そして開催する。
「ステラも入学かぁ。ジルベール宰相、寮は絶対行かせたくないっつってたよな」
「ああ言っていた。「私と妻とお腹の子が寂しくて死にます」と年甲斐もなく。まぁ、可愛い盛りだから離れたくないのもわかってやらないでもないが」
そう言いながらステイルが息を吐けば、ちょうど視線に気が付いたステラが自分達に向けて手を振っていた。
屋敷へ訪れた際に挨拶も会話もしたが、それでもステイルがこっちを見てくれていたことが嬉しくなり手を振るステラは誰が見ても可愛い笑顔だった。続くようにティアラも手を振り、そしてセフェクとケメトもぺこりと頭を下げてきた。
ステイル自身もまた、ステラに思い入れはある。産まれてからずっと成長を見守ってきた身としては、もう一人の妹のような感覚だ。そのステラに寮住まいは避けたいジルベールの気持ちはよくわかってしまう。
そのまま眼鏡の黒縁を押さえると「それに幼等部の寮は大分人が埋まっている」とついでのように言い足した。下級層の子どもも住む無償の幼等部寮は、幼初等部の特別教室とは比べものにならない人口を誇っている。
ステラとは別方向からも視線を感じ、目を向ければアーサーがニヤニヤと自分へ笑みを向けていた。
手だけはステイルと同じくステラ達へと振り返していたが、今は相変わらずステラが可愛くなった相棒の方が見ていて楽しい。ジルベールには手厳しいステイルが、その娘には寧ろ甘い。
アーサーのニヤ笑いにムッと睨み返したステイルだが、そこで間を読んだかのように中身の入ったグラスが差し出された。フィリップだ。
「早速乾杯の御用意ということです殿下。聖騎士様もどうぞ」
「あっいや自分の名はアーサーで……酒、ありがとうございます」
「フィリップ。何故俺にはジュースなんだ」
屋敷の侍女に手を貸したまま、主役の登場に合わせたグラスの配布も引き受けたフィリップは、片手のトレイにいくつものグラスを並べ運んでいた。
手伝いますと話し掛けた時は、髪の色や伊達眼鏡姿から一瞬初対面かと侍女全員に思われたフィリップだが「特殊能力で染めました」と初めて屋敷に案内された際に世話になった感謝を髪をつまみながら伝えれば、やっと笑いながら仕事を任せてもらえる程度に打ち解けられた。
聖騎士のアーサーには酒の入ったグラスを渡したフィリップが、自分には何故かジュースのグラスを渡したことにステイルが眉を寄せる。これでは自分だけステラやセフェクとケメトの仲間入りだ。
ジュースの入ったグラスを口に付ける前に突き返せば、フィリップから「いえでも」と首を横に振られ断られる。
「殿下、今朝から頭が痛いようでしたので。てっきり二日酔いか体調不良かと」
「違う。酒は飲めるから交換してくれ」
「すんません、多分それジルベール宰相のお屋敷借りンのに色々考えてただけっす」
正確には屋敷を借りるという形でまたジルベールに頼ることと、今日はプライドとティアラに朝食後はパーティーまで会いに来ないでと事前に断られていたこと。そして自分とティアラはこうしてパーティーに参加してる間もジルベールだけが今も公務に追われ、家主にも関わらずパーティーに参加できなかったことを気にしてるのだろうと。
そう理解しつつ、あえてざっくりとだけ言葉にするアーサーにフィリップも「なるほど」と声を低めた。
昔馴染みではあるフィリップだが、未だ十年以上ぶりのステイルの言動は掴めない場合も多い。ステイルの専属侍女にも参考までに話を聞いたが、あくまで専属侍女としてステイルの命令や希望を全て正確に守っただけだった。
理解、となると自分達よりもプライドやティアラの方が詳しく、表情の変化も姉妹は理解していると聞かされてもまさか王女二人に自分が聞けるわけもない。お陰でステイルの親友で相棒というアーサーの助言は貴重な手掛かりと資料だった。
その為、今もフィリップはステイルの言動については学習中の身である。
いつの間にか体調不良と心配させてしまっていたことに眉間に力がこもるステイルに、フィリップも速やかにグラスを取り替えた。
