そして相談する。
「実は、さっき母上……女王の執務室でだな」
「殿下、母上呼びで結構です。今更改まられると逆に気まずい」
「っ……で、だな?執務室での協議の結果、極秘に決まった計画がある。ここから先は極秘内容でお前も」
「殿下。ちなみにそれは私に話しても良いと許可は得ていますでしょうか。得てないなら絶対聞きません最後まで」
イラッ、とステイルの周りに薄く黒い覇気が纏う。視線の先ではフィリップが両耳を押さえて聞かない姿勢を訴えている。
平穏に暮らす為にもステイルの元で今後も働き続ける為にも専属従者の枠を脱した情報はフィリップとしては聞きたくないし知りたくない。
しかし耳を塞がれては、ステイルもステイルでフィリップに許可を得ていることも伝えられない。この野郎、と若干の殺意に我ながら危ういとステイルは思う。
せっかく自分はそれなりに真面目で真剣な話を、しかも実は緊張して話そうとしているのに。フィリップの口調は殆ど変わらず、そのくせ自分に対しての遠慮の無さだけが前のめりに出ている。
雇ってから今日に始まったことではないが、せめて真面目な時くらいは察しろと思う。しかし、フィリップに空気を読むことはできてもそういう察しだけは寧ろ悪い。良く言えば相手が暗い気持ちでも子どもの頃から打ち払ってくれる明るさを持つ彼だが、悪く言えば暗い気持ちになりたくてもそれに合わせてくれないのがフィリップだとステイルは思い知る。
いっそ従者モードのままで完全にいればこういう苛立ちを覚えることもないが、それをされると今度はそれはそれでステイルの方がじわじわと薄い苛立ちが秒単位で重なり嵩張り辞書以上の厚みになるだけだった。
アムレットは本当に苦労している。と、心の中で嫌味を叫びながら、口の中を切れる手前までステイルは噛み締めた。
椅子に寛ぐよりも前に話そうと思ったが、スタスタと本棚へと歩み寄ればその中で比較重量の軽い本を選び瞬間移動させた。次の瞬間にはフィリップの頭上にバコンッと本が落とされ、床に着地する。
反射的に「いでっ」を声には出さないように口を結んで顔を顰めたフィリップは、すぐにそれがステイルからの一撃だとは理解した。床に落ちた本を拾い、頁が折れていないか確認する間にステイルから「許可は取ってる」と早口で断られた。
「話を続けるぞ。今だけ従者として聞け、俺が「以上だ」と言ったらもう良いからとにかくそれまで聞け最後まで妹の学校生活と同じくらい大事に聞け」
話の腰を二度と折るな。と、切に切に念じながら声を低めるステイルに、フィリップも「スミマセンデシタ」と今度は謝った。
若干ギラリと漆黒の眼光が怒りに光ったように見え、本を自分の顔の前に立たせ刺すような視線を防ぐ。たらりと汗が滴りながら、そんなに怒るならずっと従者のままでいさせてくれりゃあ良いのにと思う。
仕事中に敬語を使うのもステイルを様付けするのも主人として敬い振る舞うのもフィリップには何も躊躇いはない。友人とはいえ、ただでさえ十年以来の友人なのだから。
そこから深呼吸一回分の溜めの後、今度こそステイルから執務室でのあらましが語られた。
ラジヤ帝国、女王への同行と重要な言葉を二度三度と繰り返しながら説明するステイルの話に今度はフィリップも真面目に聞いた。
聞けば聞くほどとんでもない話で、王族というのはそこまでするのかと頭の隅に思ったが、今は大人しく従者としての頭で聞いた。ステイルも同行すると聞けば、速攻で一つ疑問が浮かんだが主人が話し終わるまではちゃんと聞く。そして、フィリップの考えそうなことは当然ステイルも予見した。
「因みに、お前は同行しなくても良い。もともと雇用契約上も時間制約があるからな。俺の特殊能力を使えば不可能ではないが、一定の時間帯や条件以外は休みを与えるかもしくはここで使用人としての仕事に回って貰う」
絶対に使用人として働く方で。と、フィリップは結んだ口の中で唱えた。
休みを貰えるのはありがたいと思うが、稼げるうちはなるべく稼ぐと決めている。ステイルが来国する日取りを聞けば、そんな長期間収入がないのは精神的に不安になる。専属従者として収入は一本化した上で増えたフィリップだが、だからといって休みの日に稼げない日があるのはそれだけでストレスだった。
休みを貰うなら暇な日はまた別の日雇いの仕事か何かをしようと思ったが、使用人と仕事できるならそっちが断然良い。もともと城の使用人としてはまだまだ新入りとして不安なところもある。順番はおかしいが、城での下積みを積むにもちょうど良い。
何より、同行はしなくて良いと断言されたのはフィリップとしても心から安堵した。
毎日あの家に帰る為に、そして定期的にアムレットに会う為に通いの仕事を選んだのに、長期旅行など落ち着かない。しかもアムレットと物理的にそんな距離まで離れたくない。アムレットの身に何かあったら全部放り投げてでも絶対自分は駆けつけたいのだから。
