<< 前へ次へ >>  更新
185/1022

156.暴虐王女は放心する。


「…おい、なんでこの俺が荷運びなんざしなきゃならねぇ?」


馬車の前。

ぐったりとしたヴァルの声が騎士達と、そしてステイルへと向けられた。

「アランとエリックがアーサーと取り込み中なのだから仕方がないだろう。上流商人のカラムや俺が荷運びをするわけにもいかない。」

良いから手を動かせと命じるステイルにヴァルが溜息を吐き散らす。借りた部屋から馬車まで荷を抱えて往復するヴァルの背後をセフェクとケメトが付いて歩いている。「僕も持ちますよ!」「良いから貸しなさいって‼︎」と声を掛けられながらも一向に荷を彼らに譲る気配はない。


「ッで、ですから!その、プラ…じゃ、ジャンヌ様は頬に…」

「本ッ当かアーサー⁈お前がショックのあまり記憶改竄してるとか!」

「それならなんで馬車降りた時にあんなに全員が顔真っ赤だったんだ⁈」


アーサーは顔を真っ赤にしたままアランとエリックに詰め寄られていた。

二人は馬車の運転席からプライドとレオンを見ていた為、馬車の中での決定的な瞬間は見逃していた。馬車の中から聞こえてくる騒ぎから様々な憶測や想像をしてはアランだけでなく、しっかり者のエリックまで何度も運転を見誤りかけた。

一緒に馬車に乗っていたカラムとステイルも、それぞれプライドの真後ろとレオンが口付けした頬の同則にいたせいで正確な口付けした箇所は確認できていない。

「〜〜っだから…!それなら直接御本人に聞いて下さいって‼︎」

俺も荷運びしなきゃならないんで‼︎と逃げようとするアーサーをエリックとアランが片手ずつ捕まえる。「聞けるわけないだろ‼︎」と叫ばれて最もだとは思いながら、必死に逃げようと抵抗する。

馬車が動いてからプライドは暫く顔を真っ赤にしたまま放心状態だった。ゲームでのお色気担当であるレオンの色香に当てられたのもあるが、口元すぐ傍に口付けされたことと〝初恋だった人〟発言が大きかった。未だに頭の整理もつかずに馬車の傍に用意された椅子に腰掛けながら、侍女二人に煽がれている。「ありがとう」「大丈夫よ」など返答ができるようになっただけ直後よりもマシになったとはいえる。馬車から降りた時点では、歩けはしたが完全に放心状態のままだったのだから。


到着してすぐに馬車の運転席から飛び降りたアランとエリックが扉を開いた時には見事に中は死屍累々だった。

「本当っに…心臓に、…悪い…‼︎」と自分の胸を鷲掴み押さえながら顔を火照らせて俯く第一王子のステイル。

「やべぇ…息がっ…すげぇまだバクバクいってン…」と息を詰まらせたようにして護衛の体勢のまま顔を真っ赤にして息を荒くする近衛騎士のアーサー。

「頭が…熱がっ…‼︎」と火照りきった頭を抱えながらも、放心状態のプライドが倒れないように席に寄りかからせて支える三番隊エリート騎士隊長のカラム。

三人とプライドの火照った熱気で馬車の中は灼熱状態だった。

取り急ぎプライドとステイルに手を貸して馬車を下ろし、休ませたアランとエリックは部屋で待っている筈の侍女を呼んで二人を任せた。

ステイルは侍女から冷えた水を受け取ってからは何とか落ち着きを取り戻したが、プライドはまだ赤面すら治らない。

プライドとステイルの後に、馬車の中から引き摺り下ろしたカラムとアーサーにも二人は話を聞いたが、カラムには「私は!な…何も!見ていない‼︎」と顔を真っ赤にしたまま部屋の荷物を確認すると言い残して、宿屋の方に逃げてしまった。

カラムがそういう話題が苦手なことも、更にはそれがプライド関連の話では答えるどころか質問されることすら無理なのだろうとアランもエリックもわかっていた。そして残された…というよりも逃げ遅れたアーサーが標的にされた。

カラムと同じように奥手な上にそういう話題が苦手なのはわかっていたが、駄目元に話を振ってみたら開口一番に「口じゃなかったです‼︎」と叫ばれたので、そのまま二人に質問責めにされる羽目となった。


「ッだったらアランさんとエリックさんはあんなの直視して平気なんすか⁈」


二人の先輩に恥ずかしい内容を質問責めにされて死にそうなアーサーがとうとう怒鳴る。

アーサーの問いに二人とも言葉を飲み込み、質問が途切れた。馬車の運転をしながら、プライドとレオンの間に何が起こったかばかりで頭がいっぱいになった二人は、自分達がそれを直視していたらどうなっていたかも容易に想像がつく。