「失礼致しました」と謝罪をされたが、ステイルとしては自分の反省点の方を考える。折角フィリップが自分の不調に早くも気付くようになってくれたが、その上飲み物の心配までさせてしまった。昔は表情がわかりにくいと言われていた無表情の自分が、今はむしろうっかり心配されるほどジルベールのことが顔に出ていたことも若干恥ずかしい。
「俺こそすまない。気にしないでくれ……ケメト達にも飲み物を頼む」
畏まりましたと。
ステイルが眼鏡を押さえながらケメト達のいる方向を示せば、フィリップも足速に向かっていった。
今までの主人相手ならそう言われてもやはり主人のご機嫌を損ねた方が気にかかったフィリップだが、相手がステイルだと思えば取り敢えず自分に謝る分は怒ってもいないのだと理解する。あくまで専属従者としての皮を被った今は、不用意に第一王子へ「本当に大丈夫か⁈」「いや気になるだろ」と絡めない。
どうぞとティアラをはじめに差し出せば、ステラは少しだけ身を屈めながらケメトの背後に隠れてしまった。
屋敷へ訪れた時にステイルから紹介はされたが、未だ存在に慣れてない。フィリップ以外にも、初めて会う〝金色のおうてい〟や〝お姉さんのようなおうじさま〟まで紹介されたステラは、知らない相手にはどう反応すれば良いかもわからない。
セフェクとケメトからも誰かと尋ねられたが、そこはすんなりとフィリップから自己紹介できた。
自分にまだ慣れないステラにも、子ども相手は自分の方が対応も慣れている為フィリップ自身は大して気にしない。初めて会った相手にすぐ懐く子どもも、そうじゃない子どももいることをよく知っている。今自分が元の姿でいたら、間違いなくステラにも積極的に話しかけ構いまくってだろうなと自覚がある。
今は仕事中だからこそ、ある程度気持ちの整理もできている。
ごゆっくりと、全員にグラスを配り終えたフィリップは優雅に礼をしてから一度侍女達の元へ戻、ろうとしたその時。
「おい、そこのオレンジ頭」
ピタッ、と。突然呼びかけられたままにフィリップの足が急停止する。呼ばれ方こそ聞き慣れずとも、自分へ指図するべく呼びつける声にはすぐ足を止めることが根付いている。
姿勢を正し、声を掛けられた方向へ身体ごと向き直ればセフェク達と共に屋敷へ訪れた褐色の男だ。
ステイルから〝配達人〟と説明は受けていたが、思ったよりも怖い顔の奴が来たなと心の隅で思っていた。その男に凶悪な顔付きと鋭い眼光で睨まれ、何かやらかしたかだろうかと反射的に考える。
まさか二人にジュースは駄目だったか、それとも酒を渡したと勘違いされたか、それともセフェクの方に馴れ馴れしく異性である自分が話しかけるのが気に食わなかったかと、いくらでも理不尽な理由は思いつく。
「いかがなさいましたでしょうか」
表情には出さず、あくまでにこやかに言葉を返し歩み寄る。音にならないように呼吸を深く意識しつつ、既に侍女からグラスを受け取ったプライドとその隣にいるヴァルへそそくさと歩み寄った。
本来ならばバトラー家の使用人ではない自分が応答する必要はないが、屋敷で手伝いに回った時点でフィリップもすっかり抜け落ちていた。
歩み寄って来たオレンジ色の従者に、ヴァルは睨んだまますぐには言葉を返さない。
プライドから「フィリップがどうかした?」と尋ねれば、一瞬だけ眉がぴくりと動いた。せっかく極秘視察から解放されたのに、ステイルの仮名であるフィリップという名前にそれだけで彼への印象が悪くなる。
しかし今は別に会話する為に呼んだわけではない。フィリップが手の届く距離まで来たところで、ヴァルは荷袋とは別の背負っていた物体を突き出した。
「これも適当に切って並べろ」
「はい。……???」
ずしりと重みのあるその物体を両手で受け取るフィリップは、ふらつきはしなかったが僅かに目が丸くなった。
呼びつけられたのがお怒りではなく単に荷物を預かるだけだったことに安堵する。「失礼致します」と断りつつ包まれていたそれを軽く確認した。
香りから判断して何かの燻製だろうかと考え、包みを少し捲れば大ぶりの肉だった。
料理人でもないフィリップには、一目でそれが何の肉かは判断できない。少なくとも今まで働いた屋敷によっては、料理関係に携わったことはある。家では常に料理担当を担っていたフィリップだが、それでもわからない。
