Ⅱ576.不浄少女は引き連れられ、
「ふーん。それで、君達だけでジャンヌ達に会ったんだ?今日。つい、数時間前に。向かいの僕らを置いて」
「良いなぁ!!僕らも会いに来て欲しかったのに!!」
テーブルに着きながら前のめりに話を聞く青年二人は、全く同じ顔で異なる表情を並べた。
夕食の時間となり、馴染んだ集合に約一名だけ肩身を狭くする。今まで裏稼業や下級層では様々な場所に出入りを繰り返した彼女だが、こういう場は初めてだった。
汚い酒場とも裏稼業の社交場とも異なる空気感と密室感、そして見えない圧力をひしひしと感じたまま振りほどけない。テーブルの一角に席を譲られたまま、まだ何もまともに発言できないままだった。
今はライアーから借りた服ではなく購入した服の為、ダブッとしない身体に合った服で動きやすい。背中どころか首回りまで覆う服は、彼女にとって今すぐ着替えたいと思うほど都合の良い服だった。
いつもなら自分から話しかけるか、そうでなくても若く色気のある自分は男達に話しかけられることも多い。しかし今は自分へ話しかけてくるのは目の前で同じ顔をした二人の少年ではなく、年上の女性一人だけである。
今も「お水飲む?グレシルちゃん、って呼んでもいいかしら?」と縫物の手を止めることなく話しかけてくる女性は、正直グレシルの個人的趣味として仲良くなりたい人種ではない。絶対平穏無事な生活を約束されて生きて来た人種だと、顔色を見てすぐに確信できてしまった。
そして、そんな自分を置いてここまで強制的に連れて来た男達二人は。
「知るか。学校を辞めた後にまで駄犬に付きまとわれたくなかったんだろ」
「ッそんなことない!!」
「なに?勝手に決めないでくれない??」
「いや~俺様ヘレネちゃんとネルちゃんだけでも呼んで良かったんだけどな?もうレイちゃんが強情で強情で」
「きっとジャンヌちゃん達もお引越しで忙しかったんだもの。残念だけど仕方ないわ。ちゃんと学校でご挨拶はできたから大丈夫よ」
全くというほど、今の彼女を意に介さない。
家に招かれた直後はまだ良かった。双子も「だれ?」と興味を示し、ライアーからも「グレシルちゃん」と簡単な紹介は入った。
しかしジャンヌから紹介された件の使用人だと、そう説明されれば……直後からは話題の大半が「ジャンヌ来たの?!!」に持っていかれてしまった。
するりと川の流れに乗るようにライアーは持参した食材と共に台所へと移り、レイも全く彼女を無視してファーナム兄弟との会話に入ってしまう。
席を促してくれたのも「実家から椅子持ってきて良かった」と言うネル一人だった。気遣いのヘレネも台所から動かない今、グレシルは完全に一対一の面接状態になっている。
ディオスもクロイも、当然グレシルに興味がないわけではない。
ジャンヌの話題としてもどうやって知り合いになったのかから聞きたいことは山ほどある。ジャンヌの正体を知っている今はなおさらだ。
しかし、今はプライド王女ではなく〝ジャンヌ〟に会いそびれた不満が強く膨らみ止まらない。城に行けばこれから時々プライド達に会うことができるとはわかっていても、やはり見慣れた姿の〝ジャンヌ〟に会いたかった。
特にクロイは、〝ジャンヌ〟相手でないとまだ上手く話せる自信がない。正体を隠していたことへの苦情と、そして前回自分がうっかり醜態を曝してしまったことへの言い訳も含めて一度〝ジャンヌ〟に話したかった。………その、貴重な機会を奪われた不満が、八つ当たりという形でレイへと真っすぐ向いてしまう。
どうせ自分達への嫌がらせか、ジャンヌを独り占めしたいレイが彼女を自分の家に囲い押し止めたのだろうと考える。
いつもの一本ヘアピンのディオスだけでなく、二本のヘアピンのクロイまでムキになる姿にレイもまたいつもより饒舌になる。
自分にだけ会いに来て去ったという優越感のまま、仮面に隠されない右半分の顔が嫌な笑みまで浮かべてみせた。
「そうやって無駄吠えするから腹の底で鬱陶しがられてたんだろ」
「そんなことない!!ジャンヌはそんなので僕らのこと絶対嫌いにならない!」
「ちょっとジャンヌに会って貰えたからって調子乗り過ぎ。君だって口も性格も悪いくせに」
