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161.義弟は受け止める。


『貴方が、自分より弱者を好んで傷つけるっ…何度も、何度も傷つけるっ…っ…‼』︎


母上のその言葉を聞いた時、八年前を思い出した。

泣きながら俺に、自分が最低な女王になったらと。殺してくれと願った、あの時を。


ずっと、プライドが何をあんなに怯えているのかが分からなかった。

ただ、母上のあの言葉にプライドが明らかに身を凍らせた瞬間…一つの仮説が浮かんだ。


プライドがもし、八年前に母上と同じ予知をしていたら。


具体的にどんな未来かはわからない。

あんなに心優しいプライドがどうやって人を傷つけるのか。例えば今までの人身売買の男達や、今回のエルヴィン、ホーマーを裁いた時を断片的に母上が予知で見て、勘違いをしたのではないかとも思った。…だが、あの時のプライドの背中は明らかに動揺していた。まるで、何か覚えがあるように。

もし、当時八歳のプライドが予知をした結果、それに怯え続けていたのだとしたら納得もいく。


…そして、あのエルヴィンとホーマーに対してのプライドの異常なまでの憎しみを滲ませた怒りも。


同じ王族として、確かにあの二人の所業は許されない。もしあの二人がレオン王子ではなく、プライドにあの所業を行なっていたら確実に俺は糾弾を待たずに奴らの首を刎ねていただろう。プライドが怒るのも最もだ。

だが、今まで国を裏切ったジルベールや罪人のヴァルすら許し、慈悲を与えたプライドがあんなに怒りや憎しみを剥き出しにするのは初めてだった。

あの二人は、レオン王子の悪評を広め、誤った価値観を植え付け、薬を盛って酒場に第一王子を放り込み、陥れようとした。…十分の大罪だ。だが、それでもあのプライドの怒りには違和感を感じた。


…プライドは言っていた。あの二人は未来に国を傾けるほどの愚鈍な王となると。そしてレオン王子に助けを求めに来ると。

ただし、それはあくまで〝未確定な未来〟…今はまだ犯していない罪だ。

だがもし、八年前に自身の未来を予知したプライドが、己を殺したくなるほどにその姿を憎んでいたとしたら。

同じように、あの二人の未来を予知したプライドは、奴らの未来の所業を…簡単に許せるものなのだろうか…?


「…プライド。俺はティアラやアーサーのように感情の機微には敏感ではありません。」


俺の問い掛けに未だ顔色を変えて硬直するプライドへ、言葉を重ねる。彼女が持ったままのティーカップの表面が波打ち続けていた。


「ですが、プライドのことなら…俺なりに理解しているつもりも、…そしてもっと理解したいとも思っています。」


レオン王子とプライドが過ごした三日間は、アーサーがプライドの取り繕った笑顔に気づき、最終的にはティアラのお陰でプライドの本心を知ることができた。

更には先程の馬車の中では結局ヴァルが単刀直入に聞いた暴言のお陰で、プライドがレオン王子に恋を患っていないことも知れた。…まだ、俺一人で彼女の内側に入りきれていない。


だからこそ今、正面から俺はプライドと向き合いたい。


「どうか、貴方の心内を少しでも聞かせて下さい。例えどんな想いであろうとも俺は全て受け入れてみせます。」

今度こそ言葉を届けたいと、意思を持ってプライドに告げる。プライドは俺の言葉に息を飲み、薄く唇を噛んだ。震える手で表面の波打つカップを置き、そのまま降ろす手を強く握り締めた。

…その瞳は、酷く揺らいでいた。


「……っ。…私、は…。」


俺から目を反らせないように、視線はそのままに一度ぎゅっと目を閉じ、また開いた。そして静かに、その声を震わせた。

「…っ…許…かっ…たの…。」

ぽつり、と言葉が宙を浮かぶ。はっきり聞き取れず、「プライド?」と聞き返すと顔を一度あげ、今にも泣きそうな目を俺に向けた。

ごめんね、と先に俺に謝り、テーブルクロスを掴み、強く握り締めた。


「…っ、…許せなかったの…!」


噛み締めるようなその言葉と同時に、プライドの目尻からついに雫が溢れ出した。


「っ…未来を、…知ってる…!…本当はあれだけじゃなかった…!…あの二人のせいで、無実の酒場の人達や、レオンはっ…!なのに、なのに…あの二人は…っ、…裁かれることもなくて…!…あんなに、あんなっ…」


堰を切ったように、プライドの激情が声となって雪崩れ込む。

ポロポロと溢れる涙が、どれほど彼女がその感情を堪えていたかを表していた。まるで先程の母上のように両手で顔を覆い、それでもその隙間からは大量の滴を零し始めていた。

ひっく、ひっくと次第にしゃくり上げるプライドに胸が痛くなる。椅子から立ち上がり、プライドの横に移動してその背を撫でた。俺がゆっくり、話して欲しいと望むとプライドは背中に回していない方の俺の手を握り、泣きながら頷いた。


