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1842/1843

〈六周年記念・特殊話〉第二王子は姫と、もし。

六年間連載存続達成記念。本編と一応関係はありません。


IFストーリー。

〝もし、セドリックがもっと早くティアラと出会っていたら〟


「フリージア?」


そう、九歳のセドリックが首を傾けたのは自城のあるサーシスではない、チャイネンシス王国の城に訪れた時だった。

いつものように自分と兄を迎えてくれたヨアンの客間で寛いでいたセドリックは「兄さん」と慕うその人物の話に耳を傾けていた。


つい今朝、ヨアンが父親であるチャイネンシス王国の国王から告げられた話題だった。

書状が準備でき次第サーシス王国にも共有されるという重要事項を、ちょうど今日訪れる予定だったランスとセドリックに告げる許可をヨアンは与えられた。……正確には、報告するようにと命じられた。円滑に、そしてサーシスの王子達からでも一足早く懐柔できるようにと。

ヨアンとしても、自分とランス達の友人関係をこんなところで利用されることに少なからず不満は覚えた。しかし、話題としても共有する許可を与えられたならば話さない理由がない。


ハナズオ連合王国。その片翼となるチャイネンシス王国の国王が、長くの間閉ざしてきた自国に大国の来賓を招くことを決定したと。


「フリージア王国といえばかなりの大国だろう。特殊能力者という存在が生まれる不思議な国だと本では読んだが……」

「僕も驚いたよ。まさかあの父上が、自分から異国の来賓を受け入れることなんてないと思っていたから」

それこそ一生、死んでもと。ヨアンはその言葉を意識的に飲み込んだ。

フリージア王国からも他国周辺国からと同様に交流を望む書状は届くが、心が揺れたことすら父親は一度もない。それを突然、よりにもよってフリージア王国からの交流を受け入れると言い出したのだから。


あくまで国を開くのではなく、入国を許すだけ。今後交易を行うかどうかはまた別の話。それでも、チャイネンシスの国王がサーシス王国以外の王族と関わること自体今まで一度もなかった。

それをサーシス王国にも共有こそするものの、サーシス王国の意見を聞くつもりもない決定事項だ。お陰でチャイネンシス王国の城内は今朝から慌ただしく、そして異国の人間を招くという非常事態で僅かに不穏の空気も渦巻いていた。

一体何故、とランスが僅かに声を低めて尋ねれば、ヨアンは細い眉を少しだけ狭めた。向かいに座るランスとセドリックに聞こえるように前のめりになり、そして声を潜める。


「父上の話だと、天啓が下ったと」

言ってしまえば小さな偶然の重なり。

基本的にチャイネンシス王国の国王は、異国からの手紙は殆どを読まずに処分している。永久に国を閉じ続けるつもりのチャイネンシス王国にとって、他国との関わりなど必要ない。

しかし、届いた書状の安全確認の為に封を開け、中身を確認する役職の従者はいる。中にはただの交流目的ではなく、脅迫や宣戦布告の可能性もあるのだから誰も確認せずに処分するわけにはいかない。その中で、従者がフリージア王国からの書状内容を国王に報告する事態なったのが始まりだった。


書状は、フリージア王国の現女王であるローザ・ロイヤル・アイビーからの特殊能力による〝予知〟の書状だった。

チャイネンシス王国の辺境で起きる崖崩れと吊り橋の崩落。その為、夏になるまでに住民の移住を薦めると、チャイネンシス王国に訪れたこともない筈の女王の予知に国王は衝撃を受けた。

辺境には確かに書状に指定された通りの村も羊も、崖も吊り橋もある。しかし百年近く国を閉ざしていた国の辺境を何故知ったのか。本でしか知らない特殊能力と予知は本物であると理解した。

更には昨夜、フリージア王国が異国の脅威からハナズオ連合王国を守り救う夢まで見た国王は、全てが神の導きであると確信に至った。フリージア王国の手を取り、来るべき時に備えよと。


「ほう、お前達の神はそのような導きまで与えてくれるのか」

「いや……。そういう記録もあるにはあるけれど、本当に大昔の伝説だよ」

だが、父親はそれが自分にも降り注いだと思った。

純粋に尋ねるランスの感嘆まじりの言葉に、ヨアンは思わず頭を押さえた。フリージア王国が予知で助言をくれたことまでは事実だが、その後に見た夢は父親の思い込みの可能性もある。

ヨアン自身、神のことは心の底から信仰している。フリージアの予知にも驚かされた。しかし父親が神から天啓を得たという話はまだあまり信じられない。

せめてフリージアの書状を得る前にその夢を見たというのならば信じようもあったが、前後が逆である。

自分もまたランスと友人となってからは彼と共に国を開く明るい未来を夢に見たことも、自分が気兼ねなくサーシス王国へ訪問する夢を見たこともある。


もし神が、チャイネンシス王国に国を開けと、フリージアと手を取り合う機会を与えてくれているならばそれは心の底から喜ばしい。だが神のことを信じられても、ヨアンにとって父親への信頼は薄かった。

セドリックからも「兄さんは以前神は「時に救いの手を差し伸べる」と言っていたな」と言われれば、確かにそうではあるのだけれどと頭痛まで覚える。これをきっかけに、セドリックの神子の記憶に自分達チャイネンシス王国の神の存在が捻れ変わったらと思うと気が気ではなくなる。神はあくまで神であり、フリージアの予知とも異なれば、自国の警鐘装置でもない。

うーん……と細く唸るようになるヨアンの肩に、ランスは手を伸ばす。「まぁ良かったではないか」と快活に笑い、軽く叩いた。


「ハナズオ連合王国が他国を受け入れることが幸いであることは間違いない。この広き世界を知るきっかけにもなる!それで、いつフリージアを招く?」

「それなんだけど……。…………セドリックが、来月誕生祭だろう?」

ビクッ!!とセドリックの肩が跳ねる。突然自分の話題が上げられたことで、身体まで強ばった。

ランスの明るさに少し気持ちを取り戻したヨアンだったが、しかしまた言いにくい話題は残っていた。

セドリックの誕生日。チャイネンシス王国の第一王子である自分の誕生日には急すぎるが、セドリックの誕生日は来月だ。しかもちょうど十歳を迎える、サーシス王国としても喜ばしい年でもある。


フリージアの来賓を招くことは決めたチャイネンシス王国だが、そのきっかけとして国の式典や祭りに招くのは良い口実でもある。そしてハナズオ連合王国の片翼とされているサーシス王国の第二王子の誕生祭、その会場をフリージア王国との会合の場にするというのが国王の提案だった。


