Ⅱ598.虐遇王女は把握する。
無事ステイルが情報開示許可を得て、ご機嫌のジルベール宰相と一緒に戻って来るまで一時間も掛からなかった。
「ステイル様から直々に御指名頂けますとは光栄です」
「世辞は良い」
とにこにこのジルベール宰相にステイルは一刀両断だったけれど、二人揃って心強いことは間違いない。
戻って来たステイル、そしてジルベール宰相にもマリーがお茶を出してから打ち合わせの続きが始まった。
先ずは「説明は俺から」とステイルの口から近衛騎士二人に母上達との会議の内容が簡潔に説明された。……もうこの時点で、カラム隊長は聞き終わるまで驚きのまま表情が固まるしアーサーは顎が外れていた。
最後に二人から確かめるように凝視されてしまえば、私も怒られる直前のように小さくなってしまう。ラジヤへ行きますなんて、属州だろうが簡単な話ではないことはわかっている。しかも形式が形式だ。
一緒に話を聞いていた専属侍女のマリーとロッテ、そしてジャックまでこれには青い顔でこちらを見ていた。
「近衛騎士である我々に異議申し立ての権利はありませんが、……なるほど。ステイル様の御考えは痛いほど理解致しました」
「ッ俺絶ッッ対離れませんからね?!!プライド様絶対一人でどっか行かねぇで下さい!!地の果てでも追いかけるンで!!」
前髪を何度も指先で整えるカラム隊長に続き、アーサーが部屋中に響く声で叫ぶ。
バン!と片手で自分の胸を叩きながら示し前のめりになるアーサーの目は蒼く燃えていた。「勿論よ」と返しながらも笑顔がついつい苦くなってしまう。心配かけているのもそうだけど、まるで迷子常習犯のような言われ方に我ながら不甲斐ない。これも日頃の行いだろうか。
カラム隊長から気遣うような深い礼を受けるステイルも、なんだか同意者がいてくれてほっとした様子だ。
「これも補佐の役目ですから」と言われてしまうと余計に自分が十歳前後の子どもにでもなったような錯覚まで覚える。
騎士二人に説明しただけでこれなら、……残りの近衛騎士達全員に説明をしたのであろう騎士団長はもっと大変だろうと考えてしまうと胃にチクチク棘が刺されたような気分になる。本当にごめんなさい騎士団長。
思わず首が頭ごと重くなり垂れてしまうと、そこでパチパチと落ち着いた速度で手を叩く音が放たれた。丸まった背中を伸ばせばジルベール宰相だ。
「近衛騎士の御二人も状況は充分ご理解いただけたと存じます。そこで、私が呼ばれたのがそちらにいらっしゃるフィリップ殿の件ですが」
そうだった。
にこやかな笑顔で手を叩いた動作の形のまま話すジルベール宰相が視線で示す先に私達も注視する。ステイルの背後にいる専属従者、そしてジルベール宰相を呼んだ第一理由であるエフロンお兄様だ。
ジルベール宰相には未だ緊張するのか、エフロンお兄様もさっきより肩を狭めてぺこりと礼をしていた。こうやって見ると、私達だけの時は比較気を許して仕事してくれているのかなとこっそり思う。
「あの、ジルベール宰相……この度は母上達への交渉説得ありがとうございました。本当にこんな大掛かりな」
「いえいえ。オークションの前後どちらになるかは陛下次第でしたが、幸いにも短縮できた方で何よりです」
三ヶ月が二ヶ月近くに短縮された。本当にどこまでも仕事が早い。
お礼のタイミングを逃していた私に、ジルベール宰相はにこやかに手を振り応えてくれると、流れるようにステイルへと目を合わせた。
「お教え願えますかステイル様。貴方様の新しい専属従者殿が一体どのような才能を秘めていらっしゃるのか」
「白々しいなジルベール。お前が俺に紹介した従者だろう?てっきり俺に紹介する前に隅から隅まで調べ尽くした上でのものだと思ったが」
エフロンお兄様の特殊能力。
それを知っているのは、私が知る限りはほんの一握り。エフロンお兄様は城に来た時からずっとこの姿だったし、講師だったカラム隊長も恐らくは知らないままだろう。あとは、セドリックなら遠目にでもエフロンお兄様が校門前で姿が変わったのを記憶しているかなくらいだろうか。
