、やめろと。…お前を助けてくれとずっと泣いて叫んでいた。」

するとロデリックは酒が急に回ったのか、それとも照れたのか顔を真っ赤にしてジョッキの中身を一気に飲み干した。

「記憶から消そうとしても無駄だぞ。私が覚えている。」

意地の悪い笑みをわざと浮かべてみせると、ロデリックは空になったジョッキをテーブルに叩きつけながら、暫くの間黙りこくった。

二十分以上黙し、そしてやっと口を開いた。


「…この二日間は夢か幻でも見ていたかのようだ。」

小さな声でぽつりと呟く。

「…そうだな。」

私もそれに同意する。


ロデリックは、本当は昨日死んでいる筈だった。

大岩に足を捕われ、奇襲者に囲まれ。

いくら傷無しの騎士と名高い彼でも今回は駄目だと。私も、騎士達も、そして本人も諦めるしかなかった。だが、そこに現れたのはプライド様だ。王子ならともかく、剣や銃を振るう王女など聞いたこともない。

確かに奇襲者は実力自体は雑魚だった。

まともに戦えば、新兵はともかく長年鍛えあげた騎士団ならば負ける事はなかっただろう。だが、あの大人数。それをプライド様は一人で制されたのだ。

映像を見ていた私や騎士達は皆、開いた口が塞がらなかった。最初こそ、誰か救援をと騒いだがすぐにステイル様に止められた。

「姉君の行動は必ず僕が責任をとります」と語る彼の目は真剣だったが、同時に手元に引き寄せた爆弾や弾薬が、彼がプライド様の窮地の時には何をしようかが容易に想像でき、恐ろしくもあった。

だが、彼女の戦う様は明らかに少女の枠を越えていた。

狙撃の腕だけみても、彼女は敢えて敵の手足を狙っていたように見える。あれほどの腕前は我が騎士団にも片手で数えるほどしかいないだろう。いや、特殊能力者を抜けばそれすら凌いでいる可能性もある。そして、剣技。防ぐのではなく、いなし、躱す剣。少なくとも新兵で彼女に敵うものはまずいないだろう。あの身のこなしと相まって、私は昔異国の書物で読んだ「夜叉」という言葉がしっくりと来た。彼女の戦いぶりに、最後に歓声を上げていた騎士がいたほどだ。


プライド・ロイヤル・アイビー第一王女。

三年ほど前までは良い噂を全く聞かなかった。我儘な姫君と聞き、私とロデリックも何度かお会いしたことはあったが、噂に違わぬその振る舞いに毎回溜息が止まらなかった。これが次世代の女王になるかもしれぬ御方かと、そうならぬようにと神に祈ったこともある。だが、ティアラ様の存在が発表され、その生誕祭で彼女は変わっていた。

慈悲深い、そして弟のステイル様にも早くに慕われ、民を思いやる立派な王女だった。

改心されたか、それ���もティアラ様の存在に危機感をもたれたのか…真意はわからなかった。

だが、昨日のプライド様はそのような改心や危機感だけでは説明しきれぬ姿を見せられた。

ロデリックの為に命を張り、そして崖の崩落から彼を救ってみせた。

崖が崩落した時には、今度こそ終わったと思った。ステイル様も流石に顔面蒼白にされ、「早く、早く姉君を救出に」と混乱した様子で今にも崖へ向かわれる勢いだった。

私自身、半ば覚悟をしていた。親友を失い、第一王女を巻き込んだ重罰を受ける覚悟を。


生きていたと、映像に映ったロデリックを見た時は流石に周りの騎士達同様、涙が止まらなかった。

生きていた、それがどれほど奇跡的で嬉しいことだっただろうか。

例え、予知をしたとして…そこでこんなギリギリの行動ができる者が何人いるだろうか。プライド様にはいくら感謝してもし足りないほどの感謝をしている。

勿論、騎士としてあの行動は認めてはならない。だから私もロデリックもその件に関してはずっと礼を言わなかった。

プライド様の後、同じく先行部隊に送られてきたロデリックと直接顔を合わせた時など、どれほど泣き、笑っただろう。彼を騎士達と共に抱きしめ、夢でないことを何度確かめただろう。生きていてくれて良かったと語れば彼はまだ呆然とした様子で夢ではないのだなと呟いていた。


