Ⅱ595.虐遇王女は突きつけられ、
「突然呼び出してごめんなさいね、プライド」
「いいえ、母上」
学校視察を終えてから早二か月。
女王である母上から、大事な話があると連絡を受けたのは朝食の時だった。
私だけではない、ヴェスト叔父様の補佐についているステイル、そして父上の補佐見習い中のティアラも昨日の段階で聞かされていた予定だったらしい。
私は今朝聞いたけれど、二人もそれぞれヴェスト叔父様と父上に翌日午前は母上の元へ直接集まるようにと言われていた。
姉弟妹三人揃っての母上との会談は久しぶりで、少し緊張した。
しかも謁見の間ではなく、今日は母上の執務室だ。女王専用の仕事部屋でもあるそこは、謁見の間のように客や応対で使う空間とは違う。私も女王業務を教わっていたり手伝っていた頃は結構出入りも許されていたけれど、自粛になってからはめっきり減っていた。
今まで母上達と相談し合う時も謁見の間での相対の方がずっと多かったもの。
なのに今回は謁見の間でもないとなると、ちょっと引っ掛かる。
公的な話し合いも極秘の会話でも防音と警備体制の完璧さからも謁見の間の方が好ましいし、書類を持ってじっくり長時間大人数で話し合う時は会議室もあるだ。それなのにどちらでもなく母上のお部屋でなんて。
テーブルを挟んで一番遠い向かいの席に母上が座り、傍にはヴェスト叔父様も控えている。私の傍にはステイル、ティアラも座り、ジルベール宰相がちょうど私と母上の中間位置だ。
父上がいないのがちょっと心細いけれど、こうして私達全員が公務の間にそれを請け負ってくれていると思うとむしろ申し訳ない。優秀な王配補佐であるジルベール宰相までこっちにいるから余計に。……そう。
ジルベール宰相がいるということは。
学校での生活もいつの間にか懐かしく、今は王族としての生活に大分身体が馴染んでいるなとピンとした緊張感と一緒に実感した。
優雅な笑みで椅子に掛ける母上も、今は女王としての隙のない空気を纏っている。私達が入って来た扉も施錠され、使用人や護衛も近衛兵のジャックや近衛騎士のエリック副隊長とアラン隊長まで廊下で待たされ完全に私達六人だけの空間だった。
書類の束を手にするヴェスト叔父様も、私達が部屋に入った時から若干顔が険しいからそれも怖い。耳に残る沈黙の後、ゆっくりと母上の薔薇のような唇が再び開かれた。
「先にジルベールから報告を受けた〝予知〟の件。覚えていますか」
「!はい……!勿論です」
やっぱり。そう思いながら私は肩を強張らす。
ちらりと視界の隅にジルベール宰相を入れれば、小さく口元だけで笑まれた。あの笑みからしてきっと悪い報告ばかりではないのだと思いたい。
私だけではなく事情を知るステイルそしてまだ知らなかったティアラもそれぞれ肩が上がった。もともと伸びていた背筋をピンと張り詰め直して母上の方に向き直る。
ジルベール宰相に依頼した〝予知〟の件。……我が民という名の攻略対象者。そしてそれを取り巻くであろう現状。確定事項とか言える部分しか伝えてはいないけれど、それでもフリージア王国の王族が検討に及ぶに値する案件の筈だ。……王族が直接出向くのは別として。
しかも相手はラジヤ帝国属州。大きい枠組みで言えば〝ラジヤ帝国〟と言ってしまって良い地だ。
全件を一度預かり請け負ってくれたジルベール宰相に任せた分、彼が母上達にどう言ってくれているかもわからないから最低限は余計なことを言わず黙する。
もし口裏を合わせる必要なことがあればジルベール宰相が何かしら教えてくれていた筈だし、きっと大丈夫と心臓を急がせる自分に言い聞かす。
「まさかお前の口からよりにもよってあのラジヤ帝国に行きたいなどと私もローザも耳を疑った。……しかも皇太子生存の可能性などと」
ヴェスト叔父様の溜息混じりの低い声。母上を姉君でも女王陛下でもなく名前で呼ぶ叔父様に、余計今は〝摂政〟ではなく〝叔父〟として怒られている感が凄まじい。
そしてラジヤという単語に、ティアラの肩を大きく跳ねた。ぐるんっ!と大きく首を私に向けて金色の目をまん丸にぱちくりさせている。今はティアラが耳を疑っているのだろう。私だって気持ちはわかる。本当にごめんなさい。
