162.義弟は覚悟を決める。
「先程の今で、大変申し訳ありません母上。」
玉座の間。
俺とプライドが去った後もまだ玉座の間には母上と摂政のヴェスト叔父様、父上と…そしてジルベールもいた。
入ってすぐにジルベールの姿を確認した俺は、誰にも気づかれないように薄く息を吐く。…できれば居合わせないで欲しかった。
プライドとの一件後の母上は、未だ目を腫らしていた。玉座にいつものように掛け直し、優雅に手足を降ろす姿は先程とは別人だった。
「良いのです、愛しい我が息子。…それで、急遽私に話したいこととは何ですか。」
切り替えの早さは流石国を統べる女王だと思う。毅然と、まるで先程のことは無かったかのように周囲の衛兵の前で振る舞う。その姿は少し、プライドと重なった。
「はい。以前お話頂いた、姉君とレオン王子との婚約中、僕が次期摂政としてヴェスト叔父様につくとのお話ですが。」
「…そうでしたね。」
母上が小さく息をこぼす。
俺は、母上に告げられていた。レオン王子とプライドの婚約と同時に二人が婚姻するまでの間、俺はヴェスト叔父様につき、摂政となる為の勉強をすると。
「…わかっています。婚約解消の今、プライドの婚姻、並びに女王戴冠は未定。貴方のヴェスト付きに関しても残念ですが」
「是非、今日からでもお願いしたいのです。」
母上の言葉を遮るように、無礼と承知の上で、はっきりと告げる。母上の言葉が止まり、父上とヴェスト叔父様が目を丸くし、…腹が立つことにジルベールの口元が俄かに引き上がった。
「…ステイル。貴方の気持ちは分かります。ヴェストの元で学ぶ事は以前より貴方の希望。ですが、プライドが婚約解消の今。貴方は未だ時期ではありません。」
「御言葉ですが、母上。僕には今こそがその時期だと思えてなりません。」
一歩も引く気は無い。俺の言葉にとうとう母上までもが目を丸くした。「今こそ、と…?」と俺の言葉を聞き返し、その続きを促した。
「姉君の次の婚約者は吟味する必要があるでしょう。今度こそ、二度目の婚約解消など行わない為にも必ず。」
先程の母上は半ば混乱していたが、実際はそうだ。第一王位継承者が何度も婚約解消をしていては例え互いの合意であろうとも、他国からプライドのその人格まで疑われかねない。だからこそ、次のプライドの婚約者はもっと慎重に時間を掛けて選ぶ必要がある。…むしろ選出方法自体も改め直す可能性だってある。
母上も冷えた頭でそれは既に理解しているのだろう。眉の間が狭まり、俺を見つめる眼差しが少し鋭くなった。
「だからこそ、僕は今からでもヴェスト叔父様の元で学ぶ必要があります。これから先、再びプライド第一王女に相応しい次期王配を定めた時。例え、一年後でも五年後でも十年後でも王配となるその御方を、姉君と共に摂政となるこの僕が支えられるように。」
緊張からか無意識に胸を押さえ、声が強まるように更に息を吸い上げる。
「次に姉君の婚約者が決まった時、僕は全力で姉君とその婚約者を支えます!叶うのならば摂政業務だけではなく王配の職務すらも補佐、兼任できるほどの、それくらいの力量をこの僕は自身に欲しているのです。」
わかっている、傲慢なことは。
摂政業務は簡単なものではない。多くの知識、手腕、経験、判断力が必要とされる。
例え、プライドが予定通りレオン王子と結ばれていたとしても俺が二人の婚姻までに摂政として完成されていたかすらわからない。
更に、摂政と王配の公務は違う。この二つを兼任するには膨大な時間とそして能力が求められる。それに俺は第一王子とはいえ所詮は養子で元庶民。なのに王配業にまで携わりたいなど図々しいにも程がある。
だが、プライドを守り続ける為に。
彼女がもうあんな風に泣かないようにする為に。
俺は、俺ができることならば何でもしたい。
更に高みへ向かい、…プライドの隣でも足りはしない。