あくまでフリージア王国が交流を求めているのはチャイネンシス王国ではなく、サーシス王国もである。つまりはハナズオ連合王国。チャイネンシス王国はあくまで予知の恩恵を受けただけだ。

サーシス王国としても、今後チャイネンシスと共に関わることになるかもしれない大国と顔を合わせるのは悪い話ではない。毎年チャイネンシス王国が招かれるサーシス王国の王族の誕生祭に、フリージア王国を招かされて欲しいと。その旨も、これからサーシス王国に送られる書状には記載が決まっていた。


そしてそれが単にサーシス王国にもフリージアを共有させる為でも、ハナズオ連合王国としての片翼の意識によるものでもなく、…………異国の民を神聖なる自国の地になるべく入国させたくない為の体の良い押しつけだとヨアンは一人理解する。

たとえサーシスが反対してもフリージアとの交流を図る気だと強気に言いながら、異国の民に地を踏ませることに未だ拒絶を示す。それがヨアンの知る自国の上層部だ。


「なんでもフリージアにはちょうどセドリックと年の近い王子や王女もいるらしい。彼らも招いて、若い次世代の王族同士交流を持つのも国の為になると……」

「しかし、セドリックはまだ社交界どころか教養もマナーも全くだぞ?」

「!おっ、俺様は嫌だぞ!!社交界になど出るつもりなどないというのにっ……!!」

思わず身を乗り出しソファーから立ち上がる。セドリックは拳を握りながら激しく首を横に振った。明らかな拒絶と反論も、ヨアンとランスにはもう慣れたものだ。そして悩みの種でもある。


来月で十歳を迎えるセドリックは未だに社交界どころか友人の一人も作ろうとしない。実の兄と、兄と呼ぶヨアンにしか心を開かない。

彼の環境を知れば仕方ない部分もあると理解しているランス達だが、同時に悩みの一つでもあった。今後一生兄だけと関わって生きていけるわけではない。王子として、王族として他者と関わるべき時も必ず存在する。しかし二年前から教師や勉学から逃げ続け、マナーや教養すらも満足にないセドリックは未だ国内の社交界にすら出ていない。

本来ならばハナズオもフリージアも、齢十前後など国外の社交に出すことはしない。その上で更にそういった勉学を避けているセドリックを出せば、交流どころか最悪の場合、関係を壊しかねない。

セドリックに同年代の友人を作って欲しいとは思うランスだが、正直ハナズオの未来を考えるとフリージアの来賓との接触は避けた方が良いと思えて仕方ない。そしてヨアンも同じだった。

セドリックを社交界に出すこと自体は一つの手段だとは思う。しかしそれはもっと内輪の、自分やランスが見届けられるような場で行うパーティーで様子を見るべきだ。

それをいきなり異国の来賓に、しかもセドリック本人が主役の式典で行うなど良い想像が全くできない。



しかしセドリックや自分達の意思など省みないのが、現ハナズオの国王達だ。



「…………今から、社交界の場に間に合うか……?一度くらいは様子も見ねば……」

「君達のところのファーガス摂政に頼んでみるのはどうだい……?お茶会くらいならこれからでもきっと……」

嫌だぞ!俺様は行かん!!と、そう青くなっていくままに断固拒否を叫ぶセドリックを前に、王子二人は揃って苦々しく顔を曇らせた。

彼らにできることは、セドリックの〝神子〟を異国の来賓にまで知られないように手を回すこと。そして、セドリックを傍で守ることくらいだった。



フリージア王国とハナズオ連合王国。

奴隷制度を拒む大国と閉ざされた国との交流に、幼い王子と王女が巻き込まれる。





……





「ッッセドリック!!いつまで木の上にへばりついているつもりだ!!!!」


そう、兄であるランスに怒鳴られるのも今日だけで二十回目に今達したとセドリックは静かに理解する。

ハナズオ連合王国サーシス王国による式典。齢十になる第二王子の誕生祭で朝から賑わっていた城下が、今はもう夜を迎えている。

既に十歳を祝う式典も始まり、国王から来賓への開宴の祝杯も行われた。来賓であるフリージア王国の王族とも問題なく交流を国王達が深めている中、……主役であるセドリックは一度も式典の場に姿を現さなかった。


表向きは〝体調を崩している〟とされた主役無しの式典は、前代未聞の王子による逃亡が原因だった。

朝から準備に追われている間こそ大人しかったセドリックだが、式典用の衣装に着替えたところで侍女の隙をつき飛び出した。兄であるランスも同じく準備や支度で忙しかった為、事前に捕まえることは不可能だった。

上等かつ重く動きにくい衣装に身を包みながら、見事木の上にまで登り切ったセドリックはそれから三時間、木の上に籠城したままだ。

式典に王子二人分の穴を開けるわけがないランスも、式典の時間になってからは主役不在の謝罪とセドリックの代理としての感謝の挨拶でなかなか弟を降ろしにかかれない。

今も、忙しい合間を縫ってもう一度セドリックを説得にきたばかりだった。来賓として招かれたヨアンも、今は国王である父親の目があり自由には動けない。

式典が終わるまで木の上から降りるつもりのないセドリックは、今も枝の上で足を垂らしながら木に掴まりランスの方も向こうとしない。


「あの大国フリージアがわざわざお前の為に、年の近い王女と王子を連れてきたのだぞ!!それを主役であるお前が挨拶をせずどうする?!」

「俺様は頼んでいない!兄貴と兄さんで交流を深めれば良いだろう!!」

「第一王女第二王女も!第一王子もお前と会うのを楽しみにしていたと言っていたぞ!!お前も仲良くなれるような方々ばかりだった!」

「知らん!!特殊能力の国などそんなわけのわからぬ国の王族になど俺様は会いたくない!!」

本来、未成人しかも幼い子どもを国外の式典に連れることはフリージア王国にもない。それを、あのハナズオ王国からの強い要望だからという理由で特別に女王が許可を下ろした。

フリージア王国としてもハナズオ連合王国との懇意は望むところだった為、最大限の配慮と歩み寄りだった。


直接フリージア王国の幼い王女達と挨拶したランスも、彼女達のひととなりを見たからこそもう一度セドリックを連れ戻しに来た。

ファーガスが急遽開いたお茶会でも、年の近い令嬢令息へ充分に振る舞いができていたセドリックならば交流もできる筈だと判断した。実際、その茶会からはセドリックも社交界へは前向きになった様子だったからこそランスも油断していた。今回の式典もセドリックは前向きになっているいだろうと。

