そして愛す。
「…惜しいことをしたな。」
姿が見えなくなっても馬車が消えた方向を見つめ続ける僕の横に、父上が立った。
何がですか、と尋ねると父上は含むように小さく笑い、僕の肩を叩いた。
「プライド第一王女殿下が、第一王位継承者でなければ…婚約解消をしなくても済んだのだが…。」
すまない、と呟く父上に僕は笑みを返す。父上がそんなことを心配してくれるなんて思わなかった。
「プライドと…彼女と婚約解消だと、あの条約書を用意された途端に胸が痛みました。」
彼女ともう、これで最後なのだと。
急激に惜しくなった。婚約関係が終わってしまうのが嫌だと、思ってしまった。
これからも宜しくと言われても、もう今日までの関係でないと思ってしまえば変わらず胸は痛み続けた。
「でも、…やはり僕はこの国と民が好きです。何物にも代えがたいほどに愛しています。それに…」
『レオン。また、会えるのを楽しみにしているから。』
〝また〟会えるのだ。愛しい愛しい彼女に。
これから何度でも、その声を、笑顔に触れられる。
それだけで、僕は十分すぎるほど幸福だ。
「プライドとは、これから何度でも会えます。〝盟友〟として。」
盟友。…その響きには何故か胸の痛みは感じない。ひたすらにその関係を誇りにすら感じる。高潔で気高く清らかな彼女と〝盟友〟だということが。
ただ、もう〝婚約者〟として彼女のあの髪に、肌に触れられないことだけが惜しまれた。
こんな感情を彼女に抱いてしまうのならば、いっそ婚約者の内にもっと触れて、もっと愛の証を彼女の身体に残しておけば良かった。
〝恩人〟〝救世主〟〝婚約者〟〝盟友〟
どの言葉を選んでも足りないほどに、もっともっと彼女へのこの想いの特別さを残しておきたかった。
…僕は、この先もきっとプライドとは結ばれない。
僕には僕の、彼女には彼女の、愛する自国があるのだから。
だからこそ、たった一瞬だけでも良い。
僕のことで頭がいっぱいになって欲しかった。
僕のことで彼女の中を全て埋め尽くしてしまいたかった。
産まれて初めて一人の女性に対して抱いた、この想いを。
例えこの先僕が、国王として別の女性と一緒になったとしても僕のたった一つの特別を彼女に捧げたかった。
あの愛しい唇には触れられない。
彼女のそこに触れられるのは、今度こそ彼女の傍で永遠に彼女を愛し続けてくれる一人の男だけなのだから。
…だけど、その傍らだけでも。
唇に触れたい気持ちを堪え、その横に触れる。
僕の初恋は、君のものだと。…その証の為に。
〝初恋〟が、こんなに胸を締め付け、熱くさせるものだなんて知らなかった。
痛みを伴いながらも、甘く切なく愛しさが身体を火照らすなんて。
「また近々会えるのが楽しみです。フリージア王国に、…プライドに。」
目を閉じれば、まるで目の前にいるかのように彼女の姿が浮かび上がる。
この耳元で囁かれているように、美しい声が頭を駆け抜ける。
この胸のときめきが、いつからなのか。
プライドに僕が本当に恋をしてしまったのはいつからなのか。
自分でもわからない。
僕の弱さ全てを受け止めてくれた時か。
僕の本当の望みを教えてくれた時か。
今までの感情全てに否定と肯定を与えてくれた時か。
この手を取って、幸せにすると言ってくれた時か。
この国を救ってくれたことを知った時か。
僕に全てを返してくれた時か。
盟友と、呼んでくれた時か。
エルヴィンの言葉を否定してくれた時か。
国への愛を、誓いを紡いでくれた時か。
…思い出すには、彼女はあまりにも僕の感情を揺さぶり過ぎたから。
ただ、僕は彼女に恋をした。
その事実は変わらない。
国を愛し、民を愛し、それでも余りあるほど僕の胸を満たして溢れるこの愛に。
…もし、もう一つ置き場を貰えるのならば。
僕は、プライドが良い。
彼女を愛し続けよう。
いつかこの恋を失うべき、…その時までは。