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そして核心に近づく。

プライド様が自分より弱者を好み傷付けるようになる未来。


今のプライド様を知る身としては有り得ない未来だ。

あの御方がそのような愚行に走るとはとても思えない。だが、…八年前までの我儘な振る舞いを思い出せば、当時のローザ様がその予知を確実なものとして悩まれたのも理解できる。

彼女にとって予知は〝絶対〟だったのだから。だからといって幼いプライド様を放棄することの正当な理由にはならないが。…勿論、そのプライド様を利用し陥れ続けた大罪人の私も言える立場ではない。


思えば、八年前までのプライド様は多くの要因の渦中におられた。

予知をされたローザ様から突き放され、我儘な振る舞いから城の人間からは白い目を向けられ、…私という悪意に晒され、ステイル様という突然の義弟、更には隠されていた妹君であるティアラ様の存在。そして幼いながらに手に入れた選ばれし人間の証である予知能力の覚醒。

我儘な振る舞いは当時のプライド様自身の問題だが、僅か八歳の子どもだ。そして実際、成長した今はこうして立派な第一王女になっておられる。

…だが、だからこそ考えてしまう。

もし、プライド様があの我儘な振る舞いを良しとしたまま成長されていたら。

あの日、プライド様が予知したアルバートの馬車の欠陥。あれの判明が一足遅く、あの時にアルバートが、唯一プライド様へ愛情を注ぎ、ローザ様との橋渡しを行っていた彼が馬車事故で亡き者となっていたら。


彼女は、どのように成長されていたのだろうか。


ぞわり、と急激に全身へ怖気が走った。久しく感じる寒気に思わず自身の肩を抱き、そのまま腕を摩る。


ローザ様が予知された、未来。

プライド様が弱者を好んで傷付ける姿。

恐らく、八年前まではそのプライド様の姿は常に現実的な未来だったのだろう。そしてローザ様はその一端を、プライド様を突き放した自身にもあることすら気づいておられなかった。

国を導くことはできても、我が子を正しき道に導くことすら叶わず

国の未来を良き方向へ変えることはできても、我が子の未来は変えようとすら思えなかった。

もし、プライド様がローザ様の恐れた予知のように悪しき人間へと成長してしまった場合。




見限り、己にとって要らぬものだと相手を切り捨てたのは、プライド様と我々…どちらが先になるのか。




そう思えば、今こうしてプライド様が良き王女として成長されていることの方が奇跡に感じられる。

今のプライド様が、ローザ様の予知したような人間になることなどあり得ない。

だが、八年前のプライド様の周囲にはそうなる為の要因ばかりが渦巻いていた。




おかしいのは〝予知〟か、それとも〝今〟か。




…考えても仕方ないことだ。今は確かにプライド様は素晴らしい人間に成長され、ローザ様の予知もその八年前までの話だ。

未来は変わり、今のあの御方は誰よりも気高く高潔だ。

その事実さえ、今は確かであれば良い。


気を取り直すように一人笑む私にアルバートが顔をしかめながら「何を笑っている」と尋ねた。彼が真面目な話をしている時に笑んでしまったことに反省しつつ、私は彼に言葉を返す。


「…大丈夫だ、アルバート。今のプライド様ならば、己が未来をも変えるだろう。」


私の言葉にアルバートは目を見開き、そのまま逸らすとまた書類へと目を落とした。

「…お前も、八年前と比べれば随分と変わったものだなジルベール。」

予想外のアルバートの言葉に思わず苦笑する。八年前の私は、それこそ愚劣以下のどうしようもない人間だったのだから。

「良き出会いと、良き友がいたからかな。」

彼の分別するの書類を半分貰い、彼の業務に必要な書類を棚の中から選別する。その為に彼へ背中を向けると「はぐらかすな」と嗜められた。


「八年前のお前ならば…まぁ、マリアンヌのことがあったからだろうが。……自らステイルに助け船を出すような真似はしなかっただろう。」


アルバートの鋭い指摘に思わず笑ってしまう。あまりにも笑いが込み上げ肩まで震えてしまい、すぐにアルバートに気付かれ叱責された。


ステイル様の、ヴェスト摂政付きの話は私も以前から知ってはいた。代々の摂政がそうであったように、彼にも告げるべき時とその時期は決まっていた。

ただ、婚約者であるレオン王子の存在と相まってのプライド様との分離は彼には酷ではないかと少し懸念もしていた。もともと一年前から彼自身の望みではあったが、レオン王子の存在と同時にそれを受け入れられるかは別だ。


そして、プライド様の婚約解消。

本来ならば、次期王配の決定と共に摂政業務を学ぶ筈だった彼はプライド様の婚約と同様に保留となる筈だった。

彼のプライド様へのお慕い様を知れば、もう暫し僅かな時間でも再びプライド様との温かな日常が続くのだと安堵し、ただそれに身を委ねても全くおかしくはない。

今まで八年間もの間、片時も離れず共に育ち、そして慕い続けてきたプライド様との日々なのだから。

誰にも否定する権利もない、当然の安堵だ。


だが、彼は自らそれを絶った。


プライド様との僅かな間の安堵よりも、この先何年何十年もの間、プライド様を支え、より力になる為の道を選ばれたのだ。

正直、聡慧な彼がその道を自ら望み、選び取ることを期待していたかと言われれば否定できない。彼がローザ様へそれを進言した時には思わず笑みが零れた程に。

しかも、それだけに留まらず彼は〝王配〟の業務すらをも携わりたいと仰られた。

例えどのような時期にどのような者が王配になろうとも、変わらず支え、プライド様の王政を守る為に。

本来、王配の補佐は宰相である私の職務なのだが、彼の言葉はまるで仮に王配不在であろうとも恙無くプライド様の治世を支えられる程の域までその能力を高めたいと言っているようだった。本人にその自覚があるのかは不明だが。


