Ⅱ575.不浄少女は不服に思い、
………意味、わからない。
「レイちゃんせっかくだしなんか美味そうなもんも買おうぜ」
「駄犬の家に行くのになんで無駄に食わねぇといけねぇんだ」
さっきも菓子食ってたろと、そう並び歩く二人を見上げながらグレシルはぼんやり歩く。
ダボダボと着慣れない服に身体を包まれながら、こうして外を歩くと余計に自分の立ち位置がわからない。
一度はあの家で一生奉仕して飼い殺しされて生きるのかとも考えたのに、あっさりと外に連れ出された。しかも二人して自分に大した注意も警戒もない。ここで逃げれば簡単に逃げられる。……同時に、今自分に逃げる場所など他にない。
袖の長い服のお陰で、今は髪を降ろしていれば何も恥ずかしいものはない。顔の傷も髪が少しは隠してくれる。
数時間前までは歩くだけで誰の目も怖かった筈なのに、こうして複数人で歩くだけで注意は分散された。自分より身体も大きければ髪まで目立つ男二人であれば余計にだ。
二人揃って髪を半分染めている男達は、グレシルの緑がかった青の髪よりも遥かに人目を引く。更に片方は芸術的な仮面で余計に人目を引く。
しかし当の本人達は目立つことなど気にもしないと言わんばかりに堂々と道の真ん中を歩いていた。
「いや最近レイちゃんいじけてばっかだったからよ。や~っと当たって砕けて調子戻ったみてぇだしちょっと遊ぶのも良いじゃねぇかと思うだろ」
「誰がいじけてだ寝言は寝て言え妄想癖が。大体お前の遊びは昔から金遣いが荒すぎる」
「ば~か。俺様の最盛期の金遣いはあんなもんじゃねぇぜ」
一方的に仮面の青年と肩を組み、背の高い方の男は笑いながらグレシルへと振り返る。
途端にびくりとグレシルは肩が震えたが、直後にはニマァと満面の笑みで手をひらひら振られるだけだった。紹介された時に、自分に好意があると言った男だがただ馴れ馴れしいのかその気があるのかグレシルはあまり確証はない。
今まで色事で金を稼ぐこともあれば、本気かどうかは置いても言い寄られることは多かった彼女だが、色事を介さない好意についてはそんなものがあるのかどうかもよくわからない。
自分が利用してきた男達も、結局は自分が差し出せる利益がなければ手を貸してはくれなかった。むしろ、今こうして自分よりも目の前の青年にベタついているのを見ると、実は本命はさっきのジャンヌという子だったのではないかと思う。
本命の気を引かせたくて、その上で駆け引きにどうでも良い相手を使う。グレシル自身も使ったことのある手だ。
雇い主と一応認めた相手の言われた通り市場まで歩いているグレシルだが、未だに自分の状況にはついていけていない。今日釈放されたばかりなのだから。
目の前の仮面の青年を雇い主とし、裏稼業には二度と手をつけないでも衣食住を賄われる。それは理解した。
だが、彼らがどういうつもりで自分を雇い入れたのかも、あのジャンヌが結局どんな得があって自分に彼らを紹介したのかも理解できなかった。
ただ、これが唯一自分が生き延びて、そして死なないで望んだものを手に入れられるかもしれない可能性だったから頷いた。唯一やっと自分が「なるほど」と納得できた瞬間は
『つまりは奴隷だ』
………結局奴隷みたいなもんだと思ったのに。
ふぅ、と音には出さず溜息を吐きながらグレシルはちらりと視線を周囲に向ける。
今は本当に誰も自分を見ていない。目の前の男達二人に振り返る人間が目に付く程度だ。背の高さと目立つ髪型二人に、仮面。どこかの貴族かと振り返る者もいれば、純粋に異様な恰好をした男に息を飲む者もいる。
グレシルに対してのレイの失言は、あの場で当人にだけは真っすぐ受け入れられた。
奴隷。そして彼ら二人の言うことを聞き、その代わりに生活が保障される。貴族の家とは考えにくい古びた庶民臭い家に自分は安く売られたのだと思った。使用人としてではなく、そういう名目の実質奴隷として。
そうなれば、ジャンヌと呼ばれた少女は自分を売り飛ばした金をいくらか稼げる。騎士も噛んでいるのならきっと都合の良い罪人が釈放されるのを知って売るために自分へ声をかけた。
