そして沈む。
「そッ、それはプライドが俺達〝への料理〟が特別だからやって下さろうとしたのですよね⁈ならば全員に振る舞うのはどうかと!本来のティアラからの提案からも外れています!!」
「ッすンませんでした!!俺らとも大丈夫ッす!そりゃすっっげぇ恥ずかしいですけど!その!迷惑とかは死んでも思ってねぇンで!!!!」
所々で拾えた単語と二人の様子から、特別なら大盤振る舞いが駄目だと告げるステイルと恥ずかしがっているだけで嫌がってはなかったというアーサーの訴えはざっくりとだがプライドも理解した。
そ、そう……と二人の勢いに押されながらなんとか笑顔で返す。つまりは二人からの返答は良しということなのだろうかと頭の隅で考える。その間に、前のめりになった二人も我に返った。
「なので、……その、……〜〜っ、……い、頂きます……」
「俺も。…………お気持ち、嬉しいンで」
恥ずかしい、恥ずかしい、死ぬ。と、頭の中でぐるぐると感情が回りながらも絞り出す。
このままプライドからの機会を逃すのも嫌だったが、それ以上に〝自分達の特別〟が上書きされてしまうのも言いようがなく見過ごせない。いま彼女が食べさせてくれようとしているのは、自分達の為に作ってくれた特別な料理なのだから。
直前の勢いが嘘のように静かになった二人は、塗ったように真っ赤の顔で視線が落ちた。
観念するように自分達の山盛りの皿をプライドへと静かに差し出す。恥ずかしさのまま指先の震えがそのまま伝わりプルプルと震える皿と兄達に、ティアラの頬も眉も正常に戻った。
にこにこと笑い、姉へ「良かったですねお姉様っ」と促すティアラにプライドは最初にどちらの皿からと目を彷徨わした。
先ずは持ちやすい方からと、ステイルの皿に手を伸ばす。
改めて見ればプライドの目でもやはりステイルにしては多い数のメロンパンが盛られていた。バランスを崩さないようにと、一番上の一個を三指で摘み上げる。
こんなに食べれるのかしら……と、ステイルの腹持ちが心配になりながらもやはりたくさん食べてくれるのは嬉しい。気合いを入れて作った甲斐があると思う。
「はい、ステイル」
気持ちのまま柔らかい声で口元に差し出せば、ステイルの肩が上下した。
きゅっと唇を搾り、それから開く。人前ということよりも今はただプライドにこうして食べさせて貰うことに心臓が脈打ち鼓動が全身に響いてしまう。
失礼します……と弱い声で告げ、最初だけ目を閉じて齧り付いた。
かぷっ、とメロンパンの表面の硬い層に歯を立て、そのまま齧り切る。昔のように食べ残しを頬に付けないように留意した。既に一巡目で複数食べたというのに、今のたった一口が一番甘い。
目を開ければ思った通りまだ齧り掛けのパンがそのまま下ろされることなく、彼女の白魚のような指に摘まれ自分に突きつけられたままだ。
やはり最後まで食べさせてくれるのかと思えば、うっかりプライドの顔にも目がいってしまう。ふんわりと綿のような柔らかな笑みを浮かべる彼女の顔が近く、飲み込みきった口の中が甘さを錯覚する。ごくんと喉まで鳴らしてしまい、慌てて目を逸らした。
今度は目を開けたまま、視線だけ逸らし口を開く。かぷり、かぷっと慎重且つ丁寧に齧れば無事プライドの指を齧ることなく、食べ残しを頬に付けることもなく食べ切った。
それでも気になり、自分の指の腹で口元を確かめれば、見計らったように専属従者からハンカチを差し出された。
いつの間に背後に立っていたのかも気付かなかったフィリップの気遣いに、今は振り返る余裕もなくハンカチだけ受け取り口元を押さえつける。
「……ありがとうございます。本当に美味しく頂きました。……?プライド?」
「!あ、ううん。なんでもないわ」
口元の弛みごとハンカチで隠し、無表情を意識するところで視線を上げればプライドの顔が呆けていた。
まさかハンカチで押さえた所為で、口に合わないとでも勘違いされたのかとステイルも僅かに焦る。単に口元を拭うだけならいつものマナーだが、あまりにも押さえつきすぎた自覚はある。
あの、これはと。慌てて弁明を図れば先にプライドの笑みが勝った。
「……また次も焼いて良い?」
「ッ勿論です‼︎」
はっ、と慌てた勢いのまま、うっかり身体まで前のめった。
ハンカチをくしゃりと手の中で鷲掴んだまま胸を押さえ、鼻先がプライドに近付いた。
ありがとう。と、くすりとした音を立てて笑うプライドに、ステイルは息が詰まった。唇を結んだまま、がっついてしまった自分が恥ずかしくなり眼鏡ごと視界が曇る。
じわじわと顔の火照りが落ち着くどころか更に留まることを知らず上がっていくステイルにプライドは微笑むと、今度はもう一人に向き直る。
彼女の視線を受けたことで、次は自分の番だと理解したアーサーは一際大きく心臓の音が耳に轟いた。