あとでティアラにも黙ってたの怒られるんだろうなと、今から諦める。でもこれはジルベール宰相との口留めもあったから仕方ない。
『先ずは前提として件の予知についても陛下へ正式にご報告許可を』
タイミングをずらしてのアダム達の生存予知。
ジルベール宰相に許可をしたのは私だけれど、今はその事実も知られてるのだと思うと余計恐ろしい。
あれからすぐにセドリックへ絵師の協力を仰いでアダムとティペットの指名手配書まで用意された。ケメトとセフェクのパーティーでもお礼を言ったばかりだ。
口の中を飲み込み、粛々と叔父様の言葉に頭を下げる。私だってこんな希望通ると最初からは思っていない。
同盟国ならまだしも、よりにもよってラジヤ帝国だ。その関連国にだって行くのが躊躇われる立場で、しかも私は外出禁止の謹慎王女。その原因であるラジヤ帝国に「行ってきます」と言ってにこやかに手を振って貰えるとは思っ
「その件、承諾しても構いません」
え゛っっ。
母上の悠然とした声で宣言された言葉に今度は私も耳を疑う。
ステイルが驚きのあまり席から腰を上げ、ティアラからは「えっ!!」と声も上がった。直後に両手で塞いでいたけれど、これも当然の反応だ。私だって顎が外れたまま動かない。
いま、承諾しても良いって言った?あの母上が?!規則に厳しいヴェスト叔父様の前で堂々と?!ラジヤに、あのラジヤに言って良いと!!?
嘘!!?叫びたい喉を理性で押さえる。ほのかな笑みを浮かべているジルベール宰相に詰め寄りたい。
眉間に皺を寄せるヴェスト叔父様が怒っているかのように見える中、母上はにっこり笑顔のままだ。けれど、何かこっちもやっぱり怖い。ちょっと怒ってるようにも見えるのだけれど?!ステイルやジルベール宰相の黒い笑顔とはまた違う覇気を纏っている。
本当に、良いのですか、と尋ねる前に先ず話を聞く姿勢を改める。
きっと私が尋ねるまでもなくこれは母上から続きがある証拠だ。姿勢を正し、それから一先ず「ありがとうございます」と抑えた声で感謝を示す。途端にゆっくりと口が開かれた。
ティアラも、ステイルも無言のまま母上に圧倒されて座り直したところのこの言葉がきっと本題なのだと覚悟する。
「ただし、私も行きます」
…………はい?!?!?!?!??!?!?!?!!!!
御正気ですか。と、うっかり今度こそ舌の根まで出かかった。代わりに「えっ!!」の叫びが、ステイルとティアラと綺麗に三人重なった。三人揃って今までの戸惑いをぶつけるような大きな音が出てしまう。
ガタガタガタッ!とステイルだけでなく三人綺麗に椅子から立ち上がる音まで重なった。
にっこり笑顔の母上は冗談には聞こえなかった。女王の声色で発しているのだから余計にだ。ちょっとまって絶対おかしい。
ラジヤ帝国。本国こそフリージア王国の規模に及ばないけれど、侵略国として領土を広げた国。奴隷生産国として最大の規模を誇る大国だ。
そして私が行きたいラジヤ帝国の属国も、元は国名があっても世界的にはあくまでラジヤ帝国の一部。つまりは奴隷産出国。
奴隷を定期的に本国へ輸出して、自国でも当然のように奴隷の売り買いを公的に行っている国だ。
奴隷否定のフリージア王国とは水と油。そんな国に女王である母上が行くなんてありえない!!
三人揃って立ち尽くし、母上相手にマシンガンで言い寄るわけにもいかず言葉を失くす。
その間も優雅な笑みを崩さない母上と、母上にもこちらにも目を向けてくれないヴェスト叔父様を穴が開くほど凝視し続ける。見本のように背筋を伸ばし私を見つめている母上はまるで彫刻のように動かない。
もしかして、私を冷静にさせる為の返し手だろうか。私がまた自分の立場も身も考えずにラジヤになんて行くから、じゃあ母上が行くと言えばどうするかという必殺の返し手。もしそうだとすれば効果は抜群だけれども。
外れた顎を戻し、代わりに唇を一文字に結ぶ。大きく呼吸を深く一回行ってから、私は王女らしい声を意識し言及を試みた。
Ⅱ577-3
Ⅱ585-2