「アーサー。」


いい加減見兼ねてか、放心状態のプライドに寄り添っていたステイルがアーサーを名指しして手招きする。アーサーも二人に区切りよく挨拶すると今度こそステイルの方へと駆け出した。

「…助かった。」

小さく聞こえないように呟き、そのままステイルの横に立つ。アーサーからの礼に息をついて答えると、そのままステイルは放心中のプライドの目に入らない場所へ数メートル移動した。問い詰める相手がいなくなったエリックとアランが取り敢えず馬車の調整と準備を始めた。もともと荷物も少ないし、おそらく次にヴァルが抱えてくる荷物で最後だろう。

「…本当…なんだろうな?」

「?何がだ。」

小声で尋ねられて振り返れば、ステイルにしては珍しく顔ごと目を逸らされてアーサーは首をひねる。さっきまで誰よりも落ち着き払っていたのに、だんだんと顔が紅潮していくのがわかり、アーサーは次の言葉を聞く前に察した。


「あ…姉君に、レオン王子が…口付け…を…。」


折角少し自分も熱が引いてきたのに、またつられてしまう。この場じゃなかったら、思い切り頭に拳を押し付けてやっていたところだ。

アーサーが思わず自分まで赤くなるのを隠すように「ねぇよ‼︎」と怒鳴り、その後にアランとエリックに気付かれてないか急いで目で確認する。カラムには馬車の中でうっかり気付かれたが、王族であるステイルに自分が敬語無しで話しているのを見られるのはなるべく避けたい。

「ッ…ちゃんと、頬だった。すっげぇギリギリだったけどな。」

馬車の中でも何度も言ったろォが。と小声で返しながら、火照る顔を隠すように口元を片手で覆った。

「…まさか、最後の最後にこんな展開になるとは…。」

アーサーと触発されるように両手の指先だけでステイルが口元を覆う。


「………………姉君がさっきのでレオン王子へ恋に落ちてしまったらどうすれば。」


ぼそり。と呟いたステイルの言葉にアーサーの表情が変わる。確かにプライドのあの火照りきった顔色と茫然とした表情をみるとそう思えても仕方がない。

アーサーもステイルと未だに向こうで座り込むプライドを交互に見比べて「いや、まさか、そんっ…」と若干焦った様子で言葉を発する。


「結局レオン王子は自国と民を愛する良き王子だった。だが、我が国の女王となる姉君とアネモネ王国の王となるレオン王子が結ばれることは不可能だ。婚約解消もきっと姉君は予知した時から決めていたのだろう。だが、何を思ってかレオン王子は別れ際に姉君に〝初恋だった人〟と語った。あくまで〝初恋だった〟と語るのならば、レオン王子の中ではある程度整理がついているのだろうが…だが、姉君はどうなる?あんな完璧清廉潔白王子に口付けをされて免疫のない姉君が少なからずレオン王子に好意を…」

「やめろ‼︎なんか俺までぐわっとすっから!それ以上言うな頼むから‼︎」


殆ど息継ぎ無しで不安を吐露し始めるステイルの言葉をアーサーが必死に途中で打ち消す。

「………姉君も女性だ。地位や叶うかどうかなど関係なく、男性にそういう感情を抱くことだって、きっとある。」

静かに溢れるように呟くステイルの言葉に、アーサーの肩が震えた。そう、プライド自身だけではなく、プライドのその心を奪われる可能性だってゼロではない。

アーサーが改めて口を引き結ぶと、ステイルが更に言葉を重ねる。

「姉君がもし、この後に心の整理がついてからレオン王子との婚約解消に胸を痛めたらと…今はそれを姉君の補佐として、弟として俺は危惧すべきだ。……というのに。」

ハァ…、と突然大きな溜息がステイルの口から吐かれる。

急に緊張が途切れた感覚にアーサーが驚くと、突然ステイルが両手で顔を覆って座り込んだ。眼鏡が手に退かされて額の上まで上がる。

アーサーが突然のことに驚き「お…おい⁈」と小声で呼びかけるが、ステイルはそのまま俯いて動かない。代わりに久々に聞く、ステイルの弱々しい声色での言葉が漏れ出してきた。