「ん゛ッ」と喉の詰まる音を途中で飲み込み、それから皿を持たない方の手をびしりと身体の横へと付けた。
食べる前から真っ赤なアーサーと、その皿の大盛りにプライドは圧巻する。アーサーの大盛りには慣れていたが、持ち方を少し間違えれば半分は零れ落ちてしまうんじゃないかと思う量だった。少なくともアーサーの腕力だから片手で持てるのだろうと感心する。
皿に添えてあるフォークを取り、まるで砂崩しのような気持ちになりながら一枚掬うように剥がす。自分の手のひら大よりは余裕である肉に、これは半分に切るべきかしらと考える。
アーサー自身で食べるならば齧り切るという手があるが、手から差し出されたこれを齧り切るのは流石に抵抗があるだろうとプライドは思う。
「えっと、ナイフか何かあった方が良いわよね?」
「!大、丈夫です‼︎ひと口余裕でいけます‼︎‼︎」
ナイフを取って貰おうかと一番近くにいるフィリップに目を泳がすプライドに、上擦りかけたアーサーの声が続く。
ほ、本当…?と少し心配げに覗くプライドだが、目を大きく開いて頷きで返すアーサーは無理しているようにも見えない。
少しおっかなびっくりではあるが肉丸々一枚を取り、フォークの先で半分に畳んでから刺した。それでもプライドならば間違いなくひと口など不可能な大きさだ。
ゆっくりとタレを溢さないように持ち上げれば、アーサーが首を伸ばし思い切りの良い形で「あ」と口を開いた。
一瞬うっかり狼と錯覚できるほどの口の大きさに、プライドはぱちりと瞬きをしてしまう。しかしいつまでもアーサーを口を開け放しで待たせるわけにもいかず、瞬き一回後にはすぐその口へ差し出した。
バクリ、と。綺麗にひと口余裕で肉一枚を頬張ってしまう様子は誰の目にも清々しいほどの食べっぷりだった。アーサー自身も一滴の間違いなく口に収められた為、安堵が大きい。
口の中の肉を味わうべく意識的に噛み切りながら、視線を浮かす。食べながら話せない間、プライドと目が合ったらどう返せば良いかわからない。
ごっくんと細かくまで噛み砕ききったそれを喉を鳴らして飲み込んでから、アーサーは背が反るほど姿勢を正した。口の中が綺麗さっぱりになってから「ありがとうございます」と言おうとしたその時。
「もうひと口、良い……?」
「ッッ⁈は、い⁈」
ぎくっっ‼︎と勢いよく肩が上がる。
目を向ければ、プライドの紫の瞳が丸く開き自分を見上げていた。心なしかキラッと輝いても見えるその眼差しに、何故そんな顔をするのかとアーサーはまた喉が鳴る。
ステイルのように数口かかるものならまだしも、ひと口で済ませられた自分がまさか二度目までしてもらえるとは思わなかった。
綺麗に食べ切れたと思った分、不意打ちにも近かった。中途半端に舌が痺れそうになりながら返した声は最初より裏返った。一瞬自分の都合良く解釈しただけじゃないかとも思ったが、目の前ではプライドが自分の皿からまた一枚の肉をフォークで畳み、刺し取っている。
「はい」と微笑みと共に、さっきと同じように口へと運ぶプライドを今度ははっきりと直視した。
一度目は肉を落とさないように零さないようにが念頭だっだか、現実か疑うべく注視した視界にはプライドの姿まで捉えられてしまった。
自分に向け満面の笑顔で差し出してくれる光景に、腹よりも先に心臓が苦しくなった。
自分がこのまま惚けてしまう前にと一拍遅れてから、ンガと大きく口を開く。そこへプライドが差し出せば、またひと口で頬張れた。フォークごと食べてしまわないようにと、できるだけゆっくり口を閉じたがそれでも一瞬だけフォークの先が唇から抜かれる感触が残った。
もぐもぐと肉を味わうアーサーに、フォークを音もなく皿へ置いたプライドは満足げな笑顔だった。
「ごめんなさい。すごく気持ち良いくらいひと口で食べてくれるから、つい。……このままだと癖になっちゃいそうだから、ここで止めとくわね」
フフッと口を片手で隠しながら笑うプライドに、アーサーの喉が野太く鳴った。
ゴクリ、とうっかり噛み切り終えてない大きめの固まりまで喉を通り、口が空っぽになるのに胸が埋まりきる。
いえそんなと言いたいのに口が張り付いたようにすぐには開かなかった。「癖になっちゃいそう」というプライドの言葉に、つい欲が出そうな自分を自覚する。
蒼い目だけが皿のように見開かれた中、花のように笑う彼女から離せない。皿を落とさないのは奇跡だった。
「アーサーも、ステイルも。……本当に男の人だなぁって思っちゃって」
今更よね、と。悪戯っぽく笑い声を溢すプライドに、二人は心停止しかけた。
さっきからこれでもかと心臓を揺さぶって鷲掴んでくるのに、最後に息の根まで止められる。いっそ食べさせて貰えるよりも、今の発言の方が人前が恥ずかしい。