アラン隊長とハリソン副隊長も校門前で私達の安全は確認してくれていたし、私の護衛中に話題にはならなかっただけで把握している可能性は充分ある。その場合、近衛騎士同士でカラム隊長にもこっそり情報共有されているかもしれない。
……いやでも私にとってはステイルの昔の友達でも、近衛騎士にとっては護衛対象の友人の女の子のそのまたお兄さんだし、そこまで話題に上らないかしら。
そしてジルベール宰相。一応表向きはジルベール宰相がステイルにプレゼント……といったら響きが悪いけれど、紹介したことになっている。
あくまで優秀な従者ということになっているし、確かステイルがエフロンお兄様の特殊能力を買って雇い入れたいと提案した時には最上層部である母上と父上、そしてヴェスト叔父様にだけだ。
過去の経歴もあってちょっと複雑な部分もあるし、少なくともジルベール宰相以外の上層部はステイルとエフロンお兄様の過去も知らない。
さっきの母上との話し合いでも、あくまでステイルに任されたのはエフロンお兄様の力を貸して貰えるようにということだった。はっきりとエフロンお兄様の特殊能力が明確には語られていない。形式上はジルベール宰相がエフロンお兄様の特殊能力を知っていても知らなくても不思議ではないけれど、……この様子を見るともしかすると。
「私はあくまでフィリップ殿の従者としての才能を見出しただけですから。信用する相手を入念に吟味されるステイル様に、彼ならば人柄も気に言って頂けると判断しての紹介です」
「ならばその目利きと優秀な宰相としての頭脳でお前なら説明せずともわかるな?特殊能力者のことならばお得意だろう??大昔から」
ジルベール宰相からの悪戯な棘刺しに、ステイルも倍量のフォーク攻撃で応戦しているのが目に見えるようだった。
恐らくジルベール宰相、まだエフロンお兄様の特殊能力知らない。
本当はステイルが最初に母上達に了承を得てエフロンお兄様をリクルートして、そこから表向きはジルベール宰相が紹介と帳尻合わせをしただけだけれど。まるでステイルの性格に難ありで友達できないから用意しましたよ発言のジルベール宰相に、あくまで答えは教えず当ててみろの意地悪攻撃でステイルからも反撃だ。若干ジルベール宰相の過去も抉っている。
相変わらず、というかちょっと鋭利さに磨きがかかった二人に、エフロンお兄様の顔がぎくしゃくと強張っていく。
パッと見仲良く会話しているようにも見える笑顔の二人だけれど、ステイルからは黒い気配がじんわりと湧いているしエフロンお兄様も勘付いたのだろう。
そっとアーサーが「大丈夫ですいつものことなンで」と冷めた声でエフロンお兄様に教えてあげていた。途端に目を皿のように丸くしたエフロンお兄様が無言のまますごい勢いでアーサーに顔を向ける。口は閉じているけれど、その目が「これで?!」と叫んでいた。やっぱり二人の会話が怖かったのもあるらしい。
私も示すべく大きくゆっくりと頷いて見せれば、今度はエフロンお兄様の口があんぐりのままになった。……少なくともステイルが城に来た七歳の頃は、こんな風に喧嘩する子じゃなかったからなぁ…。
ここは意地悪せずにさくさく教えてあげて話を進めましょうとステイルに声を掛けようとしたけれど、ジルベール宰相の「そうですねぇ……」という真剣な声に止められた。顎を指で摘まむようにして眉を寄せるジルベール宰相は、本気で言い当てるつもりなのだろうか。
「髪の色を変える特殊能力、とは噂で聞きました。しかし髪のみであれば染めるだけで事足りますし、それよりも件のラジヤ潜入に何かしら役立つ、特化した特殊能力というのが先ず前提でしょうか。透明の特殊能力は騎士団にもいますし、わざわざフィリップ殿に協力を求めるということは騎士団に在籍する特殊能力は除かれますねぇ」
恐るべしジルベール宰相。さらっと、騎士団に所属する騎士は全員特殊能力把握してますよ発言。
昔からジルベール宰相は騎士団……というよりも、城の敷地内にいる人間殆どの特殊能力を把握している。ヴェスト叔父様の特殊能力も知っていたし、きっと研究者とかを除けば国一番詳しいといっても過言ではないだろう。
