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163.宰相は状況を把握し、


「…〝親がどうであれ〟…か。」

「…どうした、ジルベール。」


王配の公務室に戻った私は、衛兵に扉の開閉を任せ声を漏らした。息をつけば、ローザ様の言葉を思い出し笑みが零れる。


「いや、…今年で一歳になるステラも、どうかそうであって欲しいものだと思ってね。」

清廉なマリアの娘であることは良しとして、私のような罪人の血も混じえている。だが、それでもステラはどうか良き人間に育って欲しいものだと思う。

アルバートがローザ様に許可とサインを受けた書類を机に並べながら「もう一歳か」と小さく呟いた。アルバートやローザ様にステラの生誕を報告してから一年も経ったのかと思うとなかなかに感慨深い。


…ステイル様が退室された後も衛兵達の手前、ローザ様は変わらず気丈に振る舞っておられた。何事もなかったかのように再び王配であるアルバートとヴェスト摂政殿と公務の打ち合わせを済ませておられた。

流石はプライド様の母君、そしてこの国の女王だと改めて関心させられた。


…つい一時間ほど前はあんなにも泣き伏しておられたというのに。


一週間前、プライド様はローザ様にアネモネ王国への極秘訪問を望まれた。

プライド様の突飛な行動の裏には必ず、何か強い意志が秘められていることは理解していた。だが、〝予知〟…その言葉には流石に私も動揺を隠せなかった。

あの御方は以前、私の罪や妻の死すらをも予知したことがある。プライド様の予知の力は私が身をもって理解をしていた。


プライド様が予知されたのは、第二第三王子の暴挙。そしてレオン王子を無くした、未来のアネモネ王国の衰退。

私は勿論のこと、ローザ様とアルバート、ヴェスト摂政、誰もが戸惑い、言葉を無くした。

もし、その予知が本当であれば一大事だ。例えアネモネ王国と同盟を強固にしたとしても、衰退してしまえば同盟を強固にした意味もない。

更に言えば、大事な古くからの親交国の危機を知りながら見過ごすことなどできはしない。

プライド様がだからこその極秘訪問と、二人の王子の暴挙が真実だった場合はレオン第一王子を国王としてアネモネ王国へ返還する為の婚約解消、並びに必要あらば互いの国が同盟関係を保つ為の条約締結の許可を求められた。

突然のことに表には出さず気丈に振る舞っておられたローザ様の指は僅かに震え、…そして許可と、更には〝女王代理〟として様々な事態に対応できるようにと凡ゆる権限をプライド様に付与された。


プライド様が退室された後、人払いを済ませたローザ様はかなり気落ちされておられた。


私やヴェスト摂政、そして夫でもあるアルバートしか知らない彼女の姿だ。友人であるマリアにすら、女王として弱き己の姿は隠していた。

ローザ様、そしてヴェスト摂政とアルバートはプライド様の婚約者探しを長きの時間を掛けて行っていた。

我が国の風習で王族の婚約者は誕生祭当日に本人へと知らされる。もともとは我が国の王族の血を国外に洩らさず、確実に女王が定めた婚約者と結び合せる為。そして皆の前で公表と同時に婚約者を知らせることで、王女が己が意思のみで婚約を拒否することを防ぐ為の忌習だった。

それが何百の時を経て、今は我が国の王族独特の風習となっている。


特殊能力者は、我が国フリージア王国内でしか産まれない。あとは親のどちらかが我が国の血を僅かでも引いていれば良い。血の濃さは関係ない。そこにフリージアの民の血と、この地に根を下ろしていれば。

国土の問題か、それとも本当に神の恵みか…それが判明したのが百年以上も前のことだった。

それからは外交の為に王族と他国との結びつきも良しとされた。むしろ近年はいくら血を薄めようとも必ず現れる王の証である〝予知能力者〟の存在は、やはり神からの啓示だと我が国の民は誇ってすらいる。…だがそんな今でも、婚約者選定の習わしは変わらなかった。


そして、だからこそ婚約者選びは女王にとって責任重大な役目だった。


ローザ様が前女王に婚約者としてアルバートを選ばれたように、ローザ様達も同盟国、そして新たな同盟締結や親交を深める為に様々な近隣諸国を巡る中で同時にそこの国の王子や貴族とも面談し、相応しい人間を探しておられた。更には宰相である私すら知り得ぬことができぬほど、慎重に。


そして、幸運にもその黄金の矢が刺さったのがレオン第一王子だった。


正式な発表前に、まさかステイル様からそれを知らされた時は驚いた。彼はあくまで「アネモネ王国の第一王子のことを知りたい」としか言わなかったが、プライド様の誕生祭が近づいているその時期と、更には私に催促するその尋常ではない覇気からも簡単に察しはついた。

咎めようにもあくまで、「ただレオン第一王子のことが知りたいだけだ」と頑なに認めず言い張るステイル様に、私も知る限りアネモネ王国とレオン第一王子の情報や噂を伝えた。


