そして騎士は触れた。
「…深夜とはいえ、ちゃんと呼び方は変えろよ、アーサー。」
「ッえ!ええええエリック副っ…さん…!」
不意に物陰から現れたエリック副隊長にしゃがんだまま後退る。そのまま急いで扉の隙間を隠すように身体を向けるけど、座ったままだと隙間全部は隠し切れない。プライド様と繋いだ手をそのままに慌てる俺へエリック副隊長が笑いながら手を振った。
「いや、大丈夫大丈夫。もう結構初めから聞いてたから。」
あっさりと言われ、思わず手を解くのも忘れて「ど…どの辺から…?」と尋ねるとエリック副隊長が若干申し訳なさそうに苦笑いをして頬をかいた。
「あー…〝アラン隊長はすっげー強いんです〟…から?」
ほぼ最初からじゃないすか!と声を絞って叫ぶ。全部聞かれてたと思ったら顔が一気に熱くなる。やべぇ、エリック副隊長の話まで本人に聞かれてた!
「取り敢えず、ちゃんと今は〝隊長〟〝副隊長〟と騎士って言葉は使っちゃ駄目だ。今お前が握っている手の御方も〝ジャンヌお嬢様〟だろ?」
本当に全部聞かれてた。口をパクパクしながら何とか「すみません…」とだけ謝る。任務中だったってのに気が抜けてた。
「…いや、まぁ嬉しかったけどな。」
照れ臭そうに笑ってくれるエリック副隊長に思わず顔を伏せる。すげぇ恥ずかしい。今聞いた話はどうか…と口籠もりながら言うと「うーん…できたらな」と少し不安な返事が返ってきた。エリック副隊長が怒っていないことだけがせめてもの救いだ。
「プ…、…ジャンヌ様もすみませんでした。………?…ジャンヌ様。…ジャンヌ様⁇」
扉の方を振り返り、声を掛けるが返事が無い。
握られた手を軽く握り返してみたが、やっぱり反応がない。エリック副隊長も気づいたらしく、身体を傾けて俺の背後を覗きこむ。
俺も一緒に振り返り、腕一本分だけ開いた扉をゆっくりと開いた。
すぐにプライド様の長い髪が目に入る。さらに扉を開けると、今度は横顔だ。白い肌と長い睫毛、そして…心地好さそうに閉じられた瞼。小さく寝息も聞こえた。
どうやらいつのまにか眠ってしまったらしい。いつから寝ていたのか。さっき俺に言葉を掛けてくれた時は起きていた筈だから、多分そこからエリック副隊長が声をかけて来た時くらいから…
『大好きよ。』
一気に、熱が上がる。
そうだ、それを言われてから一気に頭が真っ白になって、暫く何も言えなくなったんだ。お互い沈黙が続いて、その間も顔が熱くて焼け死ぬかと思った。
わかってる、別に他意がないってことくらい。それでも、プライド様にそう言って貰えるだけで顔は何度でも熱くなるし、恥ずかしくて嬉しくて死にそうになる。
「ジャンヌ様、眠っておられるみたいだな…。」
エリック副隊長の声で一気に目の前のことに意識が戻る。そうですね、と言いながら改めてプライド様を見れば扉横の壁に寄りかかるようにして眠っていた。少し崩れるようにして眠る姿はまるで絵画のようで、俺はその姿に
…また、熱が上がった。
思わず目を伏せてプライド様から逸らすように背後を向くと、エリック副隊長も同じように顔を赤くしてプライド様から逸らしていた。
プライド様の格好が、すげぇ色っぽい。
ヒラヒラとレースがあしらわれた寝着の姿で、更にはいつもより薄手の布地のせいで心なしか身体のラインから少し透けているような気もした。暗がりで良かったと心から思う。
「アーサー…ここでは風邪を引かれてしまう。…だから、お前がベッドまで運んでさし上げろ。」
エリック副隊長が顔を背けたまま俺に言う。「えっ⁈」と思わず大声になりそうなのを抑えて返すと赤い顔のまま「お前が手を繋いでいるのだから当然だろう…」と返されてしまい、何も言えなくなる。