…彼女は、昔から自分の辛さだけはずっと押し殺し、溜め込み続ける人だった。八年前から、ずっと。


プライドは一言ひとこと話してくれた。

あの二人の王子が本来起こし得た、未来の姿を。


レオン王子と共にいた何の罪もない酒場の人間が、その無実を知っている二人の王子によって罪人とされ、…結果として全員が処刑されたこと。

そのことにレオン王子は心を痛め、酷く心を病んでしまったこと。

そして最終的にアネモネ王国は荒廃し、二人の王子は王位を譲るだけで何の咎めもなく王族の座に居座り続けたという未来。


プライドが、これほど多くの予知を行ったことには驚いたが、それ以上に未来のその王子達の所業には怒りを通り越し殺意が湧いた。


何だ、その愚鈍以下の下衆は。


同じ王族として、許せない所業だ。

過言ではなく、アネモネ王国にとって最悪の未来だ。

プライドは、その怒りにずっと耐えていたというのか。


「…っ、……どうしても、…っ…許せなくてっ…まだ、起こってもいないのに…!…でも、…あんな、あんなことをっ…、…私、は…彼らを、憎ん…でしまッた…。」

泣き過ぎたプライドの顔を覆った手の袖が湿り切っていた。


まるで、あの王子二人だけでなくそれを憎んでしまった自分までも許せないようだった。


予知の力を、俺は詳しくは知らない。

プライドからも、どのように未来が見えるのか詳しく聞いたことはない。

だが、もしそれほど鮮明にプライドには多くの未来が見えてしまうというのならば、…彼女の苦しみは計り知れない。


母上がプライドの悪しき未来を予知し、それからプライドを遠ざけてしまったように。

プライドもまた、奴らの所業を知り、それを〝単なる可能性〟として軽く受け止めることは叶わないのだから。


未来で起こることは、起こるまでは裁けない。

罪人や裏切り者すら許した彼女が許せないほどの大罪。

それすらも、彼女は裁けない。

その胸に一人だけ誰にも知られぬ傷を増やして

ただ、耐えるしかできない。


プライドも、…そして母上も。


「…っ、…許せないっ…例え、未確定の…と、しても…、…傷つける、未来が、…国を…滅ぼす、未来がっ…!……民を、私の、大事な人達を…傷つけた…未来がっ…‼︎」


嗚咽が混じり、涙と言葉を零し続けるプライドの言葉は、まるで胸底から湧き上がっているかのようだった。

…本当に、これはエルヴィンとホーマーだけの話なのだろうか。

暫く嗚咽を続け、泣きじゃくったプライドが、最後の最後に全てを吐き出すようにその声を荒げた。



「私はっ…!あの二人にっ…〝私〟を重ねてしまった…‼︎」



耳を、疑う。

はっきりと叫びだしたその言葉に、俺は思考以外の全てが止まってしまった。

プライドが?何故、あの最悪な王となり得る二人に、自分を重ねるというんだ。

例え母上と同じ予知を見たからとはいえ、〝弱者を傷つける〟人間になるという未来から、何故。






何故、国を転覆させ罪のない民を傷つけ、誰かの心に消えない傷を作るほどの救いようのない王になり得たあの二人と己を重ねるのか。






何故、そこまで彼女は自分を卑下するのか。

…それとも、プライドはもっと酷い未来を予知したというのだろうか。

母上すら予知していない、変わり果てた己の姿を。

あり得ない。プライドがそんな人間になるなどある筈がない。何かの間違いに違いない。

だが、さらに追求したくても目の前で強く自分を責めたて泣き伏すプライドにこれ以上は躊躇われた。…まるで、古傷にナイフを突き立てるような行為のように感じられてしまう。


