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Ⅱ574.男爵子息は思い知り、


『あー、そういやぁレイ』


最初はただ腹立たしかった。……それだけだ。

身体も慣れ始めた生活と学校で、その日も後は帰るだけだった。

最初の頃よりは慣れたが、それでもさっさと家へ帰ろうと校門を潜ったところで双子と戯れる噂の王族と共にあの騎士に会った。

まさかの王族に握手や訳の分からない警告を受けた中、それでも俺様に馴れ馴れしいその騎士の存在は意識に留まった。ライアーを捕らえたという張本人だと思えば嫌でも頭に焼き付く。ライアーは捕らえられたことを覚えていねぇとはいえ、俺様も一度捕らえられた。そんな騎士を覚えねぇのも無視するのも難しい。


足を止めてやったのも、知り合いだからではなくただの警戒だ。

王族に反感を買いたくねぇが、あの騎士も二度と敵に回したくない。だからこそ口を結び、ただ聞いた。

世間話をする口調でまさかあんなことをあっさりと聞かされることになるとは思わずに。



『ジャンヌ達から聞いたか?』



『??…………』

意味も分からずだが逃せず、すぐに聞き返した。

ジャンヌ達が今日を最後に、学校を退学すると。どこの田舎かもわからねぇ山へ帰るというのに、あの時点で俺様は何も聞かされていなかった。

挨拶どころか退学の話自体、そこで初めて聞いた。ジャンヌの口から直接ではなく、まさかその親戚伝てにしかも当日の下校時刻だ。


思わずすぐには言葉が出ず、思考だけが何故か忙しくなった。騎士が「良かったら一緒に待つか?」と誘ってきたが、その瞬間我に返った。

気が付けば俺様を前に、妙に気を遣うように笑いかけている騎士にそれだけでも苛立った。だが、最も腹が立ったのは当然ジャンヌにだ。

つい数日前にも会った分際でその時は俺様に退学のことなど一言も言わねぇで説教だけ垂れやがった。それなのに蓋を開けたら退学なんざふざけるな。

なんでジャンヌが挨拶に来るならまだしもこの俺様がわざわざ待っていてやらねぇといけねぇんだと、あそこで待つのだけは屈辱だった。

いえ、と一言最初に切り、見返した。きょとんと少し意外そうに目を開く騎士へ、今思えば睨みを利かせていたかもしれない。


『別に、用事もありませんから』

断言と共に今度こそ校門を去った。

明るく何か声を掛けられたのも聞こえない振りをし足早に。馬車の中ではない、何にも囲われていない自分の足で帰るのが初めて不便に思えた。

プラデストから距離を置き、他に周囲に誰もいないとわかった途端ギリリッと歯を食い縛るのが顎の振動でわかった。

頭を踏みつけられたような屈辱感と、あの紫色の目を思い出すだけで理由もなく危うくなった。帰路だけで二十は顔の前で手を叩いて苛立ちを押さえた。

手を叩いてもなかなか落ち着かず、無意味に地面を蹴って一人悪態を吐き舌を打った。

家に帰り、ライアーのヘラヘラ顔を見た瞬間、余計に気が抜けて黒炎が溢れた。「俺様の新居燃やすな!!」と大慌てでライアーにも眼前で手を叩かれ、水差しごと水をかけられた。


今思えば俺様がどんな顔していたのか、考えたくもない。

俺様の黒炎を消火した後も「理由言え理由‼︎」「俺様ちゃんとお家にいましたけど⁈」とぎゃあぎゃあ文句を怒鳴ってきた奴が、……最終的には短い髪を無駄に掻きあげながら息を吐いたのも急だった。


『……ガキに泣きつかれるのは苦手なんだがなぁ……』


呆れたように笑う奴の顔に、もう一回くらい能力を暴走させたくなった。

頭から水を被らせた張本人にタオルを被せられ、顔面から髪の先まで雑に拭かれた。「どうした?兄弟」「よーしよし飯でも食って落ち着け」と妙に柔らかい口調が不気味だった。


何があったも何も、ただジャンヌが今日で学校が最後だっただけ。山に帰る、俺様には何の断りもなくと。テーブルを蹴飛ばし、ソファーに背中を預けながら説明をしてやればライアーの方は呑気なもんだった。

