Ⅱ585.王弟は噛み砕き、
……胃が、重い……。
「まさか料理を見るだけで照れるとは思わなかったよ」
美味しいね、と。食事の合間にも言葉を掛けて下さるレオン王子殿下に曖昧な返事しかできていない。
フォークとナイフを取りながら、皿に盛りつけた料理を味わえばその度に至福の瞬間に包まれた。……しかし、まだレオン王子殿下の方を直視できない。
顔の火照りも落ち着かず、舌に意識を集中していないとまた思い返しそうになる。折角この俺と同席をして下さったレオン王子殿下に、これ以上面倒はかけたくないというのに。
ティアラ達の料理を自ら皿に取り分けてから、そのまま棒立ちになる俺を回収してくれたレオン王子殿下は空いているテーブルまで流れるように俺を促してくれた。
俺と異なり、プライドとだけでなくティアラとも親密で、ステイル王子殿下やボルドー卿であるカラム隊長を始めとした近衛騎士とも親しく、以前のパーティーではヴァル殿とも親し気だった彼ならばこの俺に構わずとも食事を共にする相手など事欠かないだろうに。
それでも迷惑そうな顔一つなく食事の前に恥を晒した俺の面倒をみてくれた彼は、本当に器の大きな人間だと思う。…………いや、それはもっと前からわかっていたことか。
当時、第二王子でしかなかったこの俺が、アネモネ王国の第一王位継承者相手に言付けを託した際に快諾して下さったような御方だ。
席に着き、最初にグラスの水を飲み干した後も、御面倒をお掛けして申し訳ありませんと謝罪した俺に滑らかな笑みで「気にしないで良いよ」と許して下さった。流石はプライドの盟友と名高く、……ティアラが惚れた相手でもある。
そこまで思考すると、静かにしかし重だるい感覚と共に頭の熱がまた引いて行った。意識が思考から、再び舌へと落ち着いたところでまたフォークを動かす。…………やはり、どれも美味い。
「セフェクとケメトも立派になったなぁ……たった二年前程度だけれど、二人とも初めて会った時よりもずっと成長してる」
「?三年……てっきりもっと以前からの仲かと」
独り言のように零された言葉に、俺も目を伏しながらも疑問を返す。
俺が知った時にはヴァル殿とレオン王子殿は親し気に話されていたからか、ケメト殿とセフェク殿ともそれくらいの深い関係かと考えていた。しかし三年というと、俺とプライドとの関係とも大差ない。
俺の言葉に、フフッと楽し気な音を漏らすレオン王子殿下は一度食器を手のまま皿に置いたのが視界の隅でうっすらとわかった。
何か別のものを見ているのかと、皿を目にしないように意識しつつ顔を上げればやはり彼は皿を見ていなかった。翡翠色の眼差しが懐かしそうに、プライド達が座るテーブルの方向へと向けられている。
恐らく同席しているセフェク殿とケメト殿を見ているのだろう。俺も視線を向けようと思ったが、……それはそれで今度はティアラが視界に入って心臓が止まってしまう。代わりにレオン王子殿下の中性的な横顔を眺めながら、食事の手動かし待った。
「最初に会った頃は、目もなかなか合わせてくれなかったからなぁ。今は普通に話しかけてもくれるからすごく嬉しいよ」
「なんと。それはヴァル殿ではなくあの二人がということでしょうか」
信じられず、聞くまでもないと理解しつつも確認してしまう。
当時プライドを始めとして不敬を行った俺ならば納得できるものの、レオン王子殿下のように完璧な青年まで距離を取られていたとなると信じられん。いや、寧ろそれだけの距離からたった三年であそこまで親しくなられたというのはレオン王子殿下の人柄あってのものだとも考えられるが。
驚きを隠せない俺に、レオン王子は「うーん、三人にかなぁ」と苦笑交じりの声だった。…………あのヴァル殿がというのは俺も納得はできるが。
ヴァル殿はセフェク殿とケメト殿よりも圧倒的に相手の好き嫌いが分かれる方だろうとはお見受けできる。肌の色から推察するに血が繋がっているとは思えないが、あの三人がどういう理由で生活を共に生きているのかは想像もつかない。
やはり、あの三人と今のように親しくなられたのもレオン王子殿下の人柄ゆえにだろう。
「でもヴァルの方がまだ会話はしてくれたかな。ケメトとセフェクはヴァル越しでしか返事もくれなかったから」
「そこまで……?!」
むしろケメト殿とセフェク殿の方が難儀したと。その事実に自分の目が見開かれるのが鏡を見なくてもわかる。
確かに俺ともあまり会話を必要としない二人だが、それはヴァル殿も同じだ。大体俺の場合はその前にヴァル殿を怒らせた要因が、……~~っっ要因が、ある。
しかし、レオン王子殿下にもということは、単純にあの二人が最近まで人見知りが激しかったということか。俺自身にもそういう時期の覚えがある。
しかしケメト殿は特にこの俺にも用事があれば普通に話しかけ、先日もたまたま見かけた中で手を振ってくれたこともある。温和で友好的な少年だと思ったが、彼もまたそういう時期があったのだなと知る。セフェク殿はどちらかというとヴァル殿に似ている印象があったからそこまで意外でもないが。
俺の驚く様子を見て楽しそうに笑まれたレオン王子殿下は、また食事の手を動かした。ぱくりと小さく切った料理を口に味わい飲み込んだ後にまた言葉を続けられる。
「今はもうセフェクもケメトも学校でそれぞれ友達もできたみたいだし、僕も嬉しいよ。彼も、寂しいよりも今は安心の方が強いみたいだしね」
そう言いながら視線で別方向をまた示される。