隣ではなく、彼女を上から引き上げることができるほどの力が欲しい。
「…王配業まで、と。」
母上が目をぱちくりさせている。そのまま「それがどれほどの労苦を強いるか理解しているのですか」と尋ねられた。俺が知っているかの確認ではない、それだけの覚悟が本当にあるかの確認だ。
わかっています、と俺ははっきり明言する。そして、小さくジルベールへ視線を投げ、再び母上の方へ笑みを向けた。
「大丈夫です。母上も仰って下さったではありませんか。僕はヴェスト叔父様すら越える摂政になれると。それに、もし次期王配を支える時には僕一人ではありません。」
そうだ、もしこの先の王配がどんな人間であろうとも、そして姉君の婚約にどれ程の年月が掛かろうとも。
女王と王配を支えるのは、俺だけではない。
「我が国には優秀な宰相殿がいます。現王配である父上の補佐をしておられるジルベール宰相ならば、次期王配へも立派に補佐をして下さることでしょう。僕はあくまでジルベール宰相殿と協力し合う形で、王配を支えるだけです。」
ジルベールが視界の端で俺へ目を見開いているのが分かる。
正直、コイツの前でこれを言うのは死ぬほど嫌だったが、居合わせたものは仕方がない。悔しいがこれは本心だ。ジルベールが宰相として優秀なのも、姉君に心からの忠誠を誓い、民を想っていることも俺は嫌という程理解している。
アーサーが俺の知らないところで俺への信頼を口にしてくれたように、俺もこの信頼を言うべき時に言葉にしなければ。
ジルベールが「ステイル様にそう言って頂けるとは光栄です」と薄く笑いながら、俺へと頭を下げた。そしてそのまま、…母上の方へと向き直る。
「ステイル様の聡明さは私もよく存じております。今からヴェスト摂政殿に付き、学べば…プライド様が新たに婚約か、遅くとも女王戴冠の頃には王配業へも十分に手を伸ばされている頃合かと。」
ジルベールの援護で、ヴェスト叔父様も思案するように腕を組んだ。
父上が「だが、王配業務は代々次期王配にのみ学びを許している」と難しい表情で眉をひそめる。
「ならば、御許可さえ頂ければ私からわかる範囲のみでもお教え致しましょう。宰相の業務は王配業務に通じるものがありますし、私自身も王配殿下の補佐として、公務内容は大体把握しておりますので。」
王配付きではなく、宰相である私の預かりならば問題もないのでは。と提案するジルベールに俺は息を飲む。
確かに、ジルベールならば父上の業務、公務内容も全て理解しているだろう。王配を補佐することこそが宰相の役割なのだから。だが、まさかジルベールが俺の意見を後押しするどころか、ここまで助け船を出してくれるとは。…若干、悔しくもあるが。
「……わかりました。前向きに検討しましょう。」
母上が立て直したように小さく咳払いをし、一度目を閉じた後に口を開いた。そのまま改めて開いた眼差しを俺へと向け、…笑う。
「…親がどうであれ、子どもは育つのが早いものなのですね。」
その時の母上と、そして父上の笑みはティアラと…そしてプライドによく似ていた。特に母上のその表情は、今まで見慣れていた女王としての威厳ある笑みではなく、まるで…
「貴方達の王制が楽しみです。…下がりなさい。」
母上の許可を得て、俺は言葉の通りに例に倣って玉座の間から退室した。失礼致します、と最後に一言残し、下げた頭で目だけを上げると再び遠目から母上の笑みが飛び込んできた。
扉が完全に閉められる間際まで、その笑みから目が離せなかった。
少し困り顔のように眉を寄せながら、口元をあげて柔らかく笑むその人は…間違いなく俺のよく知る〝母親の〟笑みだったから。
…これで良い。
ふと、笑いが込み上げて口元が引き上がるのを感じた。
きっと決断を知らされるのは早くても三日後くらいだろう。そこで母上から了解を得たら、俺は最後に
唯一の憂いを、断つ。
全てはプライドと、民の為。
もはや俺に迷いなどない。