実際、今まで式典には一度も欠席をしたことのないセドリックだ。

しかし国内の社交界と、異国の民であるフリージア王国との接触はセドリックにとって全く違った。何故なら、今回の式典にフリージア王国の王族を招くと決まったと、両親である国王と王妃に直接告げられた時



『所詮、特殊能力などと言おうとも我が国の〝神子〟には敵わん』



そう、呟きまじりに零された言葉もセドリックは決して忘れない。

更にはフリージアを招くことになってから、城も城下もハナズオ連合王国全土が色めき立っていた。そして貴族の中にはフリージア王国に〝神子〟を自慢しようと、知らしめようとしている動きがいくつもあることもセドリックは知っている。遠目に口の動きで何度も読んだ。

交流と言いながら、特殊能力の国相手に自国には神子がいるのだと自慢し鼻を明かそうとしている。十歳の誕生祭で自分は自慢の道具としてまた使われ、自分が式典に出ればやっと収まってきた神子の評判や噂まで持ち上がる。


第一王子の兄がいるのに、自分ばかりが持て囃される要員しか今年の式典にはない。もしかすると今後もフリージアに自慢する為だけに、自分に王位継承をなどと言い出す輩が出るかもしれない。

国王達に目の前で「神子の証拠を見せてやれ」とまた地獄のような暗唱を命じられるかもしれない。神子を殺した今、もう自分は二度と神子として扱われたくはない。

〝特殊能力の国フリージア〟よりも遙かに、自分を持て囃す環境そのものの方がセドリックには恐ろしくて堪らない。


「ランス様っ……そろそろ戻らなければ……!」

「っ……セドリック!!フリージア王国の来賓は明後日まで我が城に泊まる!!今夜が無理でも絶対に挨拶には行かせるからな!!」

謝罪もしろ!と、いつもの兄よりも厳しい声にセドリックは振り返ることはなく身を縮めた。挨拶と謝罪に行くのなら、その時は両親ではなく兄と一緒が良いとこんな時にも甘えたことを思ってしまう。

第二王子を一人にしておくわけにもいかず、護衛の兵士を数人残したまま、ランスと護衛だけがまた式典会場へと早足で戻っていく。

足音が遠くなったのを耳で確認してから、セドリックは盗み見るように兄の背中を見下ろした。式典には決して行きたくない。しかし、今自分や兄が式典にいない間にも勝手に自分の神子の話題や、兄の悪口が語られていたらと思うとそれだけで胸が酷くざわついた。

社交界では自分が前に出て違うと示すことができたが、今はそれができない。勝手に神子の評判や噂が大きくなっていたらと考えれば指先まで震え出す。今すぐ式典に出て安心したい気持ちと、式典に出て神子の話題の発端を作りたくない気持ちが均等に混ざり合う。

兄の為にも決して今夜の式典には参加しない。自分の分、兄がフリージアの来賓と仲良くなれば良いと思うのは本心だ。異国の来賓と親密になれば、その分兄の評価も上がる。

セドリック様、セドリック様どうか、と。足下で自分を見上げ、懇願してくる衛兵達の言葉を無視し、変わらずセドリックは木の上でふんぞり返ったその時。







鈴の音のような声が、かけられた。







「あのっ……どうかされたのですか……?」

ざわりっと、セドリックではなく息を飲んだのは衛兵だった。

ずっと降りてこない第二王子へ視線を上げていた彼らは、もともと警備の為の人員ではない。視線を上に向け続け、近づいている影に気付かなかった。

聞き覚えのない声にセドリックも口を結び注視すれば、見覚えのない少女と侍女、そして護衛だった。少女のドレスも侍女の制服も自国では見慣れない衣装である上に、護衛に至ってはハナズオ連合王国には存在しない騎士だ。

ひと目でその少女がどういう立場の人間か理解した衛兵達は、全員が幼い少女相手に姿勢を正す。想像はついていながらも「貴女様はっ……」と言葉を詰まらせた。

暗がりで見えにくくとも、木の上からそれを眺めていたセドリックも少女が何者かは把握した。事前に兄から、来賓の王女と王子の名前と年齢は聞いている。


「フリージア王国第二王女、ティアラ・ロイヤル・アイビー殿下になります」


そう、深々とした礼と共に説明する侍女に合わせ、ティアラは小さな手でちょこんと礼儀正しく礼をした。まだ緊張が隠しきれていない顔のままの少女に、衛兵達も慌てて整列し挨拶する。「大変失礼致しました!」と声を揃え、頭を下げる彼らにティアラはもう一度同じ問いを投げかけた。


何をしているのか。

……その問いに、答えられる衛兵は一人もいなかった。


ティアラと自分達の立つ位置まで、距離は四メートル程度。暗がりで良かったと全員が心臓を危ぶませながら、口を噤んだ。一人気の利く衛兵が「我々のことよりも」と、何故第二王女がこのような場所にいるのかを無礼にならないように尋ね返す。

自分の問いに明確な答えは返されなかったティアラだが、気を悪くする様子はなく僅かに首がまだ傾いたまま自ら辿々しい声で説明した。

大勢の式典で姉や兄と共に来賓達と挨拶を交わしていたティアラだが、あまりの規模と数の多さに少し疲れてしまった。自国の城での式典とは全てが違う慣れない環境の上、馬車で十日もかけた旅。しかも到着したのは今日の早朝で、その後も慌ただしかった為に疲労は蓄積されていた。

本来であれば二日前にはハナズオに到着する予定だったフリージア王国だが、幼い王女と王子への配慮もありゆっくりと移動したことで時間もかかってしまった。


「私っ……まだフリージア王国以外出たことがないものでっ……すぐ戻ろうと思ったのですけれど、今朝案内していただいた時にこちらの黄色いお花がとても可愛くて……ちょっと見に来ちゃいました」

自国から遠く離れた身で、この城に到着した時に自国の庭園でも見慣れた黄色い花を見つけ、つい会いたくなってしまった。

小休憩も兼ねた散歩も、護衛の騎士と専属侍女さえ付ければ容易に許された。少し花を愛でてすぐに会場に戻るつもりだったティアラだが、そこで目についたのが妙に木の周りに集まった衛兵達だった。明らかに頭上を見上げ困惑している彼らに、猫でも降りてこれなくなったのかしらと心配になって声をかけた。