使用人を雇うには金がなくても、行く当てもない脆弱な罪人であれば屋敷で繋いで奴隷として働かせてもバレることはない。しかも一人は明らかに自分へ色目を向けてきた。
そして水を浴びろと言われれば、グレシルが考えたことは「早速か」だった。
別に、今更それを悲観することはない。そういう仕事は自分も慣れているし、今この場に複数の男達がいるのを見れば全員の相手でもさせられるのかと考えた。
結局自分が行き着く先はこうなんだと、諦めにも似た感情と共に「なら今までとも大して変わらない」と受け入れられた。
てっきり最初の相手は自分を流し場まで連れて来たライアーと呼ばれる男だと思った、が。
『あー--……。………取り敢えずジャンヌちゃんに確認取ってからで良いか????』
何故か、全くその気もなく苦笑いで半歩引かれた。
むしろ水浴びでも覗いてくるかそれ以上があると身構えてたのに、本当にその手前の壁で大人しく待たれていた。「着替えここに掛けとくぜ」「大丈夫覗かねぇから」「いやー俺様の服着るとか最高」とご機嫌な声をかけてくるだけで、しかも早速仕事だと思えば何故か雇い主のレイでもない少女に確認だ。
服を着ないのかと途中何度も尋ねられたが、どうせ脱ぐことになるなら無駄だと思った。自分はこれから先、そういう用途で使われて屋敷の中で飼われるようなものになるのだから。
やっぱりジャンヌと呼ばれる少女達と騎士の服に騙されたと思いながらも、あのまま死ぬよりはずっとマシだと思おうとした。居間へと戻る廊下でも「いやでもジャンヌちゃんにそこまで言われてねぇし……」「それともグレシルちゃん俺様に惚れた??」「勿論俺様としてはどっちも大歓迎だぜ?」と口だけが達者な男に違和感を覚える程度には覚悟も決まっていた。
しかし、結果として怒られるだけで終わった。
今まで自分が肌を見せてやって、あそこまで歓迎されない反応は人生で初めてだったとグレシルは思う。
レイは半分の顔を怪訝に歪め、銀髪の青年は目を見開いた直後誰よりも早く顔を背け、黒髪の青年は目を閉じてから顔を背け眉間に皺を寄せ、そして騎士は直視こそしても完全に自分に対しての眼差しは〝そういう〟ものではなかった。
どうせ騎士なら女なんて城下へ降りれば選びたい放題抱き放題なのだから自分の裸に動じないことも仕方ないとは思いつつも、十五になった自分の肌を正面に受けてあそこまで興味の対象外の目を向けられるのは顔を逸らされる以上の屈辱だった。
最終的には〝まるで〟変出者のような扱いで怒られ、服を投げつけられたのも未だに納得いかない。
あの時自分を見て怒る騎士の顔は怖いと思うと同時に、明らかに〝女性〟に対してではなく子どもの素行の悪さを怒る大人の圧だった。
彼らが自分に対して明らかに好ましくない反応を示したように、グレシルからしてもあの場の男性陣は全員「なにこいつら」というのが正直な感想である。
一人くらい赤面か鼻の下を伸ばすか慌てろと思うのに、一番慌てていたのは女性であるジャンヌだ。
服を着なさいなんて言われたのは初めてかもしれないと、グレシルは静かに振り返る。
「おっ、あったあった。あれで良いだろ。グ~レシルちゃん、あの店で適当に選ぼうぜ」
市場の一端にある露店の衣装屋。
庶民向けの簡素な服を安く叩き売るその店を視界に捉えたライアーは、そのままグレシルへも指示した。
高級とはお世辞にも言えない、本当に安い最低限の服を前にグレシルはやはり彼らの経済力は大したことはないと確信する。
服など自分で買ったこともなければ、寒くない時期は露出が多ければ多いほど良いと思っていた彼女は初めてその店の前で足を止めた。市場自体には時々足を運んでいたが、基本的には金目のものか食料調達だ。安い服など興味のない店の一つと言って良かった。
いらっしゃい、と店の老婆に声を掛けられながらじっと服の列を眺める。
どれも似たような形と色で、正直背中さえ隠れればどうでも良い。