「へー」「あちゃー」と適当な相槌を打ちながら、ジャンヌが山に帰ると言った時には降ろした拳をぐっと握っていた。あれは間違いなく喜んでいやがった。

奴はジャンヌに惚れてやがるのか従順なのか弱みを握られてるのか未だにわからない。


結局その日はジャンヌへの苛立ちの所為で家を出る気にもならず、籠り続けた。

どうせ学校になれば外に出ねぇといけないと思えば余計に外に出たくなくなった。

翌日も妙に重い足と頭で学校へ行けば、何故かいつもより早い時間に着いた。暇つぶしに何となくジャンヌ達の教室に向かえば、本当に奴らはいなかった。


どうせまた会う。俺様に雇わせる使用人を連れて来るとわかっていても、どうしても顔に力が入り歯を食い縛りたかが一日で無駄に首も肩も凝った。

服の沁みのような不快感だけがいつまでも全身にへばりついて床を引きずった。

欠伸の出る授業中も、昨晩夜通し考え続けたことばかりが頭に廻った。何故こんなにこの俺様が、たかがジャンヌとその他で腹の底が淀むのか何度考えてもわからなかった。

ライアーが戻って来たところで今度はジャンヌが同じように消えやがったのが当てつけがましくて腹が立ったのか、その所為でライアーが消えた時と同じような沼の底に足をつける感覚を錯覚させられた所為か。それもまったくわからなかった。…………今、この時までは。



「待て」



もう去ると、席を立ち出したジャンヌを許せず引き留める。

当然だ。今の今まで何日もこの俺様を焦らし続けた分際でふざけるな。

結局、久々に会ったジャンヌは全く変わらなかった。この俺様が何日も何日も無駄に不満と顎の痛みに苛まれている間も、間違いなくこいつは何も考えていなかった。

何故俺様に黙っていたのかも、問い質せば本当にただ忙しくて話す時間がなかったという普通でふざけた理由だった。また会えるから良いと思ったと、そんな理由でこの俺様を後回しの最後尾に回しやがった。


会えば変わるか、少しは申し訳なさそうな顔をするか、……それ以外の言動を期待しなかったわけでもない。ただ、いつまでも本当に用事だけを済ませ、使用人女を押し付けたことで満足するジャンヌに時間が経てば経つほどに、俺様からは言う気も失せた。……言いにくい、とそう認めてやっても良い。


だがここで去ればもういなくなる。使用人女に問題が起きなければ、俺様がジャンヌを呼び出す理由もない。……当然、ジャンヌがこの俺様のもとを訪ねる理由もだ。

「俺様に、他に言うことはねぇのか」と。相変わらず何も期待した言葉を一言も言いやがらないジャンヌに、俺様が言えたのもそこまでだ。

いくつもいくつも的外れなことしか言えないジャンヌに、それだけで嫌でも〝そう〟なのだと思い知らされる。

今日この日この時までもわかっていたことだった。ただ、俺様が認めたくなかっただけだ。そして



「お元気で」



─ ああクソ。

結んだ口と仮面の下で、最初にその言葉が頭に浮かんだ。

何の含みも嫌味も影もなく、ただ平然と俺様にそう宣うジャンヌに込み上げたのが〝殺意〟なのか〝それ以外〟なのかもわからない。ただ、必死に内側へ飲み込んだものは黒い炎ではなく眼球の奥のものだった。


何故お前はそんなに平然としてやがるんだと、気付けばジャンヌの胸ぐらに手が伸びた。

顎が痛むほど歯を軋ませながら、言葉が出ない。ここで全てぶちまけたら恥を掻くのは誰でもないこの俺様一人だと、その確信が胸にあった。

わかりきった結果しか待っていない。何故この俺様が無駄に何日も何十時間もこれだけ考えてやっていて、こいつは平然としてやがるんだと疑問も通り越しただ腸が煮えくり返る。

俺様がいくらどう思おうと、こいつの中では百のたった一でしかない。

恐怖もないのに震える手に、四肢の重みに、……突き刺すような胸と腹の痛みに。口にせずとも答えを聞かずとも、そうなんだとわかってる。

俺様が期待した言葉や表情など、この女がするわけがない。銃を持つ裏稼業達に飛び掛かったような心臓の持ち主だ。

親戚伝ての騎士に守られ、親戚の番犬二匹を当然のようにくっつけ、駄犬共にリュックのガキにライアーにまで手玉に取る尻軽女だ。もともとライアーに会わせるだけの為にわけもわからず絡んできた田舎の芋女に、俺様だって関わる理由なんざない。用事もなければ名前のつく関係も互いにない、何もない。つまり俺様は本当に