だが、実際にいるのは猫ではなく式典の主役である第二王子だ。


体調不良とされている王子がまさか三時間も木の上に籠城しているなど、衛兵も言えるわけがなかった。

城ではもう日常だが、異国の来賓に言えば恥さらしである。幸いにも、セドリックが木の上の上まで登っているお陰で、第二王女には見えていない。

現状で木の上の正体を知るのは衛兵と、本人。そしてティアラの護衛として付き添う三番隊の騎士隊長だけだった。

三番隊騎士隊長として、騎士団長ロデリック率いられ三番隊と十番隊半数と共にハナズオに訪問した騎士だったが、遠目でも明らかに木の上にいるのが人間だということは察しがついた。しかも衛兵が槍や剣を抜く様子もなく、怒鳴りつけるそぶりもないことからそれなりの身分であることも想像できる。そこから導き出せるのは式典の主役王子しかなかった。

更には、先ほど遠目ではあるが式典で自国の王族と挨拶を交わしたサーシス王国の第一王子が眉間に皺を寄せながら去って行くのを目撃したばかりだ。

しかし、ここで指摘するわけにもいかず、騎士は敢えて口を閉ざす。


ティアラの可愛らしい理由に、衛兵もすぐにどうぞご自由に!と力一杯に笑顔を意識して木とは離れた方向をそれぞれ手で向けた。

何も気付かず小首を傾げるティアラは、そこでまたきょとんと瞬きをした。トン、とまた一歩衛兵達の方へと足を踏み出す。可愛らしい足音にも今の衛兵はぎくりと顎を反らした。

「木の上に、何かいるのですか?もしかして……」



「ッお初にお目にかかります……!!ティアラ・ロイヤル・アイビー第二王女殿下……!!!」



ズシャン、と。僅かに着地に失敗した音を立てながら着地した、セドリックの第一声だった。

ティアラが現れたのだと、理解した時点で少しずつ枝から枝へと降りていたセドリックだが、最後は少し無理をした。このままだと第二王女にバレてしまうと焦ったところで、急ぎもう二本下にある最下の枝に飛び降り、そこでバランスを崩した。本当ならば、二段下に着地してから素早く地面に飛び降りるつもりだった。

高いところから飛び降りることはできないセドリックだが、最下の枝からならば足に少し響く程度で怪我はしないと経験上知っている。まさか第二王女を前に、いつものように木にしがみつきながらずり降りるわけにもいかなかった。

膝に響く衝撃を派手食いしばりながら堪えたセドリックはなんとか笑みを維持した。突然人が落ちてきたことに、ティアラは思わず悲鳴をあげて背中から転びかける。


「驚かせて申し訳ありません。申し遅れました、私ハナズオ連合王国サーシスが第二王子セドリック・シルバ・ローウェルと申します」

言葉を整え、形式通りの優雅な礼をするセドリックにティアラは目が溢れそうなほど丸くした。

てっきり猫が降りられなくなっているとしか思っていなかったというのに、青年が、しかもこの国の王子が降りてくるとは夢にも思わなかった。もし猫が降りられないなら自分の騎士に降ろすのを手伝ってもらいましょうかと言いかけた口もぽっかり開いたままになる。

初めて会う異国の王子様に瞬きが止まらない。成人した王族や歳の近い貴族には会ったことがあるが、歳の近い王族に会うのは姉と兄以外初めてだった。式典で挨拶したサーシスとチャイネンシスの王子も、自分の姉よりもさらに歳上だ。

きらきらと月明かりに輝く黄金の髪も、燃えるような真っ赤な瞳に、煌びやかな装飾をふんだんに身に付けた王子はまさに想像通り〝黄金の国の王子様〟だ。

思わず感激してしまったティアラは、専属侍女の囁きでハッと挨拶を返していないことを思い出す。少しあわあわとしながらも、礼儀通りドレスを摘み改めて礼をした。


「こちらこそ失礼致しました。フリージア王国第二王女ティアラ・ロイヤル・アイビーと申します。お会いできて光栄です、セドリック第二王子殿下」

きちんと身につけた挨拶をしながら、胸のばくばくは止まらない。何故よりにもよって頼りになる姉も兄も母も叔父も会場にいる一人のこの時に会ってしまったのだろうと思う。

こちらこそと、典型通りの挨拶をさらに重ねてくるセドリックと会話の往来を終えてから、ティアラは改めて息を整えた。


「……あのっ。セドリック第二王子殿下は何故っ、木の上に……?」

「大変失礼致しました。実は先程まで猫が木の上から降りられなくなっており、登って助けたところでした」

「!やっぱりですかっ‼︎」

パッとティアラの目が輝く。思わず王子を前にと関わらず、パチンっと手を叩いてしまう。猫さん!とあと少しで声も上げかけた。

「今はどこに⁈」「もう先に下ろした後です」と、子ども同士で盛り上がる王族二人に衛兵達も、騎士と侍女もそれぞれ曖昧な笑みで止まってしまう。どんな理由であれ一国の王子が上等な衣装を纏い木の上に登っていた時点で、本来ならば指摘すべき点は他にいくつもある。


「!そういえば体調は宜しいのですか……⁈せっかくの式典にもお見えにならなかったというのに」

「ッつい先程回復致しました。それよりもティアラ第二王女殿下、黄色の花であればこちらに。しかし貴方の方がよほど美しい、愛らしい花のように見えて仕方がありません。まるで黄金の花姫そのものだ」

話を強引に逸らし、花の場所へ連れていこうと手を取ろうと差し伸ばす。

王子からの誘いにティアラがその手を取れば、更にセドリックの言葉は止まらない。社交界でも自分なりに成功した本の語りで褒め称え、ティアラのウェーブがかった黄金の髪を反対の手に取り、強い笑みと共に口付けを落とした。

あ゛あ゛あ゛っ…、ランス様がいれば‼︎と衛兵は心で叫び絶句する。侍女と騎士も驚き目を丸くするが、主催国の王子からの行為は止められなかった。年頃の王女であれば別だったが、子ども同士のやり取りであることも指摘として躊躇った。あくまで触れたのは手や髪だ。ティアラの顔色を確認するが、ぽんっと頬を染める8才の王女に機嫌を傾けてはいない。

様々な戸惑いが交錯する中も、セドリックは堂々と彼女の髪をかきあげる。


「失礼。あまりに美しい髪でしたので、つい」

「!いっ、いえ!そそそれよりもセドリック第二王子殿下は私のことなどより会場に急がなくても宜しいのですかっ……?私のプライドお姉様も、ステイル兄様もセドリック第二王子殿下にお会いできるのをとてもとても楽しみにしてますのに……」