そうだそうだ!!と、目の前で行われる子どもの喧嘩にグレシルの目が点になる。
裏稼業の中での皮肉の混じった会話を聞きなれている所為で余計に幼稚に聞こえる。何故かレイまでさっきより子どもに見えた。
髪留めを一本つけた少年については見ているだけで悪い癖がまた疼いたが、すぐに市場でのライアーの言葉を思い出し頭が冷えた。
やってはいけないことはちゃんと理性が覚えていても、それとは別で、欲求に氷水をかけるような事実は今のグレシルには安全装置のように働いた。
横で一方的に気を遣って話しかけてくる女性を無視しながら、今はそれよりも自分に全く構ってこない男達とその視線の向こうで早速他の女に鼻の下を伸ばしている男を見比べる。
全く自分がどういう立場であれば良いかわからない。
使用人や侍女ということはわかった。しかし、騎士団副団長の監視下にある家の一族達にどうお会話すれば良いのか。今まで利用することと陥れること前提の会話しか考えてこなかった以上、それを封じられると口すら使い物にならない。
とうとう、グレシルの訴えかける眼差しを察したネルが「あの~」と柔らかく彼らに声を掛けた。
「グレシルちゃんについて聞いても良いかしら?レイ君からはまだ話を聞いていないから……」
ピッ!とその言葉にグレシルも初めてネルへ視線を上げる。
自分が関われそうな会話を投げられたと、やっとネルに対して興味のない相手から「気が利く」程度の相手だと少し認識が改まった。
ネルからの投げかけに、耳が届いていたライアーも「そうだちゃんと紹介してやれ雇用主!」と応援を投げる。
それを受け、さっきまでの上機嫌から眉を寄せるレイは小さく舌を打った。食事をわざわざグレシルの為に家まで運んでやるのが嫌だから連れて来たが、だからといって彼女にこの家で食事を摂る以上のことを何も求めていない。大人しく座って食べて終わるならその方が都合も良かったのにと腹の中で悪態ついた。
しかしその間にも状況は速やかに変わっていく。さっきまで全く構わなかった双子もそれぞれ若葉色の瞳を彼女へ向け、レイへと尖らせる。
「そうだ君どうやってジャンヌと友達になったの⁈僕ディオス!よろしくね!それでこっちがクロイで台所にいるのが姉さんでそこにいるお姉さんがネル先……さんで」
「雇用主ならちゃんと説明すれば?この前ジャンヌに話してた使用人っていうのがこの子なんでしょ」
「名称はグレシル。野ネズミもしくは痴女だ。齧られたくなけりゃ精々気を付けろ」
「…………」と。次の瞬間には、全員が口を結び固まった。
直後にはライアーから「おーいレイちゃん」と軽い咎めが入ったが、レイは足を組み気にしない。自分にとってもグレシルについての問題部分で思いつくのはそれくらいだった。
足と追って腕も組みふんぞり返ってからそういえば前科者だったかと思い出したが、まぁ言わなくても良いかと自己完結する。ジャンヌが自分に紹介すると話した時にも前科者だと言う場にファーナム兄弟達もいたのだから。
しかし、レイからのあまりにも酷過ぎる紹介にディオス達は言葉が出ない。女性に対してあんまり過ぎる発言にネルも口が笑顔だったまま固まった。会話を聞いていたヘレネも口を両手で覆って目を丸くしてしまう。そんな恥ずかしい言葉を使っちゃいけませんと頭には浮かんだが、発言したのは自分の弟達ではなくレイだ。
気まずい沈黙に、グレシルもどういえば良いかわからず口を結んだまま目だけを左右に動かす。
女性陣から蔑みの眼差しがないことが意外ではあったが、レイからの紹介に自分からは異存はない。むしろ前科や背中の焼き印について言わないことに予想外に親切だったと思う。
十秒、二十秒、一分近い秒数を掛けてから、顰めた顔でやっと口を開いたのはクロイだった。
「……ちょっと。女の子にその言い方はないでしょ。君、使用人の扱いわかってる?」
「使用人を持ったこともない庶民は黙ってろ」
「ッし、使用人やったことは!ないけど!!でも学校で習ったぞ!!使用人っていってもちゃんとフリージアじゃ人権も守られてるし酷いことを言われて良いと法律で認められてるわけじゃ」
「俺様達の前で命じてもいねぇのに真っ裸になった女を他にどう呼べば良い?」