その後も次々と、この能力もこの能力もと指折り候補を数え出す。……けれど、ジルベール宰相にしては思案する時間が長い。もしかして消去法で永遠にこの国の特殊能力シリーズを唱え続けるつもりなのだろうか。
よくある火や水、氷や植物関連の特殊能力から希少な精神系の特殊能力、手から鳩を召喚するとか髪を伸ばすとか面白系特殊能力まで幅広い。五分十分十五分と詠唱が続く中、そこでとうとうステイルが「もう良い」と強制終了させた。
ジルベール宰相から降参どころか、逆に焦らし返される羽目になったステイルはちょっと不機嫌そうに眉を寄せていた。ステイルの逆降参に、ジルベール宰相もぴたりと口を閉じてにっこりと笑みを返す。
さっきと違い、むすっとした表情のステイルは椅子で頬杖を突いてエフロンお兄様を見上げた。
「フィリップ、答えを頼む。この場の全員にお前の特殊能力を紹介したい」
「殿下が仰るのならば喜んで」
一応私やアーサーも知らないという形でお願いするステイルに、エフロンお兄様はぴしりと手ごと使って礼をして答えた。……ちょっと口元の表情筋がぴくぴくしてて笑うのを堪えているみたいだったけれど。ジルベール宰相に根負けしたステイルが面白かったのだろう。
それからエフロンお兄様はちらりとマリーとロッテの方を気にしてから、姿を変えた。
やっぱり本当の姿を見せるのは気が引けたのか、そちらではない私達にも一度見せた老紳士の姿だ。髪の色からちょび髭まで変わったけれど、眼鏡を掛けたままだからこれはこれで理知的なおじさまで素敵だなと思う。
背後からカラム隊長だけでなく、能力を知っている筈のアーサーからも「おぉ……」と声を漏らすのが聞こえた。マリーも目を見張ってロッテも口を両手で押さえてびっくり顔になる中、それにチラ見で気付いた様子のエフロンお兄様は更に姿を変える。
老紳士の姿から今度は……ステイルに。
「ッフィリップ!!」
私もちょっとびっくりした。ステイルと身長や髪型、眼鏡は違うけれど、あとはそっくりそのままだ。ちょっとイメチェンした従者姿のステイルに見える。
それを見たステイルが怒鳴ったら「失礼致しました」と返すエフロンお兄様がステイルと縁色の違う眼鏡をチャッと外して見せるから「そうじゃない!」とステイルが見事に連続で声を荒げた。
次の瞬間には、ブッ!!と勢いよく噴きだす音が背後から響いた。振り返ればアーサーが思い切り背後を向きながら肩を震わせている。大分今のやり取りがツボだったらしい。
もともとエフロンお兄様の従者姿もベースは美男子代表のレオンだったらしいし、そうなるとステイルにも姿を変えられるのは不思議じゃない。
ステイルに今すぐ別の姿に変えろと怒られたエフロンお兄様が、次に姿を変えれば今度はジルベール宰相だ。……その瞬間、さっきまでエフロンお兄様の両肩を掴んで怒っていたステイルまで噴きだした。
直前に顔を逸らしたけれど、噴きだしてしまったままその場に小さくしゃがんで蹲ってしまった。これには私も肺がぷるぷる痙攣しかける。
お兄様、若干わざと狙っていないだろうか。従者服に再び眼鏡を掛けたジルベール宰相姿のエフロンお兄様だけど、髪の色は本人と一緒でも髪型が違うから一瞬見間違いしたような感覚になる。
自分に変身されてジルベール宰相もお怒りにならないかしらとそこでちらっと盗み見たら。
「……………………………………………………」
「……じ、ジルベール宰相……?」
固まっていた。
エフロンお兄様を見つめたまま切れ長な目を瞼がなくしたように大きく開いていた。唇を一文字に結んだまま、薄水色の瞳が水晶のようだ。心なしか血色もさっきより薄い気がする。
恐る恐るの私からの呼びかけにも固まったまま反応を示さないジルベール宰相に、慌てて姿を元の従者姿に戻すエフロンお兄様から続いてステイルも気付き振り返る。
流石にここまでびっくりするとは思っていなかったらしく、眼鏡の黒縁を押さえながら「どうした」と眉を寄せた。
私もここまでジルベール宰相がびっくりするとは思わなかった。
エフロンお兄様の特殊能力が希少なものではあるのはわかっていたけれど、まさか特殊能力に精通したジルベール宰相にこんな反応をされるなんて。