自分ばかりが会えてしまえるのが申し訳ないと、首をふるふると振りながら火照った顔で眉を垂らす。

「こちらの方が宜しかったでしょうか」とセドリックが手の甲にまで口付けを落とそうとするよりも早く、ティアラの配慮が先行した。的確な一言に意図せずセドリックの動きをピシッと止める。


絵本で読んだ王子様のようなことをしてもらったことにはティアラも少なからず足元が浮かぶような感覚を覚えつつ、やはり8歳ながら第二王女としての立場で考える。

少し休憩くらいの気持ちだったのに、主役の王子を独占してしまうことに焦りも覚えた。今は頼りになる姉も兄もいない。

手を取ってくれる王子に、断るべきなのか誘いに乗るべきかも特殊な状況過ぎて幼いティアラには判断が難しかった。そして彼女の手を取るセドリックも


─第二王女と式典会場などに行けばもう逃げられん……‼︎‼︎


「お気になさらず。それよりも美しき姫君と良き時間を過ごしたい」

また同様、それ以上に焦っていた。

急拵えに兄達にいくつかの社交界に連れて行かれ予行練習できていて良かったと思う。お陰で女性がどのような扱いが喜ぶかも確認できた。自分の容姿に絶対的自信を持てた今、神子の名前など使わずともこの容姿で振る舞えば年下の王女一人くらい足止めできる筈だと思う。王族だの王女だの言われても、所詮は自分と同じ立場でしかない。


どうぞこちらにと、黄色の花が咲いている花壇へとティアラをエスコートしながらも、煌びやかな服の下は滝のような汗だった。

第二王女の愛らしさなど上回るほど、ただただ縄の上を歩かされているような緊張感に喉が渇く。

せっかく木から降りてきた第二王子を逃せないと衛兵も、そして第二王女の安全を守るべく騎士と侍女も一定距離を保ちつつ固唾を飲んで見守る中、二人が歩く先は庭園でも噴水でもないただの一角の花壇だ。

ただ眺めるだけならば愛らしい姫と王子の絵になるやり取りだが、両国間の今後の関係を慮る周囲は気が気ではない。見守るのも目を瞑るのも待ったをかけるのも、その全てが今後の国同士の関係にまで関わるのだから。


「花はお好きですか」

「はいっ!お城には庭園があって沢山のお花があります!お姉様と兄様とそこでお花を見て回るのが大好きです」

「それは良い。私も、兄君であるランス・シルバ・ローウェル第一王子と共にこの辺りはよく散策します」

セドリックの場合は散策というよりも逃亡だと、衛兵達は言葉を飲み込み心臓を悪くする。

純粋なティアラが「だからこの辺りのお花にも詳しいのですねっ」と笑顔を見せるが、実際は神子の絶対的記憶力で覚えているだけである。

手を引くセドリックも、花の前で立ち止まったところで今まで大してその花を気に留めたことはない。それよりも今は先ほどまで会場にいたティアラが自分のことをどこまで周囲から聞かされているかの方が気になる。少なくとも自分が表向き体調不良にされていることは知っている。


「ランス第一王子殿下にも先程ご挨拶しましたっ。とてもお優しくて立派な御方でした」

実際はそこに加えて、欠席の弟についても誠心誠意謝罪してくれたことも印象に残ったが、それを言うとセドリックが気にしてしまうとティアラは蕾のような唇をぎゅっと搾る。

こうして大事な弟が回復したと知ったらすぐにでも会いたいのではないかしらと、また心配になった。

そんなティアラの気持ちも知らず「ありがとうございます」と微笑むセドリックは、あと何時間このまま花壇で時間を引き延ばせるかとばかり考える。いっそもうティアラを会場に戻したくない。

もともと異国のフリージア王国の王族に対しては、兄であるランスからの影響もあり本心から悪くは思っていない。世界の広さに目を輝かせる兄がこうして異国の人間と会うことが叶ったことは良かったとすら思う。

「それと!」とそこで突然ぱちんとティアラは両手を叩く。目的であった花も見れた今、第二王子へと意識を向ける。


「チャイネンシス王国のヨアン第一王子殿下にもお会いしましたっ。ランス第一王子殿下とは大事なご友人で、セドリック第二王子殿下のことも弟のように大事だと仰っていました。お二人ともとてもとてもセドリック第二王子殿下のことを大事にされておられるのですね!私っ、お姉様と兄様のことが大好きで、……あっ、なっ、なので仲良くされておられることを聞いて自分のことのように!……〜っ……う、嬉しくて……た、です……」


カァ〜〜ッと、途中から自分でも熱が入ってしまったことを自覚したティアラは次第に目を伏せ、顔が耳まで赤くなってきてしまった。

最初は本当に「だから心配してくれてるお二人の為にも会場に」と言いたかっただけなのに、つい気持ちが前に出てしまった。自分の頬が熱いのを手のひらで挟んで確認しながら、目を逸らしてしまう。

会場にいないセドリックのことをランスと同じように謝り誠意を尽くしてくれたヨアンも、ティアラはとても嬉しい気持ちになった。

こんなに兄と兄のような人に大事にされた人はきっととてもとても優しくて良い人なのだろうと思った。まるで自分の姉と兄のように優しい目をして弟のことを話すランスとヨアンに、このままずっと仲良くしてあげて欲しいと。まだ会ってもいないセドリックのことを想い願ったぐらいだった。