二度目の沈黙が、早くも神風のようにやってきた。
隙間風など入らない筈の家で、今だけは冷たい空気が全員の間に駆け抜ける。
レイもレイで当時のことを思い出せばまた顔が不快に歪む。女性の裸に興味もなければ、そういう恥知らずの女性はむしろ自分の好みとは逆方向だ。
裏稼業時代にライアーが追いかけ回しては振られたのを見て来た間に、露出の多い女と色香しか能のない女性はうんざりするほど見飽きてしまった。現を抜かすライアーに反し、自分は食傷だ。
当時〝火傷を負った美少女〟扱いされていた所為で、そういう女性達にべたべたと最終的に構われていたのはライアーではなくレイだった。自分を見ては「可愛い」と連呼し自分が何も話さないのを良いことに絡んできた連中へ若干の恨みもある。
グレシルを雇うことはもう決めたが、二度と自分の前で脱ぐな誘うなと本気で警戒する。
今回はジャンヌのことで思考が埋まっていたことと、見栄を張っていた部分もある為平静を保ったが、次に見たら物理的に発火する可能性もある。
口を俄かに開いたままじわじわと想像だけで顔が赤らんでいくディオスも、そして唖然としたまま眉が目から大きく離れるクロイも今度は言い返せない。
何故そんなことをレイ達の前でしたのかも怖くて聞けない。
「グ……グレシルちゃん……?あのね、そういうことは結婚する人の前でしか駄目よ?ごめんなさいね、初対面からあまりお説教なんてしたくないんだけれど……」
「大丈夫??ライアーさんにもし何か変なこととかされたら私に相談してね?」
「ッちょおっと待てネルちゃん?!!俺様無実だから!!!まだ指一本出してねぇぜマジで!!!」
今度は沈黙を破り出したのは、女性含む大人組だった。
口をまだ僅かに両手で覆ったまま、堪らず料理をするのを止めグレシルの方に向き直るヘレネは恥じらいで顔を火照らしながら声も細い。
何故そんなことをグレシルがしたのか想像もできないが、同じ女性として教えてあげなくちゃと思う。初対面の女の子に優しくしてあげたいと距離感と共に様子を伺っていたが、やはり聞き捨てならないものはある。
本当は好きな人の前でも時期と相手の気持ちも確認して、自分をちゃんと大切にしてと色々続けたい言葉もあったが、年頃の弟達もいる前では恥じらいが勝ってしまった。せめて大事なことだけでもと言葉を選んだが、それでも自分で話して恥ずかしい。
更にネルからすれば、やはりレイの家でそんなことがあればとなれば別の方向で聞き捨てならない。
年頃の女の子で、しかもここに訪れてからずっと借りて来た猫のように大人しい子に何があったのか心配になる。しかも自分にとって幸運の天使であるジャンヌからの紹介だ。
失礼とは思いつつも、一番女好き且つ女性に興味関心の高そうな大人のライアーへ警戒の針が向くのは当然だった。少なくともグレシルが脱いだ時に何かしら疚しい目を向けられたのではないかとは考えてしまう。
実際はまさか疚しいどころか、平然と対応したまま隣を並び続けた所為でグレシルと一緒に騎士に怒られたとは思いもしない。
女性陣からの評価を巻き込み事故で落としかけるライアーもこれには黙っていられない。
料理を手伝う手を止め、大慌てでネルの元へと冤罪を晴らしに駆け寄る。滝のような汗が一気に溢れるのを自覚しつつ「だよな?!」とグレシルにも助けを求めた。うっかり「まだ」と口が滑ったがそれに気付く余裕もない。前科者には命取りの容疑を掛けられては流石にいつものように煙に巻くこともできなかった。
あわあわと大慌ててで駆けこんでくるライアーと、自分を勝手に被害者扱いするネルに、少しだけグレシルも唇が緩んだ。
腹の底でフフンと笑ってしまいながら、まずいまずいとまた自制する。しかしまだ意地の悪さが抜けきれず、容疑の肯定こそせずとも「ありがとうございます」といつもの作ったにっこり笑顔でネルの手を取った。
さっきまで無視していた相手に、今はライアーを困らせる要因を持つ利用できそうな相手としてまた少し心の距離を近づけ
「私の兄、騎士団の副団長だから」
「…………………………」
ガチン!と、グレシルの全身が指先まで凍り付いた。