そして構える。
「…………アルバート。〝彼〟の特殊能力を私に伏せたことに、私的理由は皆無と断言してくれないか?」
「ほぉ、やはり知らなかったのか。彼をステイルに紹介したのは、公的にはお前ではなかったかジルベール?」
フィリップ・エフロン。ステイル様の過去の関係者でありながら最上層部が引き込むことを認めた人材。
いくら可愛がられているとはいえ、ステイル様の懇願一つで最上層部が関係者の引き込みを許すとは思わない。おそらくは特殊能力が極めて優秀か稀少なものなのだろうとは当初から想定していたが、まさか姿を変え映す特殊能力とは。
百通りあまりの可能性の中になかったわけではない。しかし、まさかよりにもよってと。…………正直、事実を知ってからプライド様の部屋を退室前後の記憶が朧気になるほどの衝撃だった。
特殊能力は予知能力以外は遺伝しないと頭では理解していても、まさかフィリップ殿の血族にニコラス宰相がおられるのではないかと考えた程度には狼狽えたといって良いだろう。しかも彼の特殊能力の詳細を聞けば聞くほどに気が遠くなった。ニコラス宰相の域を越えない部分もあれば、……あのニコラス宰相の全盛期を遥かに凌ぐ部分も大いにあった。
「それでその態度か。ステイルに今日まで隠されていたことと、ニコラス前宰相の面影の再来どちらが驚いた?」
後者だと、当然そこは迷わず言えた。ステイル様が私に秘め事をすることなど珍しいことではない。むしろ最近は明かしてくださることが増えたくらいだ。
あの御方に私が犯してきたことを思えば、むしろ隠し事しかない関係でも私は文句の一つも言える立場ではない。そんな些末なことよりも、ニコラス宰相の化身再来は心臓に悪かった。
はははっと楽しそうに笑うアルバートは、そこで頬杖から頭を起こすと「懐かしいな」とその場で腕を組む。
「これを運命とでも言うべきか。まさか私の代で、ニコラス前宰相と酷似した特殊能力者がまた現れるとは思わなかった」
「私もだ……」
思い出したようにまた湿る額をハンカチで拭い、ゆらりゆらりとアルバートの前まで歩み寄る。
しかし本当に全てがしっくりと納得できた。何故、アルバートのみならずローザ様や規則に厳しいヴェスト摂政までもがあっさりとフィリップ・エフロンを雇い入れることのみならず〝ラジヤ属州潜入〟などを受け入れたのか。
プライド様のお望みの為、彼らを納得させるつもりはあった私だが、…………それにしてもあっさりと提案を受け入れられたことは密かに疑問でもあった。今までも最上層部を相手に提案を通した自負はあるが、今回は肩透かしなほどだった。
もともと、プライド様へ与えられた罰則は上層部へ向けた表向きの罰則でもある。あの御方が犯したことは変わらずとも、実際のプライド様は被害者でもある。あくまで罰則であっても、今のプライド様本人に異国での振る舞いが問題視されているわけではない。
しかし、ラジヤ皇太子とティペット・セトスの生存疑惑が判明した以上、罰則としてではなくプライド様を護る為にもラジヤの属州に関わることにローザ様方が反対される可能性は極めて高かった。
そしてラジヤが関わる以上、生存事実は最上層部に伏せておける内容でもなかった。
「ニコラス宰相は……未だに一度も我々にお顔を見せてくださらない御方だから……」
「今はお前が宰相だぞジルベール宰相。お前の場合は急に手紙を出さなくなった上に、その再開を結婚報告にしたからだ」
ニコラス宰相は退任後は政治に関わるどころか、式典など公の場にもいくら招待を送ろうとも現れることはなかった。
手紙を出せば、季節の折に返してくださることはあったが、……マリアが病気になってから手紙の手も私は止まっていた。私に宰相という任をお譲りくださったニコラス宰相には、それまでも手紙では相談は愚か良き報告しかできなかった。マリアが病に倒れている間、良き報告など偽りでも記載できず……いつしか手紙も止めてしまった。
再び手紙を書けるようになったのは、回復したマリアと結婚をしてからだ。それからは哀しくも……私が一方的に手紙を送らせて頂く状態が続いている。
敢えて私にではなく、会ったことのない筈のマリア宛に病気の回復祝いと結婚祝いが届いたのが最後だろうか。アルバートやローザ様には今も定期的に手紙の返事があり、御健在であることは幸いにも把握しているが、私に対しては手紙が勝手に途切らせたことを御怒りらしい。宰相としてあそこまで手塩にかけて頂いた恩を無碍にした私が全面的に悪い。