プライド様が握ってくれた手は、ちょっと動かしたぐらいじゃ解けない。つまりはプライド様の方からも、握ってくれていたんだと改めて実感し、脈が酷く速まる。
細い指をそっと一本一本解こうとしたら、プライド様が小さく呻いて余計に握る手が強まった。ぎゅっ、と握り返され心臓が飛び跳ねた。
「……〜〜っ…。…し、…失礼…します…。」
目を覚ます様子のないプライド様に小声で断りをいれ、腹を決めてそっと手をさしのばす。
片腕をその細い両膝に、もう片手を握ったまま回し込むようにしてそっと背中へ。至近距離でふんわりとプライド様の甘い香りがして、全く重さの感じられないその身体を持ち上げれば直接薄い布地を通してプライド様の感触が肌に伝わった。
俺の腕の中で安心しきったように眠るプライド様に心臓が破けそうなほど酷く高鳴る。
…こんな細い、軽い身体でこの人はどんだけのものを抱え、背負っているんだろう。
ふいにそんな疑問が過って胸が小さく締め付けられた。
そのまま、どうか今だけは目を覚まさないようにと願いながら、緊張で固まりかけた身体を動かしてベッドへ向かう。
起きてしまう前に早くベッドに降ろしたい気持ちと、…このままずっと手離したくない気持ち両方が均等にせめぎ合う。
それでも、最終的にはそっとベッドに降ろして寝かせ、布を掛ければ枕の位置のせいで顔がゆっくりと俺の方へ向くように傾いた。
安らかな寝顔を正面から見てしまい、思わず胸を押さえつけた。
長い真紅の髪が白い肌の首に軽く絡み付いているのに気づき、そっと手で払った。そのまま手を引くと同時に、…一瞬だけ魔が差して
その蕾のような唇をそっと指で撫でた。
つるりと柔らかい感触が自分の指先に伝わり、頭の中が曇ったようにぼやけた。
「…おやすみなさい。…良い夢を。」
聞こえていないとわかりながらも、自分でも驚くほど消え入りそうな声で、そう囁く。
…ずっと、こうしてこの人の寝顔を守れりゃあ良いのに。
叶うわけのない、変な欲が出て。
これ以上は無礼なことをする前にとそっとベッドから離れ、後ずさる。
扉を潜るまで、…そして扉を閉めるまであの人の寝顔から目が離せなかった。
バタン、と閉まる音と共に、一気に息を吐き切った。脱力するようにその場にしゃがみ込むとエリックさんが「おつかれ」と笑いながら部屋の鍵を使って扉を施錠してくれた。
「アランさんが羨ましがりそうだな。」
カラムさんは畏れ多くてとても、とか言いそうだけど。と笑うエリック副隊長に「勘弁して下さい」と頼む。顔が湯気が出るように熱くってとてもじゃないけど上げられない。
「……すげぇ、…柔らかかった…。」
思わず言葉が零れだす。
肌とか、髪とか、香りとか、…唇とか。
全てが柔らかくって、女の人なんだなと改めて実感した。もう離れた筈の両腕が、手が、今も疼くように暖かい。初めてお逢いした時は、あんなに小さな少女だったのに。
「もう、…十六歳だからな。」
エリック副隊長も感慨深いように、ゆっくりと頷きながら腕を組んだ。この人もまた、あの時のプライド様をよく知っている。そのまま「やはり物音は衛兵だったらしい。後は何も異常無しだ。」と、見回りの報告をしてくれた。
扉を挟んで俺と反対側に位置し、そのまま見張りを続行する。
…俺も、ちゃんと見張りをしねぇと。
エリック副隊長に感化されるように一度に息を吐き切り、最後に立ち上がる。
「………ま。お前が言うまでは今夜のことは黙っておくよ。」
苦笑しながら小声を掛けてくれるエリックさんに思わず振り返る。何度も瞬きをしながら続きの言葉を待つと、「大丈夫、大丈夫」と返された。
「お前が〝言うまでは〟…な?」
…意味深なその笑みに、俺は一人首を傾げた。