…だから、俺は。


背中を摩る為に伸ばしていた手を彼女に回す。

彼女の柔らかい手に握られていた手を更に反対へ回し、背後から彼女を抱きしめた。

突然抱きしめたせいで、彼女の口から小さく息が一個分零れた。腕を届く限り伸ばし、彼女を自分の身体全てで抱きしめる。

その華奢な肩に顔を埋めれば、柔らかな彼女の真紅の髪が顔にかかり、口元には彼女の小さな耳が届いた。

驚いたように彼女の口から嗚咽が止まる。「ステ…イル…?」と俺の名が紡がれ、それだけで聞き慣れた筈のその言葉に胸が熱くなる。


「大丈夫です、プライド。貴方は絶対にあの二人のようにはなりません。」


プライドが腕の中で顔を上げる。耳まで赤くして目を拭うこともやめて、じっと俺の言葉に耳を澄ませてくれている。


「俺が命を賭けてでも、それを証明してみせます。」


ひっく、ひく、としゃくり上げた音だけが、彼女の喉を鳴らす。

俺は、歪んでいる。プライドのこんなに辛そうな泣き顔すら、独り占めできていることに喜びを感じてしまうのだから。


「貴方は誰よりも美しく、気高く、慈悲深い。……そして、優しい。」

そんなプライドだから、俺達は信じ、守りたいと願うのだから。


「俺が…俺達がついています。貴方が万が一にもそうなれば、必ず俺達が引き止めます。」

そうだ、プライドを守る人間は…守りたいと願う人間は多くいる。他ならぬ、彼女自身の魅力で惹きつけた人間が。

「あの二人を許せないのは当然です。今の貴方は、その愚行を許せず心から怒りを覚える程に…〝女王〟となるべき器を持っているのですから。」


プライドがそっと回した俺の腕に細い指を引っかけ掴む。しゃくり上げが少しずつ収まってくる。視線をまっすぐ向こうに向けながら、その耳は俺の言葉を聞いてくれている。


「どうか、御自分を責めないで下さい。そして、抱え込まないで下さい。俺達が信じる貴方を、…どうかもっと見て、信じて下さい。」

…ん、とプライドが喉だけで返事をしてくれた。この声すらも愛しく感じ、つい口元が緩んでしまう。


「…ちゃんと、居ます。絶対に、俺は貴方の味方です。」

「……うん。」


ズズッ、と可愛らしく鼻を啜る音が聞こえる。小さく喉からの涙声でプライドが返してくれた。そのまま目を真っ赤に潤ませたプライドがゆっくりと俺の方へ振り返り




至近距離で目が合い、互いの鼻同士がぶつかった。




「ッッッッッッ⁉︎」

思わず鼻の柔らかい感触を慄き、プライドから手を離して飛び引いてしまう。

近かった近過ぎた‼︎プライドの目が、鼻が、唇がすぐ、すぐそこにっ…‼︎

まるでさっきまで麻痺していたかのように、急激に全身に激しく血が行き渡る。顔が熱くなるのが自分でもわかる。プライドが驚いたように目を見開き、俺に向かって小首を傾げている。


俺はいま何、なに、何、何をしていた⁈


プライドを抱いた両腕が疼く。まだ彼女の体温が服越しに残っていた。そうだ俺はプライドをこの手で今っ…


「ッも、申し訳ありませんプライド‼︎つ、ついっ…」


しまった、流石に姉弟とはいえ女性の不意を突くように背後から抱き締めるなど‼︎婚約解消したばかりのプライドにこんなことをするなどそれこそどう誤解されても文句が言えない。下手すればレオン王子の悪評よりも大ごとになる。


「…ふふっ。……ありがとう、ステイル。」


…ふいに、華のように柔らかな彼女の笑みが零れた。

口元を小さく手の先で隠し、潤んだ瞳を細めて笑ってくれた。泣いた後のせいで紅潮した頬が、仄かに色香を放っていた。


心臓が、痛い。


身体の内側から誰かが拳で叩いているかのように振動を感じる。体温が上がり過ぎて頭がグラグラする。無意識に気がつけば胸を右手で押さえるように鷲掴んでいた。


「ステイルに聞いてもらえて良かった。…これからも頼りにしているわ。」


目元の涙を指先で拭い取りながら、彼女は笑う。眩しい笑顔を正面から俺に向けてきて、また心臓が高鳴った。


「まさか、アーサーと同じことまで言ってくれるなんて。」

「アーサーと…ですか?」


ふいに出たアーサーの名前に驚く。同じこと…とは一体どの言葉のことだろうか。「ええ。」と力一杯頷いてくれたプライドが同時に照れたように首を傾け、笑う。


「それに、ステイルは強くて頭も良いからずっと傍にいれば絶対安心ですって。」


……ずるい。

何故か自分でもよくわからないが、アーサーに負けた気分だ。俺のことをそんな風に褒めたなんて知らない。もう顔の赤みがプライドのせいかアーサーのせいかもわからなくなる。


「……俺も、そろそろ部屋に戻りますね。何か用があればいつでも合図で呼んでください。すぐに傍に行きますから。」


顔の火照りを隠すように眼鏡の縁を押さえ、扉に向かって歩く。心の底で新たとなった決意を胸に。

扉に手を掛け、入れ替わりに部屋の外にいた侍女のマリー、ロッテ、近衛兵のジャック達をプライドの部屋の中に入れて扉を閉めようとした時だった。「あ…ステイル!」とプライドから声を掛けられ、隙間から覗き込むようにプライドを見る。


「本当にありがとう。…大好きよ。」


カァァァァァッと頭に血流が上がるのを感じる。わかっている、他意がないことくらいは‼︎

それでもプライドのその言葉の破壊力に頭が爆発しそうになる。赤くなった顔を隠すように眼鏡を押さえて俯き、「俺もです」と答える。そのまま扉を衛兵に閉じさせ、俺はプライドの部屋を後にした。



…行く先は、決まっていた。


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