今こうして歳を取ってからは特に、ニコラス宰相からの当時の教えが理解を通り越して骨身に染みる。
アルバートから「最近のバカンスはアネモネの城下街がお気に入りらしい」と言われれば、溜息が溢れた。
「ニコラス宰相ももし知ったら驚くだろう。ご自身と同じ特殊能力者には一度も会ったことがないと現役時代に仰っていた」
勿論秘匿情報だから言えないが、と言いながらもアルバートの笑みはどこか嬉しそうにも見える。
退任されてから、ニコラス宰相の御力があればと思ったことは数知れない。言葉にはせずとも、アルバートもローザ様もヴェスト摂政も同じだろう。それは、特殊能力も含めてだ。
そして今は、ニコラス宰相に等しい……寧ろ、より凡庸性に優れた特殊能力をステイル様は懐に入れられた。今回のラジヤだけではない、今後王族がその力を頼ることは少なくないだろう。
王族を隠し、そして自由度の高い行動と安全性を確保する特殊能力。彼にその気があれば、隠密や諜報員としても活躍できる才能だ。実際、ニコラス宰相が若き頃の御活躍は私が聞き及んだ範囲だけでも多岐に渡っている。
まぁそれは、彼とステイル様の意思によるが。
「まぁ、……そうでなくともプライドの予知については私もローザ達も容易に捨て置きはしない。プライドの身の安全が第一だが、民の重さについては私達も重々理解している」
「そうだね……。それこそ私達全員がニコラス宰相に顔向けができなくなる」
ステイル様の口によりフィリップ殿の特殊能力使用可能を提言された後では。
少なくともニコラス宰相であれば必ずプライド様の予知と意思に耳を傾けられるだろう。王族の公務や戴冠さえ遅れることになろうとも、それが民を見捨てて良い理由にはならない。きっとニコラス宰相ならばそう仰られる。そして今の私も、……アルバート達も同じ意見だろう。
そしてあの御方を二度とあのような目に遭わすことを許さぬのもまた、我らの意思。
『嗚呼、この菓子。……懐かしいですねぇ』
『!覚えてくれていて嬉しいわっ!以前はマリアにもジルベール宰相にも預けることしかできなかったから』
先日のひと時を思い出せば、それだけで胸に強く熱が灯る。
プライド様のラジヤ潜入を説得などで公務に忙しなかった私だが、それでもほんの少しパーティーでご挨拶することができた。菓子のような甘いパンは、クッキー生地のような歯応えも特徴的でよく覚えていた。
以前に頂いた時は、まだステラも菓子が食べられない年だった。それが今は私の隣で「これすっごい美味しかったの!」と料理や菓子の説明をしてくれるまで成長していたこともまた感慨深かった。
皿に取り分けられた菓子には「これね、雪玉だったの」と娘の教えてくれた菓子をはじめにハナズオの伝統菓子も含まれていたが、プライド様の菓子は一度見たら忘れられるわけがない。齧ればまた、あの頃と変わらぬ甘さが口の中に広がった。食感も、甘さも、あの頃と変わらない……褪せぬ味だ。
プライド様手製とはいえ、ただ懐かしい菓子を頂いただけ。味もまた素晴らしかったが、それでも屋敷や城の料理人と比べればあくまで素人の腕であることは事実。だからこそ、恐らくはあのパーティーの招待客で、私だけだろう。
菓子一つで、涙を堪えなければならない事態になったのは。
プライド様にもステラにも、気付かれなかったと思いたい。唯一見透かしていたのは妻のマリアくらいだと。
しかし、……またあの御方の手製を頂くこと自体一時期は諦めた身として、堪えられただけ己を褒めたいくらいだ。お陰で、夜に帰宅と共にマリアに「あの時」と指摘された時は暫く赤面がやまなかった。僅かに涙も滲んでしまった羞恥もまだ覚えている。
『料理まで、わざわざ確保して頂きありがとうございました。プライド様とティアラ様の手料理ともなれば、真っ先に消えることも覚悟しておりましたから』
『ジルベール宰相のお陰で叶った視察だもの』
『このクッキーもお姉様と一緒に作ったのですよっ!』
料理の分量や仕上げについては事前に相談頂いてはいたが、やはり三分の一ずつが幸いだったと密かに思う。我が屋敷の侍女達は流石よくわかってくれている。
私一人で本来の大きさ全てを食しきれば、間違いなくその後の公務でも胃のもたれと数時間は戦い続けただろう。
愛娘達の料理をご馳走されて父親ではなく宰相である私が業務に支障をきたすなど、アルバートに嫉妬で拳を落とされても文句がいえない。