〝事実から根も葉もない噂まで全て教えろ〟と凄むステイル様に、うっかり以前に社交界でアネモネ王国の上流貴族から聞いた噂話までも話してしまったことは迂闊だった。

彼の沸き立つ殺気を察知し、すぐに「あくまで噂の域を出ない情報です」と何度も念押し伝えたが、それでも彼の殺意は収まらず、既にレオン王子への疑心と懐疑が渦巻いていた。…私も昔、マリアの元婚約者がどのような男だったか知った時に同じような殺意に満たされたことがあるからよくわかる。


だが、ローザ様やアルバート、聡明なヴェスト摂政が選ばれた婚約者だ。心配するステイル様の気持ちも十分にわかったが、一際優秀な王子へ他者が嫉妬心から悪評を流すなどよくあることだ。むしろ、それこそが嫉妬されるほど他者から浮き出て優秀な証とも呼べる。

だからこそ私は噂よりも、直接レオン王子に会ったという彼らの慧眼を信じた。

勿論、もし万が一にもプライド様の婚約者となる者が、アルバートに代わりこの国の王配となる者が、噂通りの愚劣な男であれば、私も私でそれなりに考えはあったが。


「…甘やかし過ぎず、そして突き放し過ぎぬこと。間違いの経験者として私からできる助言はそれくらいだな。」


アルバートが独り言のように返す言葉に、なかなかの重みを感じる。

私も詳しくは知らないが、幼い頃のプライド様とローザ様はかなり極端な関係だったらしい。私がプライド様と顔を合わせたのは当時数えられる程度しか無く、殆どはローザ様が乳母にも任せずその面倒を一人で見ておられた。

そして気がつけば逆に今度はプライド様を遠ざけ、アルバートが足しげくプライド様に会いに行っていた。

あの頃は私もプライド様への関心が殆ど薄れ、むしろ次期女王として問題でしかない我儘姫様に宰相業務を押してまで会いに行こうとは露にも思わなかった。…まぁ、他にも色々と要因があったが。


「…後悔、しているのか?」

「以前のプライドは完全に親として足りなかった私と、そしてローザの被害者だ。〝予知〟は必ず現実となる。ローザはそれまでの経験からそう信じて疑わなかった。」


〝予知〟の重みは、その力を持たない私にもアルバートにも理解はできない。避けることのできない未来だとローザ様は信じ、アルバートがいくらまだ未確定だと伝えてもそれに頷かなかったと言う。


「…だからこそ、プライドと今回のレオン第一王子との婚約はローザにとっては母親らしいことをプライドにしてやれる最後の機会だった。」


プライド様に女王代理の権利と許可を与えた後のローザ様の落ち込み伏した姿を思い出す。

アルバートとヴェスト摂政がまだ決まった訳ではないと言ってもローザ様の顔色は冴えなかった。「また私はあの子に取り返しのつかないことを」「大事な婚約者すら間違えてしまうなんて」「折角やっと母親らしいことができたと思ったのに」と何度も嘆いておられた。

その後の一週間も、公務中はいつもと変わらず気丈に振る舞っておられたが、日に日にその顔色は陰りを増していった。アルバートにそれとなく尋ねれば、プライド様が婚約解消になることと、アネモネ王国の危機が頭を悩ませ、よく眠れていないとの話だった。…プライド様が早々と帰国された時には大分衰弱していたようにも見えた。

そして、プライド様は毅然とした態度で己の婚約解消と条約締結を告げられた。そこには悲壮感や自嘲は全く感じられず、ただ己が役目を果たした第一王女としての姿だけだった。むしろ、その振る舞いに私の方が僅かに胸が痛んだ。恐らくヴェスト摂政、アルバートやローザ様も同じだっただろう。


「…だが、最後には親子として歩み寄れたんじゃないか?」

「あれはプライド自身の力だ。私は何もしていない。他ならぬあの子が、ローザが長年求めていた言葉を与えてくれたからだ。」


憔悴と、プライド様の婚約解消の事実で取り乱されたローザ様。

既にこの事態を想定していた私とヴェスト摂政は黙すことに徹した。…他ならぬローザ様からの命令でもあった。「人払いを済ませた後は、どうか子ども達の前で醜い姿を晒す私を許して」と。私もヴェスト摂政も、まさかあそこまでローザ様が取り乱すのは想定外だったが。

そして、プライド様は踏み出した。憔悴し取り乱す、実の母親であるローザ様へと。

その瞬間、私もあの御方が何をするつもりかはすぐに察した。…いや、知っていたと言うべきか。

他ならぬあの御方にあの時全てを救い上げられた私だからこそ、それがわかった。

高潔且つ崇高な彼女の手を取り、その道行きへと送った。あの時はそれこそが正しいと、確信してそう思えた。


「…ローザの〝あの〟予知は、私も初めて聞いた。八年前まではプライドが将来どうしようもない人間になると。それだけは何度も聞かされてはいたが。」


彼女なりに考えて誰にと言えなかったのだろう、とアルバートは重々しく呟いた。気を紛れさせるようにローザ様からサインを頂いた書類を分別し、内容を確認していく。






私も…ローザ様のあの御言葉には驚かされた。


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