今は安全な学校の寮に住んでいるからまだマシだが、それでも世の中病気も事故も裏稼業も何でも突然降ってくることは嫌と言うほどわかっている。
この場で「是非お留守番且つ使用人の仕事で」と言いたいところだが、まだステイルの話は終わっていない。
「そこでお前に頼みたいことがある。まず一つ。こちらは悪いがほぼ命令に近い」
こくり、と頷きだけで返す。
普段は自分に命令など言葉を使いたがらないステイルだ。指を一本立てて説明するステイルの〝命令〟を聞けば、その言葉を使った理由も納得できた。
あーあーなるほど、だよなあ、と。頭の中だけ大きい相槌を打ちながら頷く。それはもう仕方がないし、自分にとっては今更の覚悟だ。二人きりで話してくれたのも納得だったが、しかしここまでもったいぶらなくても良いのになと思う。
そこまで気楽に構えれば、手の中の本を本棚に戻したくなったが、まだ主人の話を聞く方向に集中する。
「そしてもう一つ。……こっちは、俺からの頼みだ。お前が嫌なら強制はしない」
そこまで言って初めて、ステイルの顔が僅かに苦く顰められた。
さっきまでの怒りの滲んだものではなく、言いづらさを含んだ表情はパウエルが隠し事をしてる時に似てるなとフィリップは思う。
眉を上げ、こっちの方が本題かと理解すれば自然と背筋も伸びた。
ステイルもさっきまでの流暢は説明が嘘のように一度口を噤み、そして開く。「実は……」とさっきの倍は抑えた声で説明するそれにフィリップも真面目に耳を立てた。
今度の頼み事は、……別の意味でフィリップは口端が引き攣った。「うわぁ」と言いたいのを堪え、とにかく最後まで聞く。
危機感よりもただただ自分が思っていたよりも大ごとになる気配だけを感じ取る。ステイルが真面目に話そうとしてくれたのもこっちの頼みの方だったのと、……そしてそれでも自分にこうして打ち明け頼んだということはよっぽとのことなのだと理解した。
「………以上だ。俺に一任して貰えている状態だが、お前がもしこちらの方も良いと言ってくれるなら今日の午後にでも姉君に提案したいと思う。勿論、お前が気が進まないというならば、提案するまでもなくこの案はなかったことにする」
「うー---ん……」
ステイルからやっと開口の合図を得たフィリップは、すぐに唸った。
首を捻り、視界に引っ掛かる邪魔な伊達眼鏡を一度取り外す。片手に眼鏡を握ったまま腕も組み、少しだけ思案した。
流石にこちらの方は即答するのも難しい。今までの自分の生き方に沁みついたものだから余計にすぐには曲げられない。だが、他でもないステイルの頼みだ。
それに……、とフィリップは一か月ほど前のことを想い返す。まだ自分はそこまで理解していないが、少なくとも自分より頭も良くて腹黒くなったステイルや聖騎士のアーサー、宰相のジルベール、そしてあんな優しいプライドやティアラが〝そう〟なら平気だろうと結論を出した。
「……ま~~、いっか。……良いですよ。信頼できるって殿下が仰るなら、私は」
可能かどうかはまだちょっとわかりませんけど。とそのまま苦笑交じりに笑うフィリップに、ステイルもそこでふと笑みが零れた。
ありがとう。と、素直な言葉がそのまま口にできれば、フィリップからもニカニカといつもの従者としての笑みとは違う素の歯を見せる笑みが返された。
早速今度試しましょうか、とまるで悪戯でもするような感覚の誘いにステイルも眼鏡の黒縁を押さえて笑んだ。
その前に姉君だと。時計に振り返りながら近衛騎士交代の時間を待つ。ヴェストからはフィリップへの相談とこの後の為にも長めに時間は与えられている。
取り敢えず話が一区切りついた空気に、フィリップは早口で残国希望と使用人としての労働希望をステイルに告げる。小脇に本を挟み、カーテンを開けるべく手をかけた。
「あのラジヤかぁ~……そりゃあ殿下もプライド様守る為に必死になりますよなー」
「ああ。だから正直今お前が頷いてくれて助かった」
「頷きますよ頷きますともさ。殿下の元で働く為なら俺だって義務は果たす覚悟です」
「……さっきも言ったがお前が嫌だというなら」
「はいカーテン開けまーす!」
バササーッ!とそこで強制的に会話を終了させる。
カーテンを開けたところで王族の部屋は簡単に覗き見られるものではないが、それでも自分達を隠していた壁が一枚剥がされたことでステイルも口を閉じる。
勢いよくカーテンを開けたフィリップは、そこで眼鏡をかけ直した。脇に挟んでいた本を手に、優雅な動きで本棚の元の場所へ本を戻す。
突然の日光に目を絞り慣れさせるステイルを横切り、次々と部屋のカーテンを開けていく。
「土産に美味いもん期待してます」
「旅行じゃない、遠征は仕事だ」
にこやかな従者としての笑みを振り返りざまに向けてくるフィリップに、今度はステイルも眉間の皺が伸びたまま見返した。会話を切られたことは腹立たしいが、そういう言葉を投げてくれる嬉しさの方が勝つ。
遠征まで一か月。フィリップからの早くも見送るような言葉に、自分がこの国に帰る理由がまた一つ増えたことをステイルは実感した。