茨の道だ。摂政の役目と王配の役目。全てを全うするなど並大抵のことではない。例えどのような暴君でもそのような愚行は任じないだろう。だが、彼は言った。


『優秀な宰相殿がいます。』と。


ローザ様達を説得する為の方便も混じえている可能性は十分あるが、それでも彼の言葉に浮き立つ気持ちを抑えるのには苦労した。私と協力し合う形で、王配を支えたいと仰って下さったのだから。

以前までは「摂政となった暁にはお前を宰相の椅子から蹴落とすつもりだった」とまで仰られていたステイル様が、だ。

どこまでが本心かは計りかねるが、それでも言葉にして下さっただけでも十分だ。そして、例えそれが無くとも私自身もまた望んでしまった。彼がこれから先、次期摂政としてどこまでの高みへと登りつめるのか見てみたいと。

私からの提案に彼は少し驚いた様子だったが、少なくとも提案自体は不本意でないように取れたその反応だけ私は十分満足した。


「ステイル様は聡明な御方だ。それだけのことをする時間と労力の価値があると…そう判断したまでだよ。」

「まぁ、お前は以前からステイルとティアラに関しては悪意を持っては居なかったが。」


アルバートの容赦ない言葉が斬りかかる。

私が口で唯一負け越している相手はアルバートくらいかもしれない。その言葉と同様の鋭さで膨大な書類に一つひとつ確認の印をいれていく。私がある程度必要な資料を項目ごとに開けば彼はそれを素早く目で追った。


「…それでも、お前はプライドに対しての当たりは強かった。ステイルがプライドの為に王配業務も学びたいなどと望んだところで、恐らくは反対するか無干渉を決めていただろう。」

「…本当に理解ある友人だよ、お前は。」


私に読み終えた資料を返そうと手を伸ばす彼に微笑むと「だからはぐらかすな言っているだろう」と今度は手の中の資料でそのまま叩かれた。私のこの澱みも出生も知りながら友でいてくれるのは彼くらいのものだろう。


以前のどうしようもない私を許し、救い、変えて下さったのは他でもないそのプライド様であることを彼は知らない。そして、知らせることも禁じられている。


「……今のプライド様を、私は心よりお慕いしている。それだけは友であるお前への嘘偽りない本心だ。」


全てを語れない私からの、せめてもの真実を彼に語れば、アルバートは動かす手を一度止め、私を目だけでも鋭く見上げた。


「…くれぐれも身内びいきだけはするな。これから先何百年もこの国の民に求められる宰相であり続けたいのならば。」

「ああ。…わかってる。」


暗にステイル様への助け船のことを言っているのだろう。確かに、マリアの件で大恩人であるステイル様には感謝の念が絶えないが、…今回のことは本当に次期摂政として有望な彼の先を期待してのことだ。何より、そうでなく単純な肩入れで彼に助力などしたら逆に手痛い徴罰をステイル様から受けかねない。


最後に、お前も早く自分の仕事にかかれと命じる彼に、私は引き出しから今日分の書類の束を取り出し、机上に積み上げる。

そのまま彼と同じようにペンを走らせようとインクの瓶へ手を伸ばす寸前、紙をめくる音とともに彼がポツリと私に向かって言葉を放った。


「だが、…感謝している。」


彼に向かって顔を上げれば、まるで何も言っていなかったかのように書類にペンを走らせ続けていた。

ステイル様もまた、彼にとって可愛い我が子なのだ。


「…ああ。」


同じように紙を捲りながら私も答えた。

広い室内でペンと紙を捲る音だけが続いた。


ステイル様はきっと、歴代最高の摂政となられるだろう。そして、私も彼を全力で手助けしたいと思う。


そして、ふと思う。


もし、ステイル様が本人の望む通り王配業務すらを賄えるほどの摂政となられたら。

更に言えば、誰が王配になろうと完璧に支えられる体制を作り上げたら。


プライド様のフィアンセは、乱暴に言えば誰にでも可能となり得るということだ。


今回のように政治的な意味合いが強い場合は別だが、王配業務を可能とする教育を持ち合わせた一国の王子でなくとも可能となる。

王族でも、衛兵でも騎士でも貴族でも庶民でも異国の民でも。


例えば、その体制を作り上げる次期摂政。

例えば、プライド様を傍らで守り続ける近衛騎士。

例えば…


「…まぁ…配達人とはいえ罪人は流石に難しい、かな。地位も名誉も国も捨てて、愛の逃避行でもしない限りは。」

何を言っている?と友に声を掛けられ、「いや、独り言だよ」と軽く返す。誤魔化すように再びペンを握る手を素早く動かし始めた。


プライド様の愛した御方ならば、私もできる限り助力を惜しみませんが。と心の中で唱えながら。


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