だから今こうしてセドリックに直接会えたことも、やはり思った通りの優しい人だと知れたことも嬉しい。


「ごっ、ごめんなさい……!私としたことがつい一人で盛り上がってしまって……」

「……いえ、とんでもありません。……?」

ぱちり、ぱちりと今度のセドリックは素のままに瞬きを繰り返した。

突然饒舌になった王女にも驚いたが、それ以上にまさか自分の容姿を前に赤面されることはあっても、兄の話題でこれほどまでに女性から盛り上がられたことは初めてだった。

自分の機嫌取りで兄が褒められることはあるが、こんなに「つい」というほどに興奮して話されることはない。


「とても、嬉しく思います。私にとっても自慢の兄達です」

「!そうなのですねっ。私にとっても自慢のお姉様と兄様です!」

ぴょんっと、ほんの少しだけ踵が跳ねるように上がってしまう。

陽だまりのような笑顔を浮かべる第二王女に、セドリックも今度は心からの笑みが溢れた。今度は互いに自然と目を合わせられる。

じっ……と十秒近く笑んだ後、そこで互いにまた我に帰る。はっと息を呑むティアラは、一瞬だけ目を逸らしまたひと呼吸と共に目を合わせた。


「あっあのっ……もし、宜しければもう少しだけお話できますか?」

「是非。貴方のご興味があることでしたら何なりと」

辿々しく、指を組み直しながらはにかむティアラに、セドリックも望むところとばかりに胸へ手を当て笑んだ。

まさか兄姉のことでこんなにも盛り上がってしまうとは思いもしなかったが、お陰でこうして王女を自ら引き留めることができた。

社交界で何人もの女性と同時に会話を成立させることができたセドリックにとって、たった一人との会話を長続きさせることに自信はある。


「セドリック第二王子殿下にとってのお兄様方のお話をお聞きしたいですっ!」


パッと嬉しそうに目を輝かせるティアラは声を弾ませた。

こんなにも話が合う王子を前に、純粋に話が聞きたくなった。

とても仲良しの兄弟で、片方は兄と呼びながらそこに血の繋がりなど関係無い。ヨアンのこともまとめて「兄達」と呼ぶセドリックから、もっともっと話が聞きたくなった。


まさかの〝神子〟どころか自分単独のことではなく自分と兄達と話題を望まれ、セドリックもとうとい虚を突かれる。まるで星空のように目を輝かせる王女は、ご機嫌とりで望んでいるようには見えない。

「喜んで」と、言葉を返せばティアラもきらきらの眼差しを真っ直ぐに自分より背の高いセドリックへと注いだ。


「昔から仲良しだったのですかっ?」

「私が四歳の時からです。兄君あってこそ今の私がいます」

「!わ、私は六歳の頃からなんです!お姉様も兄様もっ……!……」

むぎゅううっ!とティアラはお喋りになってしまう口を慌てて両手で塞ぐ。セドリックに話を聞かせて欲しいと言いながらついまた自分の姉兄の話をしそうになってしまった。まだ幼い7歳の少女には、どうしても楽しい話題相手に口が踊ってしまう。

ティアラが途中で口を止めたことに、わかったセドリックも「構いません」と笑んだ。自分の方が年上である余裕もあり、何より彼女の話したいことも自分にとってはつまらない話題ではない。


「是非、ティアラ第二王女殿下の姉君と兄君のお話も聞かせて頂きたく存じます」

「!喜んでっ‼︎」

きらんっとまた大きく笑顔を輝かせるティアラは、わずかに身体が前のめりになった。

私のお姉様はこんなにすごい、私の兄君は常にこんなに懐が深い、兄様はこんなに優秀、ヨアン第一王子は歴代でもと。互いに兄弟の話だけでいつまでも尽きない。

年の近い相手で共通の話題がいっぱいできることに、ティアラも時間を忘れてしまう。セドリックも兄達以外で自分の好きな話題を理解してくれる相手は初めてだったこともあり、途中から目的も忘れ出した。

いくら王族としての振る舞いを身に付けていようとも、十歳になったばかりの王子と七歳の姫である。


興奮で冷たい夜にも関わらず互いの温度もぽこぽこと上がっていく中、……きっかけは小さなものだった。


「ティアラ第二王女殿下にとってのプライド第一王女殿下とステイル第一王子殿下と同様、いえ〝それ以上に〟素晴らしき兄達であると自負があります」

「!負けません‼︎ランス第一王子殿下とヨアン第一王子殿下も素敵ですけど、私のお姉様と兄様が世界一ですっ‼︎」


なにを?そんな‼︎と。二人の心の声がそれぞれ上がる。

二人の打ち解けた様子を微笑ましく眺められるようになった護衛達すらも、ぎくりとそれぞれ肩を揺らした。

姉と兄を慕う王女相手に「自分の兄の方が」と失言ともとれる言葉を直接放つセドリックにも、そして兄達しか慕わない王子相手に「負けません」と言い返したティアラにも、周りの大人達の方がそれぞれ肝を冷やされた。


いくら王族としての振る舞いを身に付けていようとも、十歳になったばかりの王子と七歳の姫である。


「私の兄君は幼少の私の面倒をみてくれました!」

「わ、私のお姉様もずっと私と一緒にいてくれますっ。こ、この前なんて怖い夢を見た私が眠るまで一緒にいてくれました!」

社交界の経験こそ浅くとも、今日までの短い間何度も社交界で評判を高め、特に女性からの人気を欲しいままにしてきた。

そのセドリックは、主にランスとヨアンの評判を上げることと相手の機嫌を取ることに特化して振る舞った。そんなセドリックが、今は自分のことでいっぱいになっていることに衛兵達は顔色を次第に悪くした。嫌な予感しかない。


そして騎士と侍女も互いに目を合わせ、顔が僅かに引き攣った。

城でも社交界でも常に兄と共に姉を立て、そして誰にも分け隔てなく友好的なティアラは、自分の話もするが相手の話を聞くことも大得意である。相手の気持ちにも敏感なこともあり、相手が話したいことや譲れないことを前には控えめになることもある。「そうですよねっ」と一歩引く優しさと淑やかさを持つ幼き淑女だ。

そのティアラがよりにもよって今、対抗心を見せていることに侍女は口が開いたままになる。普段のティアラを知らない騎士も、城内の評判を知る身としては驚きを隠せない。

閉ざされた国の第二王子と、大国の第二王女。いくら年齢が近くとも、今まで姉兄以外から〝言い返される〟ことなどない、権力者だ。

本人が強く言えば「なるほど」と、ムキにならずとも周囲が譲り、飲み込み、引くのが当然の世界で生きてきた。


いくら王族としての振る舞いを身に付けていようとも、十歳になったばかりの王子と七歳の姫である。


「私の兄様なんてケーキの苺を私に分けてくれます!マカロンだって好きな色を二人とも私に選ばせてくれます‼︎」

「俺様の兄さんは一人で俺様と兄貴に城内も教会も案内してくれる‼︎兄さんは聖歌も上手いぞ‼︎」

まずい、まずい、まずいと。蒼白になりだす衛兵達と、騎士と侍女はとうとう仲間内だけでなく双方の護衛達とも目配せしだす。特にセドリックに至っては鍍金が剥がれ出していた。