振り返り見れば、誰もがテーブルに着いて食事を楽しんでいる中、ヴァル殿だけが何故か壁際の床に座り込んで食事をしていた。他が全員テーブルを二人以上で囲っている中、ケメト殿とセフェク殿も離れ一人で壁際というのは寂しいものにも思えたが、彼自身はむしろ悠然と過ごしているように見える。
使用人に用意させたのか、酒瓶を五本も脇に並べて直接口を付けて飲んでいる。更にはプライドの用意した芋の揚げ料理を大皿で床に置いて独占し食しているのを見ると、寧ろあれはあれでこの上なく寛いでいるように見えた。昔読まされた書籍で、ああやって床で寛ぎながらご馳走を囲うひと昔前の王族がいたのを思い出す。
やはりヴァル殿は異国の方なのだろうか。故郷ではそういう食事方法が習慣だったならば納得できる。しかし凄まじい特殊能力を持っていることから考えても、フリージア王国で生まれ、血も継いでいる筈なのだが。
「あとで僕も構ってもらいにいこう」と笑うレオン王子殿下は、やはり今はヴァル殿と親しいことは違いないのだなと思う。
「ところで、セドリック王弟はどの料理が一番好きかな」
口数の足りない俺を気遣ってくれたのだろう。話を変えながらも、皿の全種類一口ずつ味わい終えた俺に尋ねてくれるレオン王子殿下は本当に気配りのできる王子だと思う。…………さっきまでの会話を思い返しても年下とは思えん。
味を思い返し、皿に盛った中でというならばやはりこの挽肉を揚げた料理だろうかと考える。
肉の旨味と共に練られた野菜の旨味が相乗効果でより旨味を引き出していると思う。揚げたてであればより美味いのだろうと考えれば、是非プライドにレシピを貰えないかと考えてしまう。
話によると、今回の料理で見慣れないものは全てプライドが考案しティアラと共に作ったものらしい。仕上げはこの屋敷の使用人が行ったらしいが、どちらにせよ素晴らしい料理であることに変わりはない。
王女が料理をするなどと当時も驚いたが、プライドはその上独創性も持ち合わせている。フリージア王国料理というわけでもなく、彼女独自の料理でここまで美味いとなるとこれも才能だろう。
俺が揚げた挽肉料理を示し失礼がないよう顔を向ければ、レオン王子殿下も「ああ、好きそう」と笑まれた。食器を置き、頬杖を突くと彼もまた長い指先で自分の皿の一品を指差す。
「僕は今回の料理だとこれかなぁ。新作も好きだけれどこの料理、実はアネモネ王国の民の間でも調味料が売り切れになるくらいに人気なんだ。昔プライドがレシピをくれて、僕も城でたまに料理人にも作ってもらうんだけど」
「……………………」
レオン王子殿下の言葉が、半分近く今は頭に入ってこない。
耳に通っている以上。後で思い返せば一字違わず思い出せるのだろうが今は無理だ。
詳しく聞きたい話が脳を掠めたが、瞬間的にぐわりと身体中の熱が回り、羞恥に頭が沸騰し始めるのが自分でわかる。
しまった……!!
見てしまった、と。後悔したがもう遅い。レオン王子殿下が悪意なく示した先をついそのまま目で追ってしまった。
彼が示した料理は、あの、豚肉料理だ。
もう彼がその料理を皿に盛った時点で顔を向けられなくなったというのに、つい目で追ったままその料理を直視してしまった。
俺の異変に気付きレオン王子殿下から「セドリック王弟……?」と心配するように低めた声を掛けて下さるが、折角落ち着きかけていた頭が今は
「セドリック??口を開けなさい口を」
突如として聞きなれた声が掛けられ、命じられる通りに口を開く。
既に料理は喉を通した後の空っぽの口へと、躊躇なく何かが放り込まれた。口の中に納まったと理解すると同時に閉じれば、サクリとした歯心地の良い食感とそして甘い味が口内いっぱいに広がった。……これは、間違いなく。
じわじわと顔の熱が未だ火照り続けるどころか若干熱を上げているのを自覚しつつ、今はその菓子を味わう。
いつの間にか俺の背後に立っていたであろう彼女が、「どう?美味しい?」と俺を起こすような口調で投げかけて来た。
美味いに決まっていると首を縦に振りながら咀嚼を続け顔を上げれば、目を少し見開いたレオン王子殿下が最初に視界に映った。
「口に合ったなら良かったわ。はい、飲み込んだらこっち向いて」
彼女のいつもより1.5倍は早口の口調に急かされるように口の中を飲み込む。
ごくりと喉が鳴ったが構わず声の方へと向けば、やはりプライドだった。いつの間に俺の背後に立ったのか、さっきは背中から腕を伸ばして俺に食べさせた彼女は、今は隣に立っていた。
先ほど取ったのとは別の取り皿と乗せられた料理を手に、フォークに刺さった料理を俺に突き出している。「はい、あーん」と妙に手慣れている様子で料理を差し出され、それが何かを理解しつつも今はプライドの命令に従った。
クッキーとは比べ物にならん大きさと、落とした時にテーブルや服を汚す危険性に必要以上に口を大きく開くそれを受ける。……まるで子どものような扱いをされるのは少々気恥ずかしいが、プライドには抗えない。
口を閉じ、味わえばやはり間違いなくあの時の料理と殆ど互いなく味が重なった。
同時にまた記憶が鮮明に蘇ったが必死にかみ砕き味に集中する。何故よりによってこの料理二つを俺に食べさせたのかだけが頭の隅に
「今日はちゃんと貴方にも食べて欲しくて作った料理なのだから。上塗りできなくても今日の料理で上書きしてちょうだい。私はもう怒っていないから」
……私〝は〟ということはティアラやヴァル殿達は怒っているのかと。
少しだけ過ったが、今はそれよりも頷き返した。