あの日、どれほど神を呪っただろう。

あの日、どれほど神に縋っただろう。

あの日、どれほど神に感謝しただろう。

あの日、どれほどプライド様に感謝しただろう。


私だけではない、プライド様のあの戦いぶりや、今日の会談でのロデリックへの言葉。

騎士団の誰もがプライド様を敬い、憧れ、そして慕っている。

既に会談の前の段階で殆どの騎士達が、プライド様の話で持ちきりになったほどだ。

ただ、一人救われたロデリック本人だけはあの会談まで、プライド様を表向きは許していなかった。

プライド様に救われたことも、予知によって新兵達が救われたことも彼は感謝していた筈だ。だが、きっと騎士として許してはならないという意識と、そして何より自分はあそこで騎士として死ぬべきだったという想いが強かったのだろう。


あの会談の時までは。


ふと、物思いに耽ってしまったことに気づき、顔を上げるとロデリックは既に何本も酒瓶を空にしていた。

「お前…明日早朝からアーサーの稽古をつけてやるんだろう?」

呆れながら、傷にさわるぞと注意したがロデリックは無言で酒を飲む手をやめない。


「…。…こんなに酒が美味いと思うのは久しぶりだ。」


彼はそう呟くと仄かに笑った。騎士達の前では滅多に見せない笑顔だ。

「お前に…お前達に…また会えて…嬉しい。」

「やっと酔いが回ったかロデリック。」

「お前とまた飲めて…嬉しい。」

「私もだよ、友よ。」

ロデリックはこくり、こくりと瞼が若干重そうだ。だが、この様子ではまだ飲むだろう。

「アーサー…、…息子が…騎士に…」

そう呟くと、とうとう瓶ごと酒を飲み出した。既に若干涙目だ。

こんな姿、他の騎士達には絶対見せられない。

きっと、余程嬉しかったのだろう。

アーサー、彼が騎士を目指したいと言ってくれたことが。

ここ最近は特に喧嘩が絶えなかったらしく、ロデリックはよくここで苦々しげに酒を飲んでいた。


「嬉しいか、友よ。自慢の息子が騎士を目指すと言ってくれて。」


クラーク副団長のニヤニヤとした顔と表情にロデリックは少しむっとした表情をみせた。

「……嬉しいさ。」

だが、酒のせいか抑えきれず本音がボロボロ溢れる。

副団長のクラーク・ダーウィンはロデリックにとっても間違いなく、唯一無二の親友だった。

だからこそ情けないところも曝け出すし、こうして堪えきれないほど嬉しいことがあると酒にも誘う。妻を最初に紹介したのだって、息子が産まれたことを最初に話した相手だってクラークだった。

生きて帰ってこれた時、直接クラークの姿を見てどれほど安堵しただろうか。今まで死ぬ直前の長い夢か幻かと何度疑っただろう。彼や騎士達に城の前で囲まれてやっと死地から戻ってこれたのだと実感した。

プライド・ロイヤル・アイビー殿下。彼女は間違いなく私の命の恩人だ。だが、感謝するつもりは…感謝してはならないと思った。騎士として王族を巻き込むような結果、決して褒めるべきことでも、感謝すべきことでもないと。このような王族をも巻き込む事態を引き起こすぐらいならば、私はあのまま瓦礫に潰されて死ぬべきだったとも思った。


だからこそ、会談の時私は敢えて強く彼女を咎めたのだ。例え機嫌を損ね、首を刎ねられようともこればかりは認められないと強く思った。

私一人の命で、王族が、民が、騎士達が危険に晒されるくらいならば助かるべきではなかったと。会談の時には私は既に「生き長らえてしまった」という罪の意識さえあった。


だが、私に対する彼女の言葉は私の意見とはまるで真逆だった。私は生きるべきだったと、王族でもない私の存在が多くの民や騎士、そして愛する者に対しての大きな存在であることを自覚せよと。

そして、クラークを始めとする騎士達の言葉だ。予知や武器の補給の件だけではなく、私が助かったことをプライド様に感謝し、平伏したのだ。

あの崩落で私が死ぬべきだったと考えていたのが私だけだったのだと、あの時初めて私は理解した。

最後に息子であるアーサーまでそうした時は信じられなかった。アイツが私の為に感謝する姿など想像できるわけがない。今まで喧嘩しかできなかったのだから。

そしてアーサーは言った。

騎士になりたい、と。

今まで、何千何万と願い、夢に見ただろうか。

私のせいで、アーサーには重荷を背負わせてしまったことは理解していた。

アーサーは私と違い、戦い向きではない特殊能力に絶望し、更には周りに比べられ、騎士を目指すことを諦めてしまった。幼い頃、騎士になりたいと口ずさんでいたのが嘘のように。