最初こそ笑顔で語り合っていた二人が、次第に眉の間が狭まっている。

そんな間にも二人の討論は止まらない。自分の兄の方が姉の方がと、全く引く気配もない。王族としての教育の成果か、互いに手が出ないことだけが幸いだった。

庶民の子どものような言い合いを、まさか大国の第二王女と王子がしているなど前代未聞である。

やんわりと「セドリック様……?」「ティアラ様……?」と周りが止めに入ろうとするが、もう互いに熱が入って周りが見えなくなっていた。ティアラに至ってはセドリックの話し方の変化にも気づかない。

これは国家間の戦の引き金になるのではと、最悪の未来を大人達がそれぞれ思考に過ったその時。





「ッセドリック‼︎お前は一体何をしている⁈‼︎」

「ティアラ!そんなところで何をしている!」





ほぼ同時に放たれた叱責に、二人の口はぴたりと閉ざされた。

肩どころか全身がびくりと跳ね、互いに向かい合ったまま首まで強張った。思わず固まってしまった二人よりも、その護衛達の方が機敏に振り返る。


セドリックの兄、ランス・シルバ・ローウェル

ティアラの義兄、ステイル・ロイヤル・アイビー


それぞれが護衛達を引き連れ足並みを揃えつつ、ランスは眉は吊り上げ、ステイルは無表情の中で敢えて目を鋭くさせてみせていた。

兄貴、兄さまっと。遅れてセドリックもティアラも顔を青くして振り返る。セドリックは逃げようともしたが、すでに衛兵達に囲まれた後だったことに今気がついた。そして同時に、木の上にいた時に自分を見上げていた衛兵が二人も減っていたことに気付く。その二人が今はランスの護衛としてその背に控えていた。


セドリックがティアラの手を取ってから、衛兵達の内から二人が急ぎランスに報告へと走っていた。木から降りてきたセドリックを連行できるのはランスだけである。

そしてまさかのフリージア王国の第二王女と一緒にいると聞けば、ランスも急がないわけにはいかなかった。ちょうどランスと衛兵の話に聞き耳を立てていたステイルも、社交で忙しい姉に代わり、帰りが遅い妹を迎えにとランスに同行を望み出た。

互いに早足になった移動に社交の場のような会話は殆どなかったが、妹弟達の騒ぎに気付いた瞬間、考えた行動は同じだった。

交流関係を臨む相手国の王族に、子犬の喧嘩のような言い合いをしてる妹弟を止めないわけがない。


迎えに来た王族二人を前に護衛達が深々と頭を下げる中、そこでやっとセドリックとティアラは自分達の〝立場〟を思い出した。


数分間の説教と、互いの兄同士そして本人同士での形式的なものも含んだ謝罪。お互いにことをあらだてないように女王と国王には内密にと、穏便に話が進んだところでティアラとセドリックはそれぞれ式典へと兄達に手を引かれていった。


さっさと式典に来いと拳を落とすランスと、姉君がとても心配していたんだぞと懇々と説教を再会するステイルに、二人は涙目になりながら足を動かした。







………









……







「セドリックが来たのですかっ⁈」


そう、十四歳のティアラはきらきらとした目でソファーから飛び上がった。

姉の部屋でいつものように寛いでいたティアラだが、今日到着予定の馬車が訪れたという衛兵の報告に嬉しそうに声まで跳ねさせる。

フリージア王国にとっては和平国、そして今年には同盟を結ぶことも決まっているハナズオ連合王国からの来賓に、わくわくと姉の手を引き部屋を出る。

「行きましょうっ!」と嬉しそうなティアラに、プライドも困り笑いが混ざってしまう。ハナズオからセドリックが訪問するのは年に数回はあるが、その度にティアラのわくわくが止まらない。


初めてハナズオの式典に行った時には、セドリックと共に涙目で現れた姿が懐かしいと思う。あの時は自分も色々な意味で心臓がひっくり返りかけたとも。

客間ではなく玄関の前まで迎えば、ちょうどステイルも叔父であるヴェストに許可を得て来賓の出迎えに立っていたところだった。

姉君、ティアラ、と。呼びかけるステイルは眼鏡の黒縁を押さえる。近衛騎士二人を連れたプライドとティアラと共に外に出た。

扉が開かれた先では、ちょうど馬車が止まったところだった。御者が降り、馬車の扉に手を掛ける。

そこで姿を現したセドリックに飛び込むティアラをもう今更誰も止めはしない。


「お久しぶりですセドリック!」

「!ティアラ。また背が伸びたな」


両手を広げ突撃したティアラに、セドリックは眉を上げて受け止めた。




……




「なに?ならばプライド王女との婚約も解消されたということか?」

「そうなんですっ。けれど、レオン王子とは今後も盟友として……」


客間で寛ぐセドリックに、ティアラの話は止まらない。

つい最近、婚約とそして婚約解消を立て続けたプライドの話題にセドリックも眉を上げた。

プライドの誕生祭にこそ訪れた国王二人と違い、セドリックは未成人にも関わらず兄と入れ替わりの訪問だった。兄が留守の間代理を担う為、なかなか三人一緒でのフリージア王国訪問は少なくなっていた。


「そうそう!手紙と一緒にお勧めした御本、読んでくれましたか?」

「勿論だ。フリージアの本はなかなか手に入らんからいつも助かる。俺様も今日は良い本を持ってきた」

ほんとですかっ!と、送った本を早速読破してくれたこともお土産があることも嬉しいティアラは目を光らせる。

本はどこに⁈と尋ねれば、セドリックに積み荷が運ばれてくるから待てと嗜められる。昔から変わらない、……むしろ変わらなさ過ぎる二人を前にプライドもステイルも、近衛騎士のアランとエリックも苦笑いを隠せない。



装飾でジャラついたセドリックの長い髪を遠慮なく弄り遊びながら話すティアラと、そのティアラを平然と自分の膝に乗せて話すセドリックに。



「ところでティアラ、香水の系統を変えたか?」

「わかりますか⁈今日のはとっておきなんですっ。セドリックこそ香油変えました?髪がまたつやつやしてる気がします」

この首飾り取って良いですか?と、本人の許可を聞く前に髪にかかるネックレスを勝手に取り外しテーブルに置く。また編み編みと、セドリックの艶やかな髪で手遊びを続けるティアラは、その後も邪魔になる彼の過剰装飾を気付く度に外していく。

初めて近衛騎士としてセドリックとティアラのやり取りを目の当たりにしたアランとエリックも、これにはどう反応すれば良いかわからない。

しかしステイルやプライドが驚いてはいないことから考えても、これが通常なのだろうとは察する。義兄とはいえステイルにさえここまでべったりしないティアラが、年に数回しか合わない王子への距離感があまりにおかしい。