─ 振られた







最初から、ずっとこの女の眼中にもなかった。

この女は俺様に二度と会わずとも平気で、関係性に名前を必要ともせず、別れも痛手とは思っていない。自分がいなくなってもこの俺様が何も感じないと思って、それで別に良いと思っている。

寂しいも悲しいも惜しいものまた会いたいも躊躇いもなにもなく、この女にとっては「お元気で」の一言で簡単に切り捨てれる程度のものだった。


知っている、最初からわかってる。俺様が認めた時点で〝そう〟なると。だからならないように苦労した。理由もなく俺様から会いに行ってはやらず、理由もなく待ってもやらない。俺様から動いてやる時点で認めたことになる負けだとわかっていた。

もう欲しかったものは、望みは手に入れた。なのに結局こっちも捨てきれない。今度は本当に顔を合わす理由まで奪われても、まだ。


掴んだ手を降ろし、何かあれば俺様達を呼べと命令する。力を貸してやると言ってやったのに、変わらずジャンヌは気付く気配もない。

理由など最初からあるわけがねぇ。お前に手を貸してやること自体が目的なんだと何故気付かない?

耳元へ口を運び、誰にも拾われないように最小限まで潜めた。これだけはライアーにも聞かせねぇ。本当はわざわざ口に出すことだって嫌だった。

ただ、それでもどうしても。このまま、何も残さずジャンヌに綺麗さっぱり終わられるのも嫌だった。だから






「〝友人〟の頼みくらい聞いてやる」






『友達になりたいならそう言えば?』

『今後の為にも二度とそのような戯れはされない方が良い。いつか、それを後悔と来る日が来ぬように』

この俺様が言える、精一杯。

別に、本当に一番それになってやりたいわけじゃねぇ。あの駄犬達と俺様は違う。だが、それ以外が残されていない。

ならせめて〝そう〟で在ることだけでも認められたい。


お前がいなけりゃライアーにも辿り着けなかった。

トーマスを前に拒み、打ち拉がれることしかできなかった。

あれだけ俺様が試し、拒み、脅し、この仮面の下を見せてもそれでも動じず食い下がった唯一の女。

ライアーを取り戻した今、振り返ればどうにもコイツがいなければ回らなかったことが多過ぎる。

ライアーのように薄っぺらい言葉で満足なんざしない。歯の浮く台詞なんか言うものか。

いくら言葉にしたところで、現実にならなきゃ意味がないともう思い知っている。……行動でしか、返せない。


「ありがとう、レイ。……そうね。私も同じよ」


花のように笑うジャンヌに、腹立たしさも覚えるのにそれ以上に胸の内が熱くなる。

さっきまでこの俺様に何の興味もなさそうにしていた分際で、突然嬉しそうに頬を綻ばす。「同じ」だと、それがどういう意味か聞かなくても確信してしまう。


あの時は〝恋人〟を否定できたことを清々していた女が、今は真正面から受け止めた。

吊り上がった目を緩ませ、俺の顔を見て笑う。仮面の下にどれほど醜い素顔があるかもわかっている上で、本当に他の連中へと変わらない笑みを見せつけてくる。あまりにも今更だ。

もっと早く、もっと最初にこの関係性を選んでおけば、……別れの優先順位も後回されず、俺様との別れも惜しまれたのだろうかと過り、細い痛みが喉を攣らせた。



「いつか、次もまた。ありがとうって言わせてね」



切り替えられた別れの言葉は、〝次〟を孕んだものだった。

それだけでもこの選択は間違っていなかったのだと理解する。陽の光そのもののように笑うジャンヌにもう何も出なかった。

別れの間際、最後の最後に一番近い距離で俺様に笑いかけてくるこの女は間違いなく厄介だ。期待をさせるまでもなく叩き折っておいて、未練だけを残させる。

こんな芋女に会うのを、また俺様は待たないといけない。どうせ振られた後なのにまた会いたいと、毒とわかりながら本気で思う。もうライアーで待つのは懲りた筈だというのにまた呪われる。

手を振りその場を去るジャンヌを見送りながら、言葉も出なければ仮面を外す気にもならなかった。




何を言おうと、何を見せようと。どうせ俺様の予想通りのものしかくれないと、もう知っている。




確かめる行為自体が全部が無駄だと思え、ただただこの両目に焼き付けた。


Ⅱ499-3.262

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