私の名が高まれば高まるほど、アーサーは私との差を痛感し、苛まれてしまった。

最初から騎士に興味がなかったのならばそれも良い。だが、アーサーは私のせいで騎士に憧れ、そして私のせいで騎士を諦めざるおえなかった。それが私には辛くてたまらなかった。

騎士という生き方に誇りがあるからこそ、アーサーには私のせいで騎士の道を諦めて欲しくなかった。

何度、クラークに愚痴り、嘆いたか数も忘れた。きっとアーサーは私を恨んでいるだろう、腕っ節も咄嗟の判断力や瞬発力も騎士としての才がある。なのに私のせいで騎士の道が閉ざされた、騎士の生き方自体を恥だというようになってしまった、もうアーサーにとって騎士は、私の生き方は恥でしかないのかと。何千とクラークに嘆いたことだろう。

あの時、何故プライド様に突然打ち明けたかは私にも、クラークにもわからない。

ただ、きっとあのプライド様だからこそ打ち明けようと思えたのだろう。それだけは理解できた。

そして、己を卑下しながらも騎士になれるだろうかと問うアーサーに私は耳を疑った。彼はまだ、騎士という生き方を見放してはいなかったのだ。

その言葉を聞いた途端、目頭が熱くなった。気がつけば涙が伝っていたことも、クラークに肩を叩かれるまで私自身気がつかなかった。

そして、アーサーにプライド様は何の躊躇いもなく背中を押して下さった。つい先程失言を繰り返したばかりの私の、その息子に。

あれほど泣いたアーサーを見たのはいつぶりだろうか。

私を立派な騎士だと、そして何年掛かってでも騎士になってみせると、そして強くなりたいと、私や妻を、民を、王族を騎士になって守りたいと。アーサーがそういってくれたのだ。

こんなに嬉しいと思ったことは生涯きっとないだろう。その上、アーサーは生涯をかけて守りたいものまでみつけてくれた。

プライド第一王女。

彼女には感謝をいくら言い尽くしても足りないほどに感謝している。

彼女がいなければ、あのような言葉は聞けなかっただろう。

いや、その前に彼女に救われなかったら私はアーサーのあの本心すら知ることができなかったのだ。

生きていて良かった、と心からそう思った。


良き友に、良き部下に、そして自慢の息子にまた会えた事を心から感謝した。


彼女は間違いなくこの国を治めるべき器だろう。

そして私も生涯をかけてあの方の王政を守ろう。


騎士として、この恩に報いるために。


彼女は不思議な女性だ。

奇襲者相手に臆さず立ち振る舞い、時にはあんなに立派な発言や慈悲深い心を持っていらっしゃるのに、かと思えば十一歳の娘がたかだかドレスの下が少し見えたくらいであの…


「…ブッ‼︎」

「とうとう思い出し笑いまできたか、ロデリック。そろそろ金置いて帰るぞ。」

クラークがしょうがないといった様子で、私に肩を貸してくる。視界がぼやけてるところで大分飲んだと自覚する。

「いや…まだ飲める。」

そういうとクラークは大きく溜息を吐いた。そのままフラフラとお互い落ち着かない足取りで店を出る。

「明日にしろ明日に。早朝、稽古に遅れたらアーサーにまた嫌われるぞ」

そう、帰りの際にアーサーから言ってきたのだ。時間はいつでも良い、時間がある時にまた稽古をつけてくれと。

嬉しさのあまり破顔を隠すのにどれほど苦労したことか。

「…アーサーはいつか、私より強い騎士になるぞ…」

「出たよ親バカ」

「黙れバカ」


そうして二人の騎士は肩を組み交わしながら帰路を歩んだ。


互いにこの日を絶対に忘れないと、心に誓いながら。




…翌日、アーサーの稽古に間に合ったものの酔いが残り剣を家に置き忘れ、更には騎士団の演習室で休息していたロデリックが昨日の今日でのプライドの訪問に大慌てで起き上がり、額を思い切り棚にぶつけて破壊することになるのはまた、別の話である。

いま、騎士団長と副団長は幸せです。



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