気付けばさっきまで涼やかだったジルベール宰相の額からじんわり汗が滲んで頬まで垂れ出した。アーサーも心配して、背後から「大丈夫ですか」とジルベール宰相の背に触れる。
その途端、アーサーの能力と言うよりも触れられたことで我に返ったらしいジルベール宰相が身体を一瞬揺らしてから「失礼致しました」と瞬きを繰り返した。自分で取り出したハンカチで額を拭いながら、呼吸を整える。
「なるほど……。……予想はしましたが、よりにもよって……。……心臓が止まるかと思いました」
「大変失礼致しましたジルベール宰相殿下。能力の説明とはいえ大変失礼なことを」
「いえ、そんな些細なことではなく」
息を吐きながら肩から力を意識的に抜こうとするジルベール宰相に、エフロンお兄様がふざけ過ぎたと謝るけれどそれも片手で止められた。
少なくとも自分のドッペルゲンガーにびっくりしたわけではないらしい。自分の姿になられて怒ったステイルに反して「些細」で片付けちゃうところがジルベール宰相らしい。
顔色が落ち着いたと思ったら、今度は両手で顔を覆って背中を丸めてしまった。ハァ~~~……という長い溜息の後に、ジルベール宰相にしては弱弱しい声が零れた。
「まさか〝前宰相殿〟と酷似した特殊能力をお持ちの方にお会いするとは思いませんでした……」
……前宰相?
えっ。と、ジルベール宰相の告白に全員が今度は固まった。
エフロンお兄様もぴきりと止まる中、この部屋だけが時間ごと固定されたようになる。前、って……ジルベール宰相の前の宰相……?
ふらっと眩暈を覚えて椅子から崩れそうになる。
ガタンと椅子ごと傾きかけた途端、カラム隊長が反対側から肩を支えてくれた。「大丈夫ですか」と心配してくれるけれど、優しく駆けてくれるその声すら頭をぐわんぐわんさせる。まさかそこまで凄まじく希少な特殊能力とは思わなかった。
前宰相。ジルベール宰相の先代だから私は会ったこともない人だけど、その言葉通り元宰相だ。そして今ジルベール宰相がそうであるように、前宰相もまた実力とそして〝特殊能力を買われて〟その座を得た。
「正直、王族も含み上層部の方々からすれば喉から手が出るほどに欲しい才能だったでしょう……」
ニコラス宰相は高齢が原因で退任されてしまった御方なので、と。もうそう言われれば、口が変な形にヒクついてしまう。
今この場では安易に言えないけれど、きっとジルベール宰相も私も、そしてステイルも考えていることは同じだろう。
てっきりステイルが見事な交渉で母上達を説得できたことが勝因と思っていたけれど、それだけではなかった。
私が産まれる前、ジルベール宰相よりも前の宰相。つまりは父上と母上、ヴェスト叔父様にとっても恩師だったかもしれない存在だ。
母上は十六で予知能力を開花して女王になったというし、ヴェスト叔父様も母上に合わせて早々に着任しないといけなくなった筈だ。そんな中、人生の先輩である宰相や摂政はきっと心強い存在だっただろう。そんな宰相さんと、似た能力。……どうりでステイルの専属従者として認められるわけだ。
過去関係者という点を含んでも、そんな凄まじい特殊能力者が再び城側に付いてくれるならこれ以上のことはない。しかも、将来女王になる私の補佐であるステイルの従者。母上達からすれば即採用の決定打だっただろう。
まさかこんな形でエフロンお兄様の採用真相を垣間見ることになるとは思わなかった。なんとかカラム隊長にお礼を言って立て直したけれど、なんだかまだ頭が痛い。ネルの時もそうだけど、今度もとんでもない人をリクルートしてしまったんだなと思い知る。前宰相を継ぐ特殊能力、そしてつまりは少し運命が違えば
未来の摂政になったかもしれない人。
『友達で家族が妹しか居ない子がいて、彼も能力者で…僕の代わりに彼が呼ばれたら嫌だ…』
ステイル七歳の心配は杞憂じゃなかった。
アーサーもステイルも言葉が出ない中、エフロンお兄様の足が目に見えてガクガクと震えているのがわかった。
エフロンお兄様の特殊能力詳細を知るジルベール宰相までもが目眩事案を発生させるのは、本題に入ってからだった。
……珍しくよろけたジルベール宰相に、ものすごく年季が感じられた。
本日二話更新分、次の更新は金曜日になります。