一応安全の為にも何の肉か聞いておくべきと判断し尋ねれば、意外とすんなりと答えは返って来た。ヴァルのその答えを聞き、今度はプライドも大きく瞬きでフィリップの抱える肉とヴァルを見比べてしまう。
ジルベールの屋敷へ訪れる前にヴァルが王都の専門店で購入したその食材は、プライドが知る限りなかなかの高級食材である。
貴族ですら普段食ではなく、パーティーや祝いの席でしか出さない、肉としても部位としても希少部位だ。
祝いの席……、とそこでプライドもちらりと食事が並べられているテーブルの一角へ集まるセフェクとケメトを見てしまう。
今までこういうお祝いの先やパーティーには大なり小なり招かれたことがあるヴァルだが、一度もこういう手土産を持ってきたことがない。その彼が持ってきたことはと考えれば答えは簡単だった。
ただちに!とフィリップが丁寧に礼をして厨房へと向かうのを見送ってから、プライドは覗き込むようにヴァルを見上げた。敢えて自分から今だけは顔ごと逸らしている気がする彼に。
「…………聞かない方が良いですか?」
「聞くな」
直後には大きな舌打ちがヴァルにより零された。
どうせ王族であるプライド達には普段食の一つとして気にされないだろうと高を括っていたが、一発で見破られたことに腐っても王族かと静かに思う。
普段行く市場の肉屋はもう既にどれもケメトもセフェクも一度食べたことがある肉だった為、仕方なく王都で奮発するしかなかったと。そう言い訳するのもまた不快だった。
ヴァルの答えに、なるほどと自分の中で疑問が確信に変わりながらプライドは口の中を飲み込む。ここでその話題を言及するのはきっと性格が悪いと理解し、やんわりと話題も逸らす。
「……まぁ、今日は持ち寄り会みたいなところもありますから。セドリックもレオンも持ち寄ってくれました。私も後でお肉頂きますね」
「むしろテメェはそっちで腹膨らませとけ。せいぜい騎士のガキと王子のいるテーブルのまで食わねぇようにしろ」
「私とティアラが作った料理なのですが??」
だからだ。
そう、ヴァルは呆れたように溜息混じりに言葉を返したが、プライドはつい少しだけムキになる。
確かにこんなにたくさん料理があるのだから欲張りをするなと言うのはわかるが、しかし食べるなと言われるとつい引っ掛かる。
しかしプライドの言葉に、ヴァルはやっぱりかと改めて料理の並べられているテーブルの一角を遠目に眺める。
いつもならプライドの傍にへばりついているステイルとアーサーまでもが一角から離れないのが怪し過ぎる。近衛騎士こそいつでも飛び込める距離に控えているが、そんなの関係なくプライドから離れないのが彼らなのだから。
思った通り彼ら二人が控えているそこがプライドの料理が並べられている一角かと判断しつつ、待てをされた犬かと言いたくなる。騎士に王子が二人して料理相手に前のめりだ。
これで乾杯が始まれば、次の瞬間には間違いなくあの一角に人が殺到する。
もうそれは昔からの経験でヴァルも目に浮かぶように理解している。セフェクとケメト、そしてステラには全員遠慮するのだろうが、せめて少しでも分け前を減らされない為にもプライドだけでも他のものを食ってろという思いが強い。
「プライド。グラスも行き渡ったし、そろそろどうかな?」
不意に呼びかけられ、慣れた声にヴァルとプライドが同時に視線を向ければレオンだ。
柔らかに手を振りながら誘うレオンに、プライドもまた一言返す。今回の主催者という形になったのは当然ヴァルではない。あくまでプライド達から聞かされ命じられた通りに二人を連れて来ただけだ。
滑らかな笑みと共に、全員の注目を受けやすい位置へと移動するレオンにプライドも「じゃあまたあとでね」とヴァルの腕に手を置き、それから去った。
レオンの隣に歩み寄り、そこで改めて今回のパーティーの名目を伝える。
セフェクとケメトの祝いと、そして今回の極秘視察に協力して下さった皆様に感謝を込めて。
そう告げた彼女達は、グラスを掲げてから花のような笑みを今日の主役へと向けた。
「セフェク、ケメト。今日はたくさん楽しんで!」
乾杯。その号令と共に、誰もが食事のテーブルへと集い始めた。