「…姉君が…婚約解消して…、……………どうしようもなく安堵してしまっている自分がいる。」



子どものように小さく唸りながら呟くステイルの言葉にアーサーは耳を疑う。

見れば、両手で隠しきれていない耳が塗ったように真っ赤だった。人前では当然、自分の前でも昔から大人びて振る舞うステイルが子どものように踞りながら「どれだけ腹黒いんだ俺はっ…」と零す姿に、思わず笑ってしまう。


「お前もかよ…。」


ぶはっ、と笑いながらその場に自分も座り込み、未だ俯くステイルの肩に腕を回す。そのまま元気付けるように揺すりながら「情けねぇな」と笑いかけた。


プライドがどんな選択をしても、それを信じ、支持し、最後まで共に在り続ける覚悟も決意もステイルとアーサーはとっくにできていた。

例えレオンと婚姻し、本当の意味で二人が愛し合ったとしても。二人の幸福を願い、支える覚悟と決意を。

この後プライドがレオンへ恋焦がれて婚約解消に胸を痛める可能性だって少なくない。

それでも、今は。


プライドが、また誰のものでもなくなった事実が、ただただひたすらに嬉しかった。


お互いにその感情の名も、輪郭も掴めないまま、理由すらもわからずに浮き立つ胸の鼓動に耳を澄ませた。


「…次の婚約者が出たらどんなヤツが良い?」

「清廉潔白、前科も裏切りも女遊びもなく、姉君を心から愛し、姉君やレオン王子のように自国を想い、俺とジルベールよりも頭が回り、お前よりも強い男なら考えてやらなくもない。」


理想高ぇな、と笑い飛ばしながらアーサーがステイルの肩を叩く。そのまま頭を鷲掴むように撫で、「俺もだ」と答えた。


「…アーサー。…お前やっぱステ…フィリップ様と仲良いんだな。」

ステイル(フィリップ)様、御体調は平気ですか?」

ッどわ⁈と、アーサーが背後からの突然の気配に慄く。

うっかり場所も忘れて普段通りにステイルと話してしまった。いつの間にか騎士の先輩二人が気配を消して馬車から自分達の背後まで来ていた。

「エリックさん、またっ…‼︎」と声を上げ、そのまま、いやこれは、と言い訳しようとするアーサーをエリックが「大丈夫大丈夫」と手を振りながら宥める。「五年前からアーサーがステイル(フィリップ)様と親交あるのは騎士団の中で割と有名だから。」とあっさり暴露され、「え⁈」と声をあげた。だが、それも構わずアランが追撃する。

ステイル(フィリップ)様に敬語無しで話すのを見たのは初めてだけどな。」

「アーサーは新兵相手でも未だに自分より先に騎士団入隊した相手には敬語だから新鮮ですよね。」

エリックの言葉にアランが「あーわかる」と頷いた。

「え…じゃあカラム隊長は…?」

「知ってる知ってる。カラムもアーサーと部屋離れてるし、流石に話し方までは知らねぇだろうけど。」

ついさっきバレました。とは流石に言えない。なんだか気恥ずかしくなり、顔がまた熱くなるのを必死に堪えようとする。

騎士団でも敬語で話す相手が多い中、先輩達の前で素の話し方を見られるのはかなり恥ずかしい。

そのまま「五年前のアーサーなんてもっと話し方乱暴だったけどな」とアランに言われ、今度こそアーサーは再び顔が赤くなった。


「……お二人は、いつからそこに?」


アーサーとアラン、エリックの問答中になんとか顔の火照りを冷ましたステイルが何事もなかったかのように顔を上げた。そのまま額まで上がっていた眼鏡を指先で目元に掛け直す。

「つい、先程。聞こえ出したのも次の婚約者が…からでしょうか。」

申し訳ありません、とエリックが頭を下げながら、正直に聞き取った一文を答えた。それを確認し、ステイルは静かに息をつく。そこからならば聞かれても大して困らない。


「一応、いま見聞きした内容は秘匿でお願いします。…まぁ、僕は大して困りませんが。」


もともと近衛騎士にアーサーをしようとした時に、お互い剣を交えて親交があったことを公表しようと思っていたステイルには今更どちらでも良いことだった。

それよりも、親友であるアーサーの前ではつい本音や弱音を吐いてしまうことを知られる方がステイルにとっては大問題だ。

第一王子であるステイルの言葉にアランとエリックが返事をする。色々ショックを受け気味のアーサーの肩を今度は逆にステイルの方から二、三度叩いた。


「行くぞアーサー。姉君が待っている。」


おう、と未だに赤みが抜けないアーサーが立ち上がる。

アランに頭をわしゃわしゃと撫でられ、エリックに背中を叩かれながら。


<< 前へ次へ >>目次  更新