─これで恋仲じゃないのか……⁈


アランもエリックも心の声が重なった。

社交界でも男性から人気を誇るティアラだが、ここまで一人の異性に距離感を壊しているのを見たことがない。幼馴染といっても良い二人だが、それを言えばアーサーも大差ない。しかしアーサーとの距離感はあくまでステイルと同程度か少し置いてるくらいである。


ちらりと尋ねるように視線をソファーにかけるプライドとステイルに向けてしまえば、二人からも頷きだけが返された。

セドリックとも友好関係はそれなりにあるプライドとステイルだが、しかしセドリック相手だとティアラが前のめりに話したがる為、基本的にティアラが落ち着くまでは口を挟まないようにしている。文通をしているとはいえ、年に数回しか会えないセドリックを兄弟のように慕うティアラは直接話したいことが多すぎる。

そしてセドリックもまた、他の女性にはこんなことをしないという信頼もプライドとステイルにはある。お互い式典や訪問で他の貴族との関わりも目にするアイビー王家だが、セドリックは女性に対し思わせぶりな話し方こそするが決して安易に触れることも触れさせることもしない。

ティアラと同時期に出会ったプライドに対しては今も言葉を整え続け、膝に乗せるどころか他の女性と同じように一定距離を守っている。


─ ティアラの教育のお陰よね……。


当時ランスとヨアンに、ティアラだけでなく自分とステイルまで感謝をされたことを遠い目でプライドは思い出す。

今こそ仲睦まじい二人だが、昔は可愛い口喧嘩も多かった。マナーや教養を逃げ回ってると知ったティアラから「だからついの時に悪い口になっちゃうんです!」「お兄様方の為にも恥ずかしくない振舞いくらい覚えなさいっ!」と頬をつねられてから、マナーと教養だけは逃げないようになった。


「そういえばセドリック。貴方もそろそろ婚約のお話とかないのですかっ?ハナズオも確か成人は十七でしょう?」

「今のところはないな。ティアラ、お前こそどうなんだ。あと二年だぞ」


年頃の男女の自覚があるならその距離感を見直せ。……と、ステイルは眼鏡の位置を指先で直しながら口を固く閉じ続ける。

ティアラにそれを指摘して「だって子どもの頃からですし……」「そんないきなり意識したみたいに距離置く方が恥ずかしいんですっ!」と猛抵抗され続け、今は諦めた。

最後に言った時には「じゃあ兄様がお膝乗せてくれますか⁈」「なら兄様もお姉様の手を取ったり繋いだり頭撫でてもらっちゃ駄目ですからね⁈」と顔を真っ赤に目を潤まされた。

国一番の天才、聡明と呼ばれている策士の実質上敗北である。


「私は別に……。将来は国を出ないといけないので、どこかの王族か貴族あたりになるかとは思います」

「ステイル王子と婚姻すれば国にいられると、手紙で教えてやった案は駄目なのか」

ゴホッ‼︎コボッ‼︎と、目の前で自分の話題を急に出され、ステイルが咽せる。

政治的なものなのは理解するが、それでも勝手に決めるなと思う。ティアラのことは大事だと思っているが、あくまで妹だ。

ティアラからこの国に残りたいからと切実に頼まれたら形式上の結婚ぐらいは検討するかもしれないが、今目の前で兄である自分よりも仲睦まじい男に言われたくはない。

年頃の時期は兄として、セドリックに立場を奪われたようで嫉妬しかけたこともある。


「そういうのは母上達が決めるので駄目ですっ。それに、私はきちんと私を女の子として好きになってくれる人と一緒になりたいですし」

「俺様のところに来いとは何度も言っているだろう」

「セドリックは私のこと女の子じゃなくて妹扱いじゃないですかっ」

ぷく〜っ!とティアラが頬を膨らます。

そうやって何かと問題があれば「俺様がやってやろうか」「俺様が教えてやるから問題ない」と自分が負えば良いとするセドリックの性格には、ティアラも少し不満がある。自分だってナイフ投げをはじめにできることを増やしてる。

セドリックの膝の上に正座のように足をたたみ向き直る。唇を尖らせ、鼻同士がくっつきそうな距離で上目に見つめる。


「条件は満たしているぞ」

「確かにセドリックは第二王子ですけどっ……私は恋とかも憧れはあるんですよ!」

「ならば俺様で良いだろう」

「もうっ!恋なんてセドリックにわかるんですか!!贈った本みたいな素敵な恋に憧れると言ってるんですっ!」

「心優しく勇ましく気品高く愛した町娘を死ぬまで一途に思い続ける、美しき王子か。むしろ俺様しかいない」

「〜っ!貴方はその自分大好きの過大評価を治してくださいっ!」

むにににににっ‼︎とセドリックの口の両端から指で摘み横に引っ張る。男性的に整ったセドリックの顔が愉快に歪み、それにセドリックが抵抗することでジャラジャラと耳のピアスとイヤリングが音を立てた。

何をする⁈お仕置きです!とその後も二人が至近距離で猫の喧嘩をすることに、プライドとステイルは諦めて侍女達に紅茶を淹れ始めるように促した。このままではティアラが膝から降りるのを待っている間に、女王からの呼び出しが来てしまう。


このっ!と怒るセドリックが手を回しティアラの脇腹を擽れば、きゃはははっ‼︎と滅多に聞けないティアラの悲鳴に近い笑い声が鳴り響いた。

侍女がテーブルにカップを置き始めてやっと、ティアラもセドリックの隣へと腰を下ろす。先ほどのやりとりなど無かったかのように、改めてプライドとステイルを加えてのまともなお茶会が始まった。


「……それでセドリック王子、周辺国からは変わらず?」

「はい。御助言通り、兄達の留守中にも警戒は緩めておりません。フリージア王国と同盟を結ぶまで、周辺諸国からは気を抜けませんので」

フリージア王国の同盟予定国。

その第二王子である彼がアネモネ王国の第一王子に次ぐプライドの婚約者第二候補であったことも、フリージア王国の王女と王子は知る由もない。

そしてフリージアの第ニ王女とハナズオの第二王子が



─ いつになったら意識してもらえるのかしら……?

─ いつになれば本気にしてもらえるのだろうか……。



距離の近さ故に未だ最後の一歩を踏み込めずじまいであることを、当の本人達すら知る日は遠い。


連載を始めて六年となりました。本当に本当にありがとうございます。

今年はコミカライズやアニメ化ととても幸せな一年でした。

更新が続けられておりますのは皆様のお陰です。

心からの感謝を。

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