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155.婚約者は想い、


…行った。


次第に小さくなっていく馬車を見送りながら、僕は胸元で拳を握りしめた。


…行ってしまった。


チクリ、とまた胸が痛んだ。

彼女が、自国へ…フリージア王国へと帰って行く。風が心地良く吹き、僕の髪をなぞった。


…彼女は、本当に僕へ全てを返して去っていった。


馬車が段々と見えなくなり、小さな点となって最後には僕の視力では捉えられなくなった。

彼女の手を取った右手と、触れた唇だけが未だ熱を帯びている。


「プライド…。」


何処へでもなく彼女の名を呼ぶ。

愛しい、愛しい、初めてこの胸に灯った女性の名を。



『私は予知しました。レオン様の無き、アネモネ王国の未来を。』



彼女は、全てを知っていた。

僕のことも、弟達のことも、…この国の行く末すらをも。

それを全て知りながら、彼女は僕とこの国を救いに来てくれた。

…自国ですらない、小さなこの国を。


『レオン様、貴方はこの国に必要な人間です。』


手を取り、語ってくれたあの言葉が…どれほど僕を救ってくれただろう。

必要だと、そう認めてくれた。ずっと、僕が言われたかった言葉ばかりを彼女はその口で聞かせてくれる。

心からの言葉を、僕にくれる。


〝盟友〟と、言ってくれた。


友などいなかった。

弟達にすら恨まれていた僕を、〝友〟と語ってくれた。

今まで受けたどんな甘言よりも、彼女の言葉は僕を射止めた。

数多くの女性が、僕との未来の約束を望んだ。なのに、彼女は違った。そのようなもの、〝盟友〟である僕らの間では不要だと…そう言ってくれた。


初めて、心の底から一人の人間と繋がれた気がした。


婚約破棄ですら崩れない関係。…そんなの、考えたこともなかった。今までの女性は僕が未来を共にする気は無いと告げれば去っていったのだから。

でも、本当にそんなものがあるのならば。

それを、プライドが僕とならできると言ってくれるのならば。


叶えてみせる。絶対に。


色欲以外で女性に求められた。…この世界できっと、最も美しい女性に。

この期待に、必ず応えたいと思った。


僕はまだ歪だ。人としても、王としても。

こうしてプライドに救われなければ、自身の心も、意思も、真実も、何も知らずに全てを失っていたのだから。

…エルヴィンの言葉は最もだと思った。


〝意志無き人形〟

〝中身などない〟

〝俺やホーマーの内側にすら気付けなかった〟

〝民に自己の肯定を縋る〟

〝薄気味悪い〟


全てが正しくて、否定の一つもできなかった。ただ、それでもやはり僕はこの国の民の為に生きたいと…そう思った。例えどれほど歪でも、民の力になりたかった。

なのに、彼女は。


『レオン様は誇り高き王となる器の方です。』

『人形などではありません。己よりも民を愛し、周囲の期待に答え、王となるべくその身を捧げて来た尊い御方です。』


僕の過去も、未来も、今も…全てを認めてくれた。

人形ではないと、言ってくれた。

僕自身ですら否定できなかった弟の言葉を、全て否定してくれた。

僕のことで怒る彼女は、酷く衝撃的だった。

全て迷惑しか掛けていない僕を、彼女は当然のように庇ってくれた。

僕の前に立ち、弟達に告げる彼女の背中がとても大きく見えた。まるで、幼い日に見上げ続けた父上のように。


その後の彼女の言葉も、衝撃の連続だった。

僕無きエルヴィンの王政。その王政のもとで苦しみ衰退していく民と国の姿を聞いて、手足が震えて胸が痛んだ。肩が勝手に強張り、手のひらに汗が滲んだ。

彼女の予知は、本物だ。

それは、僕が身をもって理解している。

父上が王の座を退いてから…今から何年後か、何十年後の話かはわからない。ただ、それが確実に訪れた未来なのだと。


それが恐くて仕方がなかった。


民が、苦しむ。

国が、衰退する。

更には未来に弟達は国が傾いた後で僕に助力を求めに来ると言う。フリージア王国の王配となっているであろう、この僕に。


何という地獄だろう。


考えただけで全身が逆立った。

身体中から血の気が引いて、顔が青ざめていくのが鏡を見なくてもわかった。

衰退する国を前に弟達にそう望まれたら、きっと僕は


帰りたいと思ってしまう。


だが、フリージア王国の王配である僕にできるわけがない。アネモネ王国に戻るなど。

自分でもわかる。確信できる。

フリージア王国の王配の身でありながら、アネモネ王国に戻りたいと望み、踠き、悶え、掻き毟る己の姿が。