お陰で今回は菓子のみならず料理も贅沢に全て味わうことができた。
『どれも本当に美味です。特に、この豚肉の炒め料理が飽きません。こちらの挽肉の揚げ料理も柔らかく、是非私の屋敷でも参考にさせていただいても宜しいでしょうか』
『是非っ!ステラちゃんにもっ、ステラにも!柔らかいお肉の方が食べやすいでしょうし……!』
両手をパチンと合わせ、心からの笑みを向けてくださったプライド様から「良ければレシピを」とご提案まで頂いた。せっかくのプライド様の特製料理の構成を私の屋敷だけで独占するのは申し訳なく断ったが、これまでも提供したことはあるからと最終的にはお言葉に甘えさせて頂くことになった。
『それに、今後も本っっ当にお世話になるし……』
むしろ足りないくらいと。最後は虫の息のような声で呟かれたプライド様は、申し訳なさそうにやや顔を引き攣らせておられた。
肩を狭めながら語られたその表情すら今はただただ愛らしく、そして目にできることが幸福だと思う。
今後のラジヤの極秘訪問を指し、気にされておられるのだとすぐに理解したが、今回はいっそ盛大にラジヤへの警戒を掲げられるだけありがたい。
ローザ様方にも伝えられれば、それは国の総力をもってあの御方を守る為に万全の体制を構築できるということになる。……昔のように、城にも伏せた少人数行動よりは遥かに安心だ。
『ご安心ください。私めにお任せを。……最善を尽くすとお約束致しましょう』
ラジヤ帝国の属州に行こうとも、たとえ行き先が本国であろうとも変わらず守り抜く。その為に私ができることは、ラジヤへ赴かれるプライド様方を守る〝全て〟を完璧に固めることだ。決して失わせはしない。
ローザ様も共に行動をするならば、護衛もより大手を振って存分に注ぐことができる。騎士団長も共に護衛されることが決まった今、現地でも指揮系統が乱れる心配はない。……最悪の場合、その地で戦争ができる程度の戦力を注げば良い。
「……ジルベール。今、一体何を考えた?」
「何も?平和なフリージア王国の未来かな」
無意識に目が鋭くなってしまったのか。アルバートに低めた声で指摘され、視線を合わせる前に笑んで見せる。
「まぁ、遠征中も通信兵を介することはできる。それにステイルは、……それ以上も可能だ。もしもの時は知恵を貸してやるつもりでいろ」
もしもどころか、プライド様の予知の内容から考えてもほぼ確実にその時は来るだろう。あの御方の特殊能力があれば距離など紙切れ同然の隔たりでしかない。
「例の遠征だが、やはり予定通りヴェストに任すことにした。お前は私とティアラと留守番だ」
「まぁ仕方ない。ローザ様の補佐はあの御方だからね」
宰相としての公務を疎かにするつもりはない。あくまで私は王配である彼の補佐だ。女王と摂政が不在になるならば、彼をこの城で一人残すわけにもいかない。
正直、プライド様方のお傍で尽力したい気持ちもある。特に今回の予知は私と
全くの無関係と、思えない。
確証があるわけではない。しかし、思い返せば思い返すほどにプライド様から語られた予知に寒気を覚え指先まで震え、喉の渇きも妙に際立ち感じられた。私自身が向き合わねばならない、遅かれ早かれの必然だ。その為に法案も〝交渉〟も進めているのだから。
『宰相は王族に汲みすると同時に、変わらず〝民〟の代表であり続けなければならない』
償い切れるものではない。……それでも、私は尽くし続けなければならない。
プライド様の、あの御方の御力になることにも出し惜しみなど一切しない。その為に、ローザ様が御赦しくださってからも必要な人員配備は全て動かした。恐らくはステイル様も動かれることだろう。
その一手こそがニコラス宰相と酷似した才を持つ従者の開示だ。
『王配の補佐として、心を伴った正しさを持つ宰相を目指せ』
私は、宰相だ。多くの尊い方々から王配と共にあるべくこの任を預かった。
一度は落ちぶれた身であろうとも、今この身にその責を頂いた。今はもう、目指すべき宰相の意味も理解している。
共に行けずとも、できることは無数にある。そしていつかまたプライド様に、あの御方にこの身と能力を必要として頂けたその時は。
『宰相といえど、王族といくら信頼関係を得ようとも…………我々は所詮〝民〟の一部であると忘れるな』
惜しみはしない、今はもう。
我が人生は全て国とそして民へ償い、尽くし、捧げる為に在るのだから。
そしてもし、合間見えたその時は。