だがそれ以上に、他でもないプライドからだと嬉し過ぎる言葉に、揃って言葉がでなかった。口が固まったアーサーだけでなく、眼鏡の曇りが止まないステイルも心臓の音がうるさく呼吸が難しい。
目の前でカプリカプリと食べ切るステイルの顔も、大口でペロリと頬張るアーサーも、以前よりもずっと〝男性〟とプライドには感じられた。
ステイルの食べ切った顔にも目を離せず、アーサーには二口目も自分から食べさせてあげたいと思うほど。
それが学校生活で年齢操作された顔に見慣れてきた反動か三年ぶりのやり取りだからか、それ以外かはわからない。ただ、間違いないことは。
「二人とも美味しそうに食べてくれて嬉しい。思わず見惚れちゃったもの」
アーサーにもまた料理するわね。と、流れるように続けるプライドの言葉に、アーサーもそしてステイルも頷きすら返せなかった。
目を見張り、指先まで強ばり固まってしまう。塗ったように真っ赤に染まる二人は体温も限界値に近かった。うっかりフラつきそうにもなる中、自分はさておき手の皿はひっくり返せないと必死に両足で床を噛む。
内側から酷く叩く心臓が、このままだと飛び出て溢れ落ちてきそうだと本気で思う。
笑う彼女の全てに、太陽光以上の破壊力があった。
きょとんと、二人から反応も無ければ真っ赤に染まる様子にプライドは首を傾ける。追い立てられるようにアーサーが「ありがとうございますッ⁈」と叫んだが、とうとう声全てが裏返ってしまった。
アーサーからの返事に、次もまた作って良さそうだと確認を取れたプライドはほっと息を吐く。「良かった」と微笑み、傍らのティアラとも顔を見合わせた。やはり人前は二人も恥ずかしかったのだとは理解しつつ、嬉しさが上回る。
「遠慮せず好きなだけ食べてね。でも無理しなくても良いから。また食べる機会はきっとあるものっ」
じゃあごゆっくり。そう告げて手を胸の前で振るプライドは、後ろ歩きで遠のいき、そして背中へ向けた。
スキップ混じりで並ぶティアラと手を繋ぎ、次の挨拶回りへと去っていく。
「ちょっとその前にサラダを」「行きましょう!」と語る背中を見つめながら、ステイルとアーサーは両手の皿と共に音もなく沈んだ。
プライド達の大皿を前に、テーブルへ戻る気力もなかった。山盛りの皿はあくまで平衡を保ちつつ、しゃがみ込む。顔を覆えないのが互いに歯痒くなりながらも、さっきまでの食欲が嘘のように胸がいっぱいになり飽和する。
「〜〜っ…死ぬ……」
「フィリップ、珈琲を二杯頼む……〜っ」
「殿下と聖騎士様に〝紅茶〟二杯ですねただちにお待ち致します」
覚悟していた以上のプライドの破壊力に満身創痍になる二人と、一人起立し佇む専属従者は対称的だった。
早々の気付薬代わりにと苦い珈琲を望んだステイルだが、フィリップの言葉にはすぐに眉が上がった。ん⁈と音を零し、屋敷の調理場へ向こうとするフィリップへ「待て」と声を掛ける。
自分の恥ずかしい場面を目撃されたことを考えないようにしながら、弛み切る顔を引き締める。
「お前が得意なのは珈琲じゃなかったのかフィリップ」
「紅茶も殿下にお気に召して頂けるように努力していますので、是非ともお二人揃って適温のアッツアツの紅茶を」
「そうか、面白がってるな?」
良い度胸だと言わんばかりのステイルの声色に、フィリップは無言のままプルプルと口端の片方だけが痙攣した。
ここが実家だったら今頃げらげらと腹を抱えて笑ったが、今は仕事と仮の姿の意識が何とか仕事モードで封印してくれる。取り敢えずは給仕場でひとしきり笑いたいと思う。
あのステイルと、噂の聖騎士が二人揃って目の前で真っ赤に茹って潰れる情けない姿は微笑ましいを通り越し、愉快で仕方がない。
肩まで震えが広がるフィリップに、ステイルも少なからず頭が冷える。この野郎、と心で唱えながらアーサーよりは一足先に再起する。
「……紅茶は俺の方が美味いからな」
「努、力致し、マス」
負け惜しみのように捨てた台詞の第一王子に、声が震えながら専属従者が足早に去っていく。
この上なく悔しいそれに、ステイルはゆっくりと膝に力を入れた。「アーサー退くぞ」とまだ潰れる相棒に声をかける。
人気が最も高い大皿の前ではいつまでも立ち往生することもできない。そろそろ近衛騎士達も二巡目に来ても良い頃だと続ければ、アーサーもハッと息を飲み顔を上げた。むしろアランはとっくに食べ終えても良い頃だ。
顔を向ければ、近衛騎士全員がテーブルから温かな目で自分達を見守っていたことに気付いてしまった。
おう⁈と無駄に声を張りながら一気に立ち上がる。山盛りの皿を両手に持ち直し、早足でテーブルへと退避した。
その後、料理を前にテーブルへ突っ伏す二人の元へフィリップから熱い紅茶と冷えた水が届けられるのは間もなくのことだった。