そして最後にはフリージア王国王配として、それはできないと意思に反して断ることしかできない己自身も。

全てが自分でも嫌なほど生々しく想像できる。


更にはエルヴィンの問い掛けに、プライドは答えた。


僕が酒場で多くの民や衛兵の目に晒されること。

弟達の王政。

フリージア王国の王配となっても僕がアネモネ国とその民へ想いを馳せている未来。

最後に、既に起こっていたであろう弟達と父上の会話を言い当てた時は、驚き立ち上がる父上の姿を見て、改めて僕は確信した。


彼女は、僕だけでなくこの国の未来までも救ってくれたのだと。


『貴方達が今後、どのように罰せられようとも二度とこの国と、そして我が盟友であるレオン様に危害を加えることは許しません。』


同盟国、それ以外何も関わりの無かった僕を救い出し、盟友と呼んでくれた。


『もし、その禁を破れば〝プライド・ロイヤル・アイビーという一個人〟が、貴方達二人の敵となります。…そして、私がこの手で必ず罰します。』


プライド、という一人の人間が僕を、国を救ってくれた。


何故、ここまでしてくれたのか。

僕が逆の立場ならきっとできなかった。

自国ならともかく、他国の為にここまで必死に、他国の為だけに行動なんてきっと僕にはできなかった。


『貴方達は国王となって何をしたいと望みましたか。』


弟達へ向けられたプライドのその言葉に、真っ先に民の笑顔が浮かんだ。

彼らがいつまでも自国を誇りに思い、笑顔で生きていってくれたら。それを身近で見つめ続けていられたら。


どれだけ幸福だろうか。


『もし、そこに最初に民の姿を見出せなければ、それまでです。誰よりも清い心を持ったレオン様を否定する権利などありはしません。』


また僕の心を覗いたかのような言葉だった。驚きのあまり顔の筋肉がぽかんと強張ったまま動かず、胸に熱が溢れ、膝が震え、喉の奥から何かが強くこみ上げてきた。


嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

今までを含めて一生分、僕の全てを認めてもらえた。

上面や勉学知識技術だけではない、もっと大切なところで、僕が王として相応しいと初めて認められた気がした。

産まれて初めて、僕の欠陥も欲求も全てを理解してくれた人が僕の全てを認めてくれた。

感謝が、喜びが、全身から溢れて止まらない。

僕の愛する国と民の未来を救ってくれた彼女に。



僕の過去も現在も未来も全て救ってくれた彼女に。



思わず彼女を抱き締めれば、それすらも彼女は受け止めてくれた。


『レオン様。…誇って下さい。愛して下さい。求めて下さい。』


もうこれ以上ない程に僕の全てを救いあげてくれた彼女が、その唇からまた言葉を囁く。

今まで蓋をしたまま抑えていた全てを、彼女は優しく許して解き放つ。


『貴方の心も、そして貴方の愛したこの国も、……こんなにも美しいのですから。』


涙が、止まらなかった。


喜び、悲しかった、嬉しい、辛かった、感謝、嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しいっ…‼︎

こんなにも人の感情というのは多くて、強く、波のようなのかと思うほどに感情が波立ち入り混じって僕の内側を強く唸らせた。


清い?高潔?美しい?

この世界で最もそうなのは


貴方じゃないか。


様々な言葉で僕を認めてくれた彼女こそが、僕にはこの世界の誰よりも美しく気高く高潔で清らかな人に思えた。


『貴方は、病める時も健やかなる時も…富める時も貧しき時も…自国の民を愛し、守り、国がより良くなるように務め、彼らの生活を…守り続けてくれると誓いますか。』


彼女が、初めて僕に愛を語る。

国の、民への愛を僕に問う。

答えなんて決まっている。


僕は、その為だけにこの世に産み落とされたのだから。


この国の民に望まれ、国を愛する父上と母上の血を授かって産まれた。

誰よりもこの国の平和と繁栄を望み、求める。

この国の第一王子として、何よりも〝僕〟としてこの国に産まれたことを誇りに思う。

この国の民と血を分けたことを誇りに思う。


僕の血も肉も心も全ては最初からこの国のものだ。

狂おしい程に愛してる。




我が、アネモネ王国を。




彼女を抱き締める腕に力を込める。

そして、僕は我が